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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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231/399

第二百三十一話

 翌朝、午前八時三十分。


 白百合の盾・情報班専用解析室。


 新実由鶴は、いつもより三十分早く席に着いていた。


(……昨夜、反映予定だったデータが上がっているはずです)


 彼女は、端末を起動した。

 画面に表示されたのは、昨日の健診で新たに登録された魔力波形データの一覧。

 合計、十四名分。


「……では、始めましょうか」


 由鶴は、コーヒーカップを傍らに置き、指をキーボードに乗せた。


 一件目。


『——一致率:一一パーセント』


「不一致」


 二件目。


『——一致率:七パーセント』


「不一致」


 三件目、四件目、五件目。


 いずれも、二桁に届くかどうかという低い数値だった。


(……当然ですね)


 由鶴は、淡々と作業を続けた。


(母数が違いすぎます。全国の元協会員は、数万人規模。その中から、白百合に流れてきた百四十二名の中に当たりがある確率など)


 彼女は、六件目のデータを開いた。


(……宝くじのようなものです)


 七件目。


『三神玲奈  属性:風  測定日:昨日』


 由鶴は、そのデータを何気なく開いた。

 昨日、食堂で会った少女の顔が、ふと脳裏をよぎる。


(三十分の測定を『暇だ』と言っていましたね)


 彼女は、僅かに口元を緩めた。


(そういえば、この方の名字は……)


 由鶴の脳裏に、ある光景が蘇った。


 秋の水族館、芝生の広場。

 全身包帯にコルセット、杖をつきながら、彼女は執念に燃えて手作り弁当に手を伸ばした。


『はい、タコさんウインナーは羽衣さんの分なんでダメですけど、サンドイッチならどうぞ』


 呆れた顔で、それでも笑いながらサンドイッチを差し出した少年。


(……三神零くん)


 由鶴は、僅かに苦い顔をした。


(あの節は、本当にご迷惑をおかけしました)


 あの頃の自分は、彼を『ジャマーキラー』の秘密を握る細胞を持つ者だと信じ込み、執拗に付け纏っていた。

 結果的にその線は誤りだったと結論づけ、調査を打ち切ったのだが。


(あの方の妹君でしたか。……道理で、名字に見覚えがあるわけです)


 彼女は、小さく息を吐いた。


(それにしても、あのサンドイッチは美味しかったですね)


 解析に回すつもりだったが、結局は空腹に負けて食べてしまったことを、由鶴は誰にも言っていない。

 由鶴は、雑念を振り払い、波形を素体データと重ね合わせた。

 照合ボタンを、押す。


 ——処理中。


 いつもなら、二、三秒で結果が出る。

 だが、今回は。


 ——処理中。


「……?」


 由鶴の眉が、僅かに動いた。


 ——処理中。


 バーが、ゆっくりと伸びていく。


(……重い。なぜ)


 彼女は、画面を凝視した。


(照合処理が重くなるのは、一致点が多い場合です。相違点が多ければ、早期に打ち切られる仕様のはず)


 由鶴の背筋に、じわりと嫌な汗が滲んだ。


 ——処理完了。


 画面に、結果が表示された。


『——一致率:九十四パーセント』


「…………」


 由鶴は、動けなかった。


 カップを持ち上げようとした手が、そのまま空中で止まっている。


「……え?」


 彼女は、瞬きをした。

 もう一度、画面を見る。


『——一致率:九十四パーセント』


「……いや。……いえ、待ってください」


 由鶴の指が、震え始めた。


「そんな、はずが」


 彼女は、猛烈な速度でキーボードを叩き始めた。


「照合条件の再確認。ノイズ補正の設定値、基準波形の選択、比較アルゴリズムのバージョン——」


 すべて、正常。


「サンプル004の元データを、再度読み込み。凛音さんの波形を、位相反転して差し引き——」


 同じ素体波形が、再び生成される。


「三神玲奈さんのデータを、生データから再取得。装置固有の補正値を除去——」


 結果は、変わらなかった。


『——一致率:九十四パーセント』


「……九十四」


 由鶴は、掠れた声で呟いた。

 この数値の意味を、彼女は誰よりも正確に理解していた。

 魔力波形の一致率が九十パーセントを超えるということ。

 それは、指紋の一致とほぼ同義である。

 他人であれば、絶対に到達しない領域。


(……三神、玲奈さん)


 由鶴の脳裏に、昨日の食堂の光景が蘇る。


『わー、なんか照れますね!』


 無邪気に笑っていた、あの少女。


『じゃあ、私の指紋も由鶴さんのところに届くんですか?』


 由鶴は、両手で顔を覆った。


「……なんてこと、ですか」


 彼女は、しばらくその姿勢のまま動けなかった。

 やがて、震える手で顔を上げ、もう一度画面を見つめた。


(あの子が、サンプル004の素体……)


 由鶴の思考が、猛烈な速度で回転を始める。


(三神玲奈さん。年齢は十五歳。属性は風。……協会には、十三歳で入会)


 彼女は、玲奈の個人記録を呼び出した。


(入会時の適性検査。年次健診。任務後の負傷記録。……いずれのタイミングでも、血液サンプルは採取されています)


 由鶴は、記録をスクロールした。


(そして、旧協会の検査データは、当時の上層部を通じて政府へ流出し得た。……条件は、すべて揃っています)


 彼女は、玲奈の顔写真を見つめた。


 黒髪。色白。整った顔立ち。


(……そして、容姿)


 由鶴は、その隣にゴーストの写真を並べた。


(……ええ。確かに、似ています)


 髪の色。輪郭。全体的な印象。


(政府は、ゴーストに容姿の近い魔法少女を素体として選んだ。……その条件に、彼女は完璧に合致します)


 由鶴は、椅子の背もたれに深く身を預けた。


「……確定、ですね」


 彼女は、天井を見上げた。


 サンプル004——あの、名前を持たない少女。

 彼女を構成しているのは、周防凛音の遺伝子と、三神玲奈の遺伝子。


(つまり、あの子は……玲奈さんの、妹のような存在です)


 由鶴の胸が、鈍く痛んだ。


(そして玲奈さんは、そのことを何一つ知らない)


 彼女は、しばらく無言でモニターを見つめていた。

 やがて、ぽつりと呟いた。


「……どうすべきなのでしょうか」


 この事実を、どう扱うべきか。

 選択肢は、いくつかある。


(一つ。姫嶋会長に報告し、組織として対応する)


 由鶴は、指を折った。


(ですが、そうすれば玲奈さんは組織全体から『被検体の素体』として扱われることになります。彼女の日常は、間違いなく壊れる)


 彼女は、二本目の指を折った。


(二つ。誰にも言わず、私一人で抱える)


 だが、その考えはすぐに否定された。


(……いえ。それは、彼女から知る権利を奪うことです)


 由鶴は、三本目の指を折った。


(三つ。……ご本人と、ご家族に、直接お伝えする)


 その時。

 彼女の脳裏に、ふと一つの記憶が蘇った。

 白鳥という少女が、自分の名前を思い出した時のこと。

 あの時、彼女は泣きながらこう言った。


『私、あの人たちに「誰も自分を必要としていない」って言われて、それを信じちゃってた。……ずっと、待っててくれた人がいたのに』


(……そうです)


 由鶴は、静かに息を吐いた。


(知らないままでいることが、その人を守ることにはならない)


 彼女は、モニターに表示された数値を見つめた。


(それに——あの少女、サンプル004には、家族がいるということです)


 由鶴の目に、静かな光が宿った。


(血の繋がった姉が。……そして、その家族が)


 午後。

 由鶴は、三神玲奈の家族構成を呼び出していた。


『——三神家

 母:三神奈々美(一般人)

 長女:三神澪(十九歳/白百合の盾所属/属性:炎)

 長男:三神零(十六歳/高校生/一般人)

 次女:三神玲奈(十五歳/白百合の盾所属/属性:風)』


「……四人家族。うち、二人が魔法少女」


 由鶴は、その一覧を眺めた。

 そして、真ん中の名前で、視線が止まった。


『長男:三神零(十六歳/高校生/一般人)』


「……三神くん」


 彼女は、しばらくその名前を見つめていた。


(……あの方に、お伝えするべきでしょうか)


 由鶴は、静かに考え込んだ。


(玲奈さんは十五歳。まだ未成年です。この種の話を本人に直接伝えるのは、あまりに酷でしょう)


 彼女は、家族構成を見つめた。


(お母様は一般人。この世界の事情に、どこまで通じておられるか分かりません)


 そして。


(お姉様は白百合の隊員ですが……妹君のことで冷静さを保てるかどうか)


 由鶴の視線が、再び真ん中の名前へと戻った。


(……三神くんは、少なくとも私を知っています)


 彼女は、僅かに顔をしかめた。


(もっとも、あまり良い記憶ではないでしょうが)


 だが、由鶴の脳裏には、あの日の光景が鮮明に残っていた。


 自分に付き纏われ、弁当を検体として狙われ、それでも。


『まあ、羽衣さん。食事くらい減るもんじゃないですし、いいじゃないですか』


 あの少年は、そう言って笑ったのだ。

 全身包帯の不審者に、丁寧にラップで包んだサンドイッチを差し出しながら。


(……あの方は、他人に対して、驚くほど寛容な方でした)


 由鶴は、静かに息を吐いた。


(そして、ご家族の食事をすべて担っておられる方でもあります)


 彼女は、静かに頷いた。


(家族思いで、冷静で、そして……面倒見が良い)


 夕方。

 由鶴は、解析室で最後の確認を終えていた。

 データを暗号化し、彼女個人しかアクセスできない領域へと格納する。


「……姫嶋会長には、まだ報告しません」


 彼女は、静かに呟いた。


「これは、まず三神家に伝えるべきことです。……組織の判断は、その後で構いません」


 由鶴は、コートを羽織った。


(規則違反であることは、承知しています)


 彼女は、解析室の明かりを落とした。


(ですが、これは……人の家族の話です)


 同じ頃。

 三神家の台所では、三神零が夕食の下ごしらえをしていた。


「今日は玲奈が唐揚げ食べたいって言ってたな。……あと、姉さんの分の副菜も作っておくか」


 彼は、鼻歌交じりに鶏肉を切っていく。

 窓の外では、静かな雪が降り続けていた。


(……そういえば、玲奈の健診の結果、いつ出るんだろう)


 零は、ふとそんなことを考えた。


(何も異常がなければいいけどな)


 彼は、まだ何も知らない。

 自分の妹が、あの少女の「素体」であることも。

 そして——かつて自分に執拗に付き纏った女性が、再びこの家へ向かって歩き出していることも。


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