第二百四十七話
変身が解けなくなって、二十二日目。
解析は、完全に行き詰まっていた。
星監の技術班は、装置の残骸から術式の断片を復元することに成功した。
だが、それは全体の三割にも満たない。残りの七割——最も重要な、解除経路の切断に関わる部分は、自壊によって完全に消し飛んでいた。
焼け焦げた基板の上に残っているのは、意味をなさない符号の切れ端ばかりである。どれほど高性能な解析機にかけても、失われた部分を推測で埋めることはできなかった。
由鶴と凛花が突き止めた協会の技術顧問についても、状況は芳しくなかった。
その人物は、廃工場の一件の直後から行方をくらませている。自宅も、協会内の執務室も、もぬけの殻だった。
机の引き出しには、私物の一つも残されていなかったという。まるで、最初からそこに誰もいなかったかのように。
福音の鐘が全国の信徒を動員して追跡しているが、痕跡すら掴めていない。
そして——零の変身が解けなくなってから、三週間が過ぎた。
その日の夕方。
零は、洋館の裏手にある小さな庭に立っていた。
かつては手入れされていたであろうその庭は、長い放置の末に半ば野に還っている。
枯れた薔薇の茂み。倒れかけた木製のベンチ。石畳の隙間から伸びた雑草。
錆びついた鉄のアーチには、冬枯れの蔓が絡みついたままになっていた。
この三週間で、零はここを少しずつ整えていた。
他にやることがなかったからだ。
雑草を抜き、枯れ枝を払い、石畳の苔を削る。
手を動かしている間だけは、鏡の中の少女のことも、戻れない家のことも、考えずに済んだ。
冬の夕暮れの中、彼は落ち葉を掃き集めていた。
竹箒が石畳を擦る、乾いた音。山の冷気が、首筋をゆっくりと撫でていく。
その手が、ふと止まった。
(……なに)
零の背筋に、鋭い悪寒が走った。
最強の死神としての直感。数え切れない死線をくぐり抜けてきた者だけが持つ、危険の察知。
だが、魔力の反応はない。
いや——正確には、あまりにも希薄すぎて、感知しきれないのだ。
まるで、空気そのものが薄く引き伸ばされているような。
庭の空間に、誰かが最初からそこにいたかのような——
鳥の声が、いつの間にか途絶えていた。
「——動かないで」
その声は、零の真後ろから聞こえた。
零は、咄嗟に振り返ろうとして——できなかった。
首筋に、冷たいものが押し当てられている。
刃だ。
皮膚一枚。ほんの僅かでも身じろぎすれば、そのまま喉を裂かれる距離。
竹箒の柄を握る指先に、じわりと力が籠もった。
(……いつから)
零の背中を、冷や汗が伝う。
(この距離まで、気配を感じなかった)
十一年間、一度もなかったことだ。
どんな暗殺者も、どんな魔獣も、ここまで接近される前に必ず察知してきた。
「三神零さん。……で、間違いありませんね」
その声は、若い女性のものだった。
抑揚が乏しく、感情の色がほとんど乗っていない。
零の呼吸が、完全に止まった。
(……今、なんて)
ゴーストではなく、三神零。
この姿の自分を、その名で呼んだ者は——緋雪以外に、一人もいない。
「返事は結構です。確認は済んでいますので」
女性は、淡々と続けた。
「わたくしは、夕日紅と申します。……皇太子殿下直属、特務魔法少女部隊『叢雲』所属」
零は、必死に思考を巡らせた。
(叢雲……? そんな部隊、聞いたことがない)
協会にも、白百合にも、そのような名称の部隊は存在しない。
政府の隠密でもない。あれは御子柴の事件で完全に解体されている。
(それに、皇太子殿下直属?)
あまりにも突飛な単語が並びすぎて、現実感が伴わなかった。
ニュースの中でしか見たことのない存在が、なぜ今、この荒れた庭に繋がってくるのか。
「……何のご用かしら」
零は、努めて平静を装った。
首筋に刃を突きつけられたまま、それでも彼女はゴーストとしての威厳を崩さなかった。
声は震えていない。少なくとも、そう聞こえるように喉を締めた。
「用件は、一つだけです」
夕日紅は、静かに答えた。
「あなたが元の姿に戻る方法について、お話があります」
その言葉に、零の思考が凍りついた。
(……戻る、方法)
この三週間、誰も見つけられなかったもの。
星監の技術班も、福音の浄化術者も、緋雪も、由鶴も。
誰一人として、糸口すら掴めていない、その答え。
喉の奥から、何かがせり上がってくる。
希望と呼ぶには生々しすぎる、飢えにも似た感情だった。
「……どういうこと」
「言葉の通りです」
夕日紅は、淡々と続けた。
「殿下は、あなたの現状をご存知です。そして、それを解決する手段をお持ちです」
「……なぜ、私の現状を」
「それも含めて、殿下から直接お聞きください」
その時。
「——ゴーストから離れなさい!」
庭の入り口から、鋭い声が響いた。
羽衣緋雪。
夕食の材料を抱えたまま、彼女は氷の太刀を生成していた。
足元に落ちた紙袋から、玉ねぎが一つ、石畳の上を転がっていく。
だが、彼女はそれに一瞥もくれなかった。
「……お邪魔ですね」
夕日紅は、静かに呟いた。
そして、零の首から刃を離し、音もなく後方へと跳躍した。
零は、ようやく振り返った。
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
零や緋雪と、そう変わらない年齢に見える。
膝丈の、濃紺を基調とした戦闘服。装飾は最小限で、機能性のみを追求した意匠。
肩の下で切り揃えられた、燃えるような赤い髪。
そして——感情の一切読み取れない、深い琥珀色の瞳。
手にしているのは、緩やかに反った一振りの刀だった。
刀身は、まるで陽炎のように輪郭が揺らいでいる。
目を凝らしても、刃の在り処が定まらない。
見つめるほどに、そこに刀があるのかどうかさえ曖昧になっていく。
「白百合の盾、羽衣緋雪さん」
夕日紅は、静かに告げた。
「わたくしは、交戦の意思を持ちません。用件が済めば、速やかに撤収します」
「首に刃を突きつけておいて、交戦の意思がないですって?」
緋雪の周囲に、冷気が渦を巻き始めた。
足元の落ち葉が白く霜を帯び、吐く息が一瞬で凍りつく。
洋館の窓ガラスに、ぴしり、と細い氷の筋が走った。
「……離れて」
「ですから、離れております」
「そういう問題じゃないわ!」
緋雪が、地を蹴った。
神速の踏み込み。
彼女がこれまで数え切れないほど繰り返してきた、絶対の間合いの詰め方である。
特級魔獣の首を、何度も一太刀で落としてきた踏み込みだった。
氷の太刀が、真横に閃く。
それは、夕日紅の首元へと——
「遅いです」
零の目が、何も捉えられなかった。
次の瞬間。
——ガキィィンッ!
緋雪の氷の太刀が、根元から砕け散っていた。
「……え」
緋雪は、自分の手元を呆然と見つめた。
武器が、ない。
いや——正確には、太刀の柄だけが残っていた。
刀身は、根元から綺麗に切断されている。
断面は、鏡のように滑らかだった。
力任せに叩き割られたのではない。最初からそこで分かたれていたかのように、美しく切り離されている。
「——っ!」
緋雪は、咄嗟に新たな氷を生成しようとした。
だが、その前に。
彼女の首筋に、陽炎の刀が添えられていた。
「……っ」
緋雪の身体が、完全に硬直する。
(……見えなかった)
彼女の背筋を、氷のような戦慄が這い上がった。
(動きが、まったく見えなかった)
白百合の盾のトップエース。氷の頂点。
その彼女が、初動から終了まで——何一つ、反応できなかった。
ゴーストと刃を交えた時でさえ、少なくとも剣筋は見えていた。
だが、この少女の刃には、始まりも終わりもなかった。
「言ったはずです。交戦の意思はない、と」
夕日紅は、淡々と告げた。
「ですが、こちらの進行を妨げるのであれば、相応の対応を取ります」
「……あなた」
緋雪は、震える声で問うた。
「何者なの」
「『叢雲』所属、夕日紅」
彼女は、静かに繰り返した。
「それ以上のことは、申し上げられません」
「——そこまでよ」
その時。
庭全体に、圧倒的な重圧がのしかかった。
冬の空気が軋み、枯れ葉が地面に叩きつけられる。
石畳にひびが走り、倒れかけたベンチが粉々に砕けた。
錆びたアーチが悲鳴のような音を立ててしなり、絡みついていた枯れ蔓がはらはらと千切れ落ちる。
「……ほう」
夕日紅の瞳が、僅かに細められた。
初めて、その琥珀色の奥に、何かが灯ったように見えた。
彼女は、緋雪の首から刀を離し、ゆっくりと後退した。
零は、静かに歩み出た。
その全身から、闇色の魔力が立ち上っている。
私服姿のまま。束ねられた黒髪を夜風に揺らしながら。
白いブラウスの袖口から、黒い靄のような魔力が絶え間なく溢れ出している。
だが、そこにいるのは紛れもなく——最強の死神だった。
「……緋雪さんに、刃を向けたわね」
その声は、静かだった。
だが、その静けさが、何よりも恐ろしかった。
「……それは、私の逆鱗に触れる行為よ」
夕日紅は、しばらく無言で零を見つめていた。
庭を満たす重圧の中で、彼女だけが平然と立っている。
膝も折らず、呼吸も乱さず。ただ、その足元の石畳だけが、じわじわと沈み込んでいた。
そして、静かに——刀を鞘へと納めた。
「……申し訳ありません」
彼女は、深く頭を下げた。
「わたくしの判断が、軽率でした。……ご不快な思いをさせたことを、お詫びいたします」
「……」
「ですが、これだけは申し上げます」
夕日紅は、顔を上げた。
「わたくしは、あなた方に危害を加えるために来たのではありません」
零は、しばらく彼女を見つめていた。
その目には、確かに敵意がない。
あるのは、ただ任務を遂行しようとする冷徹な意志だけだった。
(……この子、本気で戦う気がなかったのか)
そして、それでいて緋雪を一瞬で無力化した。
(……本気を出していたら、どうなっていた)
考えたくもない問いだった。
零は、静かに魔力を収めた。
庭を押し潰していた重圧が、潮が引くように消えていく。
止まっていた鳥の声が、遠くの梢で一つ、また一つと戻ってきた。
「……緋雪さん。大丈夫?」
「……ええ」
緋雪は、青ざめた顔で頷いた。
「怪我はないわ。……ただ」
彼女は、砕け散った氷の太刀の柄を握りしめた。
指先が白くなるほど、強く。
「……何もできなかった」
その声は、ひどく小さかった。
零を守るために、この三週間を費やしてきた。その自負が、たった一太刀で切り落とされたのだ。
「話を、聞かせてもらえるかしら」
零は、夕日紅へと向き直った。
「あなたは、私が元に戻る方法を知っていると言ったわね」
「はい」
「それを、なぜ私に教えるの」
「殿下のご意向です」
夕日紅は、淡々と答えた。
「詳細については、わたくしの権限では説明できません。……ですが、一つだけ申し上げられることがあります」
「……なにかしら」
「あなたが今置かれている状況の原因は、皇室にも一端の責任があります」
その言葉に、零と緋雪は同時に息を呑んだ。
「……どういう意味」
「あの装置の技術的基盤は、旧国防委員会が開発した『ダインスレイブ』です」
夕日紅は、静かに続けた。
「そして、ダインスレイブの原型技術は——十一年前の『厄災』の折、皇室の要請によって研究が開始されたものです」
「……っ」
「当時の目的は、暴走した魔法少女を無力化するための、非殺傷手段の確立でした。ですが、その研究は後に国防委員会へと移管され、まったく別の兵器へと変質した」
彼女は、僅かに目を伏せた。
「殿下は、それを『皇室の不作為が生んだ罪』とお考えです」
零は、しばらく言葉を失っていた。
(……十一年前)
凛音が死んだ、あの『厄災』。
自分がゴーストになった、あの日。
燃える街。雨の匂い。自分を庇って倒れた、白銀の髪の背中。
そこから始まった技術が、巡り巡って——今、自分を縛っている。
隠密たちの首に刻まれた呪符も、奈緒の首を縛っていた術式も、そして自分の変身を閉ざしたあの装置も。
すべてが、同じ一つの根から伸びていたのだ。
「……皇太子殿下は、何を望んでおられるの」
零は、静かに問うた。
「面会を」
夕日紅は、即答した。
「殿下は、あなたと直接お話しすることを望んでおられます」
「……罠の可能性は」
緋雪が、警戒を解かぬまま問うた。
新たに生成した氷の短刀を、背中に隠すように握っている。
「ないとは申し上げません」
夕日紅は、正直に答えた。
「わたくしの言葉を裏付けるものは、何一つございません。……信じるかどうかは、あなた方の判断です」
「随分と不誠実な誘い方ね」
「誠実であろうとすれば、こう答えるしかないのです」
彼女は、静かに続けた。
「ただし、一つだけ申し上げます。……もし殿下があなたを害するおつもりなら、この三週間、いくらでも機会はございました」
その言葉に、零の背筋が凍った。
「……私の居場所を、知っていたの」
「はい。当初から」
夕日紅は、あっさりと認めた。
「この洋館の結界は、確かに優秀です。魔力探知では捕捉できません。……ですが、『叢雲』の索敵は、魔力に依存しておりませんので」
「……っ」
「福音の鐘が八百名を動員しても見つけられなかった理由は、そこにあります。彼らは、魔力とネットワークに頼りすぎている」
零は、背後の洋館を振り返った。
この三週間、ここは唯一の安全な場所だった。
誰の目も届かない、自分と緋雪だけの隠れ家だと信じていた。
その壁が、最初から紙のように薄かったのだとしたら。
零は、しばらく沈黙していた。
そして、静かに問うた。
「……もう一つ、聞かせて」
「はい」
「あなたは、私が誰なのか知っているの」
その問いに、夕日紅の表情が——初めて、僅かに動いた。
「……三神零さん。十六歳。高校二年生」
彼女は、淡々と答えた。
「母君は三神奈々美さん。姉君は三神澪さん、妹君は三神玲奈さん。……そして、通称『ゴースト』」
零の心臓が、跳ねた。
十一年間、守り続けてきた秘密。
それが、見知らぬ少女の口から、まるで履歴書を読み上げるような調子で並べられていく。
「……全部、知ってるのね」
「はい」
「なぜ、公表しない」
「殿下が、そう望んでおられないからです」
夕日紅は、懐から一枚のカードを取り出した。
漆黒の台紙に、菊花を模した紋章が箔押しされている。
それ以外に、文字は一切ない。
夕闇の中で、金の菊花だけが、ぼんやりと光を返していた。
「……三日後の深夜、迎えを寄越します」
彼女は、それを零へと差し出した。
「場所は、この洋館の正門前。……お受けになるかどうかは、あなたの自由です」
零は、しばらくそのカードを見つめていた。
指先に触れた台紙は、驚くほど厚く、ひやりと冷たかった。
そして、静かに受け取った。
「……考えさせてもらうわ」
「結構です」
夕日紅は、静かに一礼した。
そして、踵を返し——庭の闇の中へと歩み去っていく。
零も、緋雪も、その姿を目で追った。
だが。
彼女の姿は、数歩進んだところで——忽然と消えた。
影移動でもない。転移でもない。
魔力の残滓すら、そこには残っていなかった。
ただ、そこにいたはずの存在が、最初からいなかったかのように、風景に溶けていったのだ。
「……なによ、あれ」
緋雪が、掠れた声で呟いた。
二人は、しばらく庭に立ち尽くしていた。
冬の夜風が、枯れた薔薇の茂みを揺らしている。
粉々になったベンチの残骸と、ひび割れた石畳。
零が三週間かけて整えてきた庭は、ほんの数分で見る影もなくなっていた。
「……零くん」
「うん」
「どうするつもり?」
緋雪の声には、隠しきれない不安があった。
「罠かもしれないわ。……いえ、罠である可能性の方が高い」
「……そうね」
零は、手の中のカードを見つめた。
「でも、緋雪さん」
「……なに」
「他に、手がないの」
その言葉に、緋雪は何も言えなかった。
三週間。
星監も、福音も、白百合も。誰一人として、解決の糸口を掴めていない。
協会の技術顧問は失踪し、装置の術式は復元不可能。
そして——零は、日に日に「ゴースト」へと馴染んでいる。
口調も、仕草も、思考すらも。
このまま待ち続ければ、戻る方法が見つかる前に、戻りたいと思う心の方が先に擦り切れてしまうかもしれない。
それを一番恐れているのは、他でもない零自身だった。
「……行くわ」
零は、静かに告げた。
「三日後。……その皇太子殿下とやらに、会いに行く」
緋雪は、しばらく俯いていた。
砕けた太刀の柄を、まだ手放せずにいる。
やがて、彼女は静かに顔を上げた。
「……私も行くわ」
「緋雪さん」
「約束したでしょう」
彼女は、まっすぐに零を見つめた。
「一人で決めない、って。……あの日、指切りしたじゃない」
零は、しばらくその目を見つめていた。
あの日、差し出された小指の細さを、今も覚えている。
子供っぽいと思うかもしれないけど、こういうのは形が大事なの——そう言って、少しだけ照れていた顔も。
そして、静かに微笑んだ。
「……そうね。約束したわ」
足元に転がっていた玉ねぎを、零は拾い上げた。
土を払い、紙袋へと戻す。
「……とりあえず、夕飯にしましょう」
「……ええ」
緋雪は、ようやく小さく笑った。
その夜。
洋館の窓から漏れる明かりを、遠くの尾根から見つめる影があった。
夕日紅である。
冬の月が、赤い髪を冷たく照らしている。
彼女は、無表情のまま懐から通信端末を取り出した。
「——接触、完了いたしました」
『……どうだった』
端末の向こうから、若い男性の声が響く。
「対象は、カードを受け取りました。……おそらく、来られるかと」
『そうか』
男の声には、安堵が滲んでいた。
『……無礼なことはしていないだろうな』
「……申し訳ありません。同行者の方と、一戦交えました」
『紅』
「……以後、気をつけます」
通信の向こうで、短い沈黙が落ちた。
叱責とも呆れともつかない、長い溜息だった。
『まあいい。……それより、彼女の様子はどうだった』
夕日紅は、しばらく答えなかった。
眼下の洋館の窓に、二つの影が映っている。
食卓を挟んで、向かい合っているのだろう。
やがて、静かに口を開いた。
「……庭の落ち葉を、掃いておられました」
『落ち葉?』
「はい。……国家に敵と呼ばれ、変身が解けず、家にも帰れない。そのような状況で」
彼女の声に、初めて微かな感情が滲んだ。
「あの方は、荒れた庭を、少しずつ整えておられました」
通信の向こうで、男が深く息を吐いた。
『……そうか』
その声は、静かだった。
『やはり、会わねばならんな』
彼は、そう呟いた。
『三日後だ。……最大限の礼をもって、お迎えしろ』
「……かしこまりました」
通信が切れる。
夕日紅は、しばらく端末を握ったまま、洋館の明かりを見下ろしていた。
やがて、その姿は、尾根の闇に溶けるように消えた。
冬の夜空の下。
一つの巨大な歯車が、静かに回り始めようとしていた。




