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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第二百七十六話

 三神家の食卓には、いつもより一品多い朝食が並んでいた。

 鮭の塩焼き。だし巻き。ほうれん草の胡麻和え。里芋の煮っころがし。

 豆腐と油揚げの味噌汁に、きんぴらまで添えてある。


「……お兄ちゃん」


 玲奈が、箸を止めた。


「今日のご飯、なんか豪華じゃない?」


「特売だったから」


「里芋が?」


「里芋が」


 玲奈は、納得したのかしていないのか、里芋を口に運んだ。


「……おいしい」


「そりゃよかった」


 零は、味噌汁をよそいながら、食卓を見渡した。

 姉が課題の期限を数え、妹が里芋を頬張り、母が茶を淹れている。

 父は、新聞を畳んで立ち上がるところだった。


「零」


「なに、父さん」


「花見の場所な、目星をつけてきたぞ」


 五郎は、鞄から一枚の紙を取り出した。

 河川敷の地図に、赤ペンで丸がついている。


「川沿いの、桜並木のところだ。四月の第一週なら、まず間違いない」


「気が早すぎない?」


「予約が取れんのだ、あそこは」


 五郎は、真顔で言った。


「去年、出遅れて取れなかった。今年は取る」


「……そっか」


 零は、少しだけ笑った。


「楽しみにしてる」


「おう。任せろ」


 五郎は、上機嫌のまま玄関へ向かった。

 その背中を、零はいつもより長く見送った。


「零」


 澪が、トーストを齧りながら言った。


「今日、帰り遅くなる?」


「……たぶん」


「緋雪ちゃんと?」


「まあ、そんなところ」


「ふうん」


 澪は、それ以上聞かなかった。

 その代わり、食器を片付ける弟の背中に、ぽつりと言った。


「ちゃんと、帰ってきなさいよ」


 零の手が、一瞬だけ止まった。


「……うん」


 木曜日の放課後。

 翼の家の居間に、円卓の面々が集まっていた。


「配置を確認するわ」


 ヴィクトリアが、机の上に埠頭の見取り図を広げた。


「埠頭には、ゴースト様、羽衣さん、周防さん。福音の鐘からルディア・ロンディニウムと須藤さん、双子。星監から私とシルヴィア。治癒は、宮子さんとレイラ」


「翼の家には?」


 白鳥が、身を乗り出した。


「白鳥さんと、奈緒さんと、八人の子たち。……それから、ゴースト様の『知り合い』が何名か」


 ヴィクトリアは、そこで意味ありげに間を置いた。


「先日から、この家の周りに増えているようね。気配だけで、姿は一度も見えないけれど」


 ゴーストは、何も答えなかった。


「わたしも、いく」


 縁側から、声がした。


 奈緒が、立ち上がっていた。

 紅色の瞳が、まっすぐにゴーストを見ている。


「お姉ちゃんが、たたかうなら。わたしも、いく」


「駄目よ」


 ゴーストは、即答した。


「なんで」


「あなたには、ここを守ってほしいから」


 ゴーストは、奈緒の前に膝をついた。


「この家には、戦えない子が八人いるの」


「……でも、みんな、つよい人がいるって」


「その人たちも、絶対じゃない」


 ゴーストは、奈緒の頭に手を置いた。


「奈緒。あなたが一番強いのは、誰かの前に立ってる時よ」


 奈緒は、唇を噛んだ。


「……ずるい」


「ええ。ずるいわね」


「……わかった」


 奈緒は、しぶしぶ頷いた。


「でも、ぜったい、かえってきて」


 ゴーストの手が、一瞬だけ止まった。

 今朝も、同じことを言われた。

 別の人に、別の場所で。


「……ええ。約束するわ」


「協会について、報告があります」


 凛花が、手を挙げた。


「警戒レベルは上がりました。ですが、部隊の出動は見送られています」


「あら。腰が引けたのね」


 ヴィクトリアが、片眉を上げた。


「複数の非公認組織が集結している区域に、協会が単独で踏み込む利はない。……それが、上の判断です」


「賢明ね」


 ヴィクトリアは、あっさりと言った。


「おかげで、こちらは気兼ねなく暴れられるわ」


「……そういう言い方は」


「褒めているのよ、周防さん」


 木曜日の夕方。


 東部埠頭、コンテナヤード。

 封鎖されて三年になる区画に、真新しいコンテナが二十基並んでいた。


「……立派なものね」


 ヴィクトリアが、感心したように見上げた。

 発電機が唸り、照明が灯り、アンテナが立っている。

 外から見れば、どう見ても何かの拠点だった。


「中身は?」


「ほとんど空ですわ」


 ルディアが、袖を口元にやって笑った。


「三基だけ、本物の資材を入れてございます。中を覗かれた時のために」


「悪趣味ね」


「お褒めに預かり光栄ですわ」


 ルディアは、コンテナの列を見渡した。


「空っぽの箱ほど、人は中身を想像するものですもの」


 緋雪が、ゲートの位置を確認していた。


「封鎖区画だから、一般人はいないわ。……最寄りの住宅まで、二キロ以上」


「上出来ね」


 ヴィクトリアは、コートの襟を立てた。


「私たちが総力を出せる場所を、こちらで選べた。……それだけで、半分は勝ちよ」


 ゴーストは、コンテナの上に立って、海を見ていた。

 冬の海風が、ドレスの裾を揺らしている。

 この場所には、覚えがあった。

 初めてシンディーと戦った湾岸の倉庫街から、そう遠くない。


(……今日は、逃げない)


 この場所に、敵を全部引き寄せる。

 そのために、自分の名前を使った。


 午後九時。

 最初に消えたのは、波の音だった。


「——来たわ」


 緋雪が、太刀を抜いた。

 風が止み、発電機の唸りが遠のき、海鳥の声が消える。

 世界から、あらゆる揺らぎが拭い取られていく。

 これまでで、最大の凪域だった。

 埠頭全体が、その中に沈んでいる。


「通信、死にました」


 シルヴィアが、無線機を投げ捨てた。


「予定通りね。……全員、声と目で動くわ」


 封鎖ゲートの向こうから、白い列が現れた。

 白い衣。白い頭巾。

 数十人が、足音を揃えて歩いてくる。

 その中に、明確な魔力を纏った者が十数人混じっていた。


「上級信徒……十四人」


 凛花が、光の剣を構えた。


「前回の三人とは、格が違います」


 そして、列の先頭。


 白い法衣の少女が二人、並んで歩いてきた。

 一人は、白銀の髪に、二本の槍。

 もう一人は、長い黒髪で顔の左半分を隠した女。


「見つけたわよ」


 第三使徒の声が、凪の中に響いた。


「……あなたの巣」


 ゴーストは、コンテナの上から見下ろした。


「ええ」


 その声は、驚くほど静かだった。


「よく来たわね」


 第三使徒の足が、一瞬だけ止まった。


(……なぜ、そんなに落ち着いているの)


 だが、その疑問は、すぐに別の答えに塗り潰された。


(……そうか。追い詰められて、開き直ったのね)


「皆さん」


 第九使徒が、穏やかに告げた。


「今日は、争いに来たのではありません。……お迎えに来ただけです」


「その台詞、前も聞いたわ」


 ゴーストは、大剣を抜いた。


「——始めましょうか」


 最初に動いたのは、緋雪だった。

 白い冷気が地面を這い、上級信徒の前衛四人の足を絡め取る。

 凍りついた足元を、凛花の光の剣が薙ぎ払った。


「二人、落ちました!」


「まだ十二人!」


 後方では、一般信徒の群れが懐に手を入れていた。

 白い錠剤が、月明かりに光る。


「させない!」


 ルカの大鎌が、横薙ぎに走った。

 柄の部分で信徒の手首を打ち、錠剤を叩き落としていく。


「……ん。左から五人」


 リリアの双剣が、正確に相手の武器だけを弾いた。

 その後ろを、真里が走り抜ける。


「飲ませるな。……手だけを狙え」


 福音の鐘の実行部隊が、静かに展開していった。


 そして、戦場の中央。


 ルディアとヴィクトリアが、背中合わせで立っていた。

 二人を、六人の上級信徒が囲んでいる。


「……ヴィクトリア・ローゼンベルグ」


「なにかしら、ルディア・ロンディニウム」


「この子たち、素人ではありませんわね」


 ルディアの光が、一人の攻撃を弾き返した。

 だが、相手はすぐに体勢を立て直す。


「ええ。……十二年分の下地があるわ」


 ヴィクトリアの紫電が、二人を吹き飛ばした。

 しかし、その二人も、数秒後には立ち上がってくる。


「本気を出せば、抜けられますけれど」


「駄目よ」


 ヴィクトリアが、即座に否定した。


「私たちが本気を出したら、後ろの一般人まで巻き込むわ」


 二人の背後では、双子と真里が、必死に信徒たちから薬を奪い続けている。

 そこへ雷を落とせば、全員が魔獣になる前に死ぬ。


「……面倒ね」


「ええ。まったく」


 裏社会の頂点に立つ二人は、手加減という最も不得手な戦い方を強いられていた。


 コンテナの上。


 ゴーストは、二人の使徒と対峙していた。


「二人がかり?」


「ええ」


 第九使徒が、静かに槍を構えた。


「前回は、一人で足りませんでしたので」


「あなたは黙って攻めなさい」


 第三使徒が、苛立たしげに吐き捨てた。

 その足元から、黒い影が無数の糸となって伸びる。

 ——次の瞬間、光と影が同時に襲いかかった。

 第九使徒の槍が、正面から。

 第三使徒の糸が、背後と側面から。

 ゴーストは、影の中へ沈んだ。


 ——ザシュッ!


 糸が、空を切る。

 光の穂先が、コンテナの天板を貫いた。


「……っ、また!」


 ゴーストは、十メートル離れたコンテナの上に現れていた。


「後ろよ」


 第九使徒が、鋭く告げた。


 振り返った第三使徒の目の前に、闇色の刃が迫っていた。


「——っ!」


 影の糸が、辛うじてその軌道を逸らす。

 だが、法衣の袖が裂け、白い布が夜風に散った。


「この……!」


 反撃の糸が、一斉に噴き上がる。

 ゴーストは、それを大剣で薙いだ。

 断ち切られた糸の断面が、闇に飲まれて消えていく。


「あなたの影は、私の闇と相性が悪いわ」


「知っているわよ!」


 第三使徒が、叫んだ。


「だからこうするの!」


 女が、後ろへ跳んだ。

 入れ替わるように、第九使徒の光が正面から奔る。

 ゴーストは、闇を盾に変えて受け止めた。

 光と闇が拮抗し、コンテナの鉄板が悲鳴を上げる。


「……重い」


 第九使徒の力は、前回と変わらない。

 十二年、一度も解いていない変身。消耗しない魔力。

 その光を受け止めている間に、背後から糸が伸びてくる。


(……読み違えたら、終わる)


 ゴーストは、闇を盾から刃へと変え、光を横に逸らした。

 同時に影へ沈み、糸の網を抜け、第九使徒の側面へ跳ぶ。


 ——ガキィンッ!


 大剣と二本の槍が、鍔迫り合った。


「……素晴らしい」


 第九使徒が、間近で微笑んだ。


「二人がかりで、まだ届かないのですね」


「余裕があるように、見えるかしら」


「見えますよ。とても」


 ゴーストは、内心で舌打ちをした。


 余裕など、一つもない。

 光は正面から、影は死角から。攻撃の質が、あまりに違いすぎる。

 一瞬でも読みを外せば、そこで終わる。

 それでも、引くわけにはいかなかった。

 自分がこの二人を抑えている限り、この戦場は保っている。

 ここで崩れれば、次に狙われるのは——


「なぜ!」


 第三使徒の叫びが、夜を裂いた。


「なぜ、当たらないの! なぜ、この子だけ……!」


 糸が、乱れた。

 感情が、そのまま影に出ている。

 ゴーストは、その乱れに闇を叩き込んだ。


 ——ドォンッ!


 コンテナの一基が、横倒しに吹き飛んだ。

 鉄の塊が地面を滑り、火花を散らしながら停止する。

 そして、倒れたコンテナの扉が、衝撃で開いた。


 中は、空だった。

 何も入っていない。

 照明の配線が一本、天井から垂れているだけだった。


「……え」


 第三使徒の動きが、止まった。

 その目が、ゆっくりとコンテナの内部を捉える。

 空。がらんどう。何もない。


「…………」


「第三使徒様?」


「……おかしいわ」


 女の声が、掠れた。


「おかしい。おかしいわ。……なぜ、空なの」


 ゴーストの背筋を、冷たいものが走った。


「なぜ、この子は一人で戦っているの」


 第三使徒は、顔を上げた。

 その視線が、戦場全体を舐めるように動く。

 手加減しながら戦う裏社会の頂点。

 薬を奪うことだけに専念する処刑人たち。

 前衛で信徒を抑える、氷と光の剣士。

 誰も、この拠点を守っていない。

 誰も、背後を固めていない。


「……本当に守るものがここにあるなら」


 女の唇が、震えた。


「なぜ、誰も、この子の後ろに立っていないの?」


 ゴーストは、大剣を握り直した。


 気づかれた。

 そう理解した瞬間、喉の奥が渇いた。


「第九使徒」


 第三使徒が、静かに言った。


「その子を、しばらく押さえておきなさい」


「……どちらへ?」


「確かめてくるの」


 女の影が、地面へ沈み始めた。


「——待ちなさい!」


 ゴーストが跳んだ。

 その前に、二本の槍が交差して立ち塞がる。


「申し訳ありません」


 第九使徒は、穏やかに微笑んだ。


「私は、言われたことを守る性質でして」


 闇の刃が、光の槍を打った。

 火花が散り、鉄の床が抉れる。

 その向こうで、第三使徒の姿が、闇の底へと消えていった。


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