第三百三十九話
戦姫の旧寮跡は、街の灯りから遠く離れた丘の中腹に、半ば森に呑まれるようにして残っていた。
崩れかけた二階建ての寮の壁には蔦が絡みつき、割れた窓ガラスの向こうには、ずっと昔に誰かが使っていた二段ベッドの骨組みが、月明かりの中に白く浮かんで見えた。
寮に囲まれた中庭は、膝の高さまで伸びた雑草に覆われていて、その中央だけが、何かに焼かれたように丸く土を剥き出しにしていた。
焔と奈々美が一騎打ちをした跡であり、それより前には、無響の不意打ちを受けたゴーストが、右胸を抉られて倒れた場所でもあった。
その剥き出しの土の上に、ヴィクトリアが一人、目を閉じて立っていた。
プラチナブロンドの髪が、夜風に細くなびいていた。
ヴィクトリアの指先で、紫電が、ぱち、と小さく弾けた。
いつもの、夜空を裂くような紫電ではなかった。
糸のように細く、今にも途切れそうに震えながら、それでも澄んだ音を残して消えていく、弱々しい雷だった。
間を置いて、もう一度、同じ雷が鳴った。
そして、また間を置いて、もう一度鳴った。
(……似せるのは、案外難しいわね)
ヴィクトリアは、目を閉じたまま、内心で苦笑した。
力を込めれば、雷は太くなる。抜きすぎれば、音が濁る。消えかけているのに美しい雷というものを、自分の指先で鳴らし続けるのは、思っていたよりもずっと神経を使う作業だった。
寮の壁が落とす長い影の中で、ゴーストは大剣を握ったまま、息を潜めていた。
中庭を挟んだ反対側の寮の屋根の上では、錆びた給水タンクの陰に、緋雪が身を低くして控えていた。
二人とも、ヴィクトリアの雷が鳴るたびに、夜空のほうへ意識を向けていた。
四度目の雷が鳴った時だった。
遠くの夜空の一点が、紫に光った。
次の瞬間には、その光が稲妻の軌跡を描いて一直線に降ってきて、中庭の端の雑草を薙ぎ倒しながら、少女の形になって着地していた。
「来た、来た、来たっ!」
紫の髪の少女が、双剣を左右に広げて、弾むように顔を上げた。
作り直されたばかりの双剣が、月明かりを受けて紫に光っていた。
「消えかけの、きれいな雷の人! やっと会え——」
そこで、ナンバー1の声が途切れた。
目の前に立っていたのが、プラチナブロンドの髪の女だと気づいたのだった。
ナンバー1は、しばらくきょとんとした顔で、ヴィクトリアを見つめていた。
「……あれ?」
首を傾げる。
「あなた? 倉庫の、雷の人?」
「こんばんは」
ヴィクトリアは、ようやく目を開けて、穏やかに微笑んだ。
「消えかけの雷のほうが、お好みだったかしら」
ナンバー1は、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
それから、何かに気づいたように、ぽんと手を打った。
「あっ、そっか。盗み聞きされるの、分かってたんだ。……ずるい!ずるい!」
言葉とは裏腹に、ナンバー1の顔は、少しも悔しそうではなかった。
むしろ、新しい遊びを見つけた子供のように、目をきらきらと輝かせていた。
「でも、いいや。あなたでも。……あなたの雷も、きれいだもん」
「残念だけど」
ヴィクトリアは、静かに一歩、後ろへ下がった。
「今夜のお相手は、私じゃないの」
その言葉と同時に、屋根の上から、白い影が飛び降りてきた。
緋雪だった。
着地と同時に、緋雪の足元から、氷が音もなく走った。
中庭の雑草が、根元から白く凍りつき、剥き出しの土も、崩れた石畳も、瞬く間に薄く透明な氷の膜に覆われていった。
ナンバー1は、足元を見下ろして、面白そうに笑った。
「氷?氷の人とは、遊んだことないなあ」
ナンバー1は、双剣の片方を地面に突き立てた。
剣を伝って、紫電が地を這うように放たれる。
だが、紫電は、氷の膜の上で、目に見えて鈍った。
地を這って広がるはずの雷が、氷の表面で行き場を失い、ばちばちと細かな火花を散らすだけで、すぐに消えていった。
「……あれ?」
「氷は、雷を通しにくいのよ」
緋雪は、太刀の柄に手を掛けたまま、淡々と言った。
「知らなかった?」
緋雪が、左手を中庭に向かって払った。
氷の膜の上から、何本もの氷柱が、背丈を超える高さまで次々と突き上がった。
中庭のあちこちに、透明な柱が、森のように立ち並んでいった。
月の光が、氷柱の一本一本を透かして、凍った地面の上に、細く長い影を何十本も落としていった。
寮の壁の影から、ゴーストが、その光景を見つめていた。
(……出口が、増えた)
ゴーストは、足元の影の中へ、静かに沈んだ。
ナンバー1は、氷柱の森の中を見回して、楽しそうに双剣を構えた。
「隠れんぼ?いいよ、見つけてあげる!」
ナンバー1が、双剣の片方を夜空に向かって突き上げた。
氷柱の森の真上に、紫電の網が広がった。
ヴィクトリアから写し取った、あの網だった。
網は、ゆっくりと降りてきて、氷柱の森ごと中庭を覆い尽くそうとした。
その時、ナンバー1の左側の、氷柱の影が揺れた。
闇の手が、影の中から伸びてきて、ナンバー1の左手首を掴もうとした。
ナンバー1は、反射的に左の剣で闇の手を斬り払った。
手応えは、なかった。
闇の手が霧散したのと同時に、ナンバー1の右側、三本離れた氷柱の影から、漆黒のドレスの少女が浮かび上がっていた。
大剣が、横薙ぎに振るわれた。
ナンバー1は、身体をくるりと回して、右の剣でそれを受けた。
受けた勢いのまま、左の剣が、半拍遅れて返ってきた。
ゴーストは、大剣の腹でその返しを弾き、また影の中へ沈んだ。
空中で網を維持していた紫電が、ナンバー1の集中が途切れた瞬間に、ほどけるようにして夜空に散っていった。
「あはは! すごい、すごい! 手と身体が、別々のところから出てくる!」
ナンバー1は、双剣を構え直しながら、心底楽しそうに笑った。
「ナンバー3が言ってたやつだ! ほんとに、記録にない!」
ゴーストは、氷柱の影から影へと移りながら、何度も斬り込んだ。
手を出しては身体を別の影から出し、身体を出しては、手を囮にした。
ナンバー1は、そのたびに双剣で受け、受けた剣とは反対の剣で返してきた。
左右の刃を交互に、身体ごと回るように、舞うように。
一本の刃で受けて、もう一本の刃で返す。
倉庫の屋根の上で、ヴィクトリアが「どこで覚えたの」と問いただした、あの古い二刀流だった。
氷柱の陰から、ナンバー1の動きをじっと見ていた緋雪が、低い声で言った。
「……右で受けて、半拍遅れて、左」
ゴーストは、影の中で、その声を聞いた。
「あの子の返し、いつも同じ拍子よ。受けるのは必ず右からで、返しは必ず、半拍遅れて左」
ゴーストは、氷柱の影の中から、ナンバー1の双剣を見つめた。
右で受けて、半拍遅れて、左。
消えかけていた雷の持ち主が、昔、二本の刃で刻んでいた拍子なのかもしれなかった。
寮跡の夜、倒れた自分の前に立った、若い姿の母の背中が、ふいに脳裏をよぎった。
胸の奥が、軋むように痛んだ。
それでも、ゴーストは迷わなかった。
母の拍子を、母を傷つけようとする者の手に、これ以上握らせておくわけにはいかなかった。
「——緋雪」
「ええ」
ゴーストが、ナンバー1の正面の氷柱の影から、身体ごと浮かび上がった。
大剣を、真上から振り下ろす。
ナンバー1は、右の剣でそれを受けた。
半拍。
左の剣が返ってくる、その半拍の間に、緋雪の氷が鳴った。
キィン、と澄んだ音が、凍った中庭に響き渡った。
音を立てる氷が、ナンバー1の左腕に絡みつき、肘から先を、剣ごと白く凍りつかせていった。
返すはずだった左の剣が、宙で止まった。
「……え?」
ナンバー1が、自分の左腕を見下ろした。
その脇腹を、ゴーストの大剣が、横から薙いでいった。
ドレスの布地が裂け、紫の火花のようなものが、傷口から散った。
ナンバー1は、凍った左腕を抱えるようにして、二歩、三歩と後ろへよろめいた。
「……痛い」
ナンバー1は、脇腹を押さえて、呟いた。
それから、顔を上げて、笑った。
「すっごく、痛い。……あはっ」
ナンバー1の全身から、紫電が噴き出した。
自分の雷を、自分の内側から炸裂させたのだった。
凍りついていた左腕の氷が、内側から弾けて砕け散り、氷柱が何本も、紫電に打たれて根元から折れていった。
ゴーストは影の中へ、緋雪は屋根の上へ、それぞれ跳び退いた。
舞い上がった氷の粒が、月明かりにきらきらと光る中で、ナンバー1は、もう夜空を見上げていた。
身体が、稲光そのものに変わりかけていた。
「今日は、ここまで! また遊ぼうね!」
紫の光が、夜空に向かって一直線に駆け上がろうとした。
その軌跡を、横から、一陣の風が断ち切った。
夜空の手前で、稲光が、何かに弾かれたように乱れた。
光の中から、ナンバー1の身体が、半分だけ実体に戻って弾き出された。
寮の屋根の端に、金色の髪を夜風になびかせた女が、ナイフを指先でくるくると回しながら立っていた。
緑の瞳が、月明かりの中で、面白そうに細められていた。
「逃がすな、って言われてるのよね」
疾風早苗は、気の抜けたような声で言った。
「悪いけど、うちの大将の言うことには、逆らえない立場なの」
空中で体勢を崩したナンバー1の背後で、紅蓮の炎が噴き上がった。
薙刀の刃が、炎の尾を引いて、夜空に弧を描いた。
焼けるような音とともに、紅蓮の刃が、ナンバー1の背中から右肩にかけてを、深々と焼き斬っていった。
ナンバー1の身体が、凍った中庭の上に叩きつけられた。
氷の膜に、細かなひびが走った。
薙刀を肩に担いだ女が、ゆっくりと中庭に降り立った。
落ち着いた色のコートの裾が、炎の名残の熱気に煽られて、静かに揺れていた。
天城焔だった。
「汐里から話を聞いてね」
焔は、倒れたナンバー1を見下ろしながら、淡々と言った。
「奈々美の雷を狙う不届き者がいると。……ここは、私とあの子が決着をつけた場所よ。土足で踏み込まないでくれるかしら」
ナンバー1は、凍った地面に手をついて、ゆっくりと身体を起こした。
左腕は、砕けた氷の下で、まだ半分痺れたように垂れ下がっていた。
脇腹の裂け目からは、紫の火花が止まらずに散っていた。
背中から右肩にかけては、ドレスごと焼け焦げて、煙が細く立ち昇っていた。
それでも、ナンバー1は、笑っていた。
「……痛い。痛い、痛い、痛い」
双剣を杖のように地面に突き立てて、ナンバー1は立ち上がった。
「でも、今日が一番、楽しかった」
焔は、その顔を見て、小さく鼻を鳴らした。
「私の薙刀捌きを、槍に写した子がいると聞いていたけれど。……写しなんて、どれも手首の返しが浅いものよ」
焔は、ちらりとヴィクトリアのほうを見やった。
「自称守護者。囮にしては、ずいぶん派手な雷だったじゃない」
「あら。あれでも、精一杯絞ったつもりだったのだけれど」
ヴィクトリアは、肩をすくめた。
ナンバー1が、ふらつく足で、双剣の柄を握り直した。
残った魔力の全てが、ナンバー1の身体の中で、一点に集まっていくのが分かった。
「——伏せて!」
ゴーストが叫んだのと、ナンバー1の身体が爆ぜるように光ったのとは、ほとんど同時だった。
目を焼くような紫の閃光が、寮跡の中庭を真っ白に塗り潰した。
攻撃のための雷ではなかった。
ただ、全てを眩ませるためだけの、捨て身の光だった。
光が収まった時には、ナンバー1の姿は、もうどこにもなかった。
夜空の遠くに、紫の筋が一本、よろめくように消えていくのが見えただけだった。
「追うわよ」
早苗が、屋根の上からナイフを構え直した。
「待ちなさい」
焔が、短く制した。
「あれだけ焼いたのよ。しばらくは動けないわ。……深追いして、あれの仲間に囲まれたら、こちらが割に合わない」
屋根の上で同じように身構えていた緋雪にも、ゴーストは首を横に振ってみせた。
「今夜は、守れればいいの」
緋雪は、しばらくゴーストの顔を見つめていたが、やがて太刀の柄から手を離した。
焔は、薙刀を肩に担ぎ直すと、ゴーストのほうを一度だけ見た。
何かを言いかけるような目だったが、結局、何も言わなかった。
「帰るわよ、早苗」
「はいはい」
二人の姿が、寮跡の森の暗がりの中へ消えていった。
凍った中庭に、折れた氷柱と、焼け焦げた跡と、紫の火花の名残だけが残された。
ゴーストは、中庭の中央の、丸く剥き出しになった土を見下ろした。
自分が倒れた場所で、母が戦った場所で、今夜は、母を誰も傷つけずに済んだのだった。
同じ頃、三神家の縁側では、ヴィルヘルミナが湯呑みを両手で包んで、月を見上げていた。
その隣には、奈々美と、隣の屋敷から「お茶をいただきに来ました」と言って顔を出した汐里が、並んで座っていた。
居間からは、晩酌で上機嫌になった五郎の鼻歌と、テレビの野球中継の音が、途切れ途切れに聞こえてきていた。
「汐里ちゃん、もう一杯どう?」
「……いただきます、先輩」
汐里の湯呑みに茶を注ぎ足しながら、奈々美が、ふと手を止めた。
急須を持ったまま、夜空の遠くに目を向けた。
街の灯りの向こう、丘のある方角だった。
「……どこかで、雷が鳴ってるわね」
汐里の湯呑みを持つ手が、僅かに強張った。
空は、雲一つなく晴れていた。
「春の雷じゃろう」
ヴィルヘルミナが、茶をすすりながら、のんびりと言った。
「この季節は、晴れとっても、遠くでよう鳴るもんじゃ」
「そうね」
奈々美は、それ以上何も聞かなかった。
急須を盆に戻して、汐里の湯呑みを、そっと手渡した。
ただ、その目だけは、しばらくの間、丘のある方角から離れなかった。
居間のほうから、五郎の呑気な声が聞こえてきた。
「おーい、奈々美。つまみ、もうないのか」
「自分で取りなさい」
「冷たいなあ」
奈々美は、小さく笑って、縁側から立ち上がった。
汐里は、先輩の背中が台所へ消えていくのを見送ってから、ようやく、震える息を一つ吐き出した。
ヴィルヘルミナは、何も言わずに、汐里の手に飴を一つ握らせた。
郊外の古い工場の地下に、紫の筋がよろめくように落ちてきた。
壊れた機械にぶつかって、ようやく止まったナンバー1は、そのまま床に崩れ落ちた。
焼け焦げた背中と、裂けた脇腹と、まだ痺れの残る左腕から、紫の火花が、弱々しく散り続けていた。
ナンバー3が、壁際から立ち上がった。
「……一人で行くからよ」
ナンバー1は、床に頬をつけたまま、へらりと笑った。
「騙されちゃった。……向こう、ずるいの」
一段高くなった場所から、無響が、ゆっくりと降りてきた。
片腕のない、温度のない人の形が、倒れたナンバー1の傍らに膝をついた。
無響は、残った片方の手を、ナンバー1の背中の焼け跡にかざした。
手のひらから、紫とも黒ともつかない、音のない光が滲み出した。
光が触れたところから、焼け焦げた皮膚が、裂けた脇腹が、ゆっくりと塞がっていった。
ナンバー1は、目を細めて、気持ちよさそうに息をついた。
「お母様の手、あったかい」
無響は、何も答えなかった。
傷が全て塞がると、無響は立ち上がって、地下の空間に並ぶナンバーズを、順に見渡した。
「敗因は、単独で動いたことだ」
温度のない声が、地下の空間に落ちた。
「以後、出る時は、最低二人で組め」
ナンバーズは、互いの顔を見合わせた。
しばらく、誰も口を開かなかった。
最初に声を上げたのは、ナンバー3だった。
「……二人で組めって言われても」
ナンバー3は、横目でナンバー2を見た。
「ナンバー2と組んだら、私の炎、氷で消されるじゃない」
「……あなたの炎で、私の氷が溶けるのよ」
ナンバー2が、目を閉じたまま、冷たく言い返した。
壁際で、ナンバー6が、槍を抱えたまま身体を揺らした。
「あたしはナンバー7とは嫌よ。遅すぎて、待ってられないもの」
大槌に腕を乗せたナンバー7は、何も言わなかった。
ただ、眉間の皺が、一本だけ深くなった。
ナンバー4が、芝居がかった仕草で、胸に手を当てた。
「わたくしの霧の中では、ナンバー5の水の刃は、どこへ飛んでいくか分かりませんことよ」
「……あなたの霧の中では、私も、何も見えない」
ナンバー5が、指先の水の刃を見つめたまま、ぽつりと言った。
床から起き上がったナンバー1が、双剣を抱えて、不満そうに頬を膨らませた。
「あたし、雷の人じゃないと、つまんない」
「この中に、雷はあんたしかいないのよ」
ナンバー3が、呆れたように言った。
誰と誰を組ませればいいのか。
組んだとして、どうやって息を合わせればいいのか。
写しの記録には、一人一人の戦い方は山ほど残っていたが、二人で並んで戦うやり方は、どこにも書かれていなかった。
地下の空間に、困惑した沈黙が落ちた。
ナンバー2が、目を開けて、ちらりと壊れた機械の陰のほうを見た。
膝を抱えて座っているナンバー8と、一瞬だけ目が合った。
ナンバー2の頬が、みるみるうちに赤く染まった。
ナンバー2は、慌てて顔を背け、太刀の柄を胸に抱きしめた。
「……何よ、ナンバー2。顔、赤いわよ」
「赤くない」
ナンバー3の追及に、ナンバー2は、いつになく早口で答えた。
無響は、ナンバーズのやり取りを、温度のない目で黙って見下ろしていた。
誰も、ナンバー8が掴まされた話のことは、口にしなかった。
騙されたのはナンバー1で、盗み聞きをさせられたのはナンバー8で、どちらも同じように、向こうの手のひらの上にいただけだった。
少なくとも、ナンバーズの誰もが、そう思っているようだった。
皆が寝静まった頃、ナンバー8は、一人で工場の奥の大浴場へ向かった。
湯船の端に身を沈めて、天井の古い照明を見上げた。
ナンバー1の焼け焦げた背中と、床に崩れ落ちた時のへらりとした笑い顔が、湯気の向こうに、何度も浮かんでは消えた。
あれは、自分が流した嘘の先にあった傷だった。
無響の手で、もう跡形もなく塞がっていたとしても、それは変わらなかった。
「……ごめん」
小さく呟いた声は、湯気の中に吸い込まれて、誰にも届かなかった。
ナンバー8は、湯の中で膝を抱えて、目を閉じた。
それでも、と、ナンバー8は思った。
古い雷の人は、今夜も、どこかの家の縁側で、誰かと茶を飲んでいるはずだった。




