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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第三百四十九話

 影を渡って翼の家の門の前に浮かび上がった時、ナンバー8は、思わず足を止めた。何度も紙を落としに通ったこの家からは、いつもなら、家の中で眠る少女たちの魔力の気配が、灯りのようにぼんやりと滲み出ていたはずだった。


 それが今夜は、門の内側から、何一つ聴こえてこなかった。家はちゃんと目の前に建っていて、縁側の雨戸も、庭の柿の木も、門柱の脇の小さな郵便受けも、いつもと同じ場所にあるのに、その家だけが、まるで夜の中にぽっかりと穴が開いたように、静まり返っていた。

 

 肩にかかる黒髪を夜風に揺らしながら、ナンバー8はしばらくその家を見上げていたが、やがて、ほっと小さく息を吐いた。響かない、とあいつが言っていたのは、きっとこのことだった。聴こえないなら、あいつにはここが見つけられない。ナンバー8は郵便受けの前に屈み込むと、ポケットから取り出した黒い紙を、そっと差し入れた。


『四日後の夜。駅前の繁華街。3と6が、魔獣を連れて出る。狙いは、人。魔法少女を呼ぶため。 8』


 翌日の夜、翼の家の居間では、テレサが書き写した文面を囲んで、ゴーストと緋雪、ヴィクトリアとルディアが、ちゃぶ台の上に駅前の地図を広げていた。


「……狙いは、人」


 緋雪が、写しの一行を指でなぞりながら、低い声で言った。


「魔法少女を呼ぶために、人を襲わせる。……あの子たちが、そこまでするなんて」


「前に言ったでしょう。毎回完璧に待ち伏せすれば、いずれ漏れ先を探される」


 ヴィクトリアは、紅茶のカップを受け皿に戻しながら、静かに言った。


「でも、今度は人の命がかかっている。……備えないわけにはいかないわ」


「でしたら、こういたしましょう」


 ルディアが、袖で口元を隠したまま、地図の上の駅前広場を、白い指先でとんと叩いた。


「その夜、この広場で、炊き出しを開かせますわ。表向きは『ともしびの会』……わたくしどもが表で動く時に使っている、炊き出しや夜回りをするだけの、小さな有志の会の名前ですわ。鍋を振るうのも、列を整えるのも、港の荷役や運送屋の運転手や、近所の奥様方……どこにでもいる方々ですけれど、皆、わたくしどもの信徒ですわ。人を集めるのではなく、いざという時に、すぐに逃がせる道を、最初から敷いておくのです」


 ルディアは、袖の陰で、少しだけ目を細めた。


「わたくしたちは、表には出ませんわ。天幕の裏に控えて、事が起きた時だけ、影として動きます。……福音の鐘の名が、表の街に出ることはございませんの」


 ヴィクトリアは、しばらく地図を見つめていたが、やがて頷いた。


「戦うのは、福音の鐘。ルディア・ロンディニウム、あなたと真里、ルカとリリア、それと宮子。……避難は、星監が引き受けるわ。私と、レイラと、シルヴィアで」


「私も行くわ」


 ゴーストが口を開くと、ヴィクトリアは、穏やかに、しかしきっぱりと首を横に振った。


「あなたが出れば、あの子たちは、オリジナルが待っていたと必ず報告する。……そうなれば、あの子の紙が、また疑われるわ」


 ゴーストは、何かを言い返そうとして、口を閉じた。緋雪が、ちゃぶ台の下で、ゴーストの手にそっと自分の手を重ねた。


「……少し離れたビルの上で、待っていましょう。本当に危なくなったら、その時は、私も一緒に行くから」


 ゴーストは、緋雪の手を握り返して、小さく頷いた。


 そして、紙に書かれていた四日後の夕方、三神家の玄関では、澪と玲奈が揃って靴を履いていた。二人とも、今夜は白百合の夜勤だった。


「二人一緒か。……気をつけてな」


 居間から顔を出した五郎が、いつになく真面目な顔で言った。


「最近、ニュースで魔獣の話ばっかりだろう。危ないと思ったら、すぐ逃げるんだぞ」


「逃げたら仕事にならないでしょ、お父さん」


 澪が苦笑しながら答えると、玲奈が「でも、気をつけるね!」と元気よく手を振った。台所の入り口で、零は二人の背中を黙って見送っていた。今夜、駅前で何が起きるのかを知っているのは、この家では、自分と、縁側で茶をすすっているヴィルヘルミナだけだった。


 夜の駅前の繁華街は、仕事帰りの人々と、飲み屋の呼び込みの声と、色とりどりの看板の灯りで溢れていた。駅前広場の一角には『ともしびの会・夜の炊き出し』と手書きの札を下げた白い天幕が張られ、豚汁の椀を受け取る人々の列が、ゆるやかに伸びていた。湯気の立つ大鍋の前でお玉を振るっているのは、商店街の惣菜屋の主人や、首にタオルを巻いた運送屋の運転手や、割烹着姿の近所の主婦たちで、誰が見ても、どこにでもある町内の炊き出しの光景だった。


 天幕の裏の暗がりには、黄金の長い髪を背中に流したルディアが、袖で口元を隠したまま、表からは見えない場所に静かに佇んでいた。


 午後九時を少し過ぎた頃、繁華街の奥の路地から、悲鳴が上がった。


 路地の暗がりから、灰色の外殻の魔獣が、次々と湧き出し、一体、二体と数えるうちに、その数は十を超え、二十を超え、看板の灯りの下を、人の波の中へ向かって流れ込んでいった。


 その群れの真ん中に、二人の少女が立っていた。燃えるような紅い髪を背中まで流し、ゴーストと同じ顔に勝ち気な吊り目を光らせたナンバー3が、身の丈ほどもある長槍の穂先に炎を灯し、その隣では、短い翠の髪を夜風に揺らしたナンバー6が、細い手足を落ち着きなく弾ませながら、指先に小さな旋風を纏わせていた。


 ナンバー3が、長槍の穂先を、すっと右へ傾けた。叫び声は、もうなかった。ナンバー6はその穂先の向きを目の端で捉えると、風を巻き起こして、魔獣の群れを右手の大通りへ、人の波の中へと追い立てた。ナンバー3の長槍から放たれた炎が、逃げ惑う人々の退路を塞ぐように、通りの向こうに壁を作った。


「——参りましょう」


 天幕の裏で、ルディアが静かに言った。その声と同時に、天幕の陰から、黒い影が次々と飛び出していった。


「行くよ、リリア!」


「……ん。人に近い順から」


 赤いリボンで銀髪を二つに結ったルカが、身の丈ほどの大鎌を振りかぶって魔獣の群れへ飛び込み、青いリボンの銀髪をなびかせたリリアが、両手の双剣で、跳びかかる魔獣の脚を次々と薙いでいった。漆黒のコートの裾を翻した須藤真里が、二人の間を縫うように駆け抜けて、ナンバー6の風の切れ目へ斬り込み、その後ろからは、医療鞄を抱えた堀宮子が、「また私の仕事が増える……」と胃を押さえながら走ってきて、倒れた通行人の傍らに膝をついた。

 同じ瞬間、天幕の反対側では、もう一つの影たちが動き出していた。


「レイラ、地下通路の入り口に防壁を。シルヴィア、逃げ遅れた人を拾って」


 銀に近いプラチナブロンドの髪を夜風に揺らしたヴィクトリアが、紫電を纏ったレイピアを軽く振ると、紫電が地面を舐めるように走り、人の波へ向かっていた魔獣の進路を、焼き切るように断ち切った。


「……人使いが荒いですね、ヴィクトリア様は。相変わらず」


 アッシュグレーのショートボブをかき上げた長身のシルヴィア・バークスが、アイスブルーの切れ長の目を気だるげに細めながらも、次の瞬間には風に乗って通りを駆け抜け、看板の下に座り込んでいた老人と、泣いている子供を両脇に抱えて、駅の地下通路の入り口まで一息に運んでいった。


 淡い水色の長い髪を緩く三つ編みにした小柄なレイラ・メリクスが、地下通路の入り口の前に立ち、両手を広げると、透明な水の膜が、入り口をすっぽりと覆うように張られた。逃げ込んでくる人々は、その膜を何の抵抗もなくすり抜けて、地下へと降りていったが、後を追ってきた魔獣は、膜に触れた瞬間に弾き返された。


「大丈夫ですよ。……ここから先は、通しませんから」


 レイラは、膜の内側で震えている人々に、柔らかく微笑みかけた。

 炊き出しの列は、そのまま避難の列に変わっていた。白い天幕の下で湯気を立てていた大鍋は、割烹着の主婦たちの手で手早く脇へ寄せられ、その空いた場所を通って、人々は迷うことなく駅の地下へ流れていき、惣菜屋の主人や運送屋の運転手が、口の中で小さく祈りの言葉を唱えながら、怯える人々の背中を押して導き、星監の三人がその道を守り、魔獣の群れは、人の波に届く手前で、次々と食い止められていった。

 

 だが、繁華街は広かった。表通りの魔獣は福音の鐘が抑えていたが、裏通りや路地に溢れた魔獣の群れまでは、とても手が回りきらなかった。路地の奥から、また悲鳴が上がった。


 その時、横の路地から、乾いた銃声が二発、立て続けに響いた。

 路地の入り口に迫っていた魔獣が二体、頭を撃ち抜かれて、黒い霧になって崩れ落ちた。路地の暗がりから現れたのは、二丁の拳銃を両手に構えた人影で、銃口から立ち昇る煙が、炎の色をしていた。


「……強い魔力が二つ、繁華街のど真ん中で暴れてると思ったら」


 第十二使徒、永瀬久遠は、二丁拳銃をくるりと回して構え直しながら、表通りの騒ぎを見渡した。


 久遠は、表通りで柔らかな光を放つ、フードを被った背中を見つけると、その光の色だけで誰だか分かったように、呆れて肩をすくめた。


「なんだ、変態教祖のとこの連中か」


「あら。お互い様ですわ」


 ルディアは、袖で口元を隠したまま、振り返りもせずに答えた。久遠は鼻を鳴らすと、それ以上は何も言わずに、路地の奥から溢れてくる魔獣へ銃口を向け直した。


 その頭上で、雷鳴が轟いた。ビルの非常階段の上で、弓を引き絞った人影の指先から、雷を纏った矢が放たれ、裏通りの魔獣の群れの真ん中に突き刺さって、青白い稲光とともに群れごと痺れさせていった。第十一使徒、鳴神梓は、次の矢を番えながら、非常階段の手すりから久遠を見下ろした。


「久遠。話してる暇があったら、撃って」


「はいはい」


 久遠は、炎の弾を連射しながら路地の奥へ踏み込み、梓の雷の矢に痺れて動きの止まった魔獣を、一体ずつ確実に撃ち抜いていった。二人の使徒は、それきりナンバーズには目もくれず、裏通りの魔獣の掃討に専念していった。


 表通りの真ん中では、ナンバー3の長槍の炎が、ルディアの前で押し留められていた。フードを目深に被ったルディアの指先から溢れ出した柔らかな光が、炎の壁を正面から受け止め、少しずつ押し返していく。ナンバー6の風がその光を吹き散らそうとするたびに、真里の刃が風の切れ目に斬り込み、ナンバー6は舌打ちしながら跳び退いた。


「……しぶといわね」


 ナンバー3が、長槍を構え直しながら、苛立たしそうに呟いた。魔獣との連携は、確かに噛み合っていた。


 だが、ルカとリリアの双子は、魔獣が一体動くたびに、その脚を的確に奪っていき、宮子は、仲間が傷を負うたびに、すぐさま駆け寄っては手当てをして、戦線に戻していった。場慣れした五人の連携の前に、魔獣は一体、また一体と、確実に削られていった。


「……白百合じゃないのね」


 魔獣がほとんど残っていないことに気づいて、ナンバー3は、悔しそうに唇を噛んだ。


「構えの元に、会えると思ったのに」


 ナンバー3は、長槍の穂先を、すっと後ろへ傾けた。ナンバー6がその向きを捉えて風を巻き起こすと、紅と翠の二つの影は、残った魔獣を盾にしながら、繁華街のビルの谷間の暗がりへ、あっという間に消えていった。


 繁華街から三ブロックほど離れた、雑居ビルの屋上の給水塔の陰で、ゴーストは大剣の柄を握りしめたまま、駅前の方角を見つめていた。遠くの看板の灯りの向こうで、炎と光と紫電が交互に閃き、やがて、それが少しずつ静まっていくのを、ゴーストは息を詰めて見守っていた。

 隣に立つ緋雪が、そっとゴーストの腕に触れた。


「……終わったみたいね」


「ええ」


 ゴーストは、ようやく大剣を握る手の力を抜いた。飛び出していきたい気持ちを、何度も押し殺していた。自分がそこに立てば、あの子の紙が疑われる。それが分かっていても、遠くの悲鳴を聞くたびに、足が勝手に影の中へ沈みかけていた。


 ゴーストは、駅とは反対の方角の夜空にも、一度だけ目を向けた。郊外のどこかの古い工場の地下で、黒い髪の少女が、今夜の出撃の行方を、膝を抱えたまま待っているはずだった。紙を落としたのが自分だと知られずに済んだのか、それとも、また冷たい目で見られているのか、ここからでは何一つ分からないまま、ゴーストは、遠くの空に向かって、小さく息を吐いた。


「よく、我慢したわね」


 緋雪が、少しだけ笑って言った。ゴーストは、何も答えずに、駅前の空を見上げていた。


 通報を受けた白百合と協会の魔法少女たちが、駅前の繁華街に駆けつけた時には、魔獣はすでにほとんど片付いていて、ルディアたちの姿も、星監の三人の姿も、裏通りの二人の使徒の姿も、どこにも残っていなかった。澪と玲奈が表通りに降り立ち、少し遅れて凛花たち協会の魔法少女が到着した時、広場に残っていたのは、脇へ寄せられた大鍋と、倒れかけた天幕と、割烹着の袖をまくった近所の主婦たちだけだった。


「いえねえ、ともしびの会で炊き出しをしてたら、急にあの化け物が出てきてね。……そしたら、どこかの魔法少女さんたちが、たまたま通りかかって、あっという間に片付けてくれたのよ」


 主婦の一人が、何事もなかったように豚汁の鍋をかき混ぜながら、のんびりと言った。


「どこの方かって? さあ、名乗りもしないで行っちゃったから。……あ、お嬢さんたちも、一杯どう? 冷めちゃうともったいないから」


 澪は、差し出された椀を受け取りかけたまま、焦げた通りと、水の膜の名残が薄く光る地下通路の入り口と、天幕の脇で黙々と片付けを続ける人々とを、怪訝そうに見比べていた。避難した人々は、一人の怪我人もなく地下から上がってきていて、誰もが、これほど手際のいい炊き出しは初めて見たと口々に言い合っていた。玲奈が、澪の袖を小さく引っ張った。


「お姉ちゃん。……たまたま、だって」


「……ええ。たまたま、ね」


 澪は、湯気の立つ椀に目を落としたまま、それ以上は何も聞かなかった。路地の入り口の焦げ跡には、炎の弾が穿ったような小さな穴がいくつも残っていて、ビルの壁には、雷が走ったような細い焼け筋が、夜の灯りの中に薄く浮かんでいた。


 繁華街を見下ろす、駅前で一番高いビルの屋上に、片腕のない人の形をしたものが、目を閉じて立っていた。無響は、夜の繁華街から立ち昇る音を、一つ残らず聴いていた。


 炊き出しの天幕が、たまたまそこにあったこと。魔力を一滴も持たない者たちが、口の中で祈りの言葉を唱えながら、少しも迷わずに人々を導いていったこと。逃げ惑うはずの人々が、あまりにも速く、あまりにも整然と、地下へ吸い込まれていったこと。光を操る教祖と、紫電を纏う女と、その配下たちが、揃ってその場に居合わせたこと。そして、焔の教団の使徒が二人まで、たまたま、裏通りに現れたこと。


「……祈りの声が、早すぎる」


 無響の温度のない声が、夜風の中に落ちた。その声は、誰の耳にも届かないまま、繁華街のざわめきの中へ溶けていき、片腕のない人の形もまた、音もなく、夜の闇へと消えていった。

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