第三十二話
文化祭の喧騒に包まれた校舎内。
二年三組の『マジカル☆カフェ』は、すでに大盛況で客席は満席状態だった。
しかし、クラスの入り口に三神零が二人の少女を連れて戻ってきた瞬間、教室内の空気がピタリと止まった。
「おい……三神が、とんでもない美少女を二人連れてきたぞ」
「なんだあのレベルの高さ。どっかのアイドルのスカウトでもしてきたのか……?」
クラスメイトの男子たちが、手元のおぼんを取り落としそうになる。
それもそのはずだ。清楚な秋服に身を包み、銀髪を揺らす圧倒的な美貌の少女と、元気いっぱいで小動物のように愛らしい金髪ツインテールの少女。二人が放つオーラは、一般の高校生とは完全に次元が違っていた。
そして、レジ裏でパンケーキを焼いていた親友・狭間稔は、その二人の顔を見た瞬間、フライ返しを床に落としてワナワナと震え始めた。
「……ッ!! うそ、だろ……!? なんで、なんで俺の推し二人が、三神の両脇を固めてるんだァァァッ!?」
稔の悲鳴など聞こえないふりをして、零は首から下げていたプラカードを外し、空いていた一番奥の窓際のボックス席へと二人を案内した。
「あー……その、お好きな席へどうぞ」
零が低い男声で促すと、緋雪と真奈は嬉しそうに向かい合わせに座った。
「ありがとうございます。学生さんのクラスのカフェ、すごく本格的で可愛いですね!」
「うんうん! メニューもいっぱいある! 私、オムライスとメロンソーダにする!」
「私は、ベリーのパンケーキとストレートティーをお願いできますか?」
キラキラとした瞳でメニューを指差す二人。
零は伝票に注文を書き込みながら、内心で滝のような冷や汗を流していた。
(早く注文通して裏のキッチンに引っ込もう。これ以上この二人と関わったら、絶対にボロが出るし、何より稔の殺気が背中に突き刺さって痛い……!)
「オムライスとパンケーキですね。少々お待ちく——」
零が踵を返そうとした、その時だった。
「あ、少し待ってください」
緋雪が、零のエプロンの裾をツンと引いて引き留めた。
零はビクッとして振り返る。
「はい? 何か追加のご注文でしょうか……?」
「いえ、そうではなくて……」
緋雪は少しだけ恥じらいを含んだように目を伏せ、それから真っ直ぐに蒼い瞳で零を見つめ上げてきた。
「ふと、気づいたんです。駅前で道を案内していただいた時も、真奈が握手会でお会いした時も……私たちは、あなたのお名前を聞いていなかったなって」
その言葉に、オムライスを心待ちにしていた真奈もハッとして手を叩いた。
「あっ、本当だ! ずっと『お兄さん』とか『学生さん』って呼んでたもんね!」
エース二人が、じっと零の顔を見つめる。
「私たち、何度も偶然お会いして、こうしてあなたのクラスのカフェにもお邪魔しています。これはきっと、何かのご縁だと思うんです」
緋雪は居住まいを正し、胸元にそっと手を当てて、鈴を転がすような美しい声で告げた。
「遅くなりましたが、自己紹介をさせてください。私は、羽衣緋雪と申します。この近くに引っ越してきたばかりで……ええと、普段は少し、特殊な仕事をしていて」
「私は只野真奈だよ! いつもハンマー振り回して頑張ってるの! よろしくね!」
満面の笑みで名乗る二人。
(知ってるよッ! 日本中のオタクが知ってるよ! ニュースのトップで毎日名前呼ばれてる大有名人じゃねえか!)
零の心の中で、猛烈なツッコミが木霊する。
彼女たちの正体を知らない『一般の男子高校生』を演じ切らなければならないというプレッシャーが、零の胃壁をゴリゴリと削っていく。
「あ、はは……。ご丁寧にどうも。えっと……俺は……」
ここで偽名を名乗るべきか一瞬迷ったが、クラスメイトが「三神」と呼んでいるのを彼女たちはすでに聞いている。嘘をつく意味はない。
「俺は、三神……三神 零、です。この高校の二年生で、文化祭委員をやらされてます」
零が名乗ると、緋雪は「零さん」と、その名前を慈しむように小さく反芻した。
「零さん……素敵な響きですね。なんだか、冷たい響きの中にも温かさがあるような……あなたにぴったりの名前です」
「れーくん! れーお兄ちゃん! 私、真奈でいいよ! れーお兄ちゃんって呼んでいい!?」
身を乗り出してくる真奈に、零はタジタジになりながら後ずさった。
「あ、いや、そんな……普通に三神でいいんで……」
「ダメです。私も、零さんとお呼びしますから」
緋雪が、上目遣いで、少しだけむくれたような可愛らしい表情を作った。氷の女王らしからぬ、年相応の女の子の表情。
(な、なんだこのラブコメ空間は……! 俺は敵対してる未登録魔法少女だぞ!? なんでエース二人に名前呼ばれて赤面しなきゃいけないんだ!)
零がパニックに陥っていると、不意に、彼を突き飛ばすような勢いで、厨房から凄まじい殺気を放つ黒い影が飛び出してきた。
「ど、どどど、どいてくれ三神ィッ!!」
親友の狭間稔だった。
彼は真新しいおしぼりを両手に高く掲げ、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、緋雪と真奈のテーブルの前にスライディング土下座の勢いで滑り込んだ。
「は、羽衣大佐ッ! 真奈ちゃん大尉ッ!! よ、よくぞ我ら二年三組のしがないカフェへお越しくださいましたァァッ!!」
「うわっ、びっくりした!?」
真奈が目を丸くし、緋雪が少しだけ驚いて身を引いた。
「えっと……私たちのこと、ご存知なんですね」
「当然です!! 俺は魔法少女クロニクルでも大佐のカードを無限回収しておりますし、先日の真奈ちゃんの握手会でも号泣しながら参加させていただいた生粋のファンボーイであります!!」
稔のあまりの勢いに、カフェ内にいた他の客やクラスメイトたちも、彼らのやり取りに注目し始めた。
「……おい、今『大佐』って言ったか?」
「羽衣緋雪……只野真奈……って、おい! 日本支部トップエースの本物じゃねえか!!」
「嘘だろ!? なんで本職の魔法少女がうちのクラスに来てんだよ!」
一瞬の静寂の後、教室中が爆発したような騒ぎになった。
スマホを取り出して写真を撮ろうとする者、サインを求めて色紙を探す者。
完全にパニック状態になりかけた教室を見て、零は「終わった」と頭を抱えた。
しかし、そこで立ち上がったのは緋雪だった。
彼女はスッと立ち上がり、人差し指を口元に当てて、優しく、しかし凛とした声で教室全体に告げた。
「皆さん、ありがとうございます。ですが今日は、私たちもただの『文化祭のお客さん』として楽しみに来たんです。……だから、どうか内緒にして、普通に接していただけませんか?」
氷の女王の、慈愛に満ちた微笑みとお願い。
その神々しいまでのオーラに、騒ぎかけていた高校生たちは一瞬にして魅了され、「は、はいぃっ!」と軍隊のように直立不動で頷いた。
さすがは特S級を(好意的に)監視しようとするトップエース。群衆のコントロールなど造作もない。
「ごめんなさいね、零さん。騒がせてしまって」
「い、いえ……」
緋雪が再び席に座ると、稔が血走った目で零を睨みつけた。
「おい三神……! お前、いつの間に『零さん』なんて下の名前で呼ばれる関係になってんだよ! 許さんぞ、絶対に許さん……ッ!」
「だから誤解だって言ってんだろ! お前は早くパンケーキ焼いてこい!」
零は稔の首根っこを掴み、厨房の方へと引きずっていこうとした。
だが、真奈が零のエプロンを引っ張って引き留めた。
「待ってれーお兄ちゃん! お兄ちゃん、私たちの席の担当じゃないの? 私、れーお兄ちゃんに接客してほしいな!」
「そうですね。私も、ぜひ零さんにお願いしたいです。……その、ゴーストの格好、とても似合っていますし」
緋雪が、ほんのりと頬を染めながら、零のコスプレ姿をまじまじと見つめてくる。
その視線には、明らかな『熱』がこもっていた。
(ダメだ。この二人、完全に俺(のコスプレと素のギャップ)にハマってやがる……!)
「なっ……大佐と真奈ちゃんからのご指名だと……!? ぐふっ……!」
親友の稔は、口から魂を吐き出しながら、そのまま厨房の奥へと倒れ込んでいった。
クラスの男子たちは、嫉妬と羨望の入り混じった目で一斉に零を睨みつけている。女子たちは「三神くん、役得じゃん!」とニヤニヤと笑っている。
「……かしこまりました。少々、お待ちください」
逃げ場を失った零は、ロボットのようにカクカクとした動きで一礼し、キッチンへと向かった。
特S級の未知の災害指定クラス・ゴースト。
世界を揺るがす強大な力を持つ彼女(彼)は今。
国家の陰謀でもなく、魔獣の脅威でもなく。
自分を追い詰めるエース部隊からの『真っ直ぐな好意』という、どう足掻いても黒炎で焼き尽くすことのできない最も恐ろしい攻撃を受け、ただひたすらに胃薬を欲求していた。
「……帰りたい。今すぐ家に帰って、数学の補習プリントだけやっていたい……」
パンケーキの生地をフライパンに流し込みながら、三神零の社会的な死へのカウントダウンは、さらに速度を上げていくのであった。




