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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第二百七十四話

 三神家の食卓には、鮭の切り身が並んでいた。


「はい、姉ちゃんの分」


「……昨日の約束、ちゃんと覚えてたのね」


 澪は、熱の引いた顔で箸を取った。

 二日ぶりに、ちゃんとした食事が喉を通る。


「お兄ちゃん、私の分は?」


「玲奈のは、卵焼き多め」


「やった!」


 玲奈が、皿を抱え込んだ。

 昨日まで熱に浮かされて子守唄をねだっていた妹は、もうすっかり元気である。


「それで、今日だけど」


 玲奈は、卵焼きを頬張りながら言った。


「奈緒ちゃんに、会いに行きたい」


「折り紙の礼か」


「うん。お兄ちゃん、連れてって」


「いいよ。午後にしよう」


「やった!」


「……ちょっと待って」


 澪が、箸を置いた。


「私も行く」


「いいんじゃないか?」


 零は、曖昧に答えた。

 姉が翼の家に行く。

 その光景を想像して、背中に嫌な汗をかいたことは、口にしなかった。


 日曜日の午後。

 翼の家の門をくぐった瞬間、黒い影が玄関から飛び出してきた。


「三神さん!」


「奈緒。走るなって」


「れなねえ!」


 奈緒は、零の腕に飛びつき、そのまま玲奈にも手を伸ばした。

 左右に一人ずつ。この子の定位置は、もう決まっている。


「奈緒ちゃん、折り紙ありがとう!」


 玲奈が、鞄から小さな紙包みを取り出した。


「お礼に、これ」


「なに?」


「プリン! 三個!」


「……三こ」


 奈緒の目が、真ん丸になった。


「白鳥さんと、みんなで分けてね」


「うん!」


 縁側には、白鳥と、二人の少女が座っていた。


「いらっしゃい、三神くん」


「お邪魔します」


「こんにちはー! 佐倉まひろです!」


 まひろが、元気よく手を挙げた。

 その隣で、日野詩織が、遠慮がちに頭を下げる。


「……日野詩織です」


「三神玲奈です! 白百合の——」


 玲奈がそう言いかけた瞬間、詩織の肩が僅かに硬くなった。

 玲奈は、それに気づかなかった。

 気づいたのは、後ろに立っていた姉のほうだった。


「——白百合で、この子の姉をやってます。三神澪です」


 澪が、妹の言葉を引き取った。


「今日は、ただの付き添い。仕事の話は、一切持ってきてません」


「……え」


「うちの妹が、折り紙のお礼をどうしても言いたいって聞かなくて。……それだけのために、電車を乗り継いできました」


 詩織は、しばらく二人を見つめていた。

 白百合の隊員。組織の看板。身構えるべき相手。

 だが、目の前の姉妹は、それを一つも出さずに頭を下げている。


「……こちらこそ」


 詩織の肩から、力が抜けた。

 零は、この時ばかりは、姉の察しの良さに感謝した。


「そうだ、三神くん」


 白鳥が、思い出したように言った。


「バーベキュー、お父さんに誘っていただいて」


「……あ、その話」


「奈緒ちゃんが、もう毎日楽しみにしてて」


「おにく」


 奈緒が、真顔で呟いた。


「おにく。たくさん」


「まだ日取りも決まってないからな」


「おにく」


「分かった。分かったから」


 白鳥が、笑いを堪えていた。


「三神くんのお父さん、すごい方ね。河原で会っていきなり『うちの娘みたいなもんだ』って」


「……あれは、誰にでも言うんです」


「そうかしら」


 白鳥は、庭先で折り紙を広げ始めた奈緒を見つめた。


「あの子、あの日からずっと機嫌がいいの。……お父さんに、そう言われたのが嬉しかったんだと思う」


 零は、何も言えなかった。


「ねえ、三神さん」


 その奈緒が、ふと顔を上げた。


「きょうは、お姉ちゃんはこないの?」


 零の心臓が、跳ねた。


「お姉ちゃん?」


 澪が、きょとんと首を傾げる。


「……私なら、ここにいるけど」


「ちがうの。あのね、くろい——」


「奈緒ちゃん」


 白鳥が、すかさず奈緒の前にしゃがみ込んだ。


「プリン、冷やしておかないと溶けちゃうわ。台所まで運んでくれる?」


「……はこぶ!」


 奈緒は、紙包みを両手で抱えて駆けていった。

 澪が、その背中を見送りながら呟く。


「……黒い、何だったのかしら」


「猫じゃないですか」


 白鳥が、にこやかに答えた。


「近所に、よく来るんです。黒くて、大きいのが」


 零は、縁側の柱を見つめたまま、何も聞こえなかったふりをした。


 同じ日の午後。

 都内某所、白い壁の建物。

 窓のない部屋の机には、一枚の写真が置かれていた。


「——撮影者は、割れました」


 跪いた信徒が、報告を続けた。


「近隣の中学校の生徒です。河原で見かけた外国人の集団を、面白がって撮ったものかと」


「本人には」


「接触しておりません。ご指示通り、周辺の聞き込みのみで」


「よろしい」


 第三使徒は、写真を指で弾いた。

 十数人の人影。

 金色の髪。白銀の髪。銀髪の子供が二人。

 どれも、顔までは判別できない。


「この程度の画質では、顔は分からないわね」


「はい。引き伸ばしても、限界が」


「……なら、別の線よ」


 女は、椅子の背にもたれた。


「河川敷は、誰でも自由に使えるのかしら」


「いえ。あの区画は、事前の利用申請が必要です」


 女の目が、初めて動きを止めた。


「申請書には、何が書かれるの」


「代表者の氏名と、連絡先。……それから、利用人数です」


 部屋が、静まり返った。


「……取ってきなさい」


「は、はい」


「今日中に」


 三時間後。


 信徒が持ち帰った複写に、第三使徒は目を落とした。

 利用日時。利用区画。利用人数、十六名。

 代表者氏名の欄には、几帳面な字でこう書かれていた。


 『三神五郎』


「……三神」


 女は、その三文字をしばらく見つめていた。


「調べなさい。どこの誰か」


「はい。……ただ、既に照会が済んでおりまして」


 信徒は、別の紙を差し出した。


「都内の企業に勤める、五十二歳の会社員です。妻と、子供が三人。……ごく普通の家庭かと」


「普通?」


「はい。魔法少女の登録は、長女と次女の二名。どちらも白百合の所属です」


「……白百合」


 女の指が、机の上で止まった。


「白百合の隊員が二人いる家庭で、星監と福音の鐘のトップが、揃って肉を焼いた」


「……その、ようです」


「そんな家庭が、普通だと思うの?」


 信徒は、答えられなかった。


「いい? あの連中は、殺し合っていた組織よ」


 女は、机に身を乗り出した。


「その全員が、わざわざこの河原まで足を運んだ。……動かせない誰かが、そこにいたからよ」


「動かせない、誰か」


「そう」


 第三使徒は、写真をもう一度手に取った。

 コンロの前に立つ、顔の写っていない人影を指でなぞる。


「この家を、洗いなさい」


 日曜日の夜。


 翼の家の居間。

 円卓の面々が、ちゃぶ台を囲んでいた。

 ゴースト、緋雪、凛花、白鳥、ヴィクトリア、ルディア、真里。


「八咫から、報告があったわ」


 ゴーストが口を開いた時、その声は、いつもより僅かに低かった。


「白い衣の連中が、河原の周辺で聞き込みをしている」


「河原、ですか」


 凛花が、顔を上げた。


「先日、バーベキューをした場所よ」


 緋雪が、静かに補足した。


「あの日の集まりが割れると、面倒ね」


 ヴィクトリアが、指先で膝を叩いた。


「全員が全員、顔を隠していたわけではございませんもの」


 ルディアが、袖を口元にやって笑った。


「わたくしとあなたが並んで座っていたところを見られていたら、それだけで一大事ですわ」


「あなたが、お肉を三皿も積み上げていたところもね」


「あら。あなたこそ、ご自分で持ち込んだスープを三杯召し上がっていたでしょう」


「……話を進めて」


 ゴーストが、二人を遮った。


「あの河原には、一般の人がいたの」


 部屋の空気が、変わった。


「魔法とも、裏社会とも関係のない人たち。……ただ、肉を焼いていただけの人たち」


 ゴーストは、ちゃぶ台の上で手を組んだ。


「その人たちを、守ってほしい」


 沈黙が落ちた。

 緋雪だけが、膝の上で拳を握っている。

 凛花は、目を伏せた。

 残りの三人は、何も聞かなかった。


「……承知いたしましたわ」


 ルディアが、最初に頷いた。


「どこの、どなたかは伺いません。……ゴースト様が守れと仰るなら、それだけで十分です」


「星監も、動くわ」


 ヴィクトリアは、あっさりと言った。


「あの日の参加者の周辺を、一通り洗っておく。……無関係な方まで含めてね」


「ありがとう」


「お礼は結構よ」


 ヴィクトリアは、コートの襟を直した。

 そして、ほんの一瞬だけ、ゴーストの顔を見た。


(……この子、今、誰の顔を思い浮かべているのかしら)


 その疑問を、彼女は口にしなかった。

 月曜日の朝、七時半。

 三神家の玄関で、五郎がネクタイを締め直していた。


「行ってくる」


「いってらっしゃい。お弁当、忘れないでね」


 門を出たところで、作業着姿の男女に声をかけられた。


「おはようございます。朝早くから、失礼いたします」


「はい?」


「この辺りで、環境調査をしておりまして」


 男が、首から下げた名札を見せた。

 どこかの調査会社の名前が、印刷されている。


「騒音と、日照の調査です。少しだけ、お話を伺っても?」


「構わんが、出勤前でね。手短にお願いします」


「ありがとうございます」


 女のほうが、バインダーを構えた。


「こちらのお宅は、ご家族何名様でしょうか」


「五人だ」


「お子様は」


「三人。上から、大学生と、高校生と、中学生だ」


「まあ、賑やかですね」


「賑やかすぎるくらいだ」


 五郎は、笑った。


「先週なんぞ、娘二人が揃って熱を出してな。息子が学校を休んで看病したんだ」


「それは大変でしたね」


「いや、あいつは慣れてる。飯も作るし、掃除もする」


 五郎は、なぜか胸を張った。


「うちの息子は、料理が上手いんですよ。今朝の味噌汁も、あいつが作った」


「……は、はあ」


「あなた方、朝は食べてきましたか。食べてないなら、いかんですな。朝飯は大事だ」


「あの、それで、ご家族の——」


「特に、出汁だ。市販の顆粒でもいいが、やはり昆布と鰹節だな」


「……」


「うちの息子は、前の日の晩から昆布を水に浸けておく。あれが、いいんだ」


 男女は、顔を見合わせた。


 バインダーには、質問事項が並んでいる。

 家族構成。在宅時間。来客の有無。近隣の出入り。

 そのどれにも、たどり着けていない。


「あの、それでは、ご近所付き合いなどは」


「ああ、隣は外国の方でね。菓子をよく持ってきてくれる」


「外国の方、ですか」


 男の目が、光った。


「金髪の、綺麗な人ですか」


「そうそう。ヴィクトリアさんという」


 五郎は、何の疑いもなく答えた。


「いい人ですよ。この前のバーベキューにも来てくれてね」


「バーベキュー」


「いやあ、あれは楽しかった。次は花見をやろうと思ってるんです」


「……ご一緒された方は、他にも」


「大勢いましたよ。息子の知り合いやら、娘の同僚やら」


 五郎は、腕時計を見た。


「おっと、もう行かないと。すみませんね」


「い、いえ。ありがとうございました」


 五郎は、上機嫌のまま駅へと歩いていった。

 残された二人は、バインダーを抱えたまま、しばらく動けなかった。


「……何も聞けていないぞ」


「向こうから全部喋ってる。……なのに、肝心なことは一つも」


「とりあえず、隣家の確認を」


 二人が角を曲がった、その瞬間。

 背後から、気配もなく手が伸びた。

 一人の口が塞がれ、もう一人の足が払われる。

 路地の陰に引き込まれるまで、三秒とかからなかった。


「——静かに」


 声は、驚くほど穏やかだった。


 月曜日の夕方。

 下校途中の大通りで、零の隣に人が立つ。


「——三神様」


 八咫の隊員だった。


「本日の朝、ご自宅の前におりました二名を確保いたしました」


 零の足が、止まりかけた。


「……家の前に」


「はい。環境調査を名乗る、白い衣の信徒です」


 隊員は、前を向いたまま続けた。


「河川敷の利用申請書から、お父上の氏名と住所を辿ったものと思われます」


 零の指先が、冷たくなった。

 河原の予約。

 父が、上機嫌で取ってきた、あの予約。


「目的は」


「その家に、誰が住んでいるか。それだけです」


「……それだけ?」


「はい。指示は『確認のみ』だったと、二名とも供述しております」


 零は、しばらく黙って歩いた。

 確認のみ。

 つまり、まだ確信はされていない。

 だが、候補には入った。


「……父さんは」


「お気づきではありません。世間話をされて、ご機嫌で出勤されました」


 隊員の声に、僅かに笑いが混じった。


「出汁の取り方について、五分ほど講義をされたそうです」


「……父さん」


「二名とも、質問事項の半分も消化できておりませんでした」


 零は、天を仰いだ。


「殿下より、ご伝言がございます」


「……はい」


「『家の周囲は、こちらで固める。叢雲を一名、常時置く』」


「そこまで」


「ただし、と仰っておられました」


 隊員は、そこで一度言葉を切った。


「『限界はある。……向こうが本気で一家を狙えば、守り切れるとは約束できん』と」


 零は、足を止めた。

 夕暮れの大通りを、車が流れていく。

 この道の先に、家がある。

 母が夕飯の支度をして、姉が課題を広げて、妹がテレビを見ている家が。


「……ありがとうございます」


 零は、それだけ答えた。


 同じ頃。

 白い壁と白い床だけの、窓のない礼拝堂。


「——連絡が、途絶えました」


 跪いた信徒が、震える声で報告した。


「朝に出た二名と、昼以降、一切連絡が取れません」


「二人とも?」


「はい」


 第三使徒は、椅子に深く腰かけたまま、しばらく動かなかった。


「行き先は」


「……三神という、一般家庭の周辺調査です」


 女は、ゆっくりと顔を上げた。

 そして、初めて心の底から嬉しそうに笑った。


「ああ」


「使徒様?」


「消されたのね」


 女は、両手を組んだ。


「ただの一般家庭を調べに行っただけの、信徒が二人。それが、跡形もなく消えた」


「そ、それは」


「普通の家庭を調べて、消される?」


 女は、立ち上がった。


「そんなわけがないでしょう」


 法衣の裾が、床の上で不自然に揺れた。

 燭台の火の向きと、影の向きが、また合っていない。


「つまり、そこが当たりよ」


 女は、机の上の写真を手に取った。

 顔の写っていない人影を、指でなぞる。


「見つけたわ」

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