第二百五十八話
日曜日の朝。
三神家のリビングには、一人だけ明らかに機嫌の悪い人間がいた。
「……私も行きたかった」
澪は、ソファでクッションを抱えたまま、低い声で呟いた。
「お姉ちゃん、まだ言ってる」
玄関で靴を履きながら、玲奈が振り返った。
今日のために選んだらしい、薄いピンクのカーディガンを着ている。
昨夜、三回着替えていたのを、零は知っていた。
「だって、私だって会いたいわよ。……私たちの妹みたいな子なんでしょ」
「今度ね。最初は、私とお兄ちゃんだけ」
「……むう」
澪は、クッションに顔を埋めた。
その隣で、五郎が新聞の折り込みチラシを広げていた。
「澪。そう拗ねるな」
「拗ねてない」
「その子が来たら、BBQだ。父さんな、もう肉屋の目星はつけてある」
五郎は、赤ペンで丸をつけたチラシを誇らしげに掲げた。
黒毛和牛の特売、という文字が、やけに大きく囲まれている。
その下には、炭の銘柄まで書き込まれていた。どうやら、一晩で計画を練り上げたらしい。
「……お父さん、まだ会ってもいないのに」
「会う前から準備しておくのが、父親というもんだ」
五郎は、老眼鏡の奥で目を細めた。
澪は、しばらく父の顔を見つめてから、小さく吹き出した。
「……じゃあ、その時は私が一番に焼く」
「おう。任せた」
台所から、奈々美の声が飛んできた。
「零、玲奈。補習が終わったら、そのまま行くのよね? お土産、ちゃんと持った?」
「持った」
零は、紙袋を持ち上げてみせた。
中には、昨夜焼いた、甘めの卵焼きとおにぎりが入っている。
塩加減も、握る強さも、玲奈の分と同じにした。初めて会う相手に何を持っていけばいいのか、結局それしか思いつかなかった。
「いってきます」
「いってきまーす!」
玲奈は、澪に向かって大きく手を振ってから、玄関を飛び出していった。
午前九時。
日曜日の学校は、驚くほど静かだった。
補習の教室には、零を含めて三人しかいない。
暖房の効きが悪く、窓際の席では吐く息がうっすら白く見えるほどだった。
零は、数学のプリントに向かいながら、ふと窓の外に目をやった。
校舎の一階、倉庫のあたり。
紺のパンツスーツの女性が、何やら壁を叩きながら歩いていた。
(……日曜日なのに)
ヴィクトリア・ローゼンベルグである。
教育実習生の名札を首から下げたまま、倉庫の扉の前でしゃがみ込み、床の継ぎ目を指でなぞっている。
その後ろには、作業着姿の男が二人、工具箱を抱えて控えていた。
ヴィクトリアが、ふと顔を上げた。
三階の窓越しに、零と目が合う。
彼女は、にこやかに手を振った。
零は、ぎこちなく会釈を返した。
「三神。よそ見するな」
「……すみません」
零は、プリントに視線を戻した。
倉庫の真下には、協会の前身組織の古い避難壕があるらしい。
そこに何が眠っていようと、自分とは何の関係もない。
(……頼むから、何も出てこないでくれ)
余計なものが見つかれば、ヴィクトリアの疑いはますます学校に張り付く。
それはそれで、ありがたいような、困るような話だった。
自分から目を逸らしてくれるのは助かる。だが、毎日通う場所を掘り返されるのは、落ち着かないことこの上ない。
正午過ぎ。
補習を終えた零が校門を出ると、一台の車が停まっていた。
運転席から、白衣の上にトレンチコートを羽織った由鶴が顔を出す。
「お疲れさまです、三神くん」
「すみません、わざわざ」
「白百合の公務です。お気になさらず」
後部座席には、すでに玲奈と緋雪が並んで座っていた。
玲奈は、膝の上で指を組んだり解いたりを繰り返している。
「お兄ちゃん、遅い」
「補習だったんだよ」
「……緊張してきた」
玲奈は、窓の外を見つめたまま呟いた。
「奈緒ちゃん、私のこと、嫌いにならないかな」
「ならないわよ」
緋雪が、玲奈の手にそっと自分の手を重ねた。
「会いたいって言ってくれたのは、奈緒さんのほうなんだから」
「……うん」
零は、助手席に乗り込みながら、バックミラー越しに妹の顔を見た。
緊張で強張った顔。
だが、その目の奥には、隠しきれない期待が灯っていた。
車が走り出すと、緋雪がミラー越しに零へ視線を送ってきた。
声には出さない。だが、言いたいことは分かっていた。
——奈緒が、何か気づいたら。
零は、小さく頷いた。
それは、零自身がずっと考えていることでもあった。
あの子が知っているのは、漆黒のドレスの「お姉ちゃん」だけだ。同じ人間が、今日は制服の兄として現れる。
一時間ほど走り、車は郊外の小さな一軒家の前に停まった。
庭先では、白鳥が待っていた。
その後ろに、隠れるようにして、一人の少女が立っている。
玲奈が、車を降りた瞬間に足を止めた。
「……あ」
少女もまた、白鳥の背中から顔を覗かせたまま、動かなくなった。
二人は、しばらく無言で見つめ合っていた。
背丈は、ほとんど同じ。
髪の色も、輪郭も、驚くほどよく似ている。
違うのは、瞳の色だけだった。玲奈の黒い瞳と、奈緒の紅色の瞳。
冬の日差しの中で、二つの影だけが、同じ形に地面へ落ちていた。
「……れな、さん?」
奈緒が、恐る恐る口を開いた。
身体は玲奈と同じ年頃なのに、その声は幼い子供のように細かった。
「……うん」
玲奈は、一歩前に出た。
「三神玲奈、です。えっと確か……奈緒ちゃん、だよね」
「……うん」
奈緒は、白鳥の背中からそっと出てきた。
そして、玲奈の顔を、下から覗き込むようにじっと見つめた。
「……にてる」
「……うん。似てるね」
「かがみ、みたい」
玲奈の目から、ぽろりと涙が零れた。
奈緒は、しばらく首を傾げていた。
それから、玲奈の涙を、そっと指で拭った。
「れなさんは、わるくないよ」
「……っ」
「白鳥さんが、言ってた。わるいのは、わたしをつくった人たちだって」
奈緒は、にこりと笑った。
「だから、れなさんは、ないちゃだめ」
玲奈は、堪えきれずに奈緒を抱きしめた。
奈緒は、少し驚いたように目を瞬かせてから、ぎこちなく玲奈の背中に腕を回した。
抱きしめ方を、まだ誰にも教わっていない手つきだった。
白鳥が、そっと目元を拭った。
由鶴は、眼鏡を外して、白衣の袖で念入りにレンズを拭いていた。
零は、少し離れた場所から、二人の姿を見つめていた。
(……よかった)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
この光景を見るために、あの廃工場で、あの子に名前を与えたのかもしれない。
その時。
玲奈の肩越しに、奈緒の紅色の瞳が、零を捉えた。
「……」
奈緒は、玲奈の腕の中からするりと抜け出した。
そして、まっすぐに零の前まで歩いてきた。
「……だれ?」
「……玲奈の、兄です。三神零」
零は、努めて平静に答えた。
「みかみ、さん」
奈緒は、その名前を口の中で転がした。
それから、零の顔を、じっと見上げた。
一秒。二秒。三秒。
零の背中に、冷たい汗が流れた。
庭の風が止んで、生垣の葉擦れの音まで消えた気がした。
そして。
「——三神さん」
奈緒は、ぎゅっと零の腕に抱きついた。
「……え」
「三神さん、ここ、すわって」
奈緒は、零の腕を引っ張って、庭のベンチへと歩き出した。
零が腰を下ろすと、奈緒はその隣にぴたりとくっついて座り、零の腕を両手で抱え込んだ。
「……奈緒、ちゃん?」
「ここがいい」
奈緒は、零の肩に頭を預けて、満足そうに目を閉じた。
庭に、沈黙が落ちた。
「……ちょっと」
最初に声を上げたのは、玲奈だった。
「奈緒ちゃん。それ、私のお兄ちゃんなんだけど」
「うん。三神さん」
「私のお兄ちゃん!」
「……でも、ここがいい」
奈緒は、零の腕をさらに強く抱え込んだ。
「むううう」
玲奈は、頬を膨らませて零の反対側に座り込んだ。
そして、負けじと零のもう片方の腕にしがみついた。
「お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんだから」
「三神さんは、ここ」
「私が先!」
「わたしも、ここ」
両腕を妹二人に取られた零は、ベンチの上で完全に身動きが取れなくなった。
「……二人とも、腕が痺れる」
「だめ」
「だめ」
二人の声が、ぴったりと重なった。
少し離れた場所で、緋雪が口元を押さえて笑いを堪えていた。
由鶴は、なぜか端末を取り出して、その光景を記録していた。
「……由鶴さん、何を撮ってるんですか」
「資料です。お気になさらず」
白鳥の母が淹れてくれた茶を囲み、居間で遅めの昼食会が始まった。
零が持ってきた卵焼きとおにぎりを、奈緒は目を輝かせて頬張った。
「……あまい」
「玲奈の好きな味なんだ」
「れなさんと、おなじ?」
「うん。私も、お兄ちゃんのこれが一番好き」
玲奈が、得意げに胸を張った。
奈緒は、卵焼きをもう一切れ口に運んでから、ふと零の袖に鼻を近づけた。
くんくん、と小さく匂いを嗅ぐ。
「……奈緒ちゃん?」
「三神さん」
奈緒は、不思議そうに首を傾げた。
「お姉ちゃんと、おなじにおいがする」
居間の空気が、凍りついた。
零の箸が、止まる。
緋雪の湯呑みが、手の中でかちりと鳴った。
由鶴だけが、表情一つ変えずに茶をすすっていた。
「お姉ちゃん?」
玲奈が、きょとんとした顔で聞き返した。
「お姉ちゃんって、澪お姉ちゃんのこと? 奈緒ちゃん、会ったことないよね」
「ちがう。黒いドレスのお姉ちゃん」
奈緒は、当然のように答えた。
「わたしに、なまえをくれたお姉ちゃん。……三神さん、お姉ちゃんと、おなじにおい」
玲奈の目が、ゆっくりと零に向けられた。
「……お兄ちゃん。ゴーストさんと、会ったことあるの?」
零の頭の中が、真っ白になった。
何か言わなければならない。
だが、口を開いた瞬間に声が上擦る確信だけがあった。
「——それは、私のせいね」
静かな声が、割って入った。
緋雪だった。
「私、白百合の任務で、ゴーストさんと顔を合わせることがあるの。奈緒さんの移送の時も、立ち会ったわ」
緋雪は、落ち着いた手つきで湯呑みを置いた。
「それに、零くんとも毎日のように会ってるでしょう。……私を通して、匂いが移ったんじゃないかしら」
「……あ、そっか」
玲奈は、あっさりと納得した。
「緋雪さん、お兄ちゃんとずっと一緒だもんね」
「……ええ、まあ」
「奈緒ちゃん、鼻がいいんだね」
「……うん。わたし、においで、わかる」
奈緒は、こくりと頷いた。
そして、また零の腕にぴたりとくっついた。
零は、静かに息を吐いた。
テーブルの下で、緋雪の指先が、そっと零の手の甲を叩いた。
——大丈夫。
その合図に、零は小さく頷き返した。
だが。
その一部始終を、白鳥は、湯呑みを持ったまま凍りついて見つめていた。
(……待って)
白鳥の頭の中で、いくつもの情報が猛烈な速度で繋がっていく。
緋雪は、ゴーストさんと禁断の恋をしている。
それは、白鳥が先日、この目で確信したことだ。
そして今、緋雪は言った。
「零くんとも毎日のように会っている」と。
玲奈さんは言った。
「緋雪さん、お兄ちゃんとずっと一緒だもんね」と。
(……三神くんは、緋雪の恋人)
白鳥は、ゆっくりと零を見た。
妹二人に両腕を取られ、困ったように笑っている、穏やかそうな少年。
それから、緋雪を見た。
涼しい顔で茶をすすっている、親友。
(……緋雪、あなた)
白鳥の手の中で、湯呑みが小刻みに震えた。
(恋人がいながら、ゴーストさんとも……!?)
三角関係。
しかも、片方は世間を騒がせる裏社会の少女。もう片方は、何も知らない一般人の少年。
(三神くんは、知らないのよね。……緋雪が、ゴーストさんと禁断の恋をしてるなんて)
白鳥は、零の顔をもう一度見た。
穏やかで、優しそうで、妹を大事にしている少年。
自分の腕を奪い合う二人を、困った顔で交互に見ては、結局どちらの手も振りほどかない。
(……なんて、健気な人)
白鳥の目に、うっすらと涙が浮かんだ。
「……白鳥さん? どうかしたの?」
緋雪が、怪訝そうに首を傾げた。
「な、なんでもないわ」
白鳥は、慌てて湯呑みを置いた。
「ちょっと、お茶が熱かっただけ」
(言えない。……こんなこと、誰にも言えない)
白鳥は、心の中で固く誓った。
二人の秘密は、自分が守る。
だが、あの健気な少年のことも、いつか何とかしてあげなければ。
零は、白鳥がなぜか自分に向けてくる、慈しむような、憐れむような視線の意味が、まったく分からなかった。
日が傾き始めた頃。
玲奈と奈緒は、庭のベンチで並んで座っていた。
さっきまで零の腕を奪い合っていたのが嘘のように、二人は肩を寄せ合って話し込んでいる。
「ねえ、奈緒ちゃん」
「なに?」
「私のこと、なんて呼びたい?」
奈緒は、しばらく考え込んだ。
「……れなさん?」
「うーん」
玲奈は、少し照れくさそうに頬を掻いた。
「私、奈緒ちゃんのお姉ちゃんみたいなものだから。……お姉ちゃんって、呼んでくれたら嬉しいな」
奈緒は、ぱちぱちと瞬きをした。
それから、申し訳なさそうに首を振った。
「お姉ちゃんは、もういるの」
「……黒いドレスの人?」
「うん。お姉ちゃんは、お姉ちゃんだけ」
奈緒の声には、少しの迷いもなかった。
玲奈は、少しだけ寂しそうに笑った。
「そっか。……じゃあ、仕方ないね」
「でも」
奈緒は、玲奈の袖をきゅっと掴んだ。
「れなさんも、おねえちゃんみたいなの。だから」
奈緒は、一生懸命に言葉を探していた。
そして、ぱっと顔を輝かせた。
「——れなねえ」
「……え?」
「れなねえ。……だめ?」
玲奈は、しばらく固まっていた。
それから、みるみる顔を赤くして、奈緒に抱きついた。
「だめじゃない! 全然だめじゃない!」
「わっ」
「れなねえ。……れなねえかあ」
玲奈は、何度もその呼び名を繰り返した。
縁側からその様子を見ていた零は、静かに笑った。
帰りの支度をしている最中。
零は、白鳥の家の前の道で、一人で車を待っていた。
夕暮れの田舎道には、人影もほとんどない。
畑の向こうで、鴉が一羽、電線から飛び立っていった。
その時、道の向こうから、自転車を押した女性が歩いてきた。
農作業帰りのような、もんぺ姿である。
女性は、零の隣で足を止め、自転車のスタンドを立てた。
「——そのままで、お聞きください」
八咫の隊員の声だった。
零は、表情を変えずに頷いた。
「国内の経路について、ご報告です」
「……例の、団体ですか」
「はい」
隊員は、自転車の籠の野菜を整えるふりをしながら、淡々と続けた。
「白い衣を纏った思想団体。……この一週間で、魔法少女の適性を失った元隊員、少なくとも四名に接触しております」
零の背筋が、冷えた。
「適性を、失った人たちに」
「はい。『もう一度、魔法少女に戻れる。しかも、永遠に』と勧誘している模様です」
隊員は、白鳥の家の方角へ、ちらりと視線を向けた。
「こちらの白鳥様が進めておられる居場所づくりと、対象が重なります。……殿下は、この家の周辺にも警戒を広げるよう、八咫三番に指示されました」
「……白鳥さんには」
「今は、まだお伝えしておりません。……判断は、三神様と羽衣様にお任せすると」
零は、しばらく黙り込んだ。
戦えなくなった魔法少女。
適性を失い、組織から切り捨てられた少女たち。
白鳥が、自分の名前で生きていける場所を作ろうとしている、その少女たちを。
(……変身したまま、永遠に)
あの設計図が、そのために使われようとしている。
零の脳裏に、この四週間の記憶が蘇った。
戻れない身体。鏡の中の知らない顔。家に帰れない夜。
あれを「救い」だと言って差し出す人間がいる。
しかも、差し出される側は、一度すべてを失った人たちだ。断れるはずがない。
「……分かりました。緋雪さんと相談します」
「承知いたしました」
隊員は、自転車のスタンドを蹴り上げた。
「なお、先ほどの居間でのやり取りは、拝見しておりました」
「……え」
「奈緒様の嗅覚には、今後もご注意を」
隊員は、それだけ言うと、夕暮れの道を自転車を押して去っていった。
数歩進んだところで、その姿は、田舎道の景色に溶けて見えなくなった。
(……どこから見てたんだ)
零は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「お兄ちゃーん! 車、来たよ!」
玲奈の声が、庭先から響いた。
玄関先では、奈緒が白鳥の隣に立って、手を振っていた。
「三神さん、れなねえ。……また、きてね」
「うん。絶対、また来る」
玲奈が、力強く頷いた。
零も、奈緒の頭にそっと手を置いた。
「またね、奈緒ちゃん」
「……うん」
奈緒は、零の手に、自分の頭を押しつけるようにして目を細めた。
白鳥が、車に乗り込もうとする緋雪の袖を、そっと引いた。
「……緋雪」
「なに?」
「わたし、何も言わないから」
白鳥は、真剣な目で緋雪を見つめた。
「でも、三神くんのことも、大事にしてあげてね」
「……? ええ、もちろん」
緋雪は、首を傾げながら頷いた。
白鳥は、その返事にさらに複雑な顔をして、深い溜息を吐いた。
帰りの車の中。
行きとは席を入れ替え、零は後部座席で玲奈の隣に座っていた。
玲奈は、零の肩にもたれて眠っていた。
泣いて、笑って、腕を奪い合って、一日分の感情を使い果たしたのだろう。
その寝顔は、昼間の奈緒とよく似ていた。
助手席の緋雪が、ミラー越しに零を見た。
「……白鳥さん、最後に変なこと言ってたわ」
「なんて?」
「『三神くんのことも、大事にしてあげてね』って」
「……当たり前のことじゃないの?」
「そうよね。……なのに、すごく哀しそうな顔をしてたの」
運転席の由鶴が、前を向いたまま、ぽつりと呟いた。
「……私の推測では、白鳥さんの中で、何か重大な誤解が生じていると思われます」
「誤解?」
「ええ。……ですが、今は訂正しないほうが、三神くんの秘密のためには都合がいいかと」
緋雪と零は、顔を見合わせた。
由鶴は、それ以上何も説明しなかった。
この人は、いつもそうだ。
気づいていることを、必要な分だけ口にして、その先には決して踏み込んでこない。
零は、窓の外に流れる夕暮れの景色を見つめた。
(……適性を失った魔法少女、か)
八咫の報告が、胸の奥で重く沈んでいた。
今夜、緋雪にだけは、話しておかなければならない。
肩の上で、玲奈が小さく寝言を漏らした。
「……なおちゃん……れなねえ、だよ……」
零は、妹の頭が落ちないように、そっと肩の角度を直した。
冬の日は、もうすっかり沈みかけていた。




