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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第三百十四話

 青いレジャーシートの四隅に、石が一つずつ置かれていた。


 夜明け前の公園。

 満開の桜の並木が、薄青い空の下で、白く浮かび上がっている。

 その中でも一番大きな桜の木の下に、畳六枚分ほどのシートが広げられていた。

 シートの真ん中で、五郎が正座していた。

 腕を組み、背筋を伸ばし、目を閉じている。

 ジャンパーの襟を立て、膝の上には、魔法瓶が一本。

 足元には、「三神家 花見席」と油性ペンで書かれた段ボールの札が立てかけてあった。


 午前五時。


 五郎は、この日のために、休日出勤の誘いを三度断っていた。

 去年の暮れから、花見の場所の下見を重ねてきた。

 公園の管理事務所に問い合わせ、日当たりと、トイレまでの距離と、桜の枝ぶりを確かめた。

 そして、この木を選んだ。


「……ふむ」


 五郎は、目を開けて、頭上の桜を見上げた。


 見事な枝ぶりだった。

 花びらが、夜明けの風に乗って、はらはらとシートの上に舞い落ちてくる。


「ええ桜じゃのう」


 隣から、声がした。


 ヴィルヘルミナが、シートの端にちょこんと座っていた。

 浴衣の上に厚手のケープを羽織り、膝の上で湯呑みを両手に包んでいる。


「年寄りは、朝が早いんじゃ。……どうせ起きとるなら、場所取りにも付き合おうと思うてな」


「いやあ、助かるよ、ミナちゃん」


 五郎は、魔法瓶のほうじ茶をヴィルヘルミナの湯呑みに注ぎ足した。


「一人だと、どうにも寂しくてなあ」


「ふむ。ええ茶じゃ」


 二人は、並んで桜を見上げながら、茶をすすった。

 公園の遊歩道を、ジョギングの中年男性が通りかかった。

 桜の下のシートに座る二人を見て、足を緩める。


「おはようございます。早いですね、場所取りですか」


「ええ。家族で花見でして」


「いいですねえ」


 男性は、五郎とヴィルヘルミナを交互に見た。


「親子ですか?」


 五郎の顔が、ぱあっと明るくなった。


「いやあ、まあ、そんなところです!」


「ほう」


 ヴィルヘルミナが、湯呑みを口元で止めた。


「わしが、娘か」


「違うのか?」


「違わんでもええか。……悪い気はせんのう」


 男性は、首を傾げながら走り去っていった。

 五郎は、その背中を見送りながら、嬉しそうに何度も頷いていた。


 同じ頃。


 三神家の台所は、静かな戦場になっていた。


「……私が、唐揚げを揚げるわ」


 澪が、エプロンの紐をきつく結びながら宣言した。


「だし巻き卵は、わしが焼こう」


 ヴィルヘルミナが、いつの間にか家に戻ってきていた。

 場所取りは、五郎一人に任せてきたらしい。


 澪の目が、細くなった。


「……あんた、場所取りしてたんじゃないの」


「茶を飲み終えたからの。ちいと戻ってきた。……弁当を作らんといかんじゃろう」


「弁当は、私と零で作るわ」


「人手は多いほうがええじゃろう」


「……」


 澪は、ヴィルヘルミナを睨んでいた。

 あの留守番の日のことを、まだ根に持っていた。

 居眠りをしている間に、家中を片付けられ、洗濯物を畳まれ、風呂まで沸かされていた。

 母は、それを見て大喜びしていた。


 負けられなかった。


「……じゃあ、勝負よ」


「勝負とな」


「私の唐揚げと、あんたのだし巻き卵。……どっちが美味しいか、零に決めてもらう」


「ほう」


 ヴィルヘルミナは、楽しそうに目を細めた。


「ええじゃろう。受けて立つ」


 流しの前で、零は、黙っておにぎりを握っていた。


 鮭と、梅と、昆布。

 二十個目を握り終えた時、ようやく自分の名前が出てきたことに気づいた。


「……え、俺?」


「あんたしかいないでしょ」


「わしの弟——いや、この家の料理番じゃからの」


 零は、握りかけのおにぎりを手に持ったまま、固まった。


 三十分後。


 台所の食卓の上に、二つの皿が並んでいた。


 片方には、澪の唐揚げ。

 生姜とにんにくを効かせた下味で、衣はからりと揚がっている。

 もう片方には、ヴィルヘルミナのだし巻き卵。

 出汁をたっぷり含んで、ふるふると揺れている。

 巻き目が、驚くほど均一だった。


「さあ、零」


 澪が、腕を組んで弟を見下ろした。


「どっちが美味しいか、正直に言いなさい」


「正直に、じゃぞ」


 ヴィルヘルミナも、腕を組んでいた。

 零は、唐揚げを一つ、口に運んだ。


 美味しかった。

 姉の唐揚げは、昔から美味しい。

 零が料理を覚えるずっと前、母が仕事で遅くなった夜に、姉が初めて作ってくれた料理だった。

 零は、だし巻き卵を一切れ、口に運んだ。


 美味しかった。

 出汁の加減が、母の味とも、自分の味とも違う。

 どこか遠い国の、古い台所の匂いがした。


 零は、箸を置いた。


 二人の視線が、突き刺さっていた。


「……両方、美味しい」


 沈黙。


「……逃げたわね」


「……逃げたのう」


 二人の声が、見事に重なった。

 澪とヴィルヘルミナは、顔を見合わせた。

 それから、二人同時に、零を睨んだ。


「本当に、両方美味しいんだって!」


「どっちかに決めなさいよ!」


「決めんのは、卑怯じゃぞ」


「卑怯じゃない! 事実を言っただけ!」


 台所の入り口で、玲奈が寝癖のついた頭で欠伸をしていた。


「……朝から、何やってるの、三人とも」


 昼過ぎ。


 桜の下のシートは、すっかり賑やかになっていた。

 三神家の五人とヴィルヘルミナ。

 その周りに、重箱と、紙皿と、紙コップが所狭しと並んでいる。

 澪の唐揚げと、ヴィルヘルミナのだし巻き卵は、結局、二つとも重箱の一番目立つ場所に並べられていた。


「緋雪ちゃーん!」


 玲奈が、遊歩道に向かって大きく手を振った。

 桜並木の向こうから、銀髪の少女が歩いてきた。

 淡い水色のカーディガンに、白いスカート。

 耳の上に、雪の結晶の髪飾りが光っている。


「……お邪魔します」


「いらっしゃい、緋雪ちゃん」


 奈々美が、シートの端を空けた。

 緋雪は、自然な流れで、零の隣に腰を下ろした。

 澪が、その様子を横目で見て、何も言わずに唐揚げを一つ口に入れた。

 次に現れたのは、汐里だった。


「先輩、お招きいただいて……」


「いいのよ。ほら、座りなさい」


 汐里は、奈々美の隣に座った。

 しばらく、桜を見上げて、奈々美と並んで茶をすすっていた。

 それから、ふと、先輩の後頭部に目を留めた。


 一つに結んだ髪の、右側。

 少しだけ、緩んでいる。


 ——右側を少しきつめにしてあげて。先輩、右側がすぐほどけるの。

 鏡花の手紙の、最後の一文。


「……先輩。少し、じっとしててください」


「あら、なあに?」


 汐里は、奈々美の髪の結び目に、そっと指をかけた。

 右側だけ、ほんの少しきつめに、結び直す。


「……はい。できました」


「あら、ありがとう」


 奈々美は、何も知らずに微笑んだ。

 汐里は、右の頬にえくぼを浮かべて、小さく頷いた。

 隣の洋館から、ヴィクトリアがやってきた。

 黒い重箱を、風呂敷に包んで提げている。

 プラチナブロンドの髪を、今日は少しだけ緩く結い上げていた。


「お招きいただき、光栄ですわ」


「ヴィクトリアさん! いらっしゃい!」


 五郎が、満面の笑みで手を振った。


「星監の料理人に作らせましたの。……つまらないものですけれど」


 ヴィクトリアが重箱の蓋を開けると、中から、ローストビーフと、テリーヌと、色とりどりのピンチョスが現れた。

 シートの上の和風の重箱の中で、そこだけが別世界だった。


「……豪華すぎない?」


 玲奈が、目を丸くした。


 その時、遊歩道の向こうから、もう二つの人影が現れた。

 黄金の長髪の女性と、無表情な女性。

 ヤオヨシの帰りらしく、両手に大きなレジ袋を提げている。


「三神くんのお母様。お招き、感謝いたしますわ」


 ルディアと、真里だった。


「まあ、ルディアさん。真里さんも」


「お店の売れ残りの、お惣菜ですけれど」


 ルディアは、レジ袋の中から、パック詰めのいなり寿司と、焼き鳥と、ポテトサラダを次々と取り出した。

 それから、零の前に座った。


「三神くん。いなり寿司は、いかがですか」


「あ、ありがとうございます」


「こちらの焼き鳥も。それから、ポテトサラダも」


 ルディアは、零の紙皿に、次々と料理を盛り始めた。

 皿が、みるみる山になっていく。


「三神くんは、育ち盛りですもの。たくさん召し上がって——」


「ルディア・ロンディニウム」


 ヴィクトリアが、ルディアの袖を、後ろから摘まんだ。


「……盛りすぎよ」


「あら。まだ足りませんわ」


「盛りすぎよ」


「……」


 ルディアは、渋々、取り分けの手を止めた。

 零の紙皿の上には、すでに富士山のような料理の山ができていた。


「おにーさーん!」


「……ん。来た」


 遊歩道の向こうから、赤いリボンと青いリボンの双子が駆けてきた。


 ルカとリリアだった。


 二人は、シートに飛び込むなり、零の両脇を通り過ぎて、まっすぐにヴィルヘルミナの前に正座した。


「ミナちゃん! 飴ちょうだい!」


「……ん。飴」


「なんじゃ、おぬしら。わしは飴の配給所か」


「だって、あの飴、美味しいんだもん!」


「……ん。癖になる」


 ヴィルヘルミナは、呆れたように笑いながら、ケープのポケットから飴を二つ取り出した。

 双子は、それを受け取って、満足そうに頬張った。


「……ルカ、リリア」


 ルディアが、袖で口元を隠しながら、低い声で言った。


「三神くんへのご挨拶より、飴が先とは、どういうことですの」


「あ」


「……ん。忘れてた」


 双子は、慌てて零のほうへ向き直り、正座のまま深々と頭を下げた。


「おにーさん、こんにちは!」


「……ん。こんにちは」


「……こんにちは」


 零は、料理の山を抱えたまま、ぎこちなく頭を下げ返した。


「いやあ、賑やかになったなあ!」


 五郎が、紙コップのお茶を掲げて、心底嬉しそうに笑った。


「花見は、こうでなくちゃいかん!」


 桜の花びらが、シートの上に、はらはらと舞い落ちていた。


 午後二時を回った頃。


 桜並木の向こうから、四つの人影が歩いてきた。

 先頭に、長い髪を緩くまとめた、二十三歳ほどの美しい女。

 その後ろに、線の細い女と、肩の上で髪を切り揃えた少女と、黒髪を金色に染めた少女。

 焔と、透と、鏡花と、早苗だった。

 ヴィクトリアの手から、紅茶の紙コップが滑り落ちかけた。

 ルディアの袖が、口元で止まった。


「……あら」


 焔が、シートの前で足を止めた。

 桜の下に広がる、奇妙な光景を見回す。

 一般家庭の家族。銀髪の少女。水の後輩。居候の魔女。

 それから、星監の総帥と、福音の鐘の教祖。

 焔の目が、ヴィクトリアの上で止まった。


「あら、自称守護者」


 ヴィクトリアの頬が、ぴくりと引き攣った。

 焔の目が、ルディアの上に移った。


「変態教祖も、一緒なのね」


 ルディアの袖の中で、指がきつく握り込まれた。


「……天城焔」


「……奇遇ですわね」


 二人の声が、低く重なった。

 奈々美が、ぱっと顔を明るくした。


「あら、先輩!」


「こんにちは、奈々美。……ちょっと、通りがかったのよ」


「通りがかったって、その子たちは?」


「謹慎中の子たちよ。……たまには外の空気を吸わせないと、腐っちゃうから」


 焔の後ろで、透が居心地悪そうに視線を逸らしていた。

 鏡花は、奈々美の顔を見た瞬間に、ぱっと目を輝かせていた。

 早苗は、腕を組んで、つまらなそうに桜を見上げていた。


「……お母さん」


 澪が、奈々美の袖を引いた。


「この人たち、誰?」


「昔の、職場の人たちよ」


 奈々美は、あっさりと答えた。


「OLの?」


 玲奈が、首を傾げた。


「ええ、OLの」


 五郎が、飲みかけのお茶に盛大にむせた。


「げほっ、ごほっ……!」


「お父さん、最近それ多くない!?」


「……熱かった」


「冷たいお茶でしょ、それ!」


 奈々美は、何事もなかったように、シートの空いた場所を手で示した。


「さあ、座って、座って。お弁当、たくさんあるから」


「……いいの?」


 焔が、少しだけ目を丸くした。


「いいに決まってるでしょう。お花見は、人が多いほうが楽しいもの」


 焔たちは、シートの端に腰を下ろした。

 透は、居心地悪そうに正座した。

 鏡花は、するりと奈々美の隣に滑り込んで、その腕にしがみついた。


「先輩、先輩!」


「はいはい、鏡花ちゃん」


「髪、誰に結んでもらってるんですか!?」


「自分で結んでるわよ。……今日は、汐里ちゃんが直してくれたけど」


 鏡花が、反対側の汐里を見た。

 汐里が、えくぼを浮かべて、小さく頷いた。


「右側、きつめにしておきました」


「……汐里ちゃん!」


 鏡花の目が、潤んだ。


 早苗だけが、シートの端で、立ったまま腕を組んでいた。

 それから、何かを決心したように、大きく息を吸った。

 まっすぐに、汐里の前まで歩いていく。


 汐里が、顔を上げた。


 早苗は、汐里の前で、ぎこちなく頭を下げた。

 金色に染めた髪の根元の黒が、桜の光の中で揺れた。


「……水瀬汐里」


「……はい」


「この前は、ごめん」


 早苗の声は、ぶっきらぼうだった。

 だが、頭は下げたままだった。


「……挨拶、しに来た」


 汐里は、少しだけ目を見開いた。


 手紙の、三行。

 ——次に会ったら、ちゃんと挨拶する。

 汐里の右の頬に、えくぼが浮かんだ。


「……はい」


 汐里は、座ったまま、丁寧に頭を下げ返した。


「よろしくお願いします、早苗さん」


 早苗は、顔を上げた。


 それから、照れくさそうにそっぽを向いて、汐里の隣にどかりと腰を下ろした。


「……飴、食べる?」


「え?」


「さっき、あそこの子に、もらったから」


 早苗は、ポケットから、異国の文字の包み紙の飴を取り出した。

 いつの間にか、ヴィルヘルミナが配っていたらしい。

 汐里は、くすりと笑って、飴を受け取った。

 焔は、シートの端で、その光景を眺めていた。

 それから、ふと、零のほうへ目を向けた。

 料理の山を抱えた、黒髪の少年。


「……あなた」


 焔が、零に声をかけた。


「ヤオヨシで会った子ね。……奈々美の息子さん」


「……その節は」


 零は、紙皿を抱えたまま、軽く頭を下げた。

 焔は、零の顔を、しばらく見つめていた。


「相変わらず、いい目をしてるわね」


 それだけ言って、焔はふっと笑い、桜を見上げた。

 それ以上は、何も言わなかった。


 夕方近く。


 五郎が、日本酒の一升瓶を取り出した。


「さあ、大人の皆さんは、こっちもどうぞ」


「あら、いいわね」


 焔が、紙コップを差し出した。

 五郎は、上機嫌で、焔の紙コップに酒を注いだ。

 焔の見た目は、二十三歳ほど。

 何の問題もなかった。


「ヴィクトリアさんも、どうです」


「……一杯だけ、いただきますわ」


「ルディアさんも」


「まあ。昼間からですの?」


「花見ですから!」


 五郎は、次々と紙コップに酒を注いでいった。

 その時、五郎の前に、小さな紙コップが差し出された。


「わしにも、一杯くれんかの」


 ヴィルヘルミナだった。


 浴衣にケープを羽織った、十六、七歳ほどに見える少女。

 にこにこと笑いながら、紙コップを両手で差し出している。


「お、おお。ミナちゃんも——」


 五郎が一升瓶を傾けかけた、その瞬間。

 横から伸びてきた手が、ヴィルヘルミナの紙コップを、すっと取り上げた。


「駄目よ、ミナちゃん」


 奈々美だった。


 にこやかに微笑んだまま、取り上げた紙コップを自分の膝の上に置いている。


「周りから見たら、高校生にお酒を飲ませてるみたいでしょう」


「……わしは、百——」


「言葉の綾、でしょう?」


 奈々美は、にっこりと笑った。

 ヴィルヘルミナは、口を開けたまま、固まった。

 それから、ゆっくりと口を閉じた。


「……そうじゃった。言葉の綾じゃった」


「はい、オレンジジュース」


 奈々美は、新しい紙コップにオレンジジュースを注いで、ヴィルヘルミナの手に握らせた。

 ヴィルヘルミナは、渋々それを受け取った。


「……百年生きて、オレンジジュースとはのう」


「何か言った?」


「何も言うとらん」


 焔が、紙コップの酒を口に運びかけたまま、肩を震わせていた。

 それから、堪えきれずに、声を上げて笑い出した。


「あはは……っ! あなた、百年生きた魔女を、子供扱いして……!」


「あら。ミナちゃんは、うちの子よ」


「……っ、あははっ!」


 焔は、シートの上で身体を折って笑い続けた。

 ヴィクトリアとルディアが、顔を見合わせて、そっと視線を逸らしていた。

 夕暮れが、桜並木を橙色に染め始めていた。

 風が吹くたびに、花びらが雪のように舞い上がる。

 シートの上は、もう花びらで薄紅色に覆われていた。

 零は、少しだけ輪を離れて、桜の木の幹のそばに立っていた。


 隣に、緋雪がいた。


 二人は、何も言わずに、頭上の桜を見上げていた。

 花吹雪が、二人の髪に、肩に、静かに降り積もっていく。


「……賑やかだったわね」


「……うん」


「あなたのお母様、すごいわ」


 緋雪が、小さく笑った。


「星監の総帥と、福音の鐘の教祖と、教団の第一使徒と、百年生きた魔女を。……全員、同じシートに座らせちゃうんだもの」


「……母さんは、たぶん、何も考えてないよ」


「考えてないから、できるのよ」


 緋雪は、零の髪に積もった花びらを、指先でそっと払った。


「……来年も、来られるといいわね」


「……うん」


 シートの上で、オレンジジュースの紙コップを両手で持ったまま、ヴィルヘルミナが二人の背中を眺めていた。

 桜吹雪の中に立つ、黒髪の少年と、銀髪の少女。

 その後ろで、笑い転げる炎の使徒と、それを呆れて見ている星監の総帥と、袖で顔を隠す教祖と、飴を舐める双子と、謹慎中の使徒たちと、水の後輩と。

 そして、その全員の真ん中で、穏やかに茶を注いで回る、雷の母親と、上機嫌な父親。


「……ええ家族じゃのう」


 ヴィルヘルミナは、誰にも聞こえない声で呟いた。


 同じ頃。


 都心の高層ホテルの、最上階の一室。

 セルゲイ・ベレンコフは、ノートパソコンの画面を、身じろぎもせずに見つめていた。


 ドローンの映像だった。

 町の公園の上空から、一本の大きな桜の木の下を映している。

 青いレジャーシートの上に、人が集まっていた。


 一般家庭の、五人家族。

 白百合のS級。

 星監の総帥、ヴィクトリア・ローゼンベルグ。

 福音の鐘の教祖、ルディア・ロンディニウム。

 ヘクセン・ツィルケルの魔女。

 教団の第一使徒、天城焔と、その配下の使徒が三人。

 それから、教団から離反した第七使徒。

 その全員が、一枚のシートの上で、弁当を囲んでいた。

 ローストビーフと、いなり寿司と、唐揚げと、だし巻き卵。

 一升瓶と、紙コップと、オレンジジュース。

 セルゲイは、長い間、黙っていた。

 それから、机の上の黒い手帳を開いた。

 几帳面な字が、並んでいる。

 『三神零。魔力反応なし。挙動に不審点なし。一般人』

 『三神家:再調査』

 『魔女は、何を隠している』

 セルゲイは、ペンを手に取った。

 書こうとして、手が止まった。

 何を書けばいいのか、分からなかった。

 セルゲイは、ペンを置いた。


 手帳を、静かに閉じた。


「……何なんだ、この家は」


 窓の外で、春の夕暮れの街が、橙色に染まっていた。

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― 新着の感想 ―
出来ることなら桜が足を生やして逃げ出したいと考えそうなレベルのメンツ
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