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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第三百十三話

 畳の上で、膝を揃えた。


 夜明け前の、三神家の客間。

 障子の向こうが、まだ薄青い。

 布団の上に座ったヴィルヘルミナが、湯呑みを両手で包んで、目の前で正座する少年を見下ろしていた。

 零は、両手を畳について、深く頭を下げた。


「……弟子に、してください」


 客間に、しばらく沈黙が落ちた。

 湯呑みから立ち上る湯気が、ゆっくりと揺れている。

 庭のどこかで、気の早い雀が一羽、鳴いた。


「ほう」


 ヴィルヘルミナが、湯呑みを膝の上に置いた。


「考えた末の、答えか」


「……はい」


「三日も考えんうちに来るとは、思わなんだのう」


 零は、頭を下げたまま答えた。


「昨日の夜、工場跡で、五体で限界でした」


「……」


「炎と氷を、闇の中に別々に置いた。それで、殻を割れた。……でも、五体目で、器が保たなくなった」


 零は、顔を上げた。


「あの時、もし六体目がいたら。もし、フェンスの向こうに誰かがいたら。……五体で終わるわけには、いかないんです」


 ヴィルヘルミナは、零の顔をじっと見つめていた。

 可憐な少女の顔から、年寄りくさい笑みが消えていた。

 百年分の時間を見てきた目が、目の前の少年の奥にあるものを、静かに測っていた。


「……守りたいものが、あるんじゃな」


「はい」


「家族か」


「……家族と、それから」


 零は、少しだけ言葉を選んだ。


「この街の、誰か」


 ヴィルヘルミナは、しばらく何も言わなかった。

 それから、ふっと息を吐いて、湯呑みを畳の上に置いた。


「ええじゃろう」


 零の肩から、力が抜けた。


「ただし、条件が三つある」


 ヴィルヘルミナは、細い指を一本立てた。


「一つ。弁当は、毎朝作り続けること」


「……弁当」


「あれを欠かすようなら、破門じゃ。……あの弁当は、おぬしがこの家の息子でおる証じゃからの」


 零は、少しだけ目を見開いた。

 ヴィルヘルミナは、二本目の指を立てた。


「二つ。家族を、何より先にすること。稽古よりも、魔獣よりも、わしよりもじゃ」


「……はい」


「三つ」


 三本目の指が、立った。


「稽古の間は、わしの言うことを聞くこと。……どれだけ理不尽に思えてもな」


「……はい」


「よろしい」


 ヴィルヘルミナは、満足そうに頷いた。

 それから、また湯呑みを手に取って、茶をすすった。


「呼び方は、好きにせい。師匠でも、ミナでもええ」


「……師匠、で」


「ほう。古風じゃのう」


「他に、思いつかなかったので」


「ええ、ええ。……ただし」


 ヴィルヘルミナの目が、すっと細くなった。


「婆さんだけは、許さん」


「……呼びません」


「ならええ」


 障子の向こうが、少しずつ白み始めていた。

 階下で、母が台所に立つ物音がする。


「ほれ。弁当の時間じゃろう」


 ヴィルヘルミナは、顎で襖を示した。


「さっそく、条件の一つ目じゃ。……行ってこい、弟子」


 その日の放課後。


 駅前の、小さな喫茶店。

 窓際の二人掛けの席で、緋雪がカップを両手で包んだまま、じっと零の顔を見つめていた。

 雪の結晶の髪飾りが、窓から差し込む午後の光を受けて、小さく光っている。


「……弟子入り」


 緋雪は、零の言葉を、確かめるように繰り返した。


「あの人の」


「うん」


「あなたを、中州で倒した人の」


「……うん」


 緋雪は、カップを置いた。


 しばらく、何も言わなかった。

 窓の外を、下校途中の学生たちが通り過ぎていく。


「……怖くないの?」


「怖いよ」


 零は、正直に答えた。


「でも、あの人は、俺の手札を全部見て、全部ほどいた。……だから、どこが弱いのかも、全部知ってる」


「……」


「それを教えてもらえるなら、怖くても、行く」


 緋雪は、零の顔を見つめていた。

 中州で、空っぽの目をして夜空を見上げていた顔とは、違っていた。

 何かを掴みかけている顔だった。

 緋雪は、小さく息を吐いた。


「……私も、見ていていい?」


「え」


「稽古。……あなたが何を教わるのか、見ておきたいの」


 緋雪は、髪飾りに指先で触れた。


「あなたが一人で、あの人の前に立つのは。……少しだけ、嫌だから」


 零は、少しだけ顔を赤くした。


「……師匠に、聞いてみる」


「師匠」


 緋雪が、目を瞬いた。


「……もう、そう呼んでるの?」


「婆さんは駄目だって言われたから」


 緋雪は、思わず吹き出した。

 その夜、三神家の玄関先で、ヴィルヘルミナは緋雪を見上げた。

 銀色の髪。雪の結晶の髪飾り。

 白百合の制服の上に、コートを羽織っている。


「ほう。銀髪の娘か」


「……羽衣緋雪です」


「中州に駆けつけてきた娘じゃな。覚えとる」


 ヴィルヘルミナは、緋雪の顔を、上から下まで眺めた。

 その目が、緋雪の腰の太刀に、少しだけ長く留まった。


「ええ氷じゃ。……ついでに、おぬしも見てやろう」


 緋雪は、目を見開いた。


「……いいんですか」


「弟子の連れ合いじゃろう。一人見るのも、二人見るのも、たいして変わらん」


「つ、連れ合い……」


 緋雪の耳が、赤くなった。


 零は、黙って夜空を見上げていた。


 深夜、零時。


 三神家の二階の窓から、二つの影が、音もなく夜空へ浮かび上がった。

 一つは、漆黒のドレスの少女。

 もう一つは、銀髪の少女。


 二人の身体を、柔らかな風が包み込んでいた。

 その風の先に、杖を背負った小柄な影が、ふわりと浮かんでいる。

 住宅街の屋根を越え、国道を越え、町外れの河川敷へ。

 あの冬の夜に降ろされたのと、同じ中州だった。

 冬枯れだった葦は、春の若い緑に変わり始めていた。

 白い砂利の上に、三人が降り立つ。

 ヴィルヘルミナは、杖の石突きで、砂利を一度叩いた。

 川面から、白い霧が湧き上がった。

 霧は、ゆっくりと中州の周りを囲むように広がっていく。

 中州の上だけは、澄んだ夜空が見えている。

 だが、外から見れば、そこはただの、濃い川霧に沈んだ河川敷にしか見えなかった。


「これで、上の目にも、何も見えん」


 ヴィルヘルミナは、夜空を見上げた。

 春の星の間に、時折、赤い小さな光が通り過ぎていく。

 セントラルの、空の目だった。


「さて」


 ヴィルヘルミナは、中州の真ん中に立って、杖を軽く構えた。


「最初の稽古じゃ」


 ゴーストは、大剣を握り直した。


「何を、すれば」


「何もせんでええ」


「……え」


「攻めるな。斬るな。魔法も使うな」


 ヴィルヘルミナは、杖の先をゴーストに向けた。


「わしが打つ。おぬしは、躱すだけじゃ」


 次の瞬間、杖が動いた。


 ——ぱしっ。


 ゴーストの肩に、杖の先が軽く当たっていた。


「——っ」


 見えていたはずだった。

 杖が動くのを、目で追っていた。

 それなのに、身体が動くより先に、杖が届いていた。


「遅いのう」


「……もう一度」


 ——ぱしっ。


 今度は、脇腹だった。


 ——ぱしっ。


 太腿。


 ——ぱしっ。


 二の腕。


 ゴーストは、杖の動きを、必死に目で追った。

 杖の先に集まる魔力の気配を、読もうとした。

 だが、気配が動いた時には、もう杖は当たっていた。


「……っ、はあ」


 十回目に打たれた時、ゴーストは息を切らしていた。

 打たれた場所は、どこも痛くなかった。

 ヴィルヘルミナは、本当に、軽く触れているだけだった。

 それでも、一度も躱せなかった。


「おぬしは、魔法を見とる」


 ヴィルヘルミナが、杖を下ろした。


「杖の先に、どれだけの魔力が集まっとるか。どの色の魔力か。……そればかり見とる」


「……」


「魔法を見るな」


 ヴィルヘルミナは、自分の胸を、杖の柄で軽く叩いた。


「人を見よ。……肩と、足と、息じゃ」


「肩と、足と、息」


「杖を振る者は、杖より先に、肩が動く。肩より先に、足が動く。足より先に、息が変わる」


 ヴィルヘルミナは、杖を構え直した。


「魔法は、最後に来る。……一番最後に見るものを、一番最初に見とるから、遅れるんじゃ」


 ゴーストは、大剣を下ろした。

 ヴィルヘルミナの、杖ではなく、肩を見た。

 ケープの下の、小さな肩。

 その肩が、呼吸に合わせて、ほんの僅かに上下している。


 ——ぱしっ。


 また、当たった。


 ——ぱしっ。


 ——ぱしっ。


 二十回。三十回。


 中州の砂利の上で、ゴーストは何度も打たれた。

 夜が、少しずつ更けていく。

 四十回目を過ぎた頃だった。

 ヴィルヘルミナの肩が、ほんの僅かに、沈んだ。

 息を吸い込む直前の、ごく小さな沈み。


(——今)


 ゴーストは、身体を半歩、横へずらした。

 杖の先が、ゴーストの肩のすぐ脇の、空を切った。


「……ほう」


 ヴィルヘルミナの目が、細められた。


 ——ぱしっ。


 次は、当たった。


 だが、その次は、躱せた。


 その次も、躱せた。


 夜明け前の空が、白み始めた頃。

 ゴーストは、三回続けて、杖を躱していた。


「……ふう」


 ヴィルヘルミナが、杖を下ろした。


「今日は、ここまでじゃ」


 ゴーストは、砂利の上に膝をついた。


 全身が、汗で濡れていた。

 魔法を一度も使っていないのに、中州の夜よりも、ずっと疲れていた。


「三回か」


「……はい」


「上出来じゃ。……初日で三回躱した弟子は、わしの知る限りおらんかった」


「……弟子、取ったことないって」


「言葉の綾じゃ」


 ヴィルヘルミナは、にやりと笑った。

 中州の端で、緋雪が太刀を握ったまま立っていた。

 一晩中、黙って稽古を見ていた。

 その手が、いつの間にか、太刀の柄を握り直していた。

 肩の力の抜き方を、足の運びを、息の整え方を。

 見ているうちに、自分の構えまで、少しずつ変わっていた。


「……銀髪の娘」


 ヴィルヘルミナが、振り返らずに言った。


「おぬしの構えも、今夜で少しよくなったのう」


 緋雪は、太刀を握ったまま、顔を赤くした。


「……見て、いただけです」


「見るのも、稽古のうちじゃ」


 翌晩。


 同じ中州の、同じ霧の中。


 ゴーストは、砂利の上に正座させられていた。

 隣に、緋雪も並んで座っている。

 その前に、ヴィルヘルミナが杖を突いて立っていた。


「今夜は、座学じゃ」


「……座学」


「おぬしの手札を、わしがどうほどいたか。……一枚ずつ、教えてやる」


 ヴィルヘルミナは、杖の先で、砂利の上に小さな絵を描き始めた。


 炎の印。

 その上に、水の印。


「炎は、水で包まれる。……おぬしが炎を撃てば、近くに川があるかぎり、わしは水を持ち上げる」


 氷の印。

 その下に、土の印。


「氷は、地の熱で溶かされる。……大地の奥は、いつも温い」


 霧の印。

 その横に、風の印。


「霧は、風で払われる。……風を持つ相手の前では、霧は長く保たん」


 それから、杖の先が、砂利の上に大きな丸を描いた。


 影の印だった。


「そして、これじゃ」


 ヴィルヘルミナは、影の印の上に、杖の先を置いた。


「影から影へ跳ぶ。……ええ技じゃ。わしも、初めて見た」


「……」


「じゃが、影は、影がある場所にしかない」


 ヴィルヘルミナは、杖で砂利を軽く払った。

 影の印が、崩れて消える。


「わしは、砂を舞い上げて影を薄めた。……他の者なら、出口を先に凍らせるかもしれん。灯りを全部消して、影そのものをなくすかもしれん」


 ゴーストの背筋が、冷たくなった。


 出口を、先に凍らせる。

 あの夜、ヴィクトリアの屋敷の庭で、白峰透がやったことだった。


「おぬしは、影に頼りすぎとる」


 ヴィルヘルミナは、静かに言った。


「影がない場所では、何もできんじゃろう」


「……」


「じゃから、課題を出す」


 ヴィルヘルミナは、杖を砂利に突き立てた。


「影がないなら、作ればええ」


 ゴーストは、目を見開いた。


「……作る」


「闇は、おぬしだけの色じゃろう。……わしの元素の、どれにも当てはまらん」


 ヴィルヘルミナは、ゴーストの足元を指さした。


「月の光も、街の灯りも、関係ない。おぬしの足元に、おぬしの闇で、おぬしだけの影を落とせ」


 ゴーストは、立ち上がった。


 足元を見下ろす。


 霧に囲まれた中州の上で、月明かりが砂利を照らしている。

 その砂利の上に、自分の影が、薄く落ちていた。

 ゴーストは、右手を下ろした。


 掌から、闇を、足元へ。


 闇が、砂利の上に落ちた。

 だが、それは影にはならなかった。

 ただの、黒い靄のように、砂利の上で揺らめいて、すぐに薄れて消えた。


「……っ」


「もう一度」


 闇を落とす。消える。

 闇を落とす。消える。


 何度繰り返しても、闇は影にならなかった。

 沈もうとしても、足が砂利から離れなかった。

 夜明けまで、ゴーストは同じことを繰り返した。

 一度も、うまくいかなかった。


「……今日は、ここまでじゃ」


 ヴィルヘルミナが、白み始めた空を見上げた。


「焦るでない。……三か月かかるかもしれん。半年かかるかもしれん」


「……」


「じゃが、おぬしなら、いずれできる」


 ヴィルヘルミナは、ゴーストの肩を、杖の柄で軽く叩いた。


「工場跡で、闇を器にしたのは、誰じゃった」


 ゴーストは、何も言えなかった。


 その朝。


 三神家の台所で、零は眠い目をこすりながら、弁当箱を五つ並べていた。

 昨夜は、ほとんど眠っていない。

 それでも、条件の一つ目は、守らなければならなかった。

 卵焼きを巻き、鮭を焼き、ほうれん草を茹でる。

 五つの弁当箱に、一つずつ詰めていく。

 その隣に、いつの間にか、浴衣姿のヴィルヘルミナが立っていた。


「眠そうじゃのう」


「……誰のせいですか」


「わしのせいじゃな」


 ヴィルヘルミナは、悪びれもせずに言った。

 それから、零が詰めている弁当箱を、じっと覗き込んだ。


「……ほう」


「何ですか」


「その、仕切り」


 ヴィルヘルミナは、弁当箱の中の、薄い緑色のプラスチックの仕切りを指さした。

 卵焼きと、ほうれん草の胡麻和えの間に、挟まっている。


「おぬし、三つを重ねる時、器の闇が厚すぎるんじゃ」


 零の手が、止まった。


「工場跡で、五体で限界じゃったと言うたな。……あれは、器に闇を使いすぎとったからじゃ」


「……器に」


「炎と氷が混ざらんように、分厚い壁で隔てとった。……壁を厚くすればするほど、壁を作るだけで、魔力が削られていく」


 ヴィルヘルミナは、薄い仕切りを、指先で軽く叩いた。


「ほれ、見てみい。……おかずとおかずの間の仕切りは、こんなに薄くてええ」


「……」


「混ざらなければ、それで十分じゃ。……厚い壁は、要らん」


 零は、弁当箱の中の、薄い仕切りを見つめた。

 卵焼きの黄色と、ほうれん草の緑。

 その間に、紙のように薄い緑色の板が一枚。

 それだけで、二つは混ざらずに、並んでそこにある。


「器を薄くすれば、それだけ消耗も減る」


 ヴィルヘルミナは、零の顔を見上げた。


「五体が、十体になる。……十体が、二十体になる」


 零は、何も言わなかった。


 ただ、弁当箱の仕切りを、じっと見つめていた。

 工場跡の夜、刃の中で炎と氷を隔てていた闇の壁。

 あの壁の厚さを、思い出していた。


 確かに、厚かった。

 必要以上に、厚かった。


「……仕切り」


「そうじゃ。仕切りじゃ」


 ヴィルヘルミナは、満足そうに頷いた。


「おぬしは、毎朝、答えを手に持っとったんじゃよ」


 その時、台所の入り口から、足音がした。


 澪だった。


 寝癖のついた頭で、パジャマの上にカーディガンを羽織って立っている。

 台所の中を見て、その目が、細くなった。

 流しの前に並んで立つ、弟と、浴衣姿の居候。

 二人で、弁当箱を覗き込んでいる。


「……何してんの、二人で」


「仕切りの話じゃ」


 ヴィルヘルミナが、しれっと答えた。


「坊の弁当は、仕切りの入れ方がええ、という話じゃよ」


「……昨日は卵焼きの話で、今日は仕切りの話」


 澪は、腕を組んだ。


「あんたたち、毎朝、何の話してるのよ」


「弁当の話じゃ」


「……」


 澪は、ひどく複雑な顔で、二人を見つめていた。


 同じ頃。


 白百合の盾、情報班の解析室。

 新実由鶴は、壁一面のモニターの前で、首を傾げていた。

 画面には、都内の気象データが映し出されている。

 気温、湿度、風速、露点。

 その一角に、小さな赤い印がついていた。


 郊外の、河川敷。


「……毎晩、ですね」


 由鶴は、眼鏡を押し上げた。


「同じ時間に、同じ河川敷にだけ、濃い霧が出ています」


 昨夜も、その前の夜も。

 午前零時から、夜明け前まで。

 中州を中心とした、半径数十メートルの範囲だけ。

 気象データでは、霧が出る条件は、一つも揃っていなかった。

 気温と露点の差は大きい。風もある。

 霧が出るはずのない夜に、そこにだけ、毎晩霧が出ていた。


「……自然現象では、ありませんね」


 由鶴は、端末のキーボードを叩き始めた。


 同じ頃。


 都心の高層ホテルの、最上階の一室。

 セルゲイ・ベレンコフもまた、ノートパソコンの画面を見つめていた。

 ドローンの映像記録だった。

 昨夜、町外れの河川敷の上空を通過した時のもの。

 画面いっぱいに、白い霧が広がっている。

 その下に何があるのか、何一つ映っていなかった。

 セルゲイは、二日前の記録を呼び出した。

 同じ場所。同じ時間。同じ霧。


「……毎晩、か」


 傷のある頬が、僅かに動いた。

 天敵同士は、互いの存在を知りながら、別々の場所で、同じ霧を見つめていた。

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