第三十話
「違う! もっと顎を引いて、人を見下すように冷たい視線を向けるんだよ! ほら、もう一回!」
「私の心は、誰にも覗かせない。……この闇が、あなたを虚無へ誘うわ」
「声が低い! もっとこう、ミステリアスなファルセット(裏声)を出せないの!?」
放課後の教室。
黒板の前に立たされた三神零は、手作りのフリルドレスと漆黒のウィッグを身に纏い、段ボール製の大剣を構えながら、深い、本当に深い溜め息を吐いた。
文化祭本番まであと二日。
準備が完璧に終わってしまった二年三組の教室は、現在、零の『ゴースト客引き用ポージング&セリフ特訓』のスタジオと化していた。
衣装班の女子たちが腕を組んで厳しいダメ出しを飛ばし、親友の稔がカメラマンさながらにスマホでパシャパシャと写真を撮りまくっている。
「いや、無理だろ……。俺は男なんだから、声が低いのはどうしようもない」
零が低い地声で抗議すると、クラスメイトたちは腕を組んでウンウンと頷き合った。
「うーん、確かにね。パッと見のクオリティは異常に高いんだけど……」
「近くで見ると、やっぱり肩幅とかガタイの良さが男の子だよね。あと胸が完全に真っ平らだし」
「喉仏も出てるもんね。でも、それが逆に『男の娘』っぽくて文化祭のネタとしては最高なんじゃない?」
「分かるー! あえて低い男声で『虚無へ誘うわ』って言われたら、シュールすぎて絶対客が入るって!」
女子たちの無責任な盛り上がりに、零は羞恥心で限界を迎えていた。
(……地獄だ。俺は本物のゴーストなのに、自分の偽物のコスプレをして、あまつさえ「胸がない」だの「男声がシュール」だのと言われて笑い物にされている……!)
特S級の魔獣を素手で粉砕できるほどの力を持つ彼が、同級生の「あえての男声ネタ」という文化祭のノリの前には、ただの哀れなピエロに過ぎないのだ。
このまま当日を迎えれば、学校中の生徒や一般客から、この女装姿で笑いを取るという、社会的な死、あるいは黒歴史の無限生産工場となってしまう。
さらに恐ろしいのは、文化祭当日にやってくるという『本職』たちの存在だ。
生徒会長の言葉によれば、あの羽衣緋雪大佐や只野真奈大尉が、ゲストとしてこの学校にやってくる可能性がある。
もし、この雑な男声のゴースト・コスプレ姿で彼女たちと鉢合わせたら?
『あら? あなた、駅前でクレープ屋を案内してくれた学生さん……? どうして、ゴーストの格好(女装)を……?』
『あはは! お兄さん、ゴーストのことが好きすぎて自分で着ちゃったんだ!』
——終わる。
純粋な好意と敬意を持って自分に接してくれた本職の魔法少女たちに、そんな「痛いオタクの女装狂い」だと思われたら、羞恥心で全身の毛穴から血を噴き出して死んでしまう。
(どうすればいい? 当日に風邪を引いたと偽って休むか? いや、稔のやつが家まで迎えに来るに決まってる。……逃げ道はないのか?)
絶望の淵に立たされた零の脳細胞が、フル回転で打開策を模索する。
そして。
ふと、彼の脳裏に、まさに『悪魔の閃き』とも言うべき、一つの逆転の発想が舞い降りた。
(……待てよ。そもそも『偽物のコスプレ』をするから、体格や声の違和感で俺(三神零)だとバレるんだ)
零は、胸元に隠したペンダント(変身アイテム)を服の上からそっと触れた。
(当日、俺が『本物のゴースト』に変身してしまえばいいんじゃないか?)
名案だった。
本物のゴーストに変身すれば、骨格は完璧に女性のものとなり、胸も膨らみ、声も透き通るような美しいファルセットになる。つまり、誰も中身が『三神零』であることなど見抜けなくなる。クラスメイトたちは「三神が超絶クオリティの女装とメイクを仕上げてきた」と勘違いするだけだ。
そして何より、本職の魔法少女たちへの対策としても完璧だ。
(もし羽衣さんたちと校内で鉢合わせても、姿は女性だから、俺(素の男子高校生)だとバレることはない。向こうが「本物のゴースト!?」と驚いても、「いえいえ、ただの超精巧なコスプレをした女子生徒です」と言い張って逃げ切ればいいんだ!)
まさに天才的な閃き。
本物になることで、偽物を演じ切る。これなら、男子高校生としての尊厳を守りつつ、本職たちとの接触リスクも回避できる。
「……フフッ」
無意識のうちに、零の口角が吊り上がった。
その見下すような不敵な笑みを見て、クラスメイトたちが「おっ、今の表情すごくゴーストっぽいぞ!」と盛り上がっているが、今の零の耳には届いていなかった。
(よし。当日は、朝一番で誰もいないトイレで変身し、一日中ゴーストの姿でやり過ごしてやる。フハハハッ、勝った! 俺の勝ちだ!)
文化祭という地獄のイベントにおいて、初めて希望の光が見えた瞬間だった。
零は内心で小躍りしながら、完璧な計画のシミュレーションを頭の中で展開し始めた。
ゴーストに変身する。
完璧な女装(本物)としてクラスメイトを驚かせる。
校内を歩き回り、客引きをこなす。
羽衣緋雪や只野真奈とすれ違う。
彼女たちが「その姿は……!」と息を呑む。
そこで自分は、冷たい瞳でこう言うのだ。『コスプレですよ、大佐』と。
そして、彼女たちが『魔力波形』を……。
「…………あっ」
ピタリ、と。
零の脳内シミュレーションが、致命的なエラーを吐いて強制終了した。
(魔力波形)
その四文字が、零の脳天に雷のように突き刺さった。
忘れていた。完全に、一番重要な大前提を忘れていた。
羽衣緋雪や只野真奈は、日本支部が誇る最高戦力、トップエースである。彼女たちは皆、魔獣の気配や魔力を探知するための鋭敏な感覚を、日々の過酷な戦闘の中で研ぎ澄ませているのだ。
もし自分が『本物のゴースト』に変身した状態で、彼女たちの数メートル以内に近づいたらどうなる?
『……この、底知れぬ氷と炎と闇の魔力……。特S級の波形!』
『コスプレなんかじゃない! あなた、本物のゴーストね!!』
——即バレである。1ミリの余地もなく、秒でバレる。
しかも、最悪なのはそこからだ。
協会から「特S級・未知の災害指定」を受けている存在が、あろうことか高校の文化祭に無断で侵入し、フリフリのエプロンを着てパンケーキの客引きをしているのだ。
協会側から見れば、完全に『テロの準備』か『何らかの猟奇的な儀式』にしか見えないだろう。
間違いなく、生徒会の要請どころの騒ぎではない。
緊急アラートが鳴り響き、学校は完全封鎖。上空には新実少佐のドローンが飛び交い、校庭には協会の大部隊が展開。
文化祭のど真ん中で、パンケーキのメニュー表を持ったゴーストと、臨戦態勢の魔法少女たちによる、血で血を洗う大激戦(誤解)が勃発してしまう。
「……無理だ」
零は、段ボール製の大剣を取り落とし、膝から崩れ落ちた。
「おいおい三神、どうした? 急に青ざめて」
「お腹でも痛いの? まだ練習始まったばっかりだよー?」
クラスメイトたちが心配そうに覗き込んでくるが、零は焦点の合わない目で 虚空を見つめることしかできなかった。
(本物になれば、魔力でバレて学校が戦場になる。偽物のままでいれば、骨格のゴツい男声の痛いコスプレイヤーとして、本職にドン引きされる……。詰んだ。完全にチェックメイトだ……)
特S級の力が、ここまで自分を追い詰める足枷になるとは。
どちらの選択肢を取っても、待っているのは社会的な死か、物理的な死(戦闘)である。
「ほら三神、もう一回『私の心は〜』のセリフ、感情込めて! もっと低音響かせてウケ狙ってこ!」
「…………私の、心は」
絶望のどん底で、零は低い、ひどく掠れた声で痛ポエムを呟いた。
「誰にも、覗かせない……。この闇が……俺を、虚無へ誘ってくれぇ……」
「おおっ! 今の怨念がこもったアレンジ、めちゃくちゃイイじゃん!」
「いいね! 本番もそのテンションで行こう!」
無情にも拍手喝采を送るクラスメイトたち。
大国が暗躍し、世界が恐れる未登録魔法少女ゴースト。
しかしその中身である哀れな男子高校生は、ただひたすらに、文化祭当日が永遠に来ないことだけを祈りながら、偽物の衣装の中で血の涙を流し続けるのであった。




