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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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335/368

第三百三十五話

 協会本部前の広場の噴水は、夜の照明に照らされながら、いつもと変わらずに白い水を噴き上げていた。

 その噴水の縁に、金の髪の少女が、芝居がかった仕草で光の剣を掲げて立っていた。

 剣の形も、構えの角度も、柄を握る指の置き方までもが、凛花が毎日の稽古で繰り返してきたものと、寸分違わなかった。

 その隣には、青い髪の小柄な少女が、手元に細い水の刃を浮かべたまま、感情の読めない目でこちらを観察していた。

 どちらの顔も、凛花が円卓で何度も見てきた、黒いドレスの少女の顔に、よく似ていた。


「……あれは、私の剣です」


 凛花は、光の剣を構えたまま、低い声で言った。

 隣で、春華が眼鏡を押し上げながら、青い髪の少女の手元を見つめていた。


「あっちの子は、私の水ね。……細く絞って、一点にだけ当てるやり方」


「気持ち悪っ」


 真紀奈が、氷の刃を手の中に生み出しながら、吐き捨てるように言った。


「アタシたちの真似して、何が楽しいのよ」


 広場の周りには、逃げ遅れた人々が、まだ大勢残っていた。

 終電を降りたばかりの会社員や、塾帰りの学生や、コンビニの袋を提げた若い夫婦が、駅の方角から押し寄せる悲鳴に背中を押されるようにして、協会本部の明るい建物の前まで逃げてきていたのだった。

 その駅の方角から、低い唸り声が、少しずつ近づいてきていた。

 灰色の外殻の魔獣が、一体、二体と、通りの角を曲がって姿を現し始めていた。

 真紀奈は、広場の入り口と、噴水の縁の二人と、身を寄せ合う人々とを、順番に見た。

 それから、凛花の肩を、拳で軽く小突いた。


「凛花。あの二人、あんたたちに任せるわ」


「真紀奈さん?」


「人を背中にして、あんな写しと遊んでられないでしょ。……入り口は、アタシが塞ぐ」


 真紀奈は、凛花の返事を待たずに、広場の入り口へ向かって駆け出した。

 駆けながら、右手を振り上げると、アスファルトの上に、鋭い氷の刃が何本も生え揃い、そのまま絡み合って、広場の入り口を塞ぐ分厚い氷の壁になった。

 緋雪の氷が静かに凍らせる氷なら、真紀奈の氷は、砕くための氷だった。

 壁の向こうに迫ってきた魔獣が、氷の刃に体当たりをして、外殻ごと弾き返された。


「……あの女に届かなかった分、ここで稼いでやるわよ」


 真紀奈は、氷の壁の前に立ちはだかって、通りの奥の魔獣の群れを睨みつけた。

 噴水の縁で、金の髪の少女が、楽しそうに手を叩いた。


「まあ、素敵。お一人で、殿を務められるのですね」


 金の髪の少女——ナンバー4は、噴水の縁からふわりと降り立つと、光の剣を胸の前に掲げて、凛花に向かって優雅に一礼した。


「では、わたくしは、光の方のお相手を。……ナンバー5、あなたは、水の方を」


「……はい」


 青い髪の少女——ナンバー5が、小さく頷いて、春華のほうへ一歩踏み出した。

 最初に動いたのは、ナンバー4だった。

 光の剣が、凛花の胸元に向かって、まっすぐに突き出された。

 凛花は、自分の剣でそれを受けた。

 光と光が触れ合った瞬間、互いの刃の上で光が揺らぎ、どちらの剣も、僅かに鈍った。

 郊外の演習場で、アイシャの断光を受けた時と同じ、光同士がぶつかる時の手応えだった。

 凛花は、剣を引いて斬り返したが、ナンバー4もまた、同じ角度で斬り返してきた。

 自分の太刀筋を、自分の手で受けているような、奇妙な打ち合いが続いた。


「さすが、光の方ですわね」


 ナンバー4は、凛花の剣を受け流しながら、芝居がかった仕草で首を傾げた。


「ですが、ここからは、少しばかり趣向を変えさせていただきますわ」


 ナンバー4が、剣を持っていないほうの手を、広場の上に向かって広げた。

 その手のひらから、柔らかな光が溢れ出した。

 鋭い剣の光ではなく、温かく、どこまでも広がっていく光が、霧のように広場へ流れ出して、噴水を包み、街灯を呑み込み、凛花の視界を白く塗り潰していった。

 ナンバー4の姿が、光の霧の中に溶けて、見えなくなった。

 凛花は、霧の中で剣を構え直した。

 どこかで、似た光を見た気がした。

 円卓の席で、袖で口元を隠しながら穏やかに微笑む、黄金の髪の人の手のひらから溢れていた、あの柔らかな光に、よく似ていた。


「光の方」


 霧の中から、ナンバー4の声が響いた。

 どこから聞こえているのか、分からなかった。


「あなたの光は、わたくしの霧の中では、迷子になりますのよ」


 凛花は、声のしたほうへ、光の刃を飛ばした。

 だが、光の刃は、霧に触れた瞬間に、無数の光の粒に当たって散らばり、まっすぐには進まなかった。

 右へ、左へ、ばらばらに逸れていく光の向こうから、ナンバー4の剣が、凛花の脇腹を浅く掠めていった。


「——っ」


 凛花は、霧の中で身体をひねったが、次の斬撃は、背後から来た。

 どこから来るのか、まったく読めなかった。

 同じ頃、噴水の反対側では、春華とナンバー5が、静かに向かい合っていた。

 二人とも、すぐには動かなかった。

 ナンバー5は、細い水の刃を指先に浮かべたまま、春華の足の運びと、肩の動きと、眼鏡の奥の目の動きを、一つずつ確かめるように見つめていた。

 春華もまた、ナンバー5の指先の水の刃の細さと、その水がどこから引かれているのかを、黙って観察していた。


「……あなたは、私と同じですね」


 ナンバー5が、静かに口を開いた。


「戦う前に、相手を見る」


「そうね」


 春華は、眼鏡を押し上げた。


「見られる側に回るのは、あまり好きじゃないけれど」


 ナンバー5の指先から、水の刃が放たれた。

 細く、細く絞られた水が、糸のように一直線に伸びて、春華の肩口を狙った。

 春華もまた、同じように絞った水の糸を放って、それを空中で弾いた。

 水の糸と水の糸が、噴水の上でぶつかり合っては、細かな飛沫になって散っていく。

 どちらも、相手の糸の軌道を知っていた。

 どちらも、相手が次にどこを狙うのかを、見抜いていた。

 ナンバー5の水の糸が、春華の頬を掠めて、眼鏡のつるを弾き飛ばした。

 眼鏡が、噴水の縁に落ちて、乾いた音を立てた。


「……あなたの水は、全部、聴いています」


 ナンバー5が、静かに言った。


「細く絞って、一点にだけ当てる。……それが、あなたの全てでしょう」


 春華は、眼鏡を拾わなかった。

 噴水の縁に落ちた眼鏡を見下ろしたまま、小さく息を吐いた。

 協会の測定の日、春華は、測定器の感知板の一点にだけ、ごく短く水を当てた。

 出力の最大値は、ほんの一瞬しか記録されなかった。

 研究員たちは、全力の値が取れないと首を傾げていたが、春華は、緊張してうまく出せなかったと答えて、涼しい顔で測定器を出てきた。

 あの日から、誰にも、全てを見せたことはなかった。


「……あなたが聴いたのは」


 春華は、裸眼のまま、ナンバー5の顔をまっすぐに見た。


「私が、見せてもいいと思った分だけよ」


 春華は、両手を、背後の噴水へ向けて広げた。

 噴水の水が、止まった。

 噴き上がっていた白い水が、空中でぴたりと静止し、それから、まるで生き物のように、噴水の池の水ごと、ゆっくりと持ち上がり始めた。

 細い糸ではなかった。

 池一つ分の水が、春華の背後で大きくうねりながら、夜の照明を受けて、黒い波のように盛り上がっていった。

 ナンバー5の目が、初めて、大きく見開かれた。


「……それは、記録に」


「ないでしょうね」


 春華は、広げた両手を、ナンバー5に向かって振り下ろした。

 持ち上がった水が、一つの大きな塊になって、ナンバー5の小柄な身体に、正面から覆いかぶさった。

 ナンバー5は、細い水の刃で、それを切り裂こうとした。

 だが、糸のように細い刃では、押し寄せる水の塊を、断ち切ることはできなかった。

 ナンバー5の身体は、水の塊に呑み込まれたまま、広場の石畳の上を押し流されて、街灯の柱にぶつかって止まった。

 ナンバー5は、濡れた青い髪を顔に張りつかせたまま、街灯の柱にもたれて、しばらく動かなかった。

 それから、ゆっくりと顔を上げて、春華を見つめた。


「……あなたは、まだ、全部を見せていない」


 その声には、悔しさよりも、深い興味の色が滲んでいた。

 噴水の向こうの光の霧の中では、凛花が、膝をつきかけていた。

 脇腹と、肩と、太腿に、浅い傷が増えていた。

 霧の中のどこから剣が来るのか、最後まで読むことができなかった。

 霧の外で、美羽が、両手を胸の前で握りしめて立ち尽くしていた。


「……凛花ちゃんが、見えない」


 美羽の声が、泣きそうに震えていた。

 霧の中に飛び込めば、自分も迷う。

 雷を撃てば、凛花に当たるかもしれない。

 どうすればいいのか、分からなかった。

 その時、美羽の頭の中に、協会の地下訓練場の、焦げた匂いが蘇った。

 測定器の中で、全力でいいと言われて、思いきり雷を放った日。

 感知板が一枚、黒く焼き切れて、研究員たちが慌ててノートパソコンに飛びついていた。

 壊すつもりはなかった。

 ただ、全力を出したら、壊れてしまったのだった。

 ——あんたのは、壊すほど強かったってことでしょ。

 真紀奈が、そっぽを向きながら言ってくれた言葉が、耳の奥に残っていた。

 美羽は、顔を上げて、霧の真上の夜空を見つめた。


「……全力で、いいんですよね」


 誰に聞くでもなく、小さく呟いた。

 それから、両手を、霧の真上に向かって、まっすぐに突き上げた。


 ——バチィィィッ!


 紫色の雷光が、広場の夜空を真っ白に染め上げた。

 雷は、霧の真上から、まっすぐに降り注いだ。

 凛花のいる場所を避けて、霧の中心を、ただ一点だけ。

 雷の熱と衝撃が、霧の中に満ちていた無数の光の粒を、一斉に弾き飛ばした。

 柔らかな光の霧が、内側から破裂するように、広場の四方へ吹き散らされていった。

 霧が晴れた広場の真ん中に、金の髪の少女が、剣を振りかぶったまま、むき出しになって立っていた。


「——っ、なんて、無作法な雷……!」


 ナンバー4の目が、驚きで見開かれていた。

 その一瞬を、凛花は見逃さなかった。

 膝をつきかけていた身体を、地面を蹴って跳ね起こし、光の剣を下から斬り上げる。

 凛花の剣が、ナンバー4の剣を、根元から弾き飛ばした。

 光の剣が、くるくると回転しながら宙を舞い、噴水の池の中に落ちて、光の粒になって消えていった。

 ナンバー4は、空になった手を、しばらく見つめていた。

 それから、芝居がかった仕草で額に手を当てて、大きく嘆息した。


「……わたくしの霧が、雷一つで散らされるなんて。屈辱ですわ」


 その口元は、言葉とは裏腹に、楽しそうに笑っていた。


「でも、素敵な雷でしたわ。……覚えました」


 街灯の柱の前で、ナンバー5が、濡れた髪をかき上げながら立ち上がった。


「ナンバー4。……必要な分は、聴きました」


「ええ、ええ。分かっておりますわ」


 ナンバー4は、ナンバー5の隣に歩み寄ると、凛花に向かって、もう一度優雅に一礼した。


「次は、雷の対策も、してまいりますわね。……ごきげんよう、光の方」


 二人の姿が、広場の照明の届かない暗がりの中へ、溶けるように消えていった。

 広場に、噴水の水音だけが戻ってきた。

 春華が持ち上げていた水は、全て池に戻っていて、噴水はまた、何事もなかったかのように白い水を噴き上げていた。

 凛花は、光の剣を握ったまま、肩で息をしていた。

 美羽が、泣きそうな顔のまま、凛花に駆け寄ってきた。


「凛花ちゃん! 大丈夫!? 当たってない!?」


「……大丈夫です。美羽さんの雷は、私には一度も当たっていません」


 凛花は、少しだけ笑って、美羽の頭にそっと手を置いた。

 広場の入り口では、真紀奈が、半分崩れかけた氷の壁の前に、肩で息をしながら立っていた。

 その足元には、灰色の魔獣の残骸が、いくつも転がっていた。

 氷の壁の内側では、逃げ遅れた人々が、一人も欠けることなく、身を寄せ合っていた。

 美羽が、今度は真紀奈のほうへ駆け寄っていった。


「真紀奈ちゃん、すごい! 一人で、全部止めたんだね!」


「……褒めても、何も出ないわよ」


「褒めてないよ、すごいって言っただけ!」


「それを褒めてるって言うのよ」


 真紀奈は、ぷいとそっぽを向いた。

 その耳が、照明の下で、少しだけ赤くなっていた。

 噴水の縁で、春華が、拾い上げた眼鏡のつるを、指先で元の形に直していた。

 隣に立った凛花に、眼鏡をかけ直しながら、凛花にだけ聞こえる声で言った。


「写しは、私たちが見せたものしか、知らないのよ」


「……はい」


「だから、見せていないものが、私たちの武器になる。……でも、一度見せたら、もう武器じゃなくなるわ」


 春華は、眼鏡の奥の目を細めて、二人の写しが消えていった暗がりを見つめていた。


「今夜、私は、一つ使ってしまった。……美羽も、ね」


 協会本部の向かいの、古いビルの屋上の、給水塔が落とす影の中に、黒い髪の人影が一つ、膝を抱えて座っていた。

 ナンバー8は、眼下の広場を、黙って見下ろしていた。

 噴水一つ分の水を持ち上げた、水の少女。

 霧を一撃で吹き飛ばした、小さな雷の少女。

 どちらも、写しの記録にはない力だった。

 ナンバー8は、膝の上の黒い銃を、両手で握り直した。

 写しは、見せられたものしか知らない。

 それなら、自分は、何を見せられて、ここにいるのだろう。

 ナンバー8は、答えの出ない問いを抱えたまま、湾岸の方角の夜空に目を向けた。

 遠くの空の一角で、紅蓮の炎と、紫色の雷が、続けざまに瞬いていた。

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