第三十四話
全校生徒が待つ体育館へと連行されながら、三神零の脳内スーパーコンピュータは、かつてないほどの超高速演算を行っていた。
(……冷静になれ。このまま体育館のステージに上がれば、どうなる?)
全校生徒の前に、この精巧すぎる『ゴースト』のコスプレで引きずり出される。間違いなく数百台のスマホのカメラが一斉に向けられ、動画や写真が撮影されるだろう。
そして、それらは秒速でSNSにアップロードされる。『高校の文化祭にクオリティ高すぎるゴーストのレイヤー出現!』『エースの二人と奇跡の共演!』と、瞬く間にバズることは火を見るより明らかだ。
(もしそうなれば、ネットの特定班が動く。「このレイヤーは誰だ?」「◯◯高校の二年、三神零らしいぞ」と。パパラッチやカードゲームの熱狂的ファンが学校や自宅に押し寄せてくるかもしれない。……最悪の場合、「あのレイヤーの体格や骨格、本物のゴーストと一致してないか?」と怪しむ頭の切れる連中が現れる可能性だってある!)
正体隠匿を第一とする零にとって、それは社会的な死どころか、ゴーストとしての裏の活動、ひいては三神家の平和な日常の『完全なる崩壊』を意味していた。
絶対に回避しなければならない。コスプレとはいえ、自分の顔写真が『ゴースト』というタグと共に全世界に拡散されることだけは。
(どうにかして、この状況をひっくり返す方法はないか……!?)
隣を歩く羽衣緋雪と只野真奈は、「ステージ楽しみですね!」と無邪気に微笑んでいる。
その時、零の脳内に一筋の稲妻が走った。
(……そうだ。俺が『コスプレをした三神零』としてステージに出るからマズイんだ。逆に、『本物のゴースト』が文化祭に乱入したという状況を作ればいい!)
今からステージに向かうのは、三神零のコスプレではなく、本物のゴーストであったという演出。
そして、本物のゴーストが去った直後に、素の『三神零』が遅れて合流すれば、「コスプレしようとしていた男子生徒」と「本物の特S級魔法少女」は完全に別人であるという『アリバイ』が成立する。
ゴーストが文化祭に現れたという事実だけがSNSで拡散され、三神零への注目は完全に消え去るのだ。
(これだ……! 魔力波形でエースたちに即バレするリスクはあるが、攻撃の意思がないことを示して一瞬で消えれば、戦闘にはならないはずだ。やるしかない!)
零は覚悟を決めると、突然、腹を抱えてその場にうずくまった。
「い、いたたたたッ……!!」
「えっ!? れーお兄ちゃん、どうしたの!?」
「零さん!? 大丈夫ですか!」
真奈と緋雪が慌ててしゃがみ込む。先を歩いていた副会長も振り返った。
「す、すいません……。朝からパンケーキの粉ばかり混ぜてたせいか……急に腹が……!」
迫真の演技で脂汗を流す零。
「三神先輩、あと五分でステージが始まりますよ!」
「わ、分かってます……! でも限界で……すぐそこのトイレに行ってきます! 先に行っててください、必ず追いつきますから!」
言うが早いか、零はコスプレのスカートをたくし上げ、猛ダッシュで近くの男子トイレへと駆け込んだ。
「ああっ、零さん!」
「仕方ありません、我々は先に向かいましょう。三神先輩には、落ち着き次第ステージ裏へ回ってもらうよう伝えておきます」
副会長の言葉に、エースの二人は心配そうな顔を残しつつ、体育館へと歩を進めた。
数分後。熱気に包まれた体育館。
全校生徒が詰めかけたフロアの正面、スポットライトに照らされたステージの上には、羽衣緋雪大佐と只野真奈大尉の二人が立っていた。
「「「うおおおおおおおおっ!!」」」
地鳴りのような大歓声。本物のトップエースの登壇に、生徒たちのボルテージは最高潮に達している。
「皆さん、今日はこのような素晴らしいお祭りに呼んでいただき、ありがとうございます!」
真奈が元気いっぱいに手を振り、緋雪が優雅にお辞儀をする。それだけで、体育館はアイドルのライブ会場のような熱狂に包まれた。
副会長がマイクを握り、見事な司会進行で会談を進めていく。魔獣との戦いの苦労や、魔法少女としての心構えなど、真面目な話から少し砕けた質問まで、トークショーは大盛況のうちに進んだ。
そして、プログラムは終盤へ。
副会長が、眼鏡を押し上げながらマイクを構え直した。
「——羽衣大佐、只野大尉、貴重なお話をありがとうございました。さて皆さん、本日の特別会談には、もう一人『特別なゲスト』をご用意しています」
体育館がざわめく。
「本校の二年三組が総力を挙げて作り上げた、究極のコスプレ。まるで本物と見紛うばかりのオーラを放つ、あの『深淵の亡霊』が、お二人の激励のために駆けつけてくれました! さあ、登場していただきましょう!」
副会長がステージ袖を指差す。
しかし。
出てくるはずの三神零の姿は、そこにはなかった。
「……? 三神先輩?」
副会長が怪訝な顔をした、その時だった。
——ピキキキキィィィッ!!
突如として、体育館の気温が急激に低下し、ステージの床にうっすらと霜が降り始めた。
照明がチカチカと点滅し、空間そのものが、圧倒的な『質量』を伴うプレッシャーによって歪み始める。
「なっ……!?」
「緋雪ちゃん、これって……!」
緋雪と真奈の顔色が一変した。
彼女たちの研ぎ澄まされた魔力探知が、けたたましい警報を鳴らしていた。
先ほどの踊り場で感じた『無(一般人)』ではない。これは、背筋が凍るほどの冷気と、全てを焼き尽くす黒炎の気配を内包した、規格外の超高密度魔力。
「この波形……間違いない。特S級……!」
緋雪が咄嗟に腰の魔装に手をかけた瞬間。
ステージの中央、スポットライトが当たっていない暗がりの空間が、ブラックホールのようにパカッと割れた。
闇の瞬間移動。
そこから、一切の足音を立てることなく、『彼女』が現れた。
紫がかった漆黒のロングヘアが、魔力の余波でフワリと舞い上がる。
白と黒の豪奢な魔装。背に負った、先ほどまでの段ボール製とは違う、本物の冷たい金属光沢を放つ漆黒の大剣。
そして、紫色の瞳が、見下すような冷酷な光を宿して全校生徒を見据えていた。
「「「…………え?」」」
全校生徒が、息を呑んだ。
先ほど校内を練り歩いていたコスプレの男子生徒とは違う。漂うオーラが、存在感が、そして何より『本物の魔法少女』だけが持つ魔力の煌めきが、そこにあった。
「ほ、本物……?」
「嘘だろ……なんでゴースト本人がここに……!?」
どよめきが、徐々に悲鳴に近いものへと変わっていく。
「ゴーストッ! あなた、なぜここに!」
緋雪が一歩前に出て、臨戦態勢をとる。真奈も巨大なハンマーを空間から引きずり出そうとした。
特S級の未知の災害指定クラス。もし彼女がここで暴れれば、この体育館にいる全員の命が危ない。
しかし。
ゴースト(中身はトイレで変身した三神零)は、大剣を抜くことはなく、ただ静かに、冷たい瞳を緋雪たちに向けた。
「……警戒しなくていいわ、日本支部の大佐たち。今日は、あなたたちと戦いに来たわけじゃないから」
透き通るような、それでいて底冷えする女性の声。
それは、コスプレしていた三神零の低い男声とは全く違う、正真正銘の『ゴーストの声』だった。
ゴーストは、小さく指を鳴らした。
パチンッ、という音と共に、彼女の周囲に『氷』の魔力で形成された無数の美しい結晶が浮かび上がる。
それはまるで、体育館の中に小さな冬の星座が舞い降りたかのような、幻想的で息を呑むような光景だった。
さらに、その氷の結晶の一つ一つに、『炎』の魔力が小さなランタンのように灯り、極彩色の光となって生徒たちの頭上をフワフワと舞い始めたのだ。
「うわぁ……」
「綺麗……っ」
恐怖は、圧倒的な美しさに塗り替えられた。
それは、ゴーストからの「攻撃の意思はない」という明確なメッセージであり、同時に、文化祭というお祭りに対する彼女なりの『出し物(魔法の披露)』であった。
「……どういうつもり?」
緋雪が、警戒を解ききれないまま問いかける。
ゴーストは、フッと口角を上げ、あのカードに書かれていた『痛ポエム』を、堂々と、特S級の威厳を込めて言い放った。
「私の心は、誰にも覗かせない。……けれど」
紫の瞳が、熱気に包まれた体育館を、そして学生たちを見渡す。
「あなたたちの熱気には、少しだけ当てられたようね。……平和な学生の祭り、少しだけ覗かせてもらったわ」
キャァァァァァァッ!!
そのセリフが決まった瞬間、女子生徒たちから悲鳴のような歓声が上がり、男子生徒たちも「ゴースト様ァァッ!」と狂喜乱舞した。
公式の痛ポエムが、見事に「ツンデレな特S級からの文化祭への祝辞」として昇華されたのだ。
「それじゃあね、光の守護者たち。……祭りの続きを、楽しみなさい」
ゴーストは最後に緋雪と真奈に冷ややかな視線を投げかけると、足元の影を展開した。
ズブズブと、彼女の身体が深い闇の中へと沈み込んでいく。
「待っ——」
緋雪が手を伸ばすが、ゴーストの姿はすでに完全に空間の彼方へと消え去り、後には幻想的に舞い散る光の結晶だけが残された。
静寂。
そして、爆発。
「「「うおおおおおおおおおッ!! 本物だァァァァァッ!!」」」
体育館が、物理的に揺れた。
スマホのシャッター音が鳴り止まず、「ゴースト降臨!」の文字がリアルタイムでSNSへと放流されていく。
「……信じられない。まさか、本物が偵察に来ていたなんて……」
緋雪は、ゴーストが消えた空間を見つめながら、呆然と呟いた。
真奈もまた、ハンマーを引っ込めながら目を丸くしている。
「やっぱり、ゴーストは不思議な人だね。……私たちを助けてくれたり、こうして魔法を見せてくれたり」
副会長に至っては、眼鏡をずり落ちさせたまま「あ、あわわ……」と司会の言葉を完全に失っていた。
それから、およそ五分後。
興奮冷めやらぬ体育館の入り口の扉が、バンッ! と勢いよく開け放たれた。
「す、すいませぇぇんッ!! 遅くなりましたァァッ!」
肩で息をしながら駆け込んできたのは、文化祭のクラスTシャツとジャージのズボン姿に着替えた、三神零だった。
「み、三神先輩!? その格好、コスプレはどうしたんですか!」
「それが、トイレで腹痛と戦ってたら、衣装のコルセットが苦しすぎて破けちゃって……! 急いで着替えてきたんですけど……あれ? なんだかすごい盛り上がってますけど、ステージの出番は……?」
わざとらしく、きょとんとした顔で首を傾げる零。
その姿を見た瞬間、緋雪と真奈が顔を見合わせた。
「零さん……あなた、本当に今までトイレに?」
「はい。死ぬかと思いました。……えっ、俺の代役に、誰か別のレイヤーが出たんですか?」
零の言葉に、副会長が深々とため息をついた。
「……いえ、先輩。代役ではありません。……本物が、出たんです」
「えっ? 本物って……?」
「本物の、ゴーストです。あなたのコスプレ衣装の破れも、もしかしたら彼女の魔力の余波だったのかもしれませんね」
体育館のどよめきを聞きながら、零は「マ、マジですか……!」と完璧な驚きの表情を作ってみせた。
(よっしゃァァァァッ!! 完璧だ! アリバイ成立!!)
零は内心で、特S級のガッツポーズを決めた。
・三神零は腹痛でトイレに行き、衣装を破いてしまいジャージに着替えていた。
・その間、体育館に『本物のゴースト』が現れ、エース二人が特S級の魔力を確認した。
・本物が消えた数分後に、素の三神零が遅れ合流した。
この完璧なタイムラインにより、「三神零がゴーストのコスプレをしていたこと」は、単なる文化祭の余興として処理され、彼と本物のゴーストを同一視する者は世界から完全に消滅した。
SNSのトレンドは『#文化祭にゴースト降臨』『#特S級のファンサ』で埋め尽くされ、零のコスプレ写真は「本物が来る前の前座レイヤー」として完全に霞んでしまったのである。
「残念だったね、れーお兄ちゃん。本物のゴースト、すっごく綺麗だったのに」
「そうですね……。でも、零さんのコスプレも、負けないくらい素敵でしたよ」
緋雪と真奈が、慰めるように零に微笑みかけてくる。
本物のゴースト(自分)を見たエース二人にそう言われ、零は少しだけ複雑な気分になりながらも、照れ臭そうに頭を掻いた。
「はは……ありがとうございます。でも、やっぱり本物には敵いませんよ」
自作自演の極み。
しかし、この瞬間、三神零の「平和な日常」は、己の策略と圧倒的な力によって完全に守り抜かれたのである。
大国が暗躍し、犯罪組織が牙を研ぐ中。
文化祭という最大のピンチを、華麗なすり替えトリックで乗り切った特S級魔法少女。
体育館に舞い散る溶けない氷の結晶の下で、零は心からの安堵の息を吐き、ようやく文化祭を心から楽しむ余裕を取り戻すのであった。




