第三十五話
文化祭『秋桜祭』、二日目の朝。
三神零が登校して目にしたのは、学校の正門前を埋め尽くす、異様としか言いようのない群衆の渦だった。
「はい、こちら◯◯高校の正門前です! 昨日、突如として特S級・未登録魔法少女ゴーストが降臨したということで、現在、全国からゴーストファンやメディアが殺到し、現場は一時パニック状態となっております!」
テレビ局の中継車が何台も横付けされ、リポーターが声を張り上げている。
その奥には、「ゴースト様、今日も来てください!」「虚無へ誘って!」と書かれた痛々しいプラカードを掲げる熱狂的なマニアやオタクたちの長蛇の列が、ずらりと続いていた。
「…………」
零は、少し離れた電柱の陰からその光景を死んだような目で見つめ、深ぁぁぁく、長ぁぁぁく息を吐き出した。
(……やりすぎた。アリバイ工作を完璧にしすぎたせいで、学校がオタクの聖地みたいになっちゃってるじゃないか……!)
初日の自作自演により、三神零とゴーストが同一人物であるという疑いは完全に払拭された。それは大成功だった。
しかし、「ゴーストが文化祭の空気に当てられてファンサ(氷の結晶)をして帰った」という事実は、全国のゴーストマニアたちの心に極大魔法以上のクリティカルヒットをかましてしまったのだ。
「もしかしたら、今日もゴースト様が来るかもしれない!」「推しと同じ空気を吸いたい!」という狂気に駆られた人々が、徹夜組まで出して押し寄せているのである。
「はぁ……。まあいい、俺はもう裏方だ。あんな群衆の前に出ることはない」
零はパーカーのフードを深く被り、裏口からこっそりと校舎に潜入した。
二年三組『マジカル☆カフェ』の厨房スペース。
そこは、戦場であった。
「三神ィ! パンケーキの生地、ボール三個分追加だ! ホイップクリームも足りねえ! 早く冷蔵庫から出してくれ!」
「分かってる! 今焼いてるから少し待て!」
昨日以上の客入りに、カフェはオープン直後からフル回転だった。
親友の狭間稔が、汗だくになりながらホールと厨房を往復し、零はコンロの前に張り付いてひたすらフライパンを振るい続けていた。
「くそっ、ゴースト様効果エグすぎるぜ! 昨日あのレイヤー(お前)が看板持ちしたのと、本物が来たお陰で、うちのクラス、完全に文化祭のメインコンテンツ化してやがる!」
「だから俺はただの委員だ! お前ら、絶対に俺の衣装が破れたことを感謝しろよな!」
零はカチャカチャと器用にパンケーキをひっくり返しながら、安堵の笑みを浮かべていた。
忙しい。確かに死ぬほど忙しい。だが、精神的な平穏という意味では、今が最高だった。
何せ、「衣装が破れた」という完璧な口実があるため、あの地獄のゴースト女装を強制されることがなくなったのだ。男声のシュールな客引きも、羞恥心で死にそうになるポージングも必要ない。ただひたすらに裏方として粉を混ぜ、フライパンを振るう。これぞ文化祭委員の正しい姿である。
(ああ、平和だ。これで今日一日を乗り切れば、俺の文化祭は無事に終わる……)
そんなふうに、零が生地にメープルシロップをかけようとした、まさにその時だった。
「——れーお兄ちゃん! おはよう!」
「零さん、また来ちゃいました」
厨房とホールを区切るパーテーションの隙間から、ひょっこりと顔を出した二つの影。
活動的なデニムのオーバーオールを着た金髪ツインテールの少女と、秋色のチェック柄のワンピースに身を包み、銀髪を揺らす絶世の美少女。
日本支部トップエース、只野真奈と羽衣緋雪。
二日連続での、まさかのご来店であった。
「…………ブフォッ!?」
零は驚きのあまり、フライパンからパンケーキを宙に放り投げ、慌ててキャッチした。
「は、羽衣大佐!? 只野大尉!? な、なんで今日も……!?」
「えへへ、昨日の文化祭がすっごく楽しかったから、今日もお休みもらって遊びに来ちゃった!」
「……本当は、協会本部が『ゴーストが再来するかもしれないから、念のため現場を監視せよ』と私たちに指示を出したんです。でも、それはあくまで建前で……私たちはただ、もう一度ここに来たかったんです」
緋雪が、上目遣いで、ほんのりと頬を染めながら零を見つめてくる。
その視線には、「あなたに会いに来た」というメッセージが痛いほど込められており、零の心臓がドクンと跳ねた。
「ひ、緋雪大佐ァァァッ!! 真奈ちゃァァァァッン!!」
その瞬間、ホールで接客をしていた稔が、おぼんを放り投げてスライディング土下座の姿勢で厨房に滑り込んできた。
「よ、よくぞ今日もいらっしゃいました! 俺たちの誇り! 光の守護者たちよ!!」
「あはは、お兄さんの友達、今日も元気だねー!」
真奈がケラケラと笑う横で、稔は血走った目をギラギラと輝かせ、ビシィッ! と零を指差した。
「三神!! お前は何をしている!!」
「は? 何って、パンケーキ焼いてるけど」
「馬鹿野郎! 日本が誇る最高戦力のお二人が、わざわざお前に会いに来てくださったんだぞ! フライパンなんか握ってる場合か! すぐにお着替えしてエスコートに向かえッ!」
「ふざけんな! 俺は委員だぞ! それに衣装は破けたって……!」
「衣装(女装)なんか着なくていい! 素のお前で、お二人を案内して差し上げろ! クラスのキッチンは俺たちに任せろ!」
稔の怒号に呼応するように、周囲の男子生徒たちも「行け三神!」「お前は俺たちの代表として、エースの二人をもてなしてこい!」「ていうかお前がここにいると、外の客が気になって仕事にならねえ!」と一斉に零を厨房から追い出しにかかった。
(お前ら、ただエースの二人とお近づきになりたいだけだろ! 俺をダシに使うなァッ!)
内心の絶叫も虚しく、零はエプロンを引っぺがされ、無理やり私服のパーカー姿のまま厨房から叩き出されてしまった。
「……あ、あの」
緋雪が、少し申し訳なさそうに零を見上げる。
「私たち、ご迷惑でしたか? 零さんは委員でお忙しいのに……」
「迷惑だなんて! れーお兄ちゃんも、私たちと回りたいよね!?」
真奈が零の右腕にギュッと抱きつき、緋雪が左腕にそっと触れてくる。
右から土属性のプレッシャー、左から氷属性のプレッシャー(物理)。そして、厨房からのクラスメイトたちの殺気(嫉妬)。
零には、選択の余地など残されていなかった。
「…………いえ。迷惑なんて、とんでもないです。……ご案内しますよ」
零は死んだような目で、諦めの境地に至った溜め息を吐き出した。
「えーっと、今日のプログラムですが……」
零はポケットからしわくちゃになった文化祭のパンフレットを取り出し、両脇に美少女を侍らせながら校内の廊下を歩き始めた。
「今は午前十時ですね。中庭では軽音楽部のライブやってますし、体育館では演劇部の公演が……。あ、お化け屋敷とか興味あります?」
「お化け屋敷! 行きたい行きたい!」
「ふふっ、真奈はそういうの好きだもんね。私は、零さんのおすすめの場所に行ってみたいです」
緋雪の破壊力抜群の微笑みに、零は視線を泳がせた。
本来ならば、敵対している特S級の野良魔法少女と、日本支部のトップエース二人。もし彼女たちが『魔力波形』に気づけば、この和やかな空気は一瞬にして殺し合いに変わる。
しかし、今の零は完全に魔力を隠蔽し、ただの「少しお人好しな男子高校生」として彼女たちの隣を歩いていた。
「あ、おい見ろよ! あいつ、昨日のゴーストのコスプレしてた奴じゃね?」
「うわ、マジだ! 素顔もめっちゃイケメン(中性的)じゃん!」
「ていうか、両脇にいるの、昨日のエース二人だろ!? なんで今日も一緒にいるんだよ!」
校内を歩けば、当然のごとく周囲からの視線が突き刺さる。
今日はマスコミやゴースト目当ての外部客が大量に入り込んでいるため、余計に目立ってしまっていた。
「あのっ! 羽衣大佐、只野大尉! 写真一枚お願いできますか!」
「昨日ゴーストが現れた時、どんな魔力だったんですか!」
カメラを構えたマスコミやオタクたちが、わっと三人に群がってくる。
フラッシュが焚かれ、マイクが向けられる。
「ひゃあっ!?」
「くっ……皆さん、落ち着いてください。取材なら広報を通すように——」
押し寄せる群衆の圧に、緋雪と真奈が顔をしかめた。
トップエースとはいえ、彼女たちはまだ十代の少女だ。戦場でのプレッシャーには慣れていても、こういう無遠慮な群衆の狂気には免疫が少ない。
その時。
零は無意識のうちに、二人の前にスッと立ち塞がり、両手を広げて群衆の波を押し留めていた。
「——すいません! 彼女たちは今日、プライベートで来てるんで! 取材も写真もNGです! 道を開けてください!」
少し低く、それでいてよく通る男声。
普段は気弱で死んだような目をしている零だが、その瞬間だけは、夜の街で魔獣と対峙する時と同じ、鋭くブレない『守護者』の意志が瞳に宿っていた。
「お、おい、なんだこのガキ……」
「邪魔するなよ、こっちは仕事で——」
文句を言おうとしたマスコミの男の言葉は、零の瞳の奥に宿る『静かな凄み』に射抜かれ、ピタリと止まった。
それは、ただの高校生が放つべきではない、幾度も死線を潜り抜けてきた者だけが持つ、本物の強者のオーラだった。
特S級の魔力は出していない。だが、零の『気迫』だけで、大人たちは思わず一歩後ずさったのだ。
「……行きましょう、大佐、真奈ちゃん」
零は群衆の隙間を縫うように、二人の手を引いてその場から足早に立ち去った。
残された群衆は、ポカンと口を開けたまま、彼らの背中を見送ることしかできなかった。
「……ふぅ。ごめんなさい、強引に引っ張っちゃって」
人気のない旧校舎の階段まで逃げ込み、零は二人の手を離して息を吐いた。
「い、いえ……助かりました。ありがとうございます、零さん」
「れーお兄ちゃん、すっごくかっこよかった! なんだか、お兄ちゃんの後ろ姿、すごく頼りになって……」
緋雪と真奈が、ほんのりと頬を紅潮させながら零を見つめていた。
その視線には、昨日以上の明確な『好意』と『熱』がこもっている。
(……やべっ。つい無意識に前に出ちまったけど、これ絶対に変なフラグ立てちゃったよな……!)
零は内心で頭を抱えた。
敵対組織(?)のトップエースに守られるならまだしも、守って好感度を上げてどうするのか。
自分が『特S級・ゴースト』であると知られた時の彼女たちの絶望と怒りを想像すると、胃の痛みが限界を突破しそうだった。
「え、えーっと……じゃあ、気を取り直してお化け屋敷に行きましょうか。三年生がやってるやつ、結構クオリティ高いらしいですよ」
誤魔化すようにパンフレットを指差す零。
「はいっ! ……あ、あの、零さん」
緋雪が、そっと零の服の袖を摘んだ。
「お化け屋敷……私、そういうの少し、苦手で。……その、もしよろしければ……中で、手、繋いでいてもいいですか……?」
上目遣いで、恥じらいの極致といった表情で甘えてくる氷の女王。
その横で、真奈も「私も! 私もお兄ちゃんと手繋ぐ!」と反対側の腕に抱きついてくる。
(……神様。俺はただ、平和にパンケーキを焼いていたかっただけなんです。どうしてこうなったんですか……)
旧校舎の薄暗い廊下で、三神零は静かに天を仰いだ。
ゴースト目当てのマスコミが押し寄せる狂騒の文化祭二日目。
未登録魔法少女ゴーストは、日本支部が誇る最高戦力たちからの『恋の包囲網』という、かつてない強敵に両腕を拘束され、お化け屋敷という名の密室へと引きずり込まれていくのであった。




