第三十三話
二年三組『マジカル☆カフェ』での嵐のような接客を終え。
三神零の疲労は、すでに致死量に達していた。
「れーお兄ちゃん! オムライスすっごく美味しかった! ケチャップで猫の絵描いてくれてありがとう!」
「私のパンケーキも、ベリーの酸味とクリームの甘さが絶妙でした。零さん、お料理もお上手なんですね」
すっかりご機嫌になった日本支部トップエースの二人。
只野真奈と羽衣緋雪は、カフェの入り口で零に向かって満面の笑みを向けていた。
二人の周囲には、遠巻きにスマホのカメラを構える野次馬の生徒たちが群がっている。無理もない。現役のトップエースが二人揃って、高校の文化祭の模擬店でパンケーキを食べているのだ。SNSに上げれば一瞬でバズる大事件である。
「お粗末様でした……。それじゃあ、俺はこれで裏方の仕事に——」
零がぺこりと頭を下げ、厨房という名の安全地帯へ逃げ込もうとした、その瞬間だった。
「あっ、待ってください!」
「ダメだよれーお兄ちゃん! まだ文化祭、全然回ってないもん!」
緋雪が零の左腕を、真奈が右腕を、それぞれガシッとホールドした。
「えっ」
「私たち、この学校の造りがよく分からなくて。……よろしければ、少しだけ校内を案内していただけませんか?」
「お化け屋敷とか射的とか行きたい! お兄ちゃんと一緒に!」
上目遣いで、少しだけ頬を染めながらお願いしてくる絶世の美少女二人。
周囲の男子生徒たちから「三神ぃぃぃッ!」「代われ! 今すぐ俺と代われェェェッ!」という血を吐くような怨嗟の声が上がる。
「い、いや! 俺には委員としてのシフトが……!」
「三神! お前のシフトは今日一日『エースのお二人の専属エスコート』に変更された! クラスのことは任せて、行ってこい!」
厨房の中から、親友の狭間稔が血の涙を流しながら親指を立てた。
クラスの女子たちも「三神くん、うちのクラスの宣伝のためにも頑張って!」「その格好で歩けば絶対バズるから!」と、完全に零を売る気満々で手を振っている。
(お前らァァァッ! 俺を売ったな! この恨みは絶対に忘れないからな!)
内心で血の涙を流しながら絶叫する零だったが、エース二人の力強い(物理的に振りほどけない)ホールドから逃れられるはずもなく。
彼は死んだような目で「……ご案内します」と呟き、二人を引き連れて廊下へと歩み出すしかなかった。
かくして、文化祭の校舎内に、信じられない『奇跡の並び』が誕生した。
右に、元気いっぱいの土属性エース、只野真奈。
左に、清楚で神々しい氷の女王、羽衣緋雪。
そして中央には、紫がかった漆黒のロングウィッグと豪奢な魔装(手作り)を纏い、背に大剣を負った、異常なまでにクオリティの高い『未登録魔法少女ゴースト』のコスプレイヤー(三神零・男)。
「……おい、見ろよアレ……」
「嘘だろ。エース二人が、ゴーストと一緒に歩いてる……!」
「レイヤーの人、めちゃくちゃ美人だし雰囲気完璧じゃん……! ていうか、あの二人と並んで歩いてるってどういう状況!?」
彼らが廊下を進むたびに、群衆がモーセの十戒のように真っ二つに割れて道を開けた。
フラッシュの嵐が焚かれ、黄色い歓声とどよめきが校舎を揺らす。
「わぁ……みんな見てますね。零さんのコスプレ、本当にすごい人気です」
「れーお兄ちゃんのゴースト、すっごくかっこいいもん! 本物みたい!」
「……やめてくれ。頼むからこれ以上目立たせないでくれ……」
零はプラカードを盾にして顔を隠そうとしたが、真奈が「せっかくだから看板持ちも手伝うよ!」とプラカードを奪い取ってしまったため、完全な無防備状態(公開処刑)となっていた。
喋れば男だとバレるため、無言で冷酷な表情(絶望による虚無顔)を貫くしかない。それがまたゴーストの解像度を爆上げしており、もはやパニックを引き起こす寸前だった。
その時である。
「——っ!? ひ、緋雪大佐!? それに真奈大尉!?」
前方から、腕章をつけた一人の女子生徒が血相を変えて走ってきた。
細いフレームの眼鏡をかけ、髪をきっちりと後ろで結んだ三年生。この文化祭の最高責任者であり、魔法少女への強烈なリスペクトを持つ、生徒会長の神宮寺だった。
「おお、神宮寺会長だ」
「会長、エースのお二人をお出迎えに来たのか」
周囲の生徒たちが道を譲る中、神宮寺会長は息を切らしながら三人の前で立ち止まった。
「よ、よくぞお越しくださいました! 生徒会長の神宮寺です! お二人がお忍びで少し早くいらっしゃっていると聞き、慌ててお迎えに上がったのですが……!」
そこで、神宮寺会長の言葉がピタリと止まった。
彼女の視線が、緋雪と真奈の間……中央で死んだような目をしている『ゴースト』の姿に釘付けになったのだ。
生徒会長である彼女は、当然、これが二年三組の『三神零』のコスプレであることは知っている。事前の企画書チェックで、「男子生徒がゴーストのコスプレをして客引きをする」という狂気の企画に渋々許可を出したのは彼女自身だからだ。
だが。
頭では分かっていても、目の前に広がる『視覚情報』の破壊力は、彼女の許容量を遥かに超えていた。
日本支部トップエースの二人が。
あの孤高の特S級・未登録魔法少女ゴースト(の姿をした青年)の腕を、愛おしそうに両脇からホールドし、三人で並んで歩いている。
本来なら敵対しているはずの勢力が、文化祭という平和な空間で、笑顔で共に歩みを揃えている。
それは、神宮寺会長が今回の文化祭のテーマ『復興への祈りと、守護者たちへの感謝』を考える上で、心の奥底で密かに夢見ていた「魔法少女たちが争わず、共に手を取り合う平和な世界」という究極のイデア(理想郷)そのものだったのだ。
「あ……あぁ……」
神宮寺会長の眼鏡の奥から、ボロボロと滝のような涙が溢れ出した。
「こ、これは……なんという……奇跡の並び……」
「えっ? あの、大丈夫ですか?」
緋雪が心配そうに声をかけるが、会長の耳にはもう届いていなかった。
「孤高の亡霊と……光の守護者たちが……争うことなく、肩を並べて笑い合っている……。公式でも絶対にあり得ない、平和の象徴……。この光景を、生で見られるなんて……」
会長は胸の前で両手をギュッと握りしめ、天を仰いだ。
「私は……この世界に生まれてきて、本当に良かった……。魔法少女、最高……」
ガクッ。
神宮寺会長は、この世のすべての未練を断ち切ったような、恐ろしく安らかで至福に満ちた笑みを浮かべたまま。
その場に、パタリと倒れ込んで動かなくなった。
「「「会長ォォォォォォォッ!!?」」」
廊下に、生徒たちの悲鳴が響き渡った。
「きゃあっ!? ど、どうしたのこの人!?」
「急に倒れちゃいました! 救急車を——!」
真奈と緋雪がパニックになりかける中。
倒れた神宮寺会長の背後から、深いため息と共に一人の男子生徒が進み出てきた。
『副会長』の腕章をつけた、どこか達観したような顔つきの二年生だ。
「……申し訳ありません、お二人とも。どうかお気になさらないでください」
副会長は、倒れている神宮寺会長の足を無造作に掴み、ズリズリと廊下の端へ退かしながら、深く頭を下げた。
「あの、彼女は一体……」
「うちの生徒会長は、極度の魔法少女オタクでして。文化祭の準備で三徹していたところに、お二人と……あまりにも完成度の高い『ゴースト様』の尊いスリーショットを至近距離で浴びた結果、脳の処理が追いつかず『尊死』しただけです。一時間も寝かせれば生き返りますので」
尊死。
そのパワーワードに、零は戦慄した。
(俺のコスプレが、生徒会長の命(意識)を刈り取ってしまった……! 特S級の力を使わずとも、人は俺の女装で気絶するのか……!)
羞恥心と罪悪感で、零は今すぐ窓を突き破って逃げ出したかった。
しかし、冷静沈着な副会長は、手帳を開きながらテキパキと進行を再開した。
「ご挨拶が遅れました。私は副会長の佐々木と申します。羽衣大佐、只野大尉。本日はお忙しい中、本校の秋桜祭にお越しいただき、誠にありがとうございます。……本来であれば会長がご案内するはずでしたが、あのような状態ですので、私が代わりにご案内させていただきます」
「あ、はい。ご丁寧にありがとうございます」
緋雪が微笑んで応えると、副会長は腕時計を確認した。
「ちょうどお時間です。お二人には、この後予定されている後夜祭前の特別企画『現役魔法少女との特別会談』の会場へ向かっていただきます。全校生徒が、お二人のお話を心待ちにしておりますので」
文化祭の目玉イベント。
体育館のステージで、現役の魔法少女たちから直接、魔獣との戦いの話や市民へのメッセージを聞くというトークショーだ。
「分かりました。私たちも、皆さんとお話しできるのを楽しみにしています」
「れーお兄ちゃん、最前列で見ててね!」
ようやくこの二人から解放される。
零が内心で安堵の涙を流し、「それじゃあ、俺はこれで——」と背を向けようとした瞬間。
「——ああ、お待ちください、三神さん」
副会長が、眼鏡をキラリと光らせて零の肩をガシッと掴んだ。
「え?」
「三神さんのそのゴーストのコスプレ……話題性も、クオリティも、申し分ありません。倒れた神宮寺会長も、事前に『もしゴーストのレイヤーがいれば、ステージに上げて対比効果を狙いたい』と企画書に狂気じみたメモを残していました」
「……は?」
嫌な予感が、零の背筋を駆け上がった。
「羽衣大佐たちも、三神先輩とすっかり打ち解けていらっしゃるご様子。これは演出として最高です。……三神さんも一緒に特別会談のステージに登壇していただきます」
「…………はァァァァッ!?」
零の野太い絶叫が、廊下に響き渡った。
「ま、待て! 俺はただの裏方だぞ! なんで本物の魔法少女のトークショーに、偽物の男のレイヤーが混ざらなきゃいけないんだよ!」
「そこは無言を貫いて、クールなゴースト様を演じ切ってください。大丈夫です、三神さんのその『人生に絶望しきった冷たい目』、完璧にゴースト様と一致してますから」
「嬉しくねえよ! 絶対に行かないからな!」
しかし、零の抵抗は、無情にもエース二人の言葉によって完全に封じられた。
「まあ! 零さんも一緒にステージに立ってくださるんですか? すごく心強いです!」
「やったー! れーお兄ちゃんと一緒にステージ立てるなんて最高! 絶対来て!」
二人の美少女に満面の笑みで懇願され。
周囲の生徒たちからは「行け!」「三神、クラスの誇りを見せてこい!」と背中を押され。
副会長からは退路を断たれる。
(……終わった。マジで終わった。俺の公開処刑が、全校生徒規模にスケールアップしやがった……!)
抵抗する気力すら削ぎ落とされた三神零は、大国が恐れる最強の亡霊の姿のまま。
副会長に背中を押され、エース二人に両腕を引かれながら、全校生徒が集まる地獄の体育館ステージへと、ドナドナと連行されていくのであった。




