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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第三百六話

 ボストンバッグの持ち手が、指に食い込んでいた。


 翼の家の門の前で、周防凛花は一つ息を吐いた。

 バッグの中身は、着替えが四日分と、歯ブラシと、協会の報告書を書くためのノートパソコン。

 それから、白鳥に頼まれた、子供たち用の絵本が三冊。


 門柱の丸い看板が、朝の光を受けていた。

 奈緒が描き足した小さな翼は、少しいびつで、左右の大きさが違う。

 凛花は、その翼を見上げて、少しだけ口元を緩めた。


「——りんかさん!」


 玄関の戸が勢いよく開いて、黒髪の少女が飛び出してきた。

 裸足のまま、庭の飛び石を跳ねるように渡ってくる。


「奈緒さん。靴を履いてください」


「りんかさん、きょうから、とまるの?」


「ええ。しばらくの間、お世話になります」


「ずっと?」


「……しばらく、です」


 奈緒は、凛花の腰に抱きついた。

 百四十五センチの小さな身体が、ボストンバッグごと凛花を揺らす。


 玄関の奥から、白鳥が困ったように笑いながら出てきた。


「ごめんなさいね、周防さん。昨日の夜から、ずっとこうなの」


「いえ。……嬉しいです」


 凛花は、奈緒の頭をそっと撫でた。


 協会の上層部には、「翼の家周辺の治安調査」という名目で届けを出してある。

 嘘ではない。

 ただ、調査の対象が、空の上にいるというだけだった。


 縁側で荷を解いていると、奈緒が隣にちょこんと座った。


「りんかさん」


「はい」


「きのうね、そらに、あかいひかりがあったの」


 凛花の手が、止まった。


「……赤い、光」


「ほしじゃないの。ちかちかしないの。ずっと、おなじところにいたの」


 奈緒は、両手で夜空の高さを示してみせた。


「それでね、へんなおとがしたの。ぶーんって。とおくで、なにかがまわってるおと」


「……いつ頃ですか」


「ねるまえ。ほし、かぞえてたとき」


 凛花は、空を見上げた。


 冬の朝の空は、薄く晴れていた。

 今は、何も見えない。

 だが、昨夜、あの高さに何かがいたのなら。


 星のように瞬かない光。

 遠くで何かが回る、低い唸り。


 魔力の気配ではない。

 機械だった。


「……奈緒さん。教えてくれて、ありがとう」


「うん」


「今夜も、もし見えたら、すぐに教えてください」


「わかった」


 奈緒は、真剣な顔で頷いた。


 凛花は、縁側から立ち上がり、庭の隅で携帯端末を取り出した。


 緋雪の番号を呼び出す。

 ゴーストの「知り合い」と、自分が直接やり取りすることはない。

 この手の話は、いつも緋雪を通すことになっていた。


 同じ日の昼過ぎ。


 翼の家の離れで、ゴーストは緋雪から二枚の紙を受け取っていた。


 一枚目は、凛花が伝えてきた奈緒の証言を、緋雪が書き起こしたもの。

 二枚目は、白百合の情報班の解析結果だった。


「……由鶴が、見つけたの」


 緋雪は、二枚目の紙を指さした。


「都内の上空を飛んでる、軍用のドローンの通信。暗号化されてるけど、全部が同じ一点に集まってる」


「どこに」


「都心のホテルの最上階。……セントラルの調査団が泊まってるホテルよ」


 ゴーストは、紙の上の地図を見つめた。


 赤い線が、都内の何か所からも、一つの点へ向かって伸びている。

 その線の一本は、郊外の、翼の家のある町から伸びていた。


「……ここも、見られてる」


「ええ。奈緒さんが見た赤い光は、たぶんそれね」


 緋雪は、紙を畳んだ。


「由鶴は、白百合の仕事として調べてるわ。……調査団は、白百合の隊員も測定対象にしてるから。向こうの動きを追うのは、あの子の本来の職務なの」


「……ありがとう、って伝えられないのが、悔しいわね」


「伝えなくていいわ。あの子は、たぶん、それを望んでない」


 離れの障子が開いて、ヴィクトリアが入ってきた。


 プラチナブロンドの髪を結い上げ、手に黒い小さな箱を三つ抱えている。


「話は聞いたわ」


「ヴィクトリアさん」


「星監の電波妨害装置よ。……ドローンの制御信号と映像の送信を、この家の上空だけ乱せるわ」


 ヴィクトリアは、箱を卓の上に並べた。


「屋根と、門柱と、裏の塀に一つずつ。……魔力は使わないから、奈緒さんの周りの魔法には干渉しないわ」


「助かるわ」


「礼は結構よ」


 ヴィクトリアは、箱の一つを手に取って、じっと見つめた。


「……ドローンで空から見る。魔法を使わずに、魔法少女を追う」


 その声は、どこか遠いところを見ているようだった。


「あの男の、昔からのやり方よ」


 ゴーストは、ヴィクトリアの横顔を見た。


 ヴィクトリアは、それ以上は何も言わなかった。

 箱を抱え直して、離れを出ていった。


 三日後。


 白百合の盾、本部の訓練場。


 普段は隊員たちの掛け声が響く広い訓練場に、今日は見慣れない機材が並んでいた。


 魔力の強さを測るための、大きな円筒形の測定器。

 その脇に、ノートパソコンが三台と、何本ものケーブル。

 白衣を着た外国人の研究員たちが、機材の調整に走り回っている。


 訓練場の端に、白百合の隊員たちが並んでいた。


 羽衣緋雪。弓飛鳥。只野真奈。新堂鈴乃。星宮きらり。

 そして、三神澪と、三神玲奈。


「……なんか、緊張するね」


 玲奈が、姉の袖を小さく引いた。


「健康診断みたいなものよ」


「健康診断で、外国の人に囲まれたことない」


「私もないわよ」


 澪は、腕を組んで、訓練場の反対側を睨んでいた。


 そこに、調査団の中心人物たちが立っていた。


 黒いロングコートの、背の高い男。

 右の頬に、古い傷跡。

 セルゲイ・ベレンコフだった。


 その後ろに、真っ赤なマフラーを巻いた三人の少女。

 栗色の髪の少女、赤みがかった金髪の少女、白い短髪の小柄な少女。


「……あの三人」


 緋雪が、小さく呟いた。


「研究員じゃ、ないわね」


「え?」


「立ち方が、違うの」


 緋雪は、三人から目を離さなかった。


 研究員たちは、機材の周りを忙しく動き回っている。

 だが、あの三人は、動いていない。

 ただ立っているだけなのに、重心がどこにも偏っていない。

 どの方向から何が来ても、一歩で反応できる立ち方だった。


「……魔法少女よ。それも、かなりの」


 訓練場の入り口で、姫嶋結衣が調査団を迎えていた。


「本日は、お越しいただきありがとうございます。白百合の盾、会長の姫嶋です」


「セルゲイ・ベレンコフだ」


 セルゲイは、結衣の差し出した手を握った。


「場所と時間を指定してきたのは、あなたか」


「ええ」


「賢明な判断だ」


 セルゲイは、それだけ言って手を離した。


 結衣の眼鏡の奥の目が、僅かに細くなった。


「……賢明、とは」


「自分の隊員を、見知らぬ施設に行かせない。指揮官として、当然の判断だ」


 セルゲイは、訓練場を見渡した。


「私が、あなたの立場でも、そうする」


 測定は、一人ずつ行われた。


 円筒形の測定器の中に立ち、変身して、魔力を放出する。

 測定器の内壁に組み込まれた感知板が、その強さと質を数値に変えていく。


 最初は、真奈だった。


「行ってくるね!」


 土属性の巨大なハンマーを担いで、真奈は測定器の中に入っていった。

 ハンマーを床に叩きつけると、測定器の床が低く唸り、数値が跳ね上がる。


「……土属性。出力、A級上位」


 研究員が、画面を見ながら英語で呟いた。


 飛鳥、鈴乃、きらりと、測定は順調に進んでいった。

 それぞれの数値が、研究員たちのノートパソコンに記録されていく。


 澪と玲奈の番が来た。


 炎の長槍を構えた澪と、風の双剣を構えた玲奈が、並んで測定器の前に立った。


「姉妹で、同時に?」


 研究員の一人が、首を傾げた。


「連携の数値も、測りたいそうよ」


 通訳の職員が、そう説明した。


 澪と玲奈は、顔を見合わせた。

 それから、同時に魔力を放出した。


 炎と風が、測定器の中で渦を巻いた。

 風が炎を煽り、炎が風を押し上げる。

 二つの魔力が、一つの大きな渦になって、測定器の天井まで届いた。


「……ほう」


 セルゲイが、初めて小さく声を漏らした。


 測定が終わり、澪と玲奈が測定器から出てきた時。


 セルゲイが、二人の前に歩み寄った。


「いい連携だ」


「……どうも」


 澪は、警戒を隠さずに答えた。


「一つ、聞いてもいいかな」


「何ですか」


「この辺りで、黒いドレスの魔法少女を見たことは?」


 セルゲイの声は、世間話のように穏やかだった。


 澪の眉が、ぴくりと動いた。


「……黒いドレス」


「ゴースト、と呼ばれているらしい。未登録の魔法少女だ。……目撃情報を、集めている」


 澪は、しばらくセルゲイの顔を見つめていた。


 それから、はっきりと答えた。


「弟に付きまとうストーカーなら、知ってます」


 訓練場の空気が、一瞬、妙な形に固まった。


「……ストーカー?」


 セルゲイが、瞬きをした。


「ええ。弟の周りにばかり出てくるんです。……最近、少しだけ見直しましたけど」


「……」


「でも、弟には近づかないでほしいって、言ってあります」


 玲奈が、慌てて姉の袖を引いた。


「お、お姉ちゃん……!」


「何よ。聞かれたから、答えただけでしょ」


 セルゲイは、しばらく澪の顔を見ていた。


 それから、傷のある頬を、僅かに動かした。


「……参考になった。ありがとう」


 セルゲイが立ち去った後、玲奈が姉の腕を掴んだ。


「お姉ちゃん、なんで弟とか言っちゃうの……!」


「え? だって本当のことじゃない」


「そういう問題じゃなくて……!」


 玲奈は、頭を抱えた。

 澪は、何が悪かったのか分からないという顔で、首を傾げていた。


 最後に、緋雪の番が来た。


 緋雪は、太刀を抜いて、測定器の中に入った。


 目を閉じる。

 息を整える。

 それから、魔力を放出した。


 ——パキィィンッ!


 測定器の内壁が、一瞬で白く凍りついた。


 感知板の数値が、画面の上限を振り切った。

 研究員たちが、慌てて設定を切り替える。

 二度目の測定でも、数値は同じところで止まった。


「……出力、S級」


 研究員の声が、僅かに震えていた。


 緋雪が、測定器から出てきた。

 凍りついた床を踏んで、訓練場の端へ戻っていく。


 その途中で、真っ赤なマフラーの少女が一人、緋雪の前に立った。


 栗色の髪を、肩の上で切り揃えた少女。

 布の包みを、胸の前に抱えている。


 アイシャ・エインズワースだった。


「……あなた、強いのね」


 アイシャは、緋雪の顔をまっすぐに見上げた。


 その目に、敵意はなかった。

 ただ、純粋な好奇心と、それ以上の何かがあった。


「S級、だって。……私と、同じ」


 緋雪は、足を止めた。


「……あなたも、測定するの?」


「しないわ。私たちは、測る側だもの」


 アイシャは、布の包みを軽く叩いた。

 中から、硬い金属の音がした。


「でも、いつか、あなたとは本気でやってみたいわね」


「……」


「冗談よ」


 アイシャは、にっこりと笑った。


 冗談には、聞こえなかった。


 二人の間に、冬の訓練場の冷たい空気が張り詰めた。

 緋雪の太刀の刃先から、細い冷気が、音もなく床へ落ちていく。


「アイシャ」


 背後から、テレサの声がした。


「団長が、呼んでる」


「はーい」


 アイシャは、もう一度だけ緋雪に笑いかけて、踵を返した。


 緋雪は、その背中を見送りながら、太刀を握る手に、知らず力を込めていた。


 訓練場の隅の、機材置き場の陰。


 セルゲイは、ノートパソコンの画面を見つめていた。


 測定の数値ではなかった。

 画面には、都内の地図と、その上を飛ぶ無数の小さな点が映し出されていた。


 そのうちの三つが、昨日から、ある地点の上空で映像を送ってこなくなっていた。

 郊外の、古い日本家屋の上で。


「……妨害か」


 セルゲイは、画面を見つめたまま呟いた。


「ドローン、お上手ですね」


 背後から、声がした。


 セルゲイは、振り返った。


 眼鏡をかけた、白百合の制服の少女が立っていた。

 手に、白百合の情報班の端末を一台、抱えている。


 新実由鶴だった。


「……君は」


「白百合の盾、情報班の新実です」


 由鶴は、眼鏡を押し上げた。


「都内の上空の電波を、少しだけ見させていただきました。……軍用の暗号化通信が、毎晩、このホテルの最上階に集まっていましたので」


 セルゲイは、しばらく由鶴の顔を見つめていた。


 それから、ノートパソコンの画面を、ゆっくりと閉じた。


「……あなたが、照会の主か」


「照会、というほどのものではありません。気になったので、辿っただけです」


「辿っただけで、私の経路が割れた」


「割れやすい経路でしたので」


 由鶴は、表情を変えずに言った。


「周波数の跳ね方に、癖があります。……軍の情報部の、古い規格ですね」


 セルゲイの傷のある頬が、また僅かに動いた。


 今度は、はっきりと、笑っていた。


「……日本に来て、初めて面白い相手に会った」


「光栄です」


「一つだけ、聞いてもいいかね」


「どうぞ」


「なぜ、わざわざ私に教える。……黙って追い続けたほうが、君には得だったはずだ」


 由鶴は、端末を抱え直した。


「白百合の隊員を、測定のために集めた場所です」


「……」


「その上空を、許可なく機械で覗かれるのは、気分がよくありませんので」


 由鶴は、軽く頭を下げた。


「測定の間だけでも、空の目は、閉じていただけますか」


 セルゲイは、しばらく由鶴を見下ろしていた。


 それから、ノートパソコンを脇に抱え直した。


「……考えておこう」


「ありがとうございます」


 由鶴は、踵を返して、訓練場の反対側へ歩いていった。


 セルゲイは、その背中を見送っていた。


 眼鏡をかけた、小柄な少女。

 魔力の測定値は、今日の隊員たちの誰よりも低いだろう。

 それでも、この訓練場で、自分の目に最初に指をかけてきたのは、あの少女だった。


「……団長」


 テレサが、隣に立っていた。


「今の子、誰ですか」


「情報班の長だそうだ」


「強いんですか」


「魔法少女としては、たぶん、君の足元にも及ばん」


 セルゲイは、コートの襟を立てた。


「だが、私の天敵だ」


 その夜。


 住宅街の屋根の上を、漆黒のドレスの少女が渡っていた。


 冬の夜風が、ドレスの裾を揺らしている。

 眼下の町並みは、いつもと変わらない。

 窓の灯りが、一つずつ消えていく時間だった。


 ゴーストは、屋根から屋根へ跳びながら、夜空を見上げていた。


 赤い光を、探していた。

 星のように瞬かない、機械の目。


 今夜は、見当たらなかった。

 由鶴の言葉を、セルゲイが聞き入れたのかもしれない。

 あるいは、見えない高さまで上げただけかもしれない。


 三神家の屋根を越え、隣の洋館の屋根を越え、商店街の方角へ。


 古い銭湯の、高い煙突の脇の屋根の上に、跳び移った時だった。


 ゴーストの足が、止まった。


 屋根の上に、先客がいた。


 小柄な少女が一人、瓦の上にちょこんと腰を下ろしていた。


 淡い金色の髪を、古風なリボンで結んでいる。

 厚手のケープを羽織り、背中には古びた木の杖を背負っている。

 膝の上に、切り分けた羊羹を載せた紙皿を置いて、一切れずつ、ゆっくりと口に運んでいた。


 ゴーストは、動けなかった。


 気配が、なかった。

 ここに来るまで、この少女がいることに、まったく気づかなかった。

 影を通して町中の気配を探っていたはずなのに、この屋根の上だけが、ぽっかりと空白になっていた。


 いや、違う。


 今、目の前にいる少女から溢れ出しているものは、空白ではなかった。


 深すぎて、底が見えないだけだった。


「……ふむ」


 少女が、羊羹を一切れ飲み込んで、顔を上げた。


 人形のように整った、可憐な顔立ち。

 だが、その目だけが、ひどく古かった。


 少女は、ゴーストの漆黒のドレスを、上から下まで、じっくりと眺めた。

 その目が、ドレスの奥で重なり合う三つの色を、一つずつ数えるように細められた。


 それから、にこりと笑った。


「おぬしが、三属性の娘か」

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