第二百三十五話
数日後。
世間の空気は、目に見えて悪化していた。
『——昨夜も埼玉県内で、ゴーストと思われる人物による破壊行為が発生しました』
『これで三件目です。幸い死者は出ていませんが、周辺の被害総額はすでに数億円規模に——』
三神家のリビング。
朝のニュース番組で、コメンテーターが深刻な顔で語っている。
『一年前の隠密事件では、ゴーストは市民を救うダークヒーローとしてもてはやされましたが。……やはり、どこの組織にも属さない正体不明の存在というのは、根本的に危険だということです』
『ええ。強大すぎる力は、いつか必ず暴走する。政府や協会による管理下にない以上、これは予見できた事態です』
零は、無言でテレビの電源を切った。
画面が暗転し、静寂が降りる。
(……俺が名乗らないせいだ、なんて自惚れるつもりはない)
彼は、冷静に思考を巡らせていた。
自分が正体を隠し続けているから、偽物の行動がゴーストのものとして処理されてしまう。だが、仮に俺が最初から「三神零」として表に出ていたとしても、政府の暗部があの非道なキメラ実験を止めたわけではないだろう。
世論の反発や、家族への危険についても、零は過度に悲観はしていなかった。
母には何の力もないが、澪と玲奈は歴戦の魔法少女だ。いざとなれば、自分の身と母を守り抜く強さと手立てを、姉妹は十分に持っている。
(問題は、世間の評価じゃない。……あの偽物だ)
零は、膝の上で拳を強く握りしめた。
(あの子は、玲奈の遺伝子と凛音さんの力から造られた、ただの被害者だ。……これ以上、誰かの都合で傷つけさせるわけにはいかない)
その頃。
事態の急変を受け、各陣営は明確な方針を打ち出していた。
白百合の盾・本部、作戦指令室。
「——魔法少女協会が、偽ゴーストに対する正式な『討伐令』を発令しました」
湯野が、厳しい表情で報告した。
「政府と連動し、対象を極大脅威と認定。発見次第、即時殲滅する構えですわ」
「証拠隠滅、というわけですね」
姫嶋は、深く息を吐いた。
「白百合の盾としての基本方針は、あくまで『保護』です。彼女もまた、政府の非道な実験の犠牲者なのですから。……対象を無力化し、安全を確保することを最優先とします」
だが、姫嶋はそこで一度言葉を切り、苦渋の表情を浮かべた。
「……しかし。対象は特S級に匹敵する力を持っています。もし市民への大規模な被害が避けられず、我々の戦力でも保護が不可能と判断した場合は」
彼女は、エース陣を見渡した。
「……『討伐』への移行を許可します。多くの市民の命には、代えられません」
同時刻、星監の地下ラボ。
「白百合は甘いわね。いざとなれば大義のために切り捨てる、中途半端な正義よ」
ヴィクトリア・ローゼンベルグは、モニターに映る各陣営の動向を見ながら冷笑した。
「協会は躍起になって『討伐(殺害)』に動いている。……あの子が世間に露見すれば、自分たちの過去の悪行がすべて暴かれるからよ。必死にもなるわ」
「では、我々は」
福音の鐘のルディアが、優雅に扇を開いた。
「当然、『保護(生け捕り)』よ」
ヴィクトリアは、パラソル型のステッキで床を叩いた。
「あの子は、政府の腐敗を暴く最高の生きた証拠であり、ゴースト様への極上の手土産になる。……協会にも白百合にも、絶対に渡さないわ」
「同感ですわ」
ルディアが、うっとりとした笑みを浮かべる。
「迷える子羊を救済し、神の御許へ導く。……それが我ら福音の使命ですから」
そして——その夜。
関東近郊の、無人の廃工場地帯。
「——目標を捕捉! これより交戦に入る!」
夜の闇を切り裂くような通信音声とともに、数人の魔法少女たちが上空から舞い降りた。
魔法少女協会が誇る、討伐特化の実戦部隊。
かつて羽衣緋雪たちが組織を抜けた後、激務と混乱の中で協会を支え続けてきた歴戦のエースたちである。
そして、その陣形の先頭に立つのは——周防凛花だった。
「……いた」
凛花の視線の先。
瓦礫の山の上に、漆黒のドレスを着た少女が立っていた。
彼女は、虚ろな紅色の瞳で周囲を見回しながら、小さく呟いている。
「どこ。……男の子、どこ」
「各員、油断するな! 相手は特S級相当の魔力を持っている!」
部隊長格のベテランエースが叫び、複数の魔法による一斉攻撃を放った。
だが。
「……うるさい」
偽ゴーストが、無造作に左手を振るう。
それだけで、絶対零度の冷気が吹き荒れ、エースたちの放った魔法を空中で完全に凍結・粉砕した。
「なっ……!?」
「氷の防壁だと!? これほどの規模の——」
驚愕するエースたちの足元が、次の瞬間、爆発的な紅蓮の炎に包まれた。
偽ゴーストの右手から放たれた炎の槍が、正確に彼女たちの死角を突き、陣形をいとも容易く崩壊させる。
「きゃあああっ!」
「くそっ、出力が違いすぎる……!」
歴戦のエースたちが、たった一撃で次々と吹き飛ばされていく。
その圧倒的な光景の中で。
凛花だけが、炎と氷の嵐を掻き消しながら、真っ直ぐに偽ゴーストへと肉薄していた。
「……あなた」
凛花の声は、氷のように冷たく、震えていた。
彼女の目は、偽ゴーストの圧倒的な力ではなく、その『戦術』に釘付けになっていた。
氷で相手の退路と視界を塞ぎ、その死角から炎の槍を撃ち込む。
魔力の無駄を一切省いた、洗練された二重属性のコンビネーション。
(間違いない。……お姉ちゃんの、戦い方だ)
幼い頃から、何度も何度も、食い入るように見つめ続けてきた背中。
憧れて、追いかけて、決して届かなかった最強の魔法少女の軌跡。
「よくも……」
凛花は、手にした剣を強く握りしめた。
「よくも、お姉ちゃんの力を! その力で、街を壊して……お姉ちゃんを汚したわね!!」
凛花が、怒りに任せて地を蹴る。
偽ゴーストは、向かってくる凛花を一瞥し、首を傾げた。
「……おねえちゃん?」
偽ゴーストの手から放たれた氷の刃を、凛花は剣で弾き飛ばす。
「わたしは、討伐部隊のエースなんかじゃない……周防凛音の妹だ!!」
凛花の悲痛な叫びが、夜の廃工場に響き渡った。
同じ頃、三神家。
零のスマートフォンに、白百合の緋雪から緊急のメッセージが届いた。
『——協会が対象を捕捉したわ。完全な討伐任務。……凛花さんが、先陣を切って交戦している』
その文字列を見た瞬間、零の心臓が凍りついた。
(凛花さんが、交戦している……?)
ダメだ。
凛花は、あの偽物が「姉の遺伝子から造られた化け物」だと知っているからこそ、姉の尊厳を守るために殺そうとしている。
だが、凛花はまだ知らない。あの偽物が「姉の力」だけでなく、「三神玲奈の遺伝子(姿)」から造られているということを。
(もし凛花さんが、あの子の顔を見たら。……もし、自分の手であの子を殺してしまったら)
自分を助けて死んだ姉の力を持つ、罪のない少女。
それを自分の手で破壊したと知れば、凛花の心は完全に壊れてしまう。
「……行かなきゃ」
零は、静かに立ち上がった。
討伐に動く協会。保護を名目に暗躍する裏社会。そして、最悪の場合は討伐を辞さない白百合。
どの陣営に任せても、あの子は——そして凛花は、救われない。
(俺が、止める)
少年の姿は、深い紫の魔力に包まれ。
次の瞬間、漆黒のドレスを纏った最強の死神が、夜の闇へと溶けていった。




