第二百二十九話
翌日の深夜。
星監が所有する、都内某所の地下ラボ。
最新鋭の設備が並ぶ会議室に、緊急招集された面々が顔を揃えていた。
ヴィクトリア・ローゼンベルグ。ルディア・ロンディニウム。
シルヴィア・バークスとレイラ・メリクス。
福音の鐘からは、真里と宮子。
そして、円卓の主席には漆黒のドレスを纏ったゴーストが、末席にはフードを目深に被った緋雪が座っている。
「——では、報告を始めさせてもらうわ」
ヴィクトリアが、パラソル型のステッキで軽く床を叩いた。
「昨夜、荒川沿いの工業地帯で観測された魔力波形。星監の技術班が、総力を挙げて解析したわ」
彼女は、手元の端末を操作した。
会議室の中央に、立体的な魔力波形図が投影される。
「結論から言うわ。……あの少女の首元にあった呪符は、隠密部隊に使用されていたものと、基礎術式がほぼ完全に一致している」
その報告に、室内がざわめいた。
「やはり、政府の技術ですか」
真里が、忌々しげに眉をひそめる。
「ええ。ただし、隠密のものより遥かに高度に改良されているわ」
ヴィクトリアは、波形の一部を拡大した。
「隠密の呪符は、記憶と自我を『封印』するための術式だった。……だけど、この子のものは違う」
「……違う、と申しますと?」
「封印ではなく、『管理』よ」
ヴィクトリアの目が、鋭く細められた。
「感情の起伏を監視し、閾値を超えれば強制的に転移させる。……つまりこの子は、洗脳されているのではなく、飼育されているの」
「……飼育」
その言葉に、ゴーストの拳が強く握りしめられた。
「では、あの子は自我を保ったまま、政府に管理されていたということですか」
「そうなるわね」
ヴィクトリアは、静かに頷いた。
「ただし、記憶については別よ。あの子は自分の名前も、出自も思い出せていない。……これは、そもそも『与えられていない』からだと私は見ているわ」
「与えられていない……?」
「ええ。生まれた時から、名前を持たされていないということ」
室内に、重い沈黙が落ちた。
「……ゴースト様」
それまで黙っていたルディアが、静かに口を開いた。
「一つ、福音の鐘から報告がございますわ」
「なにかしら」
「昨夜の一件を受け、我々は全国の旧政府施設の再調査を行いました。……その中で、一箇所だけ、我々の追跡から漏れていた場所が判明いたしましたの」
ルディアは、地図を投影した。
「長野県北部、山間部。……登記上は民間の医薬品研究施設ですが、実際の運営資金の出所を辿ると、旧国防委員会の裏帳簿に行き着きますわ」
「……そこが、あの子の」
「断定はできません。ですが、極めて可能性が高いかと」
ゴーストは、しばらく地図を見つめていた。
「……ちょっと、いいかしら」
それまで壁際で腕を組んでいたシルヴィアが、気だるげに口を開いた。
「私、一つ気になってることがあるんだけど」
「なにかしら、シルヴィア」
「あの子の属性よ」
シルヴィアは、投影された波形を顎で示した。
「炎と氷の二重属性。……この国じゃ、これで有名だった魔法少女がいるんでしょ」
「ええ」
ヴィクトリアが、静かに頷いた。
「『氷炎の剣姫』——周防凛音」
その名に、会議室の空気が変わった。
「十一年前の『厄災』で戦死した、特S級魔法少女ですわね」
ルディアが、深刻な表情で腕を組む。
「ゴースト様の三重属性を除いて炎と氷を同時に操る二重属性は、彼女以外に例がありません。……日本の魔法少女史において、最も有名な英雄の一人ですわ」
「つまり、あの少女は」
真里が、掠れた声を漏らした。
「周防凛音の、複製ということですか」
「——いえ、それだけではありませんわ」
ルディアが、鋭く指摘した。
「妙な点がございます。……周防凛音は、白銀の髪の持ち主だったはずですわ」
その一言に、室内がざわめいた。
「ですが、昨夜現れた少女は……黒髪でしたわ」
「そうね」
ヴィクトリアが、静かに同意した。
「しかも、単なる黒髪ではない。……ゴースト様と同じ黒髪よ」
彼女は、パラソル型のステッキで床を叩いた。
「つまり、単純な複製ではないということ。……おそらく、掛け合わせているのよ」
「掛け合わせ、ですか」
「ええ」
ヴィクトリアは、指を二本立てた。
「周防凛音の遺伝子。そして——ゴースト様に容姿の近い、別の魔法少女の遺伝子。その二人分を、人為的に組み合わせた」
「……なぜ、そのような回りくどい真似を」
真里が、怪訝そうに眉をひそめる。
「回りくどくなんてないわ。むしろ、極めて合理的よ」
ヴィクトリアは、冷ややかに笑った。
「ゴースト様の容姿は、今や世界中に知れ渡っているでしょう。報道でも、ネットでも、それこそ子供が集めるカードゲームにまで」
「……ああ」
シルヴィアが、納得したように頷いた。
「確かに、あの死神の見た目なんて、いくらでも参照できるものね」
「そういうこと。だから、まず容姿の似た魔法少女を探す。そこに、史上最強と謳われた『氷炎の剣姫』の力を掛け合わせる」
ヴィクトリアの目が、冷たく光った。
「つまり——『ゴーストのように見え、凛音のように強い』存在を作ろうとしたということよ」
「……ゴースト様を、超えるために」
ルディアが、忌々しげに呟いた。
「ええ。姿だけを真似た偽物ではなく、実力においても凌駕する存在。……それが、あの実験の目的でしょうね」
「……一つ、よろしいでしょうか」
それまで黙っていた堀宮子が、無機質な声で口を開いた。
「なにかしら」
「もう一人の素材とされた、その魔法少女についてです」
彼女は、感情のない目でヴィクトリアを見た。
「その方は、今どこにいるのでしょうか」
会議室が、静まり返った。
誰も、答えられなかった。
「……協会に照会をかけましょう」
ヴィクトリアが、ようやく口を開いた。
「ゴースト様に容姿の近い魔法少女。……日本で黒髪の少女は該当者はかなり多そうだけれど」
「そして、その中で」
ルディアが、静かに続けた。
「行方不明になっている者、あるいは……不自然な死を遂げている者を」
会議室が、静まり返った。
(……もう一人)
その中心で、ゴーストは静かに拳を握りしめていた。
零の脳裏に、まだ見ぬ誰かの姿が浮かぶ。
(俺に似てるってだけで、実験に使われた魔法少女がいる)
その人物が、今どうなっているのか。
生きているのか、それとも——
彼は、思わず唇を噛みしめた。
だが、その動揺を表に出すわけにはいかない。
ここにいる誰もが、ゴーストという存在を絶対的な支柱として仰いでいるのだ。
ゴーストは、深く息を吸い込み、静かに告げた。
「……ヴィクトリア。その照会、最優先で進めなさい」
「かしこまりましたわ」
「もう一人の素材にされた子も、必ず見つけ出す」
ゴーストの紫水晶の瞳に、静かな決意が宿った。
「……あの子と、同じようにね」
「一つ、確認したいことがあります」
堀宮子が、再び口を開いた。
「周防凛音の力を再現するためには、彼女の生体サンプルが必要なはずです。……十一年も前に戦死した人物から、そのようなものを入手できるものでしょうか」
「……それについては、可能性がありますわ」
ルディアが、静かに答えた。
「魔法少女協会には、過去に定期健康診断に加え殉職者の遺体から研究用サンプルを採取し、長期保管する制度が存在しました。表向きは、魔力回路の劣化研究や、防護装備の改善のためとされておりますが」
「……つまり、協会に十一年間保管されていたと」
「ええ。そして、旧協会上層部は……御子柴らと、極めて密接な関係にありましたわ」
室内の空気が、一段と重くなった。
会議が終わった後。
地下ラボの廊下で、ゴーストと緋雪は二人きりになっていた。
「……れ……ゴースト」
緋雪が、フードを外して静かに声をかける。
人気のない廊下には、二人以外に誰もいない。
「あなた、さっきの会議で……ずっと拳を握りしめていたわね」
「……ええ」
ゴーストは、壁に背を預けて天井を見上げた。
そして、緋雪にしか聞こえない小さな声で、ぽつりと呟いた。
「……もう一人、いるかもなのよね」
「……ええ」
「私に似てるってだけで、実験に使われた子が」
ゴーストの声が、僅かに震えた。
「その子は、何も悪いことなんてしてない。ただ、たまたま黒髪で、たまたま私と背格好が近くて。……それだけで」
彼女は、自分の手のひらを見つめた。
「その子は、今も普通に生きてたかもしれない」
緋雪は、しばらく無言だった。
やがて、彼女はそっと手を伸ばし、ゴーストの手を握った。
「……零くん。それは違うわ」
緋雪は、静かに微笑んだ。
「悪いのは、人間を素材として扱った者たちよ。……あなたでも、私でもない」
ゴーストは、しばらく言葉を失っていた。
やがて、彼女は静かに息を吐いた。
「……ありがとう、緋雪さん」
「どういたしまして」
緋雪は、握った手に力を込めた。
「それより、今やるべきことを考えましょう。……その子を、見つけ出すことよ」
「……うん」
三日後。
白百合の盾・本部の一室。
「——お待たせしました、緋雪」
新実由鶴が、資料を手に部屋へと入ってきた。
「ご依頼の件、協会の旧アーカイブから引き出してまいりました」
「ありがとう、由鶴。……無理を言ってごめんなさい」
「いえ。……ですが」
由鶴は、僅かに眉をひそめた。
「周防凛音さんのご遺体から採取された研究用サンプルの、その後の行方。……ずいぶんと、踏み込んだ調査依頼でしたね」
「……ええ」
「無論、あなたの意図は理解しているつもりです」
由鶴は、資料をテーブルに置いた。
「あの少女の属性が、炎と氷の二重属性。……『氷炎の剣姫』と完全に一致していることは、私も現場報告の時点で気づいておりましたから」
緋雪の肩が、僅かに強張った。
「……そう」
「日本の魔法少女史において、あの二重属性を持っていたのは周防凛音さんただ一人です。……疑うなという方が、無理な話でしょう」
緋雪は、震える手で資料を開いた。
『魔法少女協会・日本支部 殉職者生体サンプル管理台帳(抜粋)
登録番号:JP-0-0018
氏名:周防凛音
採取日:十一年前・八月二十四日(『厄災』終結直後)
採取内容:魔力回路組織片、および遺伝子サンプル一式
保管先:協会中央研究施設・第一特別保管庫(永久保存指定)
——備考:三年前・四月、国防委員会からの正式要請により、サンプル一式を移管。
移管先施設名:非公開』
緋雪は、その一行を凝視したまま、動けなくなった。
「……移管」
「はい」
由鶴が、静かに頷いた。
「十一年間、協会が『永久保存指定』として厳重に保管していた周防凛音さんの遺伝子サンプルは、三年前、政府へと引き渡されています。……当時の協会上層部の承認によって」
彼女は、深いため息をついた。
「そして、当時の上層部は……ご存知の通り、御子柴議員と極めて密接な関係にありました」
「……由鶴」
緋雪は、掠れた声で問うた。
「あなたは、この事実をどう思う?」
由鶴は、しばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「……吐き気がします」
その声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。
「十一年前、この国が滅びかけた『厄災』の折。……最前線で戦い、命を落とした英雄です」
彼女は、拳を握りしめた。
「その人の遺伝子を、死を悼むどころか実験材料として引き渡した。……協会の人間が、自らの手で」
由鶴は、目を伏せた。
「これは、死者への冒涜です」
「それと、緋雪」
由鶴は、もう一つの資料を取り出した。
「先ほど追加でご依頼のあった件についても、着手いたしました」
「……ええ」
「『ゴーストに容姿の近い魔法少女で、行方不明者または不審死した者がいないか』——でしたね」
由鶴は、眼鏡の位置を直した。
「該当条件で絞り込みをかけたところ、三名が浮上しました。……ですが」
彼女は、僅かに眉をひそめた。
「いずれも、今回の件とは無関係である可能性が高いです」
「……どういうこと?」
「一名は四年前の急死ですが、遺族への聞き取りから、持病の悪化であったことが確認できました。残る二名の失踪についても、それぞれ別件の事情が判明しております」
由鶴は、資料を閉じた。
「つまり、私の絞り込みは……空振りでした」
「……そう」
緋雪は、複雑な表情で頷いた。
「でも、それなら素体になった子は」
「ええ。……そこが、私も引っかかっているのです」
由鶴は、腕を組んだ。
「私は当初、こう考えていました。政府が誰かの遺伝子を素材にするのであれば、その人物を拉致するか、あるいは殺害して確保するはずだと」
「……普通は、そう考えるわね」
「はい。ですが、よく考えてみれば……その必要はないのです」
由鶴の目が、鋭く細められた。
「遺伝子サンプルは、ほんの微量あれば足ります。血液の一滴、あるいは毛髪一本でも」
緋雪の背筋に、冷たいものが走った。
「……まさか」
「ええ」
由鶴は、静かに頷いた。
「素体となった魔法少女は、拉致も殺害もされていない。……ごく普通に、今もどこかで生活している可能性があります」
「……由鶴。それは、つまり」
緋雪の声が、震えた。
「本人が、何も知らないまま」
「はい。自分の遺伝子が実験に使われたことなど、想像もせずに」
由鶴は、深いため息をついた。
「そして、もしそうであれば……その方を特定することは、極めて困難です」
「なぜ?」
「サンプルの入手経路が、あまりにも多すぎるからです」
由鶴は、指を折りながら並べ立てた。
「魔法少女協会に所属していれば、入会時の適性検査、定期健康診断、任務後の負傷治療、魔力測定。……そのすべてで、血液サンプルが採取されます」
「……っ」
「そして、それらの記録は協会の中央データベースに集約され、長期保管されています。……旧協会上層部が御子柴と繋がっていた以上、そこから流出した可能性は極めて高い」
由鶴は、静かに続けた。
「つまり、素体となり得る候補は……当時、協会に在籍していた全ての黒髪の魔法少女、ということになります」
緋雪は、しばらく言葉を失っていた。
(……協会に、在籍していた)
彼女の脳裏に、ふと、ある考えがよぎった。
(それって、私たちも含まれるということじゃない)
白百合の盾のエース陣は、全員が元・協会所属である。
緋雪自身も、飛鳥も、真奈も、鈴乃も——そして。
だが、緋雪はその先を考えようとして、首を振った。
(……いえ。私は黒髪じゃないし、飛鳥も真奈も鈴乃も違う)
彼女は、そこで思考を止めた。
「引き続き、調査は継続します」
由鶴が、資料をまとめながら告げた。
「ただし、今回の件については、正攻法での特定は難しいでしょう。……別の切り口が必要です」
「別の切り口?」
「はい。たとえば」
由鶴は、眼鏡の位置を直した。
「あの少女の魔力波形を、より詳細に解析することです」
「魔力波形を?」
「ええ。遺伝子を掛け合わせた存在であれば、その魔力波形にも、両方の特徴が現れているはずです」
彼女は、静かに続けた。
「周防凛音さんの魔力波形は、協会の記録に残っています。……もし、あの少女の波形から凛音さんの成分を差し引くことができれば」
由鶴の目が、鋭く光った。
「残った部分が、素体となった魔法少女の波形ということになります」
「……!」
「そして、協会の魔力波形データベースと照合すれば」
由鶴は、静かに告げた。
「素体の正体は、特定できます」
その夜。
零のスマートフォンに、緋雪からのメッセージが届いた。
『——確認が取れたわ。周防凛音さんの遺伝子サンプルは、三年前に協会から政府へ移管されている』
零は、その文面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
『……そっか』
『それと、もう一人の素体の件だけれど』
緋雪のメッセージが、続く。
『その子は、拉致も殺害もされていない可能性が高いそうよ。……協会の検査記録から、血液サンプルだけが流出したのかもしれないって』
『……じゃあ、その人は』
『ええ。自分の遺伝子が使われたことも知らずに、今も普通に生活しているかもしれないわ』
零は、しばらくその文字列を見つめていた。
『……そんなの』
彼は、震える指で返信を打った。
『そんなの、あんまりだ』
『ええ。……でも、由鶴が特定の手がかりを見つけたの』
『手がかり?』
『あの子の魔力波形から、凛音さんの成分を差し引く。……残った部分が、素体の子の波形になるはずだって』
零は、その文面を読んで、静かに息を吐いた。
『……由鶴さんは、本当にすごいな』
『ええ。頼りになる子よ』
しばらくの間があって、緋雪からのメッセージが続いた。
『零くん。……その子が誰なのか分かったら、必ず伝えるわ』
『うん。……ありがとう』
零は、スマートフォンをそっと置いた。
そして、窓の外の夜空を見上げた。
(……名前も知らない、どこかの誰か)
彼の胸に、静かな痛みが広がっていく。
(その人は、今も普通に暮らしてる。自分の身に何が起きたのかも知らないまま)
零は、拳を強く握りしめた。
(……必ず、見つけ出す)
同じ頃。
三神家の居間では。
「——ただいまー! あー、疲れたぁ!」
妹の玲奈が、風属性の魔法少女としての任務から帰宅したところだった。
「おかえり、玲奈。ご飯できてるよ」
零が、台所から顔を出す。
「わーい! 今日なに?」
「肉じゃが」
「やった!」
玲奈は、上着を脱ぎながら食卓へと駆け寄った。
その黒い髪が、電灯の光を受けてさらりと揺れる。
「そういえばお兄ちゃん、聞いて聞いて」
彼女は、椅子に座りながら口を尖らせた。
「今日ね、学校の健康診断で採血があったんだけどさ。注射、本当に苦手なのになぁ……」
「……採血?」
「うん。……あ、でも、前に協会にいた頃に比べれば全然マシかな」
玲奈は、腕をさすりながら不思議そうに首を傾げた。
「あの頃なんて、入会の時も、毎月の検診も、任務でちょっと怪我した時でさえ、やたらと血を取られてたっけ。……今思えば、なんであんなに頻繁に血を取られてたんだろうね」
「……そう、なんだ」
零は、味噌汁をよそいながら、曖昧に相槌を打った。
その時の彼は、まだ何も気づいていなかった。
同時刻。
長野県北部、山間部。
深い雪に覆われた森の奥に、その施設はあった。
白い壁に囲まれた、無機質な三階建て。
窓には全て、頑丈な鉄格子が嵌められている。
その最上階の一室。
「——サンプル004。前回の外出における逸脱行為について、報告を」
白衣を着た男が、冷たい声で問いかけた。
部屋の中央に置かれた椅子に、少女が座らされていた。
漆黒のドレスは脱がされ、簡素な白い検査着に着替えさせられている。
両手足は、拘束具で椅子に固定されていた。
「……わたしは」
少女は、俯いたまま呟いた。
「わたしは、あの人に会った」
「あの人?」
「わたしと、同じ顔をした人」
その報告に、白衣の男の眉が僅かに動いた。
「……ほう。ついに接触したか」
彼は、手元の端末に何かを記録した。
「それで、その人物は何と?」
「……」
少女は、答えなかった。
「サンプル004。質問に答えなさい」
「……」
「答えなさい」
少女は、ゆっくりと顔を上げた。
紅色の瞳が、まっすぐに男を睨みつける。
「……わたしには、名前があるはずでしょう」
「なに?」
「あの人が、言ってた。……わたしを見て、名前を呼んだ」
少女の唇が、震えた。
「りんね、って」
その瞬間。
白衣の男の顔から、初めて表情が消えた。
「……なぜ、その名前を」
「教えて」
少女は、拘束具に抗いながら身を乗り出した。
「わたしは、誰なの。……わたしの名前は、なんなの」
男は、しばらく無言で少女を見下ろしていた。
そして、冷たく告げた。
「お前に、名前はない」
「……っ」
「お前は、被検体だ。実験によって作られた、素材の複製に過ぎん」
少女の目が、大きく見開かれた。
「そして、お前が求めている『あの人』は」
男は、口の端を吊り上げた。
「お前という対ゴースト用兵器が造られる原因となった、国家最大の敵だよ」
深い雪に閉ざされた山の中。
その建物の一室で、名前を持たない少女は、静かに涙を流していた。
彼女はまだ知らない。
自分が誰の複製であるのかも。
自分が探し続けている男の子が、すでに大人に近い年齢になっていることも。
そして——彼女を「作った」者たちが、今なお国家の闇の中で息を潜めていることも。




