第二百五十六話
帰宅から、二日。
初めての休日の朝だった。
零は、エコバッグを片手に、商店街を歩いていた。
昨日の登校は、控えめに言っても地獄だった。
四週間分の課題、担任の説教、そしてクラスメイトの詮索。稔に至っては、休み時間のたびに「で、彼女は?」と聞いてきた。
(豚こま、卵、大根。……あと、玲奈の好きなプリン)
今日は、スーパー『ヤオヨシ』の特売日である。
四週間ぶりの特売日だった。チラシを見た瞬間、身体が勝手に靴を履いていた。
自動ドアをくぐると、懐かしい店内放送が流れていた。
野菜売り場の冷気。精肉コーナーの値引きシール。レジの電子音。
零は、ようやく日常に帰ってきたのだと実感した。
カゴに品物を詰め、レジの列に並ぶ。
前の客が会計を終え、零の番が来た。
「いらっしゃいませ——」
レジの店員が、顔を上げた。
金糸の長い髪を三角巾でまとめた、緑エプロン姿の女性である。
ルディア・ロンディニウムの手から、バーコードリーダーが滑り落ちた。
がしゃん、と乾いた音が店内に響く。
「……み」
「……どうも」
「三神くんっ!?」
ルディアの叫び声に、店内の空気が凍りついた。
鮮魚コーナーで鯛を捌いていた須藤真里が、出刃包丁を握ったまま振り返る。
その顔は、般若と聖母が同時に浮かんだような、形容しがたい表情だった。
「三神様……!」
品出し中だったルカとリリアが、段ボールを放り出して駆け寄ってくる。
三角巾を揺らしながら、二人は零の両脇にぴたりと張り付いた。
「本物?」
「本物だね」
「あの、会計を……」
零は、カゴを指さした。
ルディアは、震える手で豚こまのパックを掴み、なぜかそのまま胸に抱きしめた。
「……ご無事で。……ご無事で、何よりですわ」
「……あの、豚こま」
「失礼いたしましたわ」
ルディアは、涙ぐみながらバーコードを読み取った。
特売の値札が、いつもより長く感じる時間をかけて読み上げられていく。
後ろに並んだ主婦が、不思議そうに首を傾げていた。
会計を終えて店を出ると、自動ドアの横に一人の女性が立っていた。
プラチナブロンドの髪に、紫の瞳。
上品なコートを羽織った、隣家の住人である。
「——おはよう、零くん」
ヴィクトリア・ローゼンベルグは、にこやかに微笑んだ。
だが、その目は少しも笑っていなかった。
「……おはようございます。偶然ですね」
「ええ、偶然よ」
ヴィクトリアは、さらりと答えた。
「少し、お話しできるかしら」
五分後。
零は、ヤオヨシの店裏にある従業員用のベンチに座らされていた。
右にはヴィクトリア。左には、休憩時間を強引に前倒ししたルディア。
エコバッグは、真里が「お預かりします」と言って冷蔵室に運んでいった。
裏口の壁際には、潰した段ボールが山と積まれている。
世界の裏側を握る二人が挟んで座る場所として、これ以上に場違いな景色もなかった。
「では、ルディア・ロンディニウム。あなたから、どうぞ」
「ええ。遠慮なく、ヴィクトリア・ローゼンベルグ」
二人は、零を挟んで火花を散らした。
それから、揃って零へと向き直る。
「三神くん」
ルディアが、静かに口を開いた。
「わたくしどもは、関東一円の信徒八百四十名を動員し、あなたを探しておりましたの」
「……八百、四十」
「駅、商業施設、公園、図書館、コンビニエンスストア。……痕跡は、一つもございませんでしたわ」
「こちらも同様よ」
ヴィクトリアが、静かに続けた。
「二週間、あなたの家を監視していたけれど。……一度も、帰ってこなかったわね」
「……監視、してたんですか」
「隣人として、心配していただけよ」
ヴィクトリアは、平然と答えた。
軍事衛星を二週間近く私的に占有したことは、口にしなかった。
「零くん。……四週間、どこにいたの」
零は、用意していた答えを口にした。
「研修です。宮内庁の、特別事業で」
「宮内庁」
「詳しいことは、守秘義務で言えなくて。……家族にも、同じ説明をしています」
ヴィクトリアとルディアは、顔を見合わせた。
宮内庁。皇室の名。
裏社会の二大勢力であっても、容易に踏み込める領域ではない。
「……なるほど。道理で、痕跡が掴めなかったわけね」
ヴィクトリアは、しばらく考え込んでいた。
それから、ふと視線を零へと戻した。
「では、もう一つ聞かせて」
「……はい」
「わたくし、以前から気になっていることがあるの」
ヴィクトリアの紫の瞳が、すっと細められた。
「ゴースト様がお見えになる時。……零くん、あなたは一度も、その場にいたことがないわね」
零の背筋に、冷たいものが走った。
「……そう、でしたっけ」
「ええ。そうよ」
「わたくしも、気になっておりましたの」
ルディアが、胸の前で手を組んだ。
「ゴースト様がお力を振るわれている間、三神くんはどちらにいらっしゃるのかしら、と」
零は、一拍だけ間を置いた。
ここで慌てれば終わりだ。
「……会わないように、言われてるんです」
「……え?」
「ゴーストさんに。……前に一度、助けてもらった時に」
零は、視線を落として続けた。
「『あなたは、私が戦う場所には来ないで。巻き込まれたら、守りきれないから』って。……それからは、あの人が出てくるような騒ぎがあったら、すぐ家に帰るようにしてます」
ルディアの目が、みるみる潤んでいった。
「……ゴースト様が、直々に」
「はい」
「三神くんを、戦いから遠ざけておられる……」
ルディアは、胸の前で組んだ手を震わせた。
零は、内心で胸を撫で下ろした。
嘘の中に、自分がゴーストとして本当に言いそうな言葉を混ぜた。それだけに、声は震えずに済んだ。
だが、ヴィクトリアは、にこりと微笑んだだけだった。
「そう。では、今日の午後は?」
「え?」
「今日の午後。ゴースト様が、奈緒の移送に立ち会われるの」
ヴィクトリアは、零の顔をじっと見つめた。
「その時間、零くんはどこにいるのかしら」
(……罠だ)
零は、瞬時に理解した。
ここで「家にいる」と答えれば、監視の目が三神家に向く。家を出る姿を見られれば、それで終わりだ。
「……午後は、学校です」
「学校? 今日は休日でしょう」
「四週間休んだ分の、補習です」
零は、スマートフォンの画面を二人に見せた。
一昨日の夕方、担任から届いたメッセージである。『休日も補習に来るように』。これ自体は、嘘ではなかった。
「出席日数が足りなくなるので、休日も学校に来いって。……夕方まで、缶詰めです」
ルディアが、両手で口元を覆った。
「まあ……! 研修の代償を、休日返上で……」
「……そう」
ヴィクトリアは、静かに頷いた。
だが、その目はまだ、何かを測っていた。
聴取が終わると、真里が冷蔵室からエコバッグを運んできた。
中身は、なぜか一品増えていた。丁寧に柵取りされた、鯛の刺身である。
「お帰りなさいませの、お祝いです」
真里は、聖母の顔で微笑んだ。
午後。
都内某所、星監の医療施設。
白い廊下の先に、奈緒の病室があった。
扉の前には、見送りの医療スタッフたちが並んでいる。
「奈緒ちゃん、元気でね」
「お薬、ちゃんと飲むのよ」
奈緒は、リュックを背負い、一人一人に頭を下げていた。
紅色の瞳が、少しだけ潤んでいる。
背丈は、玲奈とさほど変わらない。身体は十四歳ほどに育っている。
だが、その仕草や言葉は、八歳ほどの子供のものだった。
この施設に来た頃は、言葉もほとんど話せなかった少女である。
白い部屋の壁に、震える線で落書きを描いていた頃から、まだひと月も経っていない。
「レイラさん」
奈緒は、最後に一人の女性の前で立ち止まった。
「いろいろ、ありがとう。……やさしく、してくれて」
レイラ・メリクスは、しゃがみ込んで奈緒の頭を撫でた。
「こちらこそ。……向こうでも、ちゃんとご飯を食べるのよ」
「うん」
その時。
廊下の空気が、ふっと揺らいだ。
影の中から、漆黒のドレスを纏った少女が、音もなく姿を現した。
「お姉ちゃん!」
奈緒が、リュックを揺らしながら駆け出した。
ほとんど体当たりのような勢いだったが、ゴーストは揺らぎもせずに受け止めた。
「……待たせたわね、奈緒」
「ううん」
奈緒は、ゴーストのドレスに顔を埋めた。
ゴーストの口元が、僅かに緩む。
「お姉ちゃんが来るなら、どこに行っても平気」
奈緒は、顔を上げずにそう言った。
迷いのない声だった。この少女にとって、目の前の黒いドレスの人は、疑う理由すら持たない存在なのだ。
廊下の奥から、二人の女性が歩いてきた。
ヴィクトリアと、エプロンを脱いだルディアである。
ルディアの後ろには、堀宮子が控えていた。
「ゴースト様」
二人は、揃って頭を下げた。
そして、顔を上げた瞬間に、互いを睨み合った。
「ヴィクトリア・ローゼンベルグ。先にご挨拶したのは、わたくしですわ」
「同時だったわよ、ルディア・ロンディニウム」
「……二人とも、今日は奈緒の日よ」
ゴーストが、静かに告げた。
二人は、揃って口を閉じた。
ヴィクトリアは、薄いファイルを差し出した。
「首の術式の経過データです。……この四週間で、反応はほとんど出ておりません。念のため、受け入れ先にもお渡しください」
「ありがとう」
「宮子」
ルディアが、背後に声をかけた。
「最後に、診てさしあげて」
「はい」
宮子は、奈緒の前に膝をつき、その首元に手をかざした。
淡い緑色の光が、少女の身体を包み込む。
「……問題、ありません。健康そのものです」
「そう。……では」
ルディアは、奈緒の前に屈み込み、その額にそっと指を当てた。
「あなたの行く道に、光がありますように」
「……ありがとう、ございます」
奈緒は、少し戸惑いながらも頭を下げた。
その時、廊下の角から、もう一人の少女が現れた。
銀髪を後ろで束ねた、白百合の盾の制服姿である。
「——お待たせしました」
羽衣緋雪だった。
「白百合の盾より、立会人として参りました。……姫嶋会長の承認は、得ております」
ヴィクトリアは、緋雪の姿を見て、小さく眉を上げた。
(……羽衣緋雪。零くんの恋人が、ゴースト様の隣に)
ルディアもまた、静かに緋雪を見つめていた。
二人は、ゆっくりと互いの顔を見合わせた。
だが、どちらも、何も口にはしなかった。
星監の車が、郊外へと走っていく。
後部座席には、ゴーストと奈緒と、緋雪が並んでいた。
奈緒は、窓の外を流れる景色に夢中だった。
「お姉ちゃん、あれなに?」
「田んぼよ。冬だから、何も植わっていないけれど」
「春になったら?」
「お米が育つわ」
「おこめ……」
奈緒は、窓ガラスに額をくっつけた。
白い部屋の天井しか知らなかった目が、いま、地平線まで続く冬枯れの景色を追っている。
一時間ほど走った頃、車は小さな一軒家の前に停まった。
庭先には、二人の女性が待っていた。
一人は、柔らかな笑みを浮かべた中年の女性。
もう一人は、少し痩せた、けれど穏やかな目をした少女である。
「——いらっしゃい」
白鳥が、奈緒の前にしゃがみ込んだ。
「あなたが、奈緒ちゃんね」
「……はい」
奈緒は、ゴーストのドレスの裾を握りしめたまま、小さく頷いた。
「わたしは、白鳥。……ここはね、わたしの家なの」
白鳥は、静かに続けた。
「『翼の家』のほうも見ているけれど、あそこはみんなの場所。ここは、お母さんと二人で暮らしている、ただの家」
彼女は、少しだけ声を落とした。
「わたしもね、昔、自分の名前が分からなくなったことがあるの。番号で呼ばれて、道具みたいに扱われて」
奈緒の目が、大きく見開かれた。
「……いっしょ?」
「うん。いっしょ」
白鳥は、奈緒の小さな手を両手で包み込んだ。
「だから、ここでは、あなたの名前で生きていいのよ。奈緒ちゃん」
奈緒は、しばらく白鳥の顔を見つめていた。
それから、握っていたドレスの裾を、そっと離した。
「……よろしく、おねがいします」
白鳥の母が、温かい茶を淹れてくれた。
小さな居間で、奈緒は湯呑みを両手で包み込みながら、部屋の中をきょろきょろと見回していた。
仏壇。柱の傷。色褪せた家族写真。
どれも、この少女が一度も持ったことのないものだった。
「白鳥さん」
奈緒が、ふと口を開いた。
「わたしの血をくれた人も、いるんだよね」
居間の空気が、一瞬だけ静まった。
「……ええ」
白鳥は、静かに頷いた。
「玲奈さんっていうの。……あなたに、会いたがってるって聞いたわ」
「……れな、さん」
奈緒は、その名前を、宝物のように繰り返した。
帰り際。
玄関で靴を履くゴーストの袖を、奈緒が引いた。
「お姉ちゃん。……また、来る?」
「ええ」
ゴーストは、奈緒の頭にそっと手を置いた。
「約束するわ」
奈緒は、ようやく満面の笑みを浮かべた。
庭先で車を待つ間、白鳥がそっと緋雪の隣に並んだ。
「……ねえ、緋雪」
「なに?」
「わたし、応援してるからね」
「……何を」
白鳥は、車の陰に立つゴーストへ、ちらりと視線を送った。
「白百合のトップエースと、世間じゃテロリスト扱いの裏社会の人。……しかも、女の子同士」
白鳥は、両手を胸の前で組んだ。
「立場も、世間も、全部を敵に回した恋。……禁断の恋って、ほんとにあるのね」
——ピシリ。
庭の植木鉢に、うっすらと霜が降りた。
「ち、違うって言ってるでしょう!」
「霜、降りてるよ」
「……っ」
違う。
女の子同士ではない。だが、それを説明することは、死んでもできない。
緋雪は、真っ赤な顔で口を閉ざすしかなかった。
「大丈夫。誰にも言わないから」
白鳥は、慈しむような目で親友を見つめた。
「……二人の秘密は、わたしが守る」
ゴーストは、車の陰で聞こえないふりをしていた。
だが、その肩は、僅かに震えていた。
その夜。
零は、影移動で学校の裏手に降り立ち、正門から出て三神家へ帰った。
肩には、課題の束が入った学校の鞄を提げている。補習に行ったという体裁のためだけに、午前中に家で詰めてきたものだった。
「ただいま」
「——遅かったわね」
リビングで、澪が腕を組んで待っていた。
「補習、休日なのにこんな時間まで?」
「……帰りに、少しだけ緋雪さんと会ってた」
澪の口元が、みるみるにやけていった。
「へえ。……補習の後にデートね」
「……まあ」
「お父さーん、零、補習サボってデートだって」
「サボってない」
「なにっ」
ソファで新聞を広げていた五郎が、勢いよく顔を上げた。
老眼鏡が、鼻の先までずり落ちている。
「帰ってきた翌日にか。……若いっていいなあ、母さん」
「あらあら。緋雪ちゃん、今度うちにも呼びなさいよ」
台所から、奈々美が顔を出した。
「お兄ちゃんばっかり、ずるい」
玲奈が、ソファの上で膝を抱えてむくれた。
「私も、どこか連れてって」
「……今度な」
零は、苦笑しながら鞄をソファの脇に置き、台所に向かった。
背中に、澪のにやついた視線が刺さっている。
(……疑われては、いない)
零は、午前中に買った豚こまを冷蔵庫から取り出しながら、小さく息を吐いた。
澪の中では、今日の遅い帰宅も、すべて「緋雪さん絡み」で片付いたらしかった。
この家で最も鋭い姉の目が、こと弟の色恋に関してだけは、驚くほど曇る。
同じ頃。
福音の鐘のアジトで、ルディアは燭台の前に跪いていた。
「……分かりましたわ」
彼女は、恍惚とした表情で呟いた。
「ゴースト様は、神使様を戦いの場から遠ざけておられる。……ご自身の元へ近づくことすら、お許しにならないほどに」
彼女は、燭台の炎を見上げた。
「なんという、御寵愛。……わたくしどもも、神使様を戦場に近づけてはなりませんわ」
背後で、真里が静かに目を閉じた。
ルカとリリアは、「また始まった」という顔で、明日の品出し表を確認していた。
星監の地下ラボでは、ヴィクトリアがモニターを見つめていた。
「……報告を」
「三神零、午後一時に学校の正門から入校。その後、校舎内で見失いました」
「見失った?」
「はい。……ですが午後六時、同じ正門から下校しております」
ヴィクトリアは、静かに指先で机を叩いた。
「入った姿と出た姿は確認できて、その間の五時間は、校舎の中で消えていた」
彼女は、独り言のように続けた。
「ゴースト様が移送に立ち会われた時間と、ほとんど同じね。……あの学校、何かあるのかしら」
ヴィクトリアは、モニターに映る校舎の航空写真を見つめた。
視線は、少年ではなく、建物のほうへと向いていた。
もう一つの答えは、とうに彼女の中にある。
だが、それを認めることは、これまでの信仰を根こそぎ否定することでもあった。
その答えを、ヴィクトリアはまだ口にしなかった。
「学校の周辺を、洗い直しなさい。……地下設備、結界の痕跡、協会の旧施設。何でもいいわ」
深夜。
零は、ゴミ出しのために玄関を出た。
冬の夜気が、頬を刺す。
集積所にゴミ袋を置いて振り返った時、電柱の陰に人が立っていることに気づいた。
いつから、そこにいたのか分からない。
「——夜分に、失礼いたします」
紺のスーツではなく、地味なコートを着た女性だった。
宮内庁の主査を名乗り、桐宮邸の厨房で黙々と卵を割り、帰り際に梅干しをくれた、あの八咫の隊員である。
「……どうして、ここに」
「殿下のご指示です。……隣家の監視網は、迂回しておりますのでご安心を」
彼女は、淡々と告げた。
星監の監視の目が、この一角に張り付いていることなど、とうに承知しているらしかった。
「三神様に、お伝えすべきことがございます」
「……聞きます」
「椎葉の手元から流出した設計図の写しが、少なくとも三つの経路で外部へ渡っております」
零の背筋が、冷えた。
「三つ」
「はい。……一つは、海外。一つは、国内のある団体。そして、最後の一つは」
隊員は、僅かに言葉を切った。
「経路の先が、追えませんでした。……人の気配が、途中で消えております」
「……気配が、消える」
「八咫の索敵で追えないものは、人ではない可能性がございます」
夜風が、電線を鳴らした。
「いずれも、まだ動きは小さなものです。……ですが、きな臭い動きであることは、間違いございません」
隊員は、深く頭を下げた。
「殿下は、昨日一日だけは三神様にお伝えするなと仰いました。……ご家族との時間を、邪魔せぬように」
「……殿下が」
「本日より、状況は随時お伝えいたします。……では」
隊員は、一歩下がった。
街灯の光が、一瞬だけ揺らいだ。
瞬きをする間に、電柱の陰には、誰もいなくなっていた。
零は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
手の中には、まだ冷えたゴミ袋の感触が残っていた。
(……終わってない、か)
同じ夜。
欧州の某所。
重厚な会議室の机の上で、一枚の計画書に承認の印が押された。
表題には、「変身固定技術による魔法少女の常設兵器化」と記されていた。
国内のどこか。
白い礼拝堂で、白い衣を纏った者たちが、声を揃えて唱えていた。
「——変身したまま、永遠に。老いず、朽ちず、美しいままに」
祭壇の上には、見覚えのある設計図の写しが、恭しく捧げられていた。
そして、光の届かない暗闇の中。
人の形をした何かが、同じ設計図を、長い指でなぞっていた。
「……かつての同胞よ、お前の遺した技術と、よく噛み合う」
その声は、人のものにしては、あまりにも温度がなかった。
三つの影が、それぞれの場所で、静かに動き始めていた。




