↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未登録の魔法少女  作者: 浅川


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
318/372

第三百十八話

 モニターの中の赤い点が、三つに分かれ始めた。

 白百合の盾、情報班の解析室。

 午後一時。

 窓のない部屋の壁一面に並んだモニターの一つに、都内の上空を飛ぶドローンの信号が、小さな赤い点の群れとして映し出されていた。

 新実由鶴は、その群れの動きを、もう三十分以上見つめていた。

 埠頭の夜から、セントラルのドローンの飛び方が変わっていた。

 以前は、都内のあちこちを満遍なく巡回していた。

 今は、違う。

 赤い点は、ゆっくりと、三つの地点の上空に寄り集まり始めていた。


 一つ目は、町の住宅街。

 三神家の隣の、白い洋館の真上。

 二つ目は、その住宅街の外れの商店街。

 スーパー「ヤオヨシ」の真上。

 三つ目は、さらに郊外の、古い日本家屋。

 翼の家の真上。


「……三か所、ですか」


 由鶴は、眼鏡を押し上げた。

 ドローンの旋回の間隔が、少しずつ短くなっている。

 建物の出入り口と、周囲の道路と、隣接する空き地。

 同じ場所を、角度を変えて、何度も撮影している。


 下見だった。


 由鶴は、過去の記録と照らし合わせた。

 埠頭の夜の前にも、同じような下見の飛び方があった。

 その時は、二日間、ドローンを完全に止めた後に、一点へ集めていた。


 今回は、止めていない。

 三か所を同時に見ている。


「……今夜、でしょうか」


 由鶴は、ドローンの旋回の周期から、おおよその時刻を割り出していった。

 画面の隅に、数字が浮かび上がる。


 午前零時前後。


 由鶴は、端末から手を離した。

 三か所のうち、どこも、白百合の施設ではない。

 白百合の隊員が、住んでいる場所でもない。


 星監の総帥の屋敷。

 福音の鐘の教祖が働くスーパー。

 政府の元隠密たちが暮らす、民間の保護施設。

 白百合の情報班として、正式に警告を出せる相手は、一つもなかった。

 由鶴は、しばらく黙ってモニターを見つめていた。

 それから、内線の受話器を取った。


「……緋雪。少し、解析室までお越しいただけますか」


 十分後。


 解析室の扉が開いて、緋雪が入ってきた。


「どうしたの、由鶴」


「こちらを、ご覧ください」


 由鶴は、椅子ごと身体をずらして、モニターを緋雪に見せた。

 三つに分かれた赤い点の群れ。

 その下に、三つの地点の名前。


 緋雪の顔色が、変わった。


「……ここ」


「はい。今夜、零時前後と思われます」


 由鶴は、静かに続けた。


「白百合の隊員ではない方々が、狙われています。……白百合として、警告を出すことはできません」


「……」


「私は、白百合の情報班として、今見ているものを、白百合の隊員である緋雪に、ご報告しただけです」


 由鶴は、眼鏡の奥の目で、緋雪をまっすぐに見た。


「その後のことは、存じ上げません」


 緋雪は、しばらく何も言わなかった。


 それから、小さく頷いた。


「……ありがとう、由鶴」


「職務ですので」


 由鶴は、モニターに向き直った。

 その背中が、ほんの少しだけ、強張っていた。


 午後三時。


 白百合の本部の屋上で、緋雪は一台の古い携帯端末を取り出した。


 白百合の支給品ではない。

 自分の名前で契約したものでもない。

 以前、ゴーストの「知り合い」から、何かあった時のためにと渡されていた、足のつかない端末だった。

 緋雪は、白百合の隊員として、白百合の外の者に警告を出すことはできない。

 結衣に、これ以上の迷惑をかけるわけにはいかなかった。

 だから、名前を書かなかった。


 一通目。


『今夜、零時。

 あなたの屋敷に、岩の子が来ます』


 宛先は、ヴィクトリア・ローゼンベルグ。


 二通目。


『今夜、零時。

 あなたのお店に、光の銃の子が来ます』


 宛先は、ルディア・ロンディニウム。


 三通目。


『今夜、零時。

 赤い鎌の子が、奈緒さんのもとへ』


 宛先は、周防凛花。


 三通とも、差出人の欄は、空白のままだった。

 緋雪は、送信を終えた端末の電源を切った。

 屋上の風が、銀色の髪を揺らしていた。

 耳の上の雪の結晶の髪飾りが、午後の日差しを受けて光っている。


 同じ頃。


 白い洋館の書斎で、ヴィクトリアは、届いたメッセージの画面を見つめていた。

 差出人のない、二行のメッセージ。

 岩の子。屋敷。零時。


 ヴィクトリアは、しばらくその画面を眺めていた。


 それから、小さく笑った。


「……律儀な子ね」


 それ以上は、何も言わなかった。

 端末を閉じて、内線でシルヴィアを呼んだ。


 同じ頃。


 スーパー「ヤオヨシ」の、バックヤード。

 ルディアは、段ボール箱を片付ける手を止めて、端末の画面を見つめていた。


 光の銃の子。お店。零時。


 ルディアは、袖で口元を隠した。


「……真里」


「はい、ルディア様」


「今夜は、閉店後も残っていただけますか。……それから、ルカとリリアを呼んでくださいませ」


 真里は、何も聞かずに頷いた。


 同じ頃。


 郊外の町、翼の家。


 縁側で、凛花は端末の画面を見つめていた。

 赤い鎌の子が、奈緒さんのもとへ。今夜、零時。


 差出人は、なかった。

 だが、凛花には、誰が送ってきたのか、分かる気がした。

 凛花は、庭で洗濯物を取り込んでいる奈緒の背中を見た。

 小さな身体で、物干し竿に背伸びをしている。


「……白鳥さん」


 凛花は、台所にいる白鳥に声をかけた。


「今夜、零時に、来ます」


 白鳥の手が、止まった。


「……誰が」


「セントラルの、赤い鎌の人です」


 凛花は、立ち上がった。


「協会に、報告に行ってきます。……零時に備えて、増援の手配を。私一人では、心もとないので」


「……一人で、大丈夫?」


「夕方のうちに戻ります。零時までには、必ず」


 凛花は、光の剣の柄に手を添えて、玄関へ向かった。

 途中で、庭の奈緒を振り返った。


「奈緒さん。……私が戻るまで、家の中にいてくださいね」


「うん」


 奈緒は、洗濯物を抱えたまま、こくりと頷いた。

 凛花の姿が、門の向こうへ消えていった。


 午後五時半。


 翼の家の庭に、夕暮れの光が斜めに差し込んでいた。

 縁側の向こうの居間では、白鳥が子供たちに夕飯の支度を手伝わせている。

 包丁の音と、子供たちの笑い声が、庭まで聞こえてくる。

 奈緒は、一人で庭に出ていた。

 凛花には、家の中にいてと言われた。

 だが、物干し竿に、まだ洗濯物が三枚残っていた。

 白鳥のエプロンと、まひろの靴下と、自分の寝間着。


(……すぐ、おわる)


 奈緒は、背伸びをして、物干し竿の白鳥のエプロンに手を伸ばした。


 その時だった。


 背後の空気が、熱く揺らいだ。

 奈緒は、振り返らなかった。

 振り返るより先に、身体が動いていた。


 左手を、背後に突き出す。


 ——パキィンッ!


 氷の壁が、奈緒の背後に立ち上がった。

 その壁に、何かが叩きつけられた。


 ——ジュウッ!


 氷の壁の表面が、白い湯気を上げて溶けていく。

 奈緒は、氷の壁の陰から跳び退いた。


 振り返る。


 庭の入り口に、赤みがかった金髪の少女が立っていた。

 真っ赤なマフラー。背中に背負っていたはずの大鎌が、今は両手に握られている。

 大鎌の刃が、溶けた鉄のように、どろりと赤く輝いていた。


 テレサ・ローズだった。


「……不意打ちを、止めた」


 テレサが、小さく呟いた。


「いい反応ね、器の子」


 奈緒は、両手を広げた。


 左手に、白い冷気。

 右手に、紅蓮の炎。


「……れいじ、って、りんかさん、いってた」


「予定を、早めたの」


 テレサは、大鎌を構え直した。


「零時に来ると知られているなら、零時には来ないわ」


 奈緒は、テレサを睨んだ。


 それから、右手を突き出した。

 紅蓮の炎が、奔流となってテレサへ向かう。

 テレサは、大鎌を横に一振りした。


 ——ずるり。


 炎が、大鎌の刃に触れた瞬間、溶けた。

 燃えていた炎が、どろりとした赤い液体のように形を崩し、刃に吸い込まれていく。

 大鎌の刃が、さらに赤く、熱く輝いた。


「……え」


 奈緒の目が、丸くなった。


「溶解」


 テレサは、静かに言った。


「炎から生まれた、炎を溶かす力。……あなたの炎は、私の刃の、餌よ」


 奈緒は、左手を突き出した。

 白い冷気が、テレサの足元を這う。

 今度は、凍らせる。


 冷気が、テレサの足元に届いた。

 凍りかけた地面が、大鎌の刃から滴る赤い熱に触れて、どろりと崩れた。

 氷が、溶けて、湯気になって消えていく。


「……なんで?」


 奈緒の声が、震えた。


「こおらない。……もえない」


 奈緒は、もう一度、炎を放った。

 溶かされる。


 もう一度、氷を放った。

 溶かされる。


 どちらを出しても、大鎌に呑まれる。

 炎は餌になり、氷は熱で崩される。


(……こおらせて、もやす)


 奈緒は、いつもの技を思い出した。


 氷で止めて、炎で砕く。

 凛花に教わった。

 翼の家の門の前で、柊木静の大盾を割った技。

 奈緒は、左手で氷を、右手で炎を、同時に放った。

 氷の壁がテレサの前に立ち上がり、その壁ごと炎が呑み込もうとする。

 だが、テレサの大鎌が、氷の壁ごと炎を薙いだ。


 ——ずるり。


 氷が溶け、炎が溶け、両方とも刃に吸い込まれていった。

 奈緒は、両手を下ろしかけた。

 どうすればいいのか、分からなかった。

 今まで、氷と炎で、止められないものはなかった。

 それが、どちらも通じない。

 だが、テレサもまた、踏み込めずにいた。

 大鎌を構えたまま、奈緒との距離を詰められない。

 奈緒の氷と炎が、交互に、間断なく飛んでくる。

 炎を溶かした直後に氷が来る。氷を溶かした直後に炎が来る。

 溶解の熱は、二つを続けざまに呑み込むほどには、速く巡らない。

 一歩踏み込もうとするたびに、次の一撃が来た。


「……面倒な子」


 テレサが、小さく呟いた。


「二つを、交互に。……私の溶解が、追いつかない」


 奈緒は、テレサの言葉の意味が分からなかった。

 ただ、氷と炎を、交互に放ち続けた。

 止めたら、来る。

 それだけは、分かっていた。

 庭の中央で、二人は睨み合ったまま、動けなくなった。


 膠着だった。


 その時、縁側の障子が、からりと開いた。


「……奈緒ちゃん?」


 一人の少女が、縁側に姿を見せた。

 色素の薄い髪を、肩の上で短く切り揃えている。

 手に、夕飯の支度に使っていたらしい菜箸を持っていた。

 騒ぎを聞きつけて、様子を見に来たのだった。


 エリだった。


 テレサの目が、一瞬だけ、縁側へ流れた。

 大鎌を握る手が、止まった。


「……エーリカ?」


 テレサの唇から、掠れた声が漏れた。

 エリの手から、菜箸が滑り落ちた。

 その名前に、聞き覚えはなかった。

 それでも、目の前の赤みがかった金髪の少女の、大鎌の刃を見た瞬間、身体の奥から、何かが這い上がってくるのを感じた。

 白い壁。冷たい寝台。誰かの泣き声。

 エリの膝が、がくりと折れた。

 その時、翼の家の門の前に、二つの人影が立っていた。

 一人は、四十代の、エプロン姿の主婦。

 両手で、大きな鍋を抱えている。

 鍋の蓋の隙間から、煮物の甘辛い湯気が漏れていた。

 もう一人は、淡い色のカーディガンを着た、二十代半ばほどの女性。

 手に、紙袋を提げている。


 三神奈々美と、水瀬汐里だった。

 夕飯用の煮物を、うっかり大鍋いっぱいに作りすぎてしまった。

 奈々美は、バーベキューの日に会った、小さな黒髪の女の子のことを思い出した。

 ——あの子にも、食べさせてあげたいわね。

 隣の汐里を誘って、夕飯前に届けに来たところだった。


「こんばんは——」


 門をくぐりかけた奈々美の足が、止まった。


 庭の光景が、目に入った。


 庭の中央で、両手に氷と炎を構えた、小さな女の子。

 その前で、赤く輝く大鎌を構えた、赤みがかった金髪の少女。

 縁側で、膝をついて震えている、短い髪の少女。

 奈々美の目が、一瞬で変わった。

 穏やかな主婦の目ではなかった。


「……汐里ちゃん」


「はい、先輩」


「これ、持ってて」


 奈々美は、両手の鍋を、汐里の腕の中に押しつけた。

 汐里は、鍋を抱えたまま、すぐ隣に立っていた。

 三百メートルどころか、一メートルもない。

 汐里は、鍋を抱え直して、小さく頷いた。


「……どうぞ、先輩」


 奈々美の胸の奥で、細い水路が、太く脈打った。

 青白い雷光が、奈々美の身体を包んだ。

 光が収まった時、門の前に、二十歳前後の女性が立っていた。

 深い藍色の戦闘服。肩から背中にかけて、稲妻の紋。

 長い黒髪を、後ろで一つに高く束ねている。

 奈々美は、門柱の脇に目を落とした。

 竹箒が一本、立てかけてあった。

 白鳥が、毎朝、玄関先を掃くのに使っているものだった。

 奈々美は、その竹箒を手に取った。

 次の瞬間、奈々美の姿は、もう門の前にはなかった。


 庭の中央。

 奈緒の隣に、雷を纏った女性が立っていた。


 奈緒が、目を見開いた。


「……だれ?」


「奈緒ちゃん。……バーベキューで、焼きおにぎり食べたでしょう」


 奈緒は、瞬きをした。


 声は、知っていた。

 あの河原で、焼きおにぎりをくれた、優しいおばちゃんの声だった。

 顔は、ずっと若かった。


「……おばちゃん?」


「そうよ」


 奈々美は、テレサから目を離さずに言った。


「もう一回、氷を出して」


「……え」


「今度は、あの人の、足元にね」


 テレサが、大鎌を構え直した。

 目の前に現れた、雷を纏った女性を見つめている。

 その顔が、ひどく強張っていた。

 奈緒は、奈々美の横顔を見上げた。

 それから、左手を、テレサの足元に向けて突き出した。

 白い冷気が、地面を這った。

 テレサの足元が、凍りついていく。

 テレサの視線が、足元に落ちた。

 大鎌の刃の熱で、凍った地面を溶かそうとする。


 その、一瞬。


 奈々美の竹箒が、雷を纏って奔った。


 ——バリバリッ!


 竹箒の柄が、テレサの大鎌の柄を、横から叩いた。

 雷が、柄を伝って、テレサの全身を駆け抜けた。

 テレサの身体が、大鎌ごと、宙に浮いた。

 そのまま、庭を横切って、翼の家の塀の向こうまで、弾き飛ばされた。


 ——ドサッ。


 塀の外の路上に、何かが落ちる音がした。


 一撃だった。


 庭に、静寂が戻った。


 竹箒の先から、小さな電光が、ぱちりと一度だけ弾けた。

 塀の外の路上で、テレサは、ゆっくりと身体を起こした。


 全身が、痺れていた。

 大鎌は、手から離れずに握っていた。

 だが、指が、思うように動かなかった。

 テレサは、塀の上越しに、庭の中を見上げた。

 雷を纏った、若い女性が、竹箒を手に立っていた。

 夕暮れの光を背にして、その顔は、よく見えなかった。


(……何、あれ)


 速すぎた。

 踏み込んだ瞬間も、竹箒を振った瞬間も、見えなかった。

 気がついた時には、身体が宙に浮いていた。

 テレサの目が、縁側へ移った。

 膝をついて、震えている少女。

 色素の薄い、短い髪。


 テレサは、しばらく、その少女を見つめていた。

 それから、痺れた足で立ち上がり、夕暮れの路地の向こうへ、姿を消した。

 庭で、奈々美は竹箒を下ろした。

 青白い光が、奈々美の身体を包んで、ゆっくりと消えていく。

 光が収まった時、そこには、エプロン姿の四十代の主婦が立っていた。

 奈々美は、奈緒の前にしゃがみ込んだ。


「大丈夫? 怪我はない?」


 奈緒は、こくりと頷いた。

 それから、奈々美の顔を、じっと見上げた。


「……おばちゃん、つよい」


「あら」


 奈々美は、くすりと笑って、奈緒の頭を撫でた。


「奈緒ちゃんも、よく頑張ったわね」


「……でも、こおらなかった。もえなかった」


「でも、一人で、ちゃんと止めてたじゃない」


 奈々美は、奈緒の黒髪を、優しく撫で続けた。


「おばちゃんが来るまで、あの人を、一歩も進ませなかったでしょう。……それは、すごいことなのよ」


 奈緒は、少しだけ目を瞬いた。

 それから、奈々美のエプロンに、ぎゅっとしがみついた。

 門の前で、汐里が、鍋を抱えたまま立っていた。

 胸の奥の水路を、水が流れていった感覚が、まだ残っていた。

 三倍の速さで、魔力が汲み出された。

 それでも、ほんの一撃分だった。

 湖の水面が、僅かに下がっただけ。

 汐里は、鍋を抱え直して、小さく笑った。


「……先輩、やっぱり、終わらせるのが早いです、見えませんでした」


 縁側では、白鳥がエリの肩を抱いていた。

 エリは、まだ震えていた。

 何も言わずに、ただ、自分の両腕を強く抱きしめていた。



 午後七時過ぎ。


 協会から戻った凛花が、翼の家の門をくぐった。


 庭は、静かだった。

 縁側の向こうの居間から、夕飯の匂いと、子供たちの笑い声が聞こえてくる。

 凛花は、庭の真ん中に残る、抉れた地面と焦げ跡を見下ろした。

 それから、居間を覗き込んだ。

 ちゃぶ台を囲んで、子供たちが夕飯を食べていた。

 その中心に、大きな鍋が一つ置かれていた。

 甘辛い煮物の匂いがする。


 奈緒が、煮物の里芋を頬張っていた。


「……りんかさん、おかえり」


「……奈緒さん、これは」


「おばちゃんが、もってきてくれた」


「おばちゃん?」


「つよいおばちゃん」


 凛花は、何も分からないまま、立ち尽くしていた。


 同じ頃。


 都心の高層ホテルの、最上階の一室。


「……器の子と、膠着していました」


 テレサ・ローズが、報告していた。

 その腕には、まだ微かな痺れが残っていた。


「炎も氷も、溶解で呑めました。ですが、二つを交互に出されて、踏み込めませんでした。……そこに、邪魔が入りました」


「邪魔」


「雷の、若い女です」


 セルゲイの目が、細くなった。


「……一撃で、弾き飛ばされました」


「顔は」


「……見ていません。速すぎて」


 テレサは、唇を噛んだ。


「武器は、竹箒でした」


「……竹箒」


「はい」


 セルゲイは、しばらく黙っていた。

 それから、机の上の黒い手帳を開いた。


 『黒いドレス』

 『ヘクセン・ツィルケルの魔女』

 その二つの名前の下に、セルゲイは新しい一行を書き加えた。


 『雷の女』


 ペンを置いて、その一行を見つめる。

 協会の測定の日、感知板を焼き切った小柄な少女の雷を思い出した。

 あの時、思わず顔を上げた。

 雷には、昔から、目が向く。


「……零時の予定を、早めて正解だった、と言うべきか」


 セルゲイは、窓の外を見た。


「早めなければ、雷の女は現れなかった。……早めたせいで、雷の女に会った」


 テレサは、何も言わなかった。

 縁側で膝をついていた、色素の薄い髪の少女のことを。

 その少女の名前を、自分の唇が呼んだことを。

 テレサは、一言も、報告しなかった。


 午後十一時五十分。


 白い洋館の裏庭で、ヴィクトリアが紫電を指先に灯して立っていた。

 スーパー「ヤオヨシ」の閉ざされたシャッターの前で、ルディアが袖で口元を隠して立っていた。

 零時まで、あと十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。