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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第二百三十七話

 廃工場の夜。

 三つの陣営が見守る中、漆黒のドレスを纏った二人の少女が、静かに向かい合っていた。


「……名前を、くれるの」


 偽ゴーストは、震える声で問うた。


「ええ」


 ゴーストは、静かに頷いた。


「でもね。……その名前は、私が考えたものじゃないの」


「……え?」


「あなたのことを知って、あなたのために一生懸命考えてくれた人がいる」


 ゴーストの声は、驚くほど穏やかだった。


「その人が、あなたに贈りたいと言っていた名前よ」


 その言葉に、少女は目を見開いた。


「……わたしのために?」


「ええ」


「わたしのこと、知らないのに?」


「知っているわ」


 ゴーストは、静かに答えた。


「あなたが、誰の血から生まれたのかも。……あなたが、ずっと一人で誰かを探していたことも」


 少女の唇が、震え始める。


「……その人、わたしのこと」


 彼女は、掠れた声で尋ねた。


「怖がって、なかった?」


 ゴーストは、その問いに——静かに首を振った。


「……泣いていたわ」


「え……?」


「『名前がないなんて、可哀想だ』って。……あなたのために、泣いていた」


 少女の目から、大粒の涙が零れ落ちた。


「……わたしの、ために」


「ええ」


「そんな人が、いるの」


「いるわ」


 ゴーストは、そっと手を伸ばした。


「だから、受け取って」


 彼女の指先が、少女の頬に触れる。


 そして、ゴーストは静かに告げた。


「——あなたの名前は、奈緒」


「……なお」


「奈緒。……そういう名前よ」


 少女は、その音を、口の中で何度も繰り返した。


「なお。……なお。……わたしの、なまえ」


「『緒』っていう字はね」


 ゴーストは、静かに続けた。


「糸の端っこ、始まりって意味なの。……そして、何かと何かを繋ぐもの、っていう意味もある」


 彼女は、優しく微笑んだ。


「あなたには、ここから始まる人生がある。……そして、あなたを繋いでくれる人が、ちゃんといる」


 少女——奈緒は、両手で口元を押さえた。


「……ぁ」


 声にならない嗚咽が、漏れ出す。


「あ、ああ……っ」


 彼女は、その場に膝から崩れ落ちた。


「わたし、なまえ……なまえが、ある……っ!」


 その光景を。


 三つの陣営の全員が、言葉もなく見つめていた。


「……ちょっと、待って」


 鈴乃が、掠れた声で呟いた。


「これ、どういう状況?」


「……分かんない」


 真奈も、呆然と首を振る。


「でも、あの子……すごく、嬉しそう」


「……ええ」


 飛鳥が、静かに頷いた。


「街を壊してた子が、名前をもらって泣いてる。……何がどうなってるの、これ」


 そして、緋雪は。


(……零くん)


 フードの下ではなく、白百合のトップエースとしてこの場に立つ彼女は、必死に表情を殺していた。


(あなた、本当に……)


 彼女の胸に、静かな熱が広がっていく。


(三つの組織に囲まれて、世論には敵と罵られて。……それでも、あなたは名前をあげに来たのね)


 だが。


「……ふざけないで」


 凛花が、震える声で呟いた。


「ふざけないで!」


 彼女は、光の剣を握りしめて叫んだ。


「その子が何をしたか、分かってるの!? 街を壊して、私の仲間を三人も重傷にして!」


 凛花の目から、涙が溢れ出す。


「それに、その子は……その子は、お姉ちゃんの力を使ってる!」


 ゴーストは、ゆっくりと凛花へと振り返った。


「……ええ。知っているわ」


「知ってて、名前をあげるっていうの!?」


「そうよ」


「なんで! どうして——!」


「じゃあ、聞くけれど」


 ゴーストは、静かに問い返した。


「その子に、どんな罪があるの?」


 凛花の動きが、止まった。


「……罪」


「ええ」


 ゴーストは、まっすぐに凛花を見つめた。


「生まれたいと願ったわけじゃない。誰かの遺伝子を使わせてくれと頼んだわけでもない。……この子は、生まれる前から何一つ選ばせてもらえなかった」


 彼女は、静かに続けた。


「首に洗脳の術式を刻まれて、感情を監視されて、番号で呼ばれて。……そして、暴れることしか許されなかった」


「……っ」


「それでもこの子は、ずっと一人の男の子を探していたわ」


 ゴーストの声が、僅かに震えた。


「なぜだと思う?」


 凛花は、答えられなかった。


「……その子の中に残っている、たった一つの記憶だからよ」


 ゴーストは、静かに告げた。


「『わたしは、この子を助けた』——それが、この子が持っている唯一の記憶」


 その言葉に。

 凛花の呼吸が、止まった。


「……助けた?」


「ええ」


「お姉ちゃんが、誰かを……?」


「あの子の部屋には、壁一面に落書きがあったわ」


 ゴーストは、静かに続けた。


「泣いている小さな男の子と、白銀の髪の女性。……それを、何百枚も繰り返し描いていた」


 凛花の手から、光の剣が滑り落ちた。


「そして、その下にこう書いてあったの」


 ゴーストは、目を伏せた。


「『わたしは、この子をたすけて、しんだ』」


「……っ!」


「『でも、わたしは、ここにいる』」


 ゴーストの声が、掠れる。


「『じゃあ、わたしは、だれ?』」


 凛花は、その場に膝をついた。


「……嘘」


 彼女の目から、涙が溢れ出す。


「そんな、の」


「凛花さん」


 ゴーストは、静かに告げた。


「この子は、あなたのお姉さんを汚してなんかいない」


 彼女は、まっすぐに凛花を見つめた。


「むしろ——この子の中で、お姉さんの一番大切な記憶だけが、ずっと生き続けていたのよ」


 凛花は、しばらく動けなかった。

 やがて、彼女は震える手で顔を覆った。


「……お姉、ちゃん」


 嗚咽が、廃工場に響く。


「そんな。……そんなの、ひどいよ」


 彼女は、泣き崩れた。


「そんな話、聞いてない。……私、その子を、殺そうとしてたのに」


 その時。


 ——ピシュンッ。


 奈緒の首元の呪符が、赤く明滅した。


「……っ!?」


『——警告。逸脱行動を検知』


「あ……」


 奈緒の身体が、大きく硬直する。


「や、やだ……!」


『——強制戦闘プロトコル、起動』


「いや! いやっ、いやぁっ!!」


 彼女は、必死に自分の首を掻きむしった。


「今はダメ! わたし、名前をもらったばっかりなの!」


「——奈緒!」


 ゴーストが、咄嗟に手を伸ばした。

 だが、その意思とは無関係に。

 奈緒の両手に、凄まじい量の炎と氷が生成されていく。


「ごめんなさい……!」


 彼女は、涙を流しながら叫んだ。


「わたし、止められない! みんな、逃げて——!」


 次の瞬間。

 廃工場全体が、紅蓮の炎と絶対零度の冷気に呑み込まれた。


「——全員、退避!」


 緋雪が叫ぶ。


「協会の負傷者を! 早く!」


「くっ、この出力は……!」


 三つの陣営が、一斉に防御態勢に入る。

 だが、その規模はこれまでの比ではなかった。

 感情の暴走に呼応するように、奈緒の魔力が際限なく膨れ上がっていく。


「……まずいわね」


 ヴィクトリアが、初めて表情を険しくした。


「これは、街一つが消し飛ぶ規模よ」


「——退がりなさい」


 その中心で、ゴーストが静かに告げた。


「え……?」


「全員、この場から離れて」


 彼女は、暴走する奈緒へと歩を進めた。


「危険よ! あの規模の魔力に近づけば——!」


 緋雪が叫ぶ。

 だが、ゴーストは振り返らなかった。


「……この子は、私が止める」


「深淵の重圧——」


 ゴーストの足元から、闇色の魔力が爆発的に膨れ上がった。

 凄まじい重力場が、暴走する炎と氷を、内側へと押し込めていく。


「ぐ、う……っ」


 零の額から、汗が滴り落ちる。


(……重い。想像以上だ)


 彼は、歯を食いしばった。


(この子の魔力、俺と同等かそれ以上ある。……押さえ込むだけで、精一杯だ)


「緋雪さん!」


 ゴーストが叫んだ。


「今のうちに、呪符を——!」


「……っ、ええ!」


 緋雪が、爆風の中を駆け抜けた。

 彼女は、重力に押さえつけられた奈緒の首元へと手を伸ばす。


「ごめんなさい、少しだけ我慢して……!」


 極低温の魔力を、極限まで緻密に流し込む。

 だが。


「——っ! やっぱり、弾かれる!」


 緋雪の氷結魔力は、呪符に触れた瞬間に拒絶された。


「隠密のものとは、術式の階層が違いすぎる……!」


「……なら」


 ゴーストは、静かに呟いた。


「私が、直接干渉する」


「零く——ゴースト!? それは危険よ!」


「他に方法がないでしょう」


 彼女は、右手を奈緒の首元へと伸ばした。

 闇の魔力を、極限まで収束させていく。


(術式そのものを、闇で塗り潰す。……相手の階層より深く、より濃く)


 零の指先が、呪符に触れた。


 ——バチィィィッ!!


 凄まじい魔力の衝突が、二人の間で炸裂した。


「ぐ……っ!」


 ゴーストの腕に、激痛が走る。

 だが、彼女は手を離さなかった。


(……もう少し。もう少しで)


 呪符の明滅が、少しずつ弱まっていく。


「が……あ……」


 奈緒の身体から、力が抜けていく。

 暴走していた炎と氷が、急速に収束し始めた。


 そして。


 ——パキンッ。


 乾いた音とともに、呪符の光が完全に消えた。


「……っ、はぁ……はぁ……」


 奈緒は、糸の切れた人形のように、ゴーストの腕の中へと崩れ落ちた。


「……とめて、くれたの」


「ええ」


「……ありがとう」


 彼女は、微かに微笑んだ。


「なまえ、くれて。……ありがとう」


 そのまま、奈緒は静かに意識を手放した。

 廃工場に、重い静寂が落ちた。

 三つの陣営が、呆然とその光景を見つめている。

 街を破壊した危険な存在を、最強の死神が抱きかかえている。

 誰一人殺すことなく、誰一人傷つけることなく。


「……なによ、これ」


 春華が、掠れた声で呟いた。


「討伐対象を、あんな……」


「……ええ」


 凛花もまた、涙で濡れた顔を上げていた。


(……私は、何をしようとしていたんだろう)


「……この子は、連れて行くわ」


 ゴーストは、奈緒を抱きかかえたまま告げた。


「異論のある人は?」


 誰も、答えなかった。

 協会も、白百合も、裏社会も。

 この場にいる全員が、動くことができずにいた。


「……ありがとう」


 ゴーストは、静かに頷いた。

 そして、足元に影を広げようとした——その瞬間。


 ——ヒュンッ。


 廃工場の暗がりから、何かが飛来した。


「——っ!?」


 ゴーストは、咄嗟に身を捻った。

 だが、それは彼女を狙ったものではなかった。

 小さな金属製の装置が、彼女の足元の地面に突き刺さり——そして、青白い光を放ち始めた。


「なに、これ……」


 彼女の全身に、奇妙な感覚が走る。

 魔力が、切断されるような。

 何かが、断ち切られるような——


「……っ!?」


『——術式切断装置、起動』


 どこからともなく、無機質な音声が響いた。


『——対象の変身術式に干渉。解除系統を切断』


「零くん!?」


 緋雪が、悲鳴のような声を上げた。

 だが。

 装置は、僅か数秒で機能を停止し、静かに崩れ落ちた。


「……なん、だったの」


 ゴーストは、荒い息を吐きながら周囲を見回した。

 だが、そこには誰の姿もない。

 ただ、闇の中に紛れて逃げ去る、複数の足音だけが残されていた。

 冬の夜風が、廃工場の瓦礫を撫でていく。

 ゴーストは、腕の中で眠る奈緒を見つめた。


(……とりあえず、この子は助けられた)


 彼女は、静かに息を吐いた。


(さっきの装置は気になるけど、今は)


 零は、まだ知らなかった。

 自分の身に、これから何が起きるのかを。


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