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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第二百七十七話

 第三使徒の姿が闇へ沈んだ瞬間、ゴーストの中で優先順位が入れ替わった。

 この戦場に、もう価値はない。

 空のコンテナも、崩れかけた足場も、目の前の白銀の髪の少女も、全て後回しでいい。

 あの女が向かった先に、何があるのか。それを考えるより先に、身体が答えを出していた。


 早く終わらせる。

 それ以外の道が、一つもない。


「申し訳ありません」


 第九使徒が、二本の槍を構え直した。

 穂先が、凪いだ空気の中で静かに光を纏っていく。


「そちらへは、行かせられません」


「……そう」


 ゴーストは、大剣の切っ先を下げた。

 これまでの戦い方では、この相手は抜けない。

 十二年、変身を解いていない魔力。消耗しない体力。一度も負けたことのない技量。

 真正面から打ち合えば、拮抗はできても、決着まで何十分かかるか分からない。

 だが、拮抗する必要など、最初からなかった。

 ゴーストは、左手を持ち上げた。

 その掌の上で、闇色の魔力が、白く色を変えていく。


「——」


 第九使徒の目が、僅かに細められた。

 次の瞬間、コンテナヤードの床が凍りついた。


 ——パキィィンッ!


 鉄板の上を、白い霜が走る。

 第九使徒の足元が、一瞬で氷の平面に変わった。


「……氷?」


 踏み込もうとした足が、滑った。

 光属性の戦い方は、速度に依存する。

 直線的に踏み込み、直線的に穂先を届かせる。そのための足場を、地面から奪われた。


「まだよ」


 ゴーストは、右手を突き出した。


 今度は、紅蓮が渦を巻く。


 ——ゴォッ!


 炎が、凍りついた床を舐めた。

 氷が一気に融け、蒸発し、白い水蒸気が爆発的に噴き上がる。

 コンテナヤードが、数秒で濃霧に沈んだ。


「……っ!」


 第九使徒の光が、霧の中へ放たれた。

 だが、その光は真っ直ぐ進むほど、無数の水滴に乱反射して拡散していく。

 光は、直進するからこそ強い。

 拡散させられた光は、ただの明るさに過ぎない。


(……見えない)


 第九使徒は、初めて視界を失った。

 そして、霧の中に、影だけが残っていた。


 ——ザシュッ!


 背後から、闇の刃が走った。

 咄嗟に槍で受けた第九使徒の身体が、後ろへ大きく滑る。


「どこ——」


 振り返った先には、誰もいない。

 次の一撃は、真横から来た。


 ——ガキィンッ!


 受ける。滑る。追撃が来る。

 受ける。滑る。また来る。

 霧と影は、同じものだ。

 どちらも、輪郭を溶かす。


 ゴーストにとって、この霧は自分の領域だった。


「属性が」


 第九使徒の声が、初めて乱れた。


「……属性が、三つ?」


「ええ」


 霧の中から、静かな声が返った。


「聞いてなかった?」


 ——バキィッ!


 乾いた音とともに、右の槍が半ばから折れ飛んだ。

 第九使徒は、残った一本を両手で握り直した。

 白い霧の向こうに、紫水晶の瞳が二つ、ゆっくりと浮かび上がる。


「……なるほど」


 少女は、そこで初めて笑った。

 余裕ではなく、感嘆の笑みだった。


「あなたは、一人で三人分なのですね」


「よく言われるわ」


 闇が、霧を巻き込んで渦を巻いた。


 ——ドォォンッ!


 最後の槍が、柄の中ほどから断ち切られた。

 武器を失った第九使徒は、それでも立っていた。

 両手を広げ、掌の上に純粋な光を集めていく。

 槍がなくとも、この少女は光そのものを撃てる。

 だが、放たれたその光を、闇が正面から飲み込んだ。


「……そんな」


 第九使徒の膝が、折れた。

 霧が薄れていく。

 鉄板の上に、白い法衣の少女が座り込んでいた。

 法衣は裂け、白銀の髪は乱れ、掌からは光が消えている。


「……十二年」


 少女は、乱れた息の合間に呟いた。


「十二年、負けたことがなかったのに」


 ゴーストは、大剣の切っ先を下げたまま、その姿を見下ろしていた。

 この少女は、十四歳の時の姿のまま、二十六年を生きている。

 その十二年分を、たった今、圧し折った。


「第三使徒は、どこへ行ったの」


 問いかけは、単純だった。

 だが、返ってきたのは、別の言葉だった。


「……あなたは」


 第九使徒は、顔を上げた。


「私たちが救いたかったものの、答えなのかもしれませんね」


「答えないなら、それでいいわ」


「ええ。……言われたことを守る性質でして」


 少女は、微笑んだまま目を閉じた。

 ゴーストは、右手を振った。

 氷が床を這い、第九使徒の四肢を包み込んでいく。

 首から上だけを残した、丁寧な拘束だった。


「緋雪さん!」


 霧の切れ目から、銀髪の剣士が駆け寄ってきた。


「この子、任せる。……私は行く」


「どこへ——」


 言い終わる前に、ゴーストの姿は影に沈んでいた。

 指揮官が二人とも消えた戦場は、そこから一気に崩れた。

 上級信徒たちは、統率を失って散発的に暴れたが、それだけだった。

 六人を相手に手加減を強いられていたルディアとヴィクトリアが解放されれば、戦況は数分で片がつく。


「終わりですわ」


 ルディアの光が、二人をまとめて吹き飛ばした。


「……やっと、本気が出せるのね」


 ヴィクトリアの紫電が、コンテナの列に沿って走った。

 一般信徒の何人かが聖薬を口に運びかけたが、二錠目に手が届く前に、宮子とレイラが押さえ込んでいる。

 今夜は、誰も魔獣にならなかった。


「……使徒を、一人捕らえました」


 凛花が、氷漬けの少女を見下ろして呟いた。

 十二人のうちの一人。

 円卓にとって、初めての明確な戦果だった。


 同じ頃。


 住宅街の空気が、ざらりと歪んだ。

 交差点の街灯の下。

 アスファルトの上に落ちた自分の影から、白い法衣の裾がせり上がろうとしていた。

 三神家まで、二百メートル。

 あと十秒もあれば、あの家の前に立てる位置だった。

 だが、その十秒は与えられなかった。


 ——ズドォンッ!


 闇の刃が、影の出口に叩き込まれた。


「——っ!?」


 実体化しきる前の第三使徒が、弾き飛ばされる。

 アスファルトを二回転がり、電柱に肩から激突して、ようやく止まった。


「……なぜ」


 女は、肩を押さえながら顔を上げた。

 交差点の真ん中に、漆黒のドレスの少女が立っていた。

 先回りしていた。埠頭からここまで、この女より速く。


「なぜ、ここに先回りできるの」


「……」


「ああ」


 第三使徒の唇が、歪んだ。


「やっぱり、ここが」


「そこから先へは、行かせない」


 ゴーストは、大剣を構えた。

 背後には、見慣れた住宅街が広がっている。

 二百メートル先の角を曲がれば、玄関の灯りが見える家がある。

 ここから先は、一歩も譲れない。


 戦闘は、そこから始まった。

 影の糸が、電柱を、塀を、街路樹を絡め取って襲いかかる。

 ゴーストは、それを一本ずつ断ち切りながら、常に位置取りを意識していた。

 民家の壁を背にしない。

 窓の方向へ、攻撃を通さない。

 相手を、住宅の密集した側へ動かさない。


(……やりにくい)


 闇は、本来なら面で放つ力だ。

 それを、線に絞って使い続けている。

 第三使徒は、その不自然さに気づいていた。


「気を使っているのね」


 女は、嬉しそうに笑った。


「家を壊したくないのでしょう。……誰の家かしら」


 ゴーストは、答えなかった。


 その時。

 三神家のリビングで、テレビの音が急に遠く聞こえた。


「……玲奈」


「うん」


 ソファに座っていた澪が、リモコンを置いた。

 その隣で、玲奈も同時に立ち上がっている。


「今の、魔力反応」


「近い。……二本」


「一本は、闇」


 姉妹の顔が、同時に強張った。


「どうした、お前たち」


 新聞を広げていた五郎が、顔を上げる。


「白百合の緊急招集!」


 澪は、それだけ言って玄関へ走った。


「え、こんな時間に?」


「お母さん、行ってきます!」


 玲奈が、続けて飛び出していく。

 残された居間で、五郎と奈々美が顔を見合わせた。


「……急だな」


「あの子たちのお仕事だもの」


 奈々美は、新聞を畳む夫を見ながら、静かに湯呑みを置いた。

 その手つきに、慌てた様子は微塵もなかった。


 交差点に着いた澪と玲奈が見たのは、街灯の下で交錯する闇と影だった。

 漆黒のドレスの少女と、白い法衣の女。

 どちらも、この住宅街にいてはならない存在だった。


「……ゴースト」


 澪の顔が、引きつった。


 弟に付きまとうストーカー。この一年、そう疑い続けてきた相手。

 その女が、今、住宅街の真ん中で刃を振るっている。


 だが。


 姉の目は、同時に別のことも捉えていた。

 ゴーストの立ち位置が、不自然すぎる。

 攻撃の方向が、常に家屋のない側へ向いている。

 あれは、この街を壊さないための戦い方だ。

 そして、白い法衣の女には、その配慮が一つもない。


「……玲奈」


「うん」


「どっちが、危ない?」


「白いほう」


 玲奈は、即答した。

 姉妹は、同時に変身した。

 炎が、澪の手の中で長槍の形を取る。

 風が、玲奈の両手で渦を巻き、刃の形に研ぎ澄まされていく。


「白百合の盾! 所属、三神澪!」


 炎の槍が、影の糸を焼き払った。


「同じく、三神玲奈!」


 風の刃が、女の退路を断つ。

 第三使徒の動きが、初めて明確に鈍った。


「……なぜ」


 女は、信じられないという顔で叫んだ。


「なぜ、白百合の隊員がこんな住宅街にいるの!?」


 答えは単純だった。

 この住宅街に、二人の家があるからだ。

 だが、女の頭の中では、その答えは絶対に出てこない。


「やっぱり、繋がっていたのよ! 最初から全部!」


「うるさいわね」


 澪が、槍を構え直した。

 そして、隣に立つ漆黒のドレスの少女を、ちらりと見た。


「……今だけよ」


「え?」


「今だけ、共闘してあげる。勘違いしないで」


 ゴーストは、一瞬だけ動きを止めた。


「……助かるわ」


 その声が、少しだけ揺れていたことに、澪は気づかなかった。


 三人の連携は、意外なほど噛み合った。

 玲奈の風が女の体勢を崩し、澪の炎が退路を焼き、ゴーストの闇が正面から押し込んでいく。

 ゴーストは、ようやく位置取りの制限から解放されていた。背後に姉妹が立っている分、守る範囲が減ったのだ。


「……っ、こんな、こんなはずじゃ」


 第三使徒の足が、下がった。

 その影が、地面へ沈み始める。


(——逃がせない)


 ゴーストは、即座に判断した。

 この女は、三神家という答えに半分たどり着いている。

 ここで逃がせば、次に来るのは自分がいない時間だ。

 母が台所に立っている時間。父が出勤する時間。姉と妹が眠っている時間。


「今夜、ここで終わらせる」


 ゴーストの左手が、地面へ向けられた。

 闇が、アスファルトの上を走った。

 街灯が作る影という影を、一つ残らず塗り潰していく。


 ——ズッ。


 沈みかけた第三使徒の身体が、跳ね返された。


「な……!?」


 女は、自分の足元を見下ろした。

 影が、ない。

 正確には、影はある。だが、それは自分のものではなくなっていた。


「影が……入らない!?」


「私の得意分野よ」


 ゴーストは、静かに告げた。


「影に逃げるのは、悪手だったわね」


「玲奈!」


「うん!」


 風が、女の足を払った。

 体勢を崩したところへ、炎の槍が背後の退路を焼き払う。


 そして、正面から。


 ゴーストが、踏み込んだ。


 ——ドスッ。


 闇を纏った大剣の柄頭が、第三使徒の鳩尾に深く沈んだ。


 斬っていない。

 刃でも、峰でもない。ただの鈍器として使った一撃だった。


「……か、はっ」


 女が、膝をついた。

 それでも、まだ倒れなかった。

 震える指で地面を掻きながら、掠れた声で呟いている。


「……私は……奪われる、前に……」


 ゴーストは、その言葉の続きを聞かなかった。


 ——ゴッ。


 二撃目が、後頭部に落ちた。

 白い法衣の女が、アスファルトの上に崩れ落ちる。

 長い黒髪が広がり、隠れていた左半分の顔が、街灯の下に晒された。

 思っていたよりも、ずっと若い顔立ちだった。

 ゴーストは、すぐに拘束に取りかかった。

 氷で四肢を固め、その上から闇で影そのものを封じる。二重の拘束だった。


「……捕まえた」


 玲奈が、変身を解きながら呟いた。


「この人、何者なの?」


 澪の問いに、ゴーストは短く答えた。


「……知らないほうがいい相手よ」


 その時、通りの向こうから、ヘッドライトが近づいてきた。

 どこにでもある、無印の黒塗りの車だった。

 降りてきたのは、地味な紺のスーツを着た女性である。


「——お引き取りは、こちらで」


 女性は、深く一礼した。


「……誰ですか、あなた」


 澪が、身構えた。


「通りすがりの、公務員です」


「答えになってません」


「左様でございますね」


 女性は、それ以上何も言わなかった。

 代わりに、後部座席の扉を開け、拘束された第三使徒を手際よく運び込んでいく。

 その動作に、無駄が一つもない。

 澪と玲奈は、言葉を失ったまま、その一部始終を見ていた。

 車が走り去った後、交差点には三人だけが残された。


「……今夜は、ありがとう」


 ゴーストが、静かに言った。


「勘違いしないで」


 澪は、腕を組んだ。


「弟の家の近所で暴れられたら、困るだけよ」


「ええ。それで結構よ」


 ゴーストは、小さく頷いた。


「……その弟を、狙うのもやめなさい」


「……善処するわ」


「そこは、否定しなさいよ」


 漆黒のドレスの少女は、答えずに影へ沈んだ。

 後には、街灯の光と、抉れたアスファルトだけが残った。


「……お姉ちゃん」


「なに」


「あの人、ずっと、家のある方に背中を向けて戦ってたね」


 玲奈が、ぽつりと言った。

 澪は、答えなかった。

 同じことを、自分も考えていた。

 あの女は、一度も、住宅の側へ攻撃を通さなかった。

 まるで、この街に守るものがあるかのように。


「……気のせいよ」


 澪は、そう言って歩き出した。

 午後十一時。

 三神家の玄関が、控えめに開いた。


「ただいま」


「あら、零。遅かったわね」


 エプロンを外した奈々美が、廊下に顔を出した。


「うん。……緋雪さんと、少し」


「お風呂、沸いてるわよ」


「ありがとう」


 リビングでは、澪と玲奈がソファに座っていた。

 二人とも、まだ制服のままだ。髪が、少し乱れている。


「……あんた、どこにいたの」


 澪が、弟の顔をじっと見た。


「駅の向こう。……近くで、何かあった?」


「別に」


 澪は、視線を逸らした。


「近所で、ちょっとね。……もう終わったから」


「そっか」


 零は、それだけ言って風呂場へ向かった。


 自室に戻ったのは、日付が変わる直前だった。

 窓を開けると、向かいの屋根に赤いリボンの影が座っている。

 埠頭から戻ったばかりのはずなのに、今夜も、変わらずそこにいた。


 零は、静かに窓を閉めた。

 十二使徒のうち、二人。

 第九使徒は埠頭で、第三使徒はこの街で捕らえた。

 円卓にとっては、大きすぎるほどの戦果だった。

 だが、零の胸に残っていたのは、達成感ではなかった。

 あの女は、二百メートル先まで来ていた。

 もし、埠頭で第九使徒を抜くのがあと三十秒遅かったら。

 もし、姉と妹が異変に気づかなかったら。


 零は、電気を消して布団に潜り込んだ。

 廊下の向こうから、姉妹の話し声が漏れてくる。

 明日の朝食は何がいいとか、課題が終わらないとか、そんな話だった。

 その声を聞きながら、零はようやく息を吐いた。

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