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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第三百五十一話

 同じ頃、街を南北に貫く大きな川の河川敷では、夕暮れの残り陽が水面を赤銅色に染め、土手の上の遊歩道を、犬を連れた老人や、部活帰りの学生たちが、何も知らずに行き交っていた。その河川敷の真ん中の、草の刈り込まれた広いグラウンドの土が、ぼこり、ぼこりと内側から盛り上がり、灰色の外殻の魔獣が、地中から次々と這い出してきた。


 土手の上で誰かが悲鳴を上げ、遊歩道の人々が一斉に駆け出した時、グラウンドの真ん中の影が揺れ、漆黒のドレスの少女がせり上がった。ゴーストは、鞘のない大剣を片手に提げたまま、這い出してくる魔獣の群れと、土手を逃げていく人々の背中とを、一度だけ見比べた。


「……こっちを、見なさい」


 ゴーストが大剣を地面に突き立てると、刃の芯で氷が白く光り、縁で炎が紅く揺れ、その足元から広がった黒い闇が、魔獣たちの影を一つ残らず捕らえて、土手とは反対の、グラウンドの中央へと引きずり寄せた。魔獣たちが、一斉にゴーストのほうへ首を巡らせた。


 その時、土手の上の遊歩道を、銀髪を夕風になびかせた少女が、息を弾ませながら駆け下りてきた。私服のブラウスの上から、青白い光が這い上るように戦闘服へと変わっていき、羽衣緋雪は、ゴーストの隣に滑り込むように並ぶと、太刀を抜き放った。


「白百合の眼に、街の何か所にも、同時に反応が出たの。……一番近いのが、ここだった」


「緋雪さん。……ありがとう」


「お礼は、あとで。……あれ、魔獣だけじゃないわね」


 緋雪の視線の先、河川敷の橋桁の陰から、二つの影が歩み出てきた。背中まで届く白銀の長い髪を一つに結い、腰に太刀を提げたナンバー2が、冷たい目で二人を見据え、その隣では、ナンバーズの中で頭一つ抜けて背の高い、琥珀の髪のナンバー7が、太い腕に大槌を担いだまま、黙って立っていた。


 ナンバー2は、ゴーストの顔を一度だけ見て、それから、すっと目を逸らした。中州の夜、膝をついた自分の前に立ったナンバー8の背中を、ナンバー2はまだ覚えていた。そのナンバー8が、今夜は一人で、協会の真ん中へ放り込まれている。それを思うと、ナンバー2の胸の奥は、さっきからずっと、冷たい手で掴まれたようにざわついていた。


「……さっさと、終わらせる」


 ナンバー2が、低く呟いて太刀を抜いた。白銀の刃に霜が走り、次の瞬間、ナンバー2の姿は、地面を凍らせながら一直線に、ゴーストではなく、緋雪のほうへと滑り込んでいた。


 緋雪は、振り下ろされた太刀を、自分の太刀で正面から受け止めた。氷と氷がぶつかり合い、二人の足元から、白い霜が花のように広がった。刃を合わせたまま、緋雪は、目の前の少女の構えを見て、息を呑んだ。右足を半歩引き、刃を寝かせ気味に構えて、受けた瞬間に手首を返す。それは、緋雪が訓練校の頃から、何千回、何万回と繰り返してきた、自分自身の構えだった。


「……私の、構え」


「あなたの写しよ」


 ナンバー2は、冷たく答えた。


「でも、今夜は、あなたに付き合っている暇はないの」


 ナンバー2の太刀が、緋雪の太刀を弾くように跳ね上がり、続けざまに、袈裟に、逆袈裟に、横薙ぎにと、立て続けに斬り込んできた。速かった。


 だが、緋雪は、その太刀筋のどこかに、妙な荒さを感じていた。写したはずの構えが、一太刀ごとに崩れていく。受けた瞬間に手首を返すはずが、返す前に次の太刀を急ぎ、刃を寝かせるはずが、力任せに振り下ろしてくる。まるで、どこか別の場所へ一刻も早く駆けつけたくて、目の前の相手を見ていないような太刀だった。


 緋雪は、三太刀目を受け流しながら、ナンバー2の懐へ半歩踏み込み、峰で太刀の鍔元を打ち上げた。ナンバー2の手から太刀が跳ね上がりかけ、ナンバー2は咄嗟に両手で柄を握り直して、氷の上を滑るように跳び退いた。


「……焦ってるわね」


 緋雪が、静かに言った。


「その太刀、私の構えなのに、私の構えになってない」


「うるさい」


 ナンバー2の白銀の髪の下で、頬にかすかな赤みが差した。それが怒りなのか、図星を突かれた羞恥なのか、緋雪には分からなかった。


 その間に、ゴーストは、ナンバー7と向き合っていた。ナンバー7は、ゴーストが大剣を構えても、一歩も前に出てこなかった。ただ、大槌の柄頭で、とん、と地面を一度だけ叩いた。その途端、ゴーストの足元の土が、内側から弾けた。


 地中から跳び出した魔獣の顎が、ゴーストの足首を噛み砕こうと迫り、ゴーストは影の中へ沈んでそれを躱すと、三歩離れた別の影から浮かび上がった。だが、浮かび上がったその足元でも、また土が盛り上がっていた。ナンバー7は、一言も口をきかなかった。大槌の柄で地面を叩く音だけが、とん、とん、と河川敷に響き、そのたびに、ゴーストが浮かび上がろうとする影の下から、地中の魔獣が顔を出した。


(……読まれてる)


 ゴーストは、影から影へと渡りながら、奥歯を噛んだ。ナンバー7は、ゴーストを追っていなかった。ゴーストが浮かび上がりそうな影の位置を、地中の魔獣の配置で、あらかじめ一つずつ潰していたのだった。言葉を一つも使わずに、魔獣を盤上の駒のように並べていく、静かで、堅い戦い方だった。


 ゴーストは、影に潜るのをやめて、グラウンドの真ん中に踏みとどまった。大剣の縁の炎を大きく燃え上がらせ、足元の土ごと薙ぎ払うと、地中から顔を出しかけていた魔獣が三体、炎に巻かれて黒い霧になって崩れた。その炎の向こうから、ナンバー7が、初めて前に出てきた。


 振り下ろされた大槌を、ゴーストは大剣の腹で受け止めた。腕が痺れるほどの、重い一撃だった。ナンバー7の大槌は、真正面から叩き潰しにくる、ひたすら真っ直ぐな打撃で、その打ち方に、ゴーストは見覚えがあった。白百合の、ショートヘアのあの子が、巨大なハンマーを担いで笑っていた顔が、一瞬だけ脳裏をよぎった。


「……あなたの写しの元も、もっと笑いながら振るうわよ」


 ゴーストが言うと、ナンバー7は、何も答えなかった。ただ、大槌を引き戻した拍子に、琥珀の髪の下の目が、ほんの一瞬だけ、河川敷の向こうの、街の方角へ流れた。ゴーストは、その視線の先を追いかけようとして、すぐにやめた。ナンバー7が見ていたのは、きっと、今夜ここにいない、紫の髪の小さな相棒のいる方角だった。


 土手の上の遊歩道は、もうすっかり人影が消えていて、遠くでサイレンの音が、街のあちこちから重なり合うように鳴り始めていた。

 今夜は、ここだけではない、白百合も協会も、それぞれの場所で、それぞれの相手と向き合っているはずだった。ゴーストは、母と汐里が買い物に出た商店街の方角を、ほんの一瞬だけ思い浮かべ、すぐにそれを振り払った。


 ナンバー1がいない時のナンバー7は、むしろ、手が空いていた。誰かの勝手な思いつきに振り回されることも、誰かの口を手で塞ぐこともなく、ただ自分の大槌と、地中の魔獣とだけに集中していられた。その静けさが、ナンバー7の打撃を、いつもよりずっと堅くしていた。


 グラウンドの反対側では、ナンバー2が、再び緋雪に斬りかかっていた。その足元から、ナンバー7の魔獣が一体、緋雪の背後へ回り込むように地中を這い、緋雪が振り返るより早く、その足首に食らいつこうと顎を開いた。緋雪は、太刀の切っ先で地面を突き、足元の土ごと魔獣を凍りつかせたが、その一瞬の隙に、ナンバー2の太刀が、緋雪の左肩を浅く裂いていた。


「緋雪さん!」


「平気……!」


 緋雪は、肩の血を押さえもせずに、太刀を構え直した。ナンバー2とナンバー7の間に、言葉は一つもなかった。それでも、二人の間を這い回る地中の魔獣が、ちょうど二人をつなぐ糸のように、片方の隙をもう片方へと伝えていた。ナンバー2が荒れていても、ナンバー7が黙っていても、魔獣は、迷いなく二人の間を行き来していた。


「……仲間同士で合わせるより、間に魔獣を挟んだほうが、うまくいくのね」


 緋雪が、肩で息をしながら言った。ゴーストは、黙って頷いた。再開発地区でも、港でも、ナンバーズは互いの呼吸を合わせられずに崩れていた。だが、雑木林の夜のナンバー1とナンバー7がそうだったように、魔獣一体を間に挟むだけで、荒れたナンバー2と、黙り込んだナンバー7とが、今夜もまた、嘘のように噛み合っていた。


 ゴーストは、大剣を握り直した。炎で地中ごと焼き払えば、魔獣の糸は切れる。だが、河川敷のすぐ向こうには、土手の上の住宅街の灯りが、もう点り始めていた。この炎を、あの家々の近くで大きく燃やすわけにはいかなかった。


「緋雪さん。……地面を、凍らせて」


「どれくらい?」


「このグラウンド、全部」


 緋雪は、一瞬だけ目を丸くして、それから、小さく笑った。


「……無茶を言うわね」


 緋雪が、太刀の切っ先を、グラウンドの土に深く突き立てた。白い霜が、緋雪の足元から放射状に走り、草の根を、土の粒を、地中を這う魔獣の通り道を、端から順に凍りつかせていった。地中で身動きの取れなくなった魔獣たちが、凍った土の下で、もがくように外殻を軋ませた。


「今よ」


 ゴーストが、凍った地面を蹴った。糸の切れたナンバー2とナンバー7の間へ、大剣を横薙ぎに振り抜く。ナンバー7が大槌で受け止め、ナンバー2が側面から斬り込もうとして、その足元の凍った土に、一瞬だけ足を取られた。ナンバー2の太刀が、ゴーストの大剣の芯の氷に弾かれ、白銀の髪が宙に舞った。


「……っ!」


 ナンバー2が、体勢を崩したまま、凍った地面に片膝をついた。その身体の前に、ナンバー7の大きな身体が割り込み、大槌を盾のように構えて、ゴーストの次の一太刀を受け止めた。ナンバー7は、相変わらず一言も口をきかなかったが、その背中は、ナンバー2を庇う形で、ぴたりと止まっていた。


 ナンバー2は、ナンバー7の背中を見上げて、唇を噛んだ。中州の夜にも、こうして誰かの背中を見上げていた。あの時の背中は、もっと細くて、もっと震えていた。


「……ナンバー7」


「……ああ」


「ごめん。……私が、荒れてた」


「……知ってる」


 ナンバー7は、振り返りもせずに短く答えると、大槌の柄頭で、凍った地面を、ごん、と一度だけ強く叩いた。凍った土の表面に、蜘蛛の巣のようなひびが走り、その割れ目から、凍りきらなかった魔獣が、再び這い出してきた。


「……まだ、来るの」


 緋雪が、肩の傷を押さえながら太刀を構え直した。ゴーストも、大剣を握る手に力を込めた。這い出してきた魔獣の群れの向こうで、ナンバー2が立ち上がり、ナンバー7と背中合わせに並んで、さっきよりもずっと落ち着いた構えを取り直していた。


 その時、河川敷を吹き抜けていた夕風が、ふっと止んだ。凍った土の上に、もう一つ、別の冷たさが降りてきた。ゴーストと緋雪の背後の、橋桁の影から、白い法衣を纏った線の細い女が、音もなく歩み出てきた。その手には、雪のように白い細剣が、抜き身のまま提げられていた。


 その女の顔は、どこか浮世離れして白く、凍った河川敷の上を歩いているのに、その足元からは、緋雪の霜よりもさらに硬く、さらに冷たい白が、静かに広がっていた。ゴーストは、その女の顔を知っていた。ヴィクトリアの屋敷の庭で、汐里の水の壁を凍らせていた女だった。緋雪が、太刀の切っ先をわずかに女のほうへ向けかけ、ゴーストは、黙ってその腕に手を添えて止めた。


 女は、ゴーストにも、緋雪にも、一度も目を向けなかった。そのまま、二人の脇を通り過ぎて、凍った河川敷の真ん中へと進み出ると、白い細剣の切っ先を、ナンバー2の白銀の髪に向けて、静かに構えた。


「……その氷」


 女の声は、静かで、どこか哀しみに似た響きを帯びていた。


「軽いわね」


 次の瞬間、女の打ち直した新しい細剣の切っ先から、白い冷気が、河川敷の夜気を裂くように走った。冷気はナンバー2の太刀の刃に触れた途端、その白銀の刃を覆っていた霜ごと、さらに硬く、さらに白い氷で上から塗り込めるように凍りつかせていき、ナンバー2が振りほどこうとした時には、太刀は柄元まで真っ白に凍って、指が柄から離れなくなっていた。


「……っ、何、これ……!」


「氷の上に、氷を重ねただけよ」


 女は、少しも声の調子を変えずに言った。


「あなたの氷は、借り物の形をなぞっているだけ。……芯まで冷えていないから、上から凍らされると、何もできなくなる」


 女の足元から広がった白が、凍った河川敷の土の上を這い、ナンバー7が呼び出した魔獣たちの外殻を、一体、また一体と、地中の通り道ごと閉じ込めていった。緋雪の霜で一度凍った土が、その上からさらに凍らされて、もはや魔獣が這い出す隙間など、どこにも残っていなかった。ナンバー7は、大槌の柄頭で地面を叩いたが、凍りきった土からは、もう何も顔を出さなかった。


 ナンバー7は、しばらく凍った地面を見下ろしていたが、やがて、大槌を背に担ぎ直すと、太刀を握ったまま動けずにいるナンバー2の身体を、片腕で軽々と抱え上げた。


「……ナンバー7、下ろして。まだ、やれる」


「……やれない」


 ナンバー7は短く答えると、ナンバー2を肩に担いだまま、凍った河川敷を一度も振り返らずに歩き出した。女は、細剣の切っ先を下げたまま、その大きな背中を追おうとはしなかった。ナンバー7は、ナンバー2を担いだまま大股に橋桁の暗がりへ歩み去り、ナンバー2の白銀の髪が、最後に一度だけ揺れて、二人の姿は夜の闇の中へ消えていった。


 河川敷に、静けさが戻った。女は、細剣の刃についた霜を一振りで払うと、ゴーストにも緋雪にも一言もかけずに、来た時と同じように、橋桁の影へ向かって歩き出した。


「待って」


 緋雪が、思わず声をかけた。女の足が、ほんの一瞬だけ止まったが、振り返りはしなかった。


「……あなた、誰なの」


 女は、何も答えなかった。白い法衣の裾が橋桁の影に溶け込み、その足元に残っていた冷たい白も、やがて、夜の河川敷の土の色へと戻っていった。


「……知っている人?」


 緋雪が、肩の傷を押さえながら尋ねると、ゴーストは、女の消えた影を見つめたまま、小さく頷いた。


「使徒の人よ。……前に、一度だけ、刃を交えたことがある」


「使徒の……。どうして、あの人たちが、ここに」


 ゴーストは答えずに、ドレスの影に忍ばせていたスマートフォンを取り出した。魔獣探知アプリの画面では、河川敷の赤い点が、一つ、また一つと消えていくところだった。だが、街の地図の上には、まだいくつもの赤い点が灯り続けていて、そのうちの一つは、自分の家から歩いて十分ほどの、商店街の外れに、ひときわ強く脈打っていた。

 夕方、醤油と卵を買いに出ていった母と汐里の背中が、ゴーストの脳裏をよぎった。


「……緋雪さん。肩、手当てできる?」


「これくらい、自分で凍らせて止められるわ。……行くのね」


「ええ、行かないと……ごめんなさい」


「いいわ、行ってきなさい」


 ゴーストは、緋雪の顔を一度だけ見て、それから、足元の影の中へ沈んでいった。


 商店街の外れの広場では、紫と青白の火花が、まだ途切れることなく散り続けていた。水の壁の内側で、汐里は錫杖を両手で握りしめたまま、浅い息を繰り返していた。壁の水は、最初に張った時の半分ほどの厚みしかなくなっていて、壁の向こうの奈々美の背中が、少しずつ、揺らめいて見えるようになっていた。

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