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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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333/368

第三百三十三話

 奈緒の手の中の黒い紙は、朝の光に当たった端から、少しずつ闇に溶けて薄れていった。

 翼の家の、修理したばかりの門柱の前だった。

 新聞を小脇に抱えたまま、奈緒は、消えていく紙を両手で持ち直して、そこに書かれた白い文字を、一文字ずつ指でなぞった。

 紙は、指でなぞった先から、まるで最初からそこになかったかのように、空気の中にほどけていった。


「……よっかご。わんがんの、だいさん、そうこ」


 奈緒は、文字を声に出して読んだ。


「なんばー、に。なんばー、ろく。……はち」


 最後の数字を読み終えた時には、紙は、奈緒の手のひらの上から、すっかり消えていた。

 奈緒は、空になった手のひらを、しばらく見つめていた。

 それから、新聞を放り出して、家の中へ駆け戻った。


「しらとりさん!」


 台所で朝食の支度をしていた白鳥が、驚いて振り返った。


「奈緒ちゃん、どうしたの、そんなに慌てて」


「かみ、きえた!」


「紙?」


「くろいかみ。ゆうびんうけに、はいってた。……よっかご、わんがんの、だいさんそうこ、なんばーにと、なんばーろく、はち」


 奈緒は、忘れないうちにと、覚えた言葉を一息に繰り返した。

 白鳥は、菜箸を置いて、奈緒の前にしゃがみ込んだ。


「……もう一度、ゆっくり言って」


 奈緒が、もう一度、同じ言葉を繰り返した。

 居間の奥から、赤みがかった金髪の少女が、眠そうな顔で現れた。

 テレサだった。

 翼の家に移ってきてから、まだ数日しか経っていなかった。


「……紙が、溶けたって?」


「うん。ひかりにあたったら、とけて、なくなった」


 テレサの眠そうな目が、すっと細くなった。


「……白鳥さん。それ、ただの紙じゃない」


「……ええ」


 白鳥は、エプロンのポケットから携帯端末を取り出して、ヴィクトリアの番号を呼び出した。

 その日の夕方、翼の家の居間に、円卓が集まった。

 ゴースト、緋雪、凛花、白鳥、ヴィクトリア、ルディア、真里。

 縁側の近くには、テレサとアイシャとフラウが、少し遠慮がちに並んで座っていた。

 ゴーストは、左肩に巻いた包帯の上から、そっと手を当てながら、昨夜の出来事を順番に話していった。

 学校の地下の、戦姫の紋章が刻まれた扉。

 空になった書棚と、床に残されていた、人工魔法少女の研究の切れ端。

 自分と同じ顔をした、紅い髪の少女。ナンバー3と名乗ったこと。

 姉の構えと、焔の炎を写した戦い方。

 影から背後に出る癖を、全て読まれていたこと。

 それから、暗がりの奥から撃たれた、黒い弾のこと。


「……闇、でしたの」


 ルディアが、袖で口元を隠したまま、低い声で言った。


「我らが神と、同じ」


「ええ。……私と、同じ闇だった」


 ゴーストは、包帯の上から肩を押さえた。


「ナンバー8、って呼ばれてた。……少女の声だったのに、自分のことを、俺って言ってた」


 居間に、短い沈黙が落ちた。


「そして今朝、そのナンバー8から、手紙が届いたというわけね」


 ヴィクトリアが、紅茶のカップを置いた。


「四日後の夜。湾岸の第三倉庫。ナンバー2と、ナンバー6」


 白鳥が、奈緒から聞いた言葉を書き留めた紙を、卓の上に置いた。


「……罠よ」


 ヴィクトリアは、迷わずに言った。


「敵の中から、こんなに都合よく、日時と場所と相手まで書いた手紙が届く。……疑わないほうが、どうかしているわ」


「私は、本物だと思う」


 ゴーストが、静かに言った。

 ヴィクトリアが、ゴーストのほうを見た。


「あの弾がなかったら、私は、昨夜、喉を貫かれてた」


「……」


「ナンバー8は、自分の仲間の槍を、わざと弾いたのよ。……罠を仕掛けるために、そこまでする理由がない」


 ヴィクトリアは、しばらく黙っていた。

 それから、小さく息を吐いて、縁側のほうに目を向けた。


「アイシャ。……あなた、何か預かってきているでしょう」


 アイシャが、少しだけ背筋を伸ばした。


「はい。……団長から、伝言です」


 アイシャは、膝の上で両手を握りしめて、病室で聞いてきた言葉を、一言ずつ正確に繰り返した。


「漏らす者がいるなら、その情報は本物だ。……だが、知られたと分かった時点で、敵は、計画を広げる」


 居間が、静まり返った。


「……広げる」


 凛花が、繰り返した。


「第三倉庫だけでは、終わらないということですか」


「団長は、そう言っていました」


 アイシャは、小さく頷いた。


「情報が本物でも、本物のままでは使えない。……そう思っておけ、って」


 ゴーストは、卓の上の紙を、長い間見つめていた。

 四日後の夜。湾岸の第三倉庫。


「……それでも、第三倉庫は押さえる」


 ゴーストが、静かに言った。


「少なくとも、そこに来ることだけは、本当だから。……ナンバー8が、命がけで教えてくれたことだもの」


 ヴィクトリアは、ゴーストの顔を見つめていたが、やがて、紅茶のカップを手に取って、一口だけ飲んだ。


「……分かったわ。ただし、他の場所への備えも、同時にしておく」


 郊外の、古い工場の地下。


 錆びた配管が天井を這う広い空間の、一段高くなった場所で、無響は、目を閉じて立っていた。

 その前に、八つの人影が並んでいた。

 七人のナンバーズが、半円を描くように立ち、その少し外れた、壊れた機械の陰に、黒い髪のナンバー8が、膝を抱えて座っていた。


「……昨夜、湾岸の第三倉庫のことを、外へ漏らした者がいる」


 無響の温度のない声が、地下の空間に落ちた。

 ナンバーズの何人かが、一斉に、壊れた機械の陰のほうを振り返った。

 ナンバー8は、膝を抱えたまま、動かなかった。


「ナンバー8、あんた——」


 ナンバー3が、長槍の柄を握りしめて、一歩踏み出した。


「よい」


 無響の声が、ナンバー3の足を止めた。


「咎めるつもりは、ない」


 ナンバー3が、目を見開いた。


「……お母様?」


「漏れたなら、漏れたで構わない」


 無響は、ゆっくりと目を開けた。


「向こうは、第三倉庫に備える。……なら、第三倉庫だけでは、なくせばいい」


 無響の長い指が、宙に、見えない地図を描くように動いた。


「同じ夜に、おまえたちを、三方へ出す」


 ナンバーズの目が、一斉に、無響に向いた。


「ナンバー2、ナンバー6。白百合を」


 白銀の髪のナンバー2が、目を閉じたまま、膝の上の太刀に手を置いた。

 翠の髪のナンバー6が、槍を抱えたまま、嬉しそうに身体を揺らした。


「ナンバー4、ナンバー5。協会を」


 金の髪のナンバー4が、芝居がかった仕草で、胸に手を当てて一礼した。

 青い髪のナンバー5が、手元の水の刃を、指先で細く研ぎ澄ましながら、小さく頷いた。


「ナンバー3、ナンバー1。……オリジナルの、いる場所へ」


 紅い髪のナンバー3が、長槍を肩に担いで、にやりと笑った。

 紫の髪のナンバー1が、双剣の柄を指先でくるりと回しながら、楽しそうに目を細めた。


「ナンバー7は、ここに残れ」


 琥珀の髪の大柄なナンバー7が、大槌を床に突き立てたまま、黙って頷いた。


「お母様」


 ナンバー4が、芝居がかった仕草で首を傾げた。


「わたくしたちは、勝ってくればよろしいのでしょうか」


「勝たなくて、よい」


 無響は、静かに答えた。


「戦え。……写した相手と、刃を合わせろ。おまえたちが写したのは、あの者たちの昨日までの戦い方だ。今日の戦い方を、身体で覚えてこい」


 ナンバーズの間に、小さなざわめきが広がった。


「それから」


 無響の指が、もう一度、宙をなぞった。


「同じ夜、街の広い場所に、魔獣を放つ」


 ナンバー5が、水の刃を研ぐ手を止めた。


「……民間人を、襲わせるのですか」


「そうだ」


 無響は、少しも声の調子を変えずに答えた。


「守る者がいる時、あの者たちが、どう動くのか。……それも、聴いておきたい」


 ナンバー6が、嬉しそうに槍を振り回した。


「あたし、速さ、試せるんだよね! いっぱい、いっぱい、走っていいんだよね!」


「好きにしろ」


 ナンバー2は、目を閉じたまま、ぽつりと呟いた。


「……白銀の、太刀」


 それだけだった。


「オリジナルと、もう一回できるのね」


 ナンバー3が、長槍の穂先に、ちろりと炎を灯した。


「今度は、邪魔が入らないといいけど」


 ナンバー3の視線が、壊れた機械の陰の、黒い髪のナンバー8に向いた。


「……ナンバー8」


 無響が、静かに呼んだ。


 ナンバー8が、膝を抱えたまま、顔を上げた。


「おまえは、見ていろ」


「……」


「手は、出すな」


 ナンバー8は、しばらく無響の顔を見つめていた。

 何を見せたいのか、無響は、何も言わなかった。


「……分かった」


 ナンバー8は、それだけ答えて、また膝の上に顔を伏せた。

 その夜、町外れの河川敷の中州は、いつものように白い霧に包まれていた。

 ゴーストは、包帯を巻いた左肩を庇いながら、砂利の上に立っていた。


「写しが知っとるのは、昨日までのおぬしじゃ」


 中州の端で、ヴィルヘルミナが杖を突いて言った。


「影から背後に出る。炎と氷を重ねる。……そういう、もう見せた手は、全部、写されとると思え」


「……はい」


「なら、今日の一手を、作れ」


 ヴィルヘルミナは、杖の先で、砂利の上に小さな丸を二つ描いた。


「影は、一つしか使えんと、誰が決めた」


 ゴーストは、砂利の上の二つの丸を見下ろした。


 影に沈む。

 影から出る。

 これまでずっと、入る影と出る影は、一つずつだった。


 だから、出口が読まれた。

 背後の影から出れば、背後に石突きが来た。


(……出口を、一つに絞らせない)


 ゴーストは、自分の足元に、自分の闇で影を落とした。

 それから、少し離れた、右手の砂利の上にも、もう一つ、小さな影を落とした。

 足元の影に、身体を沈める。

 そして、右手の小さな影からは、闇の手だけを、先に伸ばした。

 闇の手が、右の影から伸びて、空を掴む。

 その一瞬だけ、相手の目は、そちらに向く。

 その間に、身体は、別の、三つ目の影から出る。

 身体が、浮かび上がったのは、左手の、葦の根元の影だった。

 だが、その瞬間、足元の影が揺らいで、ゴーストは、砂利の上に半分だけ放り出された。


「……っ」


「ほう」


 ヴィルヘルミナが、目を細めた。


「手は右、身体は左か。……まだ、半分じゃのう」


「……もう一度、やります」


「やれ。……四日あるでな」


 中州の端で、緋雪が、太刀を抜いて構えていた。

 ゴーストの稽古を見ながら、自分の太刀の刃を、じっと見つめていた。

 ナンバー2。白銀の髪。太刀。

 自分の写しが、いる。


(……私の写しは、昨日までの私しか、知らない)


 緋雪は、太刀を握り直した。

 それから、足元の砂利に、冷気を落とした。


 ——パキッ。


 音を立てる氷が、静かに弾けた。

 三神家の、それからの数日は、いつもと変わらないように過ぎていった。

 ある朝、零が台所で弁当を詰めていると、母が、何も言わずに隣に立った。

 奈々美は、息子の左肩のあたりを、ちらりと見た。

 腕を動かすたびに、ほんの僅かに、肩の動きが硬くなる。

 零は、それを隠しているつもりだった。

 奈々美は、何も聞かなかった。

 ただ、朝食の席に着いた時、零の茶碗の隣に、湿布の箱が一つ、そっと置かれていた。

 零は、湿布の箱を見下ろした。

 それから、母の顔を見た。


 奈々美は、味噌汁の椀を持ったまま、何事もなかったように、玲奈の寝癖を直していた。


「……ありがとう、母さん」


「何のこと?」


 奈々美は、少しだけ笑って、味噌汁をすすった。

 居間では、五郎が新聞を広げていた。

 新聞の陰から、妻と息子のやり取りを、黙って見ていた。

 夕方の庭では、澪が、手のひらの上で藤の花びらを回していた。

 花びらは、もう十枚を超えていた。

 淡い紫の輪が、澪の手のひらの上で、静かに回り続けている。

 澪は、その輪を見つめながら、縁側の柱に掛けた白百合の制服を、時々横目で見ていた。


 白百合の盾。

 結衣会長。玲奈。由鶴。緋雪。

 それから、この手のひらの上の花びら。

 縁側で、五郎が、湯呑みを手に、娘の背中を見ていた。


「……澪」


「なに、お父さん」


「急がなくて、いいんだぞ」


 澪の手のひらの上で、花びらの輪が、僅かに揺れた。


「……分かってる」


 澪は、振り返らずに答えた。

 その日の夕食の席で、玲奈が、白百合で聞いてきた話を、少しだけ不安そうにこぼした。


「最近、変な噂があるんだよね。……風を使う魔獣が出たって」


「魔獣は、いろいろいるでしょ」


 澪が、唐揚げを摘みながら答えた。


「そうなんだけど。その魔獣の動きがね、なんか、私の風に似てたって。……飛鳥さんが、気持ち悪いって言ってた」


 零の箸が、一瞬だけ止まった。

 ナンバー6。翠の髪。槍。速さ。

 零は、何も言わずに、唐揚げを口に運んだ。


 四日後の夜。


 湾岸の、第三倉庫。


 錆びた大きな倉庫の屋根の上に、円卓の面々が陣を張っていた。

 ゴーストと、ヴィクトリアと、ルディアと、真里。

 倉庫の陰には、アイシャとテレサとフラウが、それぞれの武器を構えて身を潜めていた。

 白百合の緋雪と、協会の凛花は、ここにはいなかった。

 白百合にも協会にも、それぞれの夜間の待機があった。

 ヴィクトリアの言う「他の場所への備え」とは、そういうことだった。

 夜の海風が、潮の匂いを運んでいた。

 遠くの倉庫街の灯りが、黒い海面に細く揺れていた。

 零時を、少し回った頃だった。

 白百合の盾の、情報班の解析室。

 新実由鶴は、壁一面のモニターの前で、思わず椅子から腰を浮かせていた。

 都内の地図を映したモニターの上に、魔獣の出現を示す赤い印が、一斉に灯り始めていた。


 一つ。二つ。五つ。十。


 住宅街。駅前。繁華街。河川敷。

 都内のあちこちで、数えきれないほどの赤い印が、ほとんど同時に灯っていく。


「……そんな」


 由鶴の指が、キーボードの上で震えた。


「全域、です」


 白百合の本部から、魔獣の出現地点へ急行していた白百合の隊員たちの車が、夜の幹線道路の途中で、急停止した。

 先頭の車のヘッドライトの中に、二つの人影が立っていた。

 一人は、白銀の髪を背に流し、太刀を手にした少女。

 一人は、翠の髪を揺らし、槍を抱えた少女。

 どちらも、黒いドレスによく似たドレスを纏っていた。

 その顔は、緋雪がよく知る顔に、よく似ていた。

 後部座席から降りた緋雪は、白銀の髪の少女の顔を見て、太刀の柄に手をかけた。


「……私の、写しね」


 白銀の髪の少女——ナンバー2が、目を開けた。


「……白銀の、太刀」


 同じ頃、都心の協会本部の前の広場に、凛花と春華と真紀奈と美羽が駆けつけたところで、二つの人影が、広場の噴水の縁に降り立っていた。

 金の髪の少女と、青い髪の小柄な少女。

 金の髪の少女——ナンバー4が、芝居がかった仕草で、凛花に向かって一礼した。


「ごきげんよう、協会の光の方。……あなたの剣、写させていただきましたわ」


 そして、湾岸の第三倉庫の屋根の上。

 ゴーストたちの前に、二つの人影が、夜空から音もなく降り立った。

 紅い髪の少女と、紫の髪の少女。


「待ってたわよ、オリジナル」


 ナンバー3が、長槍の穂先に炎を灯して、にやりと笑った。

 その隣で、紫の髪の少女——ナンバー1が、双剣を指先でくるくると回しながら、ヴィクトリアの顔を見上げて、楽しそうに目を細めた。


「……あなたの雷、いい匂いがする」


 ヴィクトリアの指先で、紫電が、ぱちりと弾けた。

 少し離れた、湾岸の高い送電鉄塔の、一番上。

 夜風に吹かれながら、黒い髪の人影が、一人、膝を抱えて座っていた。


 ナンバー8だった。


 手に、黒い銃を握ったまま、眼下の倉庫街と、遠くの幹線道路と、都心の広場と、街のあちこちに灯り始めた魔獣の気配を、黙って見下ろしていた。


 見ていろ、と言われた。

 手は出すな、と言われた。


 何を見せたいのか、お母様は、何も言わなかった。

 ナンバー8は、膝の上に顎を乗せて、倉庫の屋根の上の、漆黒のドレスの背中を、じっと見つめていた。

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