第二百二十六話 第二部
年が明け、二月。
寒さの底を迎えた東京の空は、朝から薄い雲に覆われていた。
埼玉県郊外。
かつては小さな企業の保養所だったという、二階建ての建物の前に、数十人の人々が集まっていた。
「——本日は、お集まりいただきありがとうございます」
建物の玄関前に設けられた簡素な壇上で、一人の少女がマイクを握っていた。
白鳥。
かつて政府に自我を奪われ、『生体ユニット』として使役されていた元魔法少女である。
首元にはまだ、呪符の封印を隠すための細いスカーフが巻かれている。顔色も、決して健康的とは言えない。
だが、その瞳には、確かな光が宿っていた。
「本日、ここに『翼の家』を開設いたします」
彼女は、深く一礼した。
集まった人々の中には、様々な顔ぶれがあった。
白百合の盾から、姫嶋会長と湯野副会長、そして情報班の新実由鶴。
エース陣からは、羽衣緋雪、弓飛鳥、只野真奈、新堂鈴乃。
魔法少女協会からも、周防凛花をはじめとする数名が参列している。
そして——保護施設から退所した、あるいはまだ通所を続けている元隠密の少女たち。
「『翼の家』は、戦えなくなった魔法少女のための場所です」
白鳥は、緊張しながらも、はっきりとした声で続けた。
「適性検査で不合格になった方。任務で怪我をして、現役を退いた方。そして——私たちのように、社会から切り離されてしまった方」
彼女は、集まった少女たちの顔を見渡した。
「そういう人たちが、自分の名前で生きていくための場所を作りたいと思いました」
その言葉に、少女たちの何人かが、静かに涙を拭った。
「ここは、施設ではありません。誰かを『保護』する場所でもありません」
白鳥は、少しだけ微笑んだ。
「ただの、家です。……疲れた時に帰ってきて、ご飯を食べて、眠れる場所。それだけです」
式典の後。
「白鳥さん、おめでとうございます」
緋雪が歩み寄ると、白鳥はほっとしたように肩の力を抜いた。
「……緋雪。ありがとう、来てくれて」
「当然でしょう」
「もう、緊張しすぎて心臓が止まるかと思った」
白鳥は、胸を押さえて苦笑した。
「私、こういう場に立つ器じゃないのに」
「そんなことないわ」
緋雪は、真剣な顔で首を振った。
「あなた以外に、誰があの場に立てるというの」
「……そうかな」
「そうよ」
二人は、しばらく建物を見上げた。
まだ看板もない、ごく普通の二階建て。
だが、その窓からは、すでに何人かの少女たちが顔を出し、楽しそうに話している声が聞こえてきた。
「——羽衣さん」
声をかけられて振り返ると、周防凛花が立っていた。
「凛花さん」
「今日は、招待していただいてありがとうございました」
凛花は、深く頭を下げた。
「協会としても、この取り組みには全面的に協力させていただきます。……上層部の承認も、正式に得ましたので」
「……協会が?」
緋雪が、驚いたように目を見開いた。
「ええ。先月の理事会で、可決されました」
凛花は、少し照れくさそうに微笑んだ。
「『適性検査不合格者および現役引退者に対する、継続的な支援制度の構築』。……予算規模はまだ小さいですが、第一歩です」
「……あなたが、動いてくれたのね」
「私だけの力じゃありません」
凛花は、静かに首を振った。
「私が声を上げた時、聞き届けてくれた大人がいたんです。……昔、姉の言葉を聞き流してしまったことを、ずっと悔やんでいた人が」
その頃、建物の裏手では。
「——おい、そこ! もっと右だ!」
「はい!」
数人の男女が、大きな看板を運び入れようとしていた。
その中に、見慣れた顔が混ざっている。
「三神くん、こっち持ってもらえる?」
「はい!」
三神零が、作業服姿で看板の端を抱えていた。
彼は今日、白鳥から直接「開設の手伝いに来てほしい」と頼まれて、この場にいた。
もちろん、表向きは「羽衣さんの知り合いの高校生」という立場である。
「よし、そこで固定!」
ガコン、という音とともに、建物の入り口に木製の看板が据え付けられた。
『翼の家』
シンプルな文字が、丁寧に彫り込まれている。
「……いいね、これ」
零は、思わず呟いた。
「でしょ?」
振り返ると、白鳥が笑って立っていた。
「デザイン、施設のみんなで考えたの。何十案も出して、投票して」
「そうなんですか」
「うん。……ねえ、三神くん」
「はい?」
「今日は、本当にありがとう」
白鳥は、深く頭を下げた。
「え、いや、俺は看板運んだだけで」
「そうじゃなくて」
彼女は、顔を上げた。
その目は、なぜか、少しだけ潤んでいた。
「……なんとなく、ね。あなたにお礼を言わなきゃいけない気がしたの」
零の心臓が、大きく跳ねた。
「……え?」
「あ、変な意味じゃないの! ごめんなさい」
白鳥は、慌てて手を振った。
「ただ、なんていうか。……あなたを見てると、あの人を思い出すのよね」
「あの人?」
「うん。黒いドレスの、あの人」
零は、必死に平静を装った。
(な、なんで!? 何が似てるっていうんだ!?)
「……なんだろう。雰囲気っていうか、気配っていうか」
白鳥は、首を傾げながら言った。
「私を助けてくれた時のあの人と、今看板を運んでるあなたが、なんか同じ感じがして」
「そ、そうですか……」
「ま、気のせいだよね。あの人、女の子だし」
白鳥は、あっけらかんと笑った。
「ごめんね、変なこと言って」
「い、いえ……」
零は、内心で冷や汗を滝のように流していた。
(……この人、本当に勘が鋭い)
夕方。
式典と設営作業が終わり、参加者たちが帰路につき始めた頃。
零は、建物の裏手で一人、片付けをしていた。
「……お疲れさま」
声をかけてきたのは、緋雪だった。
「緋雪さん。もう終わった?」
「ええ。挨拶回りが長引いてしまって」
彼女は、零の隣に立ち、暮れゆく空を見上げた。
「……いい場所ね、ここ」
「うん」
「あの子たちが、ここで少しずつ元に戻っていくのかと思うと」
緋雪は、静かに微笑んだ。
「……なんだか、胸がいっぱいになるわ」
零は、しばらく黙って空を見つめていた。
やがて、ぽつりと呟いた。
「御子柴は捕まって、隠密事業は解体されて。あの子たちは家に帰って、こうして新しい場所もできて」
彼は、深く息を吐いた。
「なんか、実感が湧かないんだ」
「そうね」
緋雪は、静かに頷いた。
「私も、まだ少し夢の中にいるような気分よ」
二人は、しばらく無言で夕陽を見つめていた。
その夜。
白百合の盾・情報班専用モニタールーム。
新実由鶴は、いつものように一人でモニターに向かっていた。
式典から戻ったばかりだが、彼女には確認しておきたいことがあった。
「……さて」
由鶴は、端末を起動した。
画面に表示されるのは、彼女が個人的に蓄積し続けている、ゴースト関連の分析データである。
あの夜——駅裏公園の魔獣処理現場で検出された、微弱な氷属性の痕跡。
あれ以来、由鶴は密かに「ゴーストの出現現場における、緋雪の魔力痕跡」を追跡し続けていた。
「……三件目、ですね」
彼女は、静かに呟いた。
この二ヶ月間で、同様のパターンが三度確認されている。
ゴーストが魔獣を処理した現場に、非番の緋雪が、記録に残らない形で駆けつけている。
(……確定です。緋雪とゴーストは、明確に連携しています)
由鶴は、椅子の背もたれに身を預けた。
だが、そこから先が進まない。
ゴーストの正体を掴む手がかりは、依然として何一つ得られていなかった。
「……焦っても、仕方ありませんね」
彼女は、静かに端末を閉じようとした。
その、瞬間。
——ピロン。
画面の隅で、通知が点滅した。
『——魔力反応検知。静岡県、市街地。大型魔獣一体、および』
由鶴の目が、細められる。
「……および?」
彼女は、詳細データを展開した。
そして。
その画面を見た瞬間、由鶴の呼吸が止まった。
『——魔力波形照合結果:既知の登録個体「ゴースト」との一致率、七十七パーセント』
「…………は?」
由鶴は、思わず身を乗り出した。
「静岡……? なぜ、ゴーストが静岡に」
彼女は、素早くキーボードを叩いた。
同時刻の、東京都内の魔力状況を確認する。
——記録によれば、その二時間前。
都内近郊でゴーストの活動痕跡が確認されていた。
「……東京から静岡まで、影移動なら数分。時間的には可能ですが」
由鶴は、眉をひそめた。
だが、彼女が引っかかったのは、そこではない。
「一致率、七十七パーセント……中途半端過ぎません?」
これまで、ゴーストの魔力波形は、常に九十九パーセント以上の一致率を示してきた。
それは、他の何者にも真似できない固有の指紋のようなものだったはずだ。
「なぜ、こんな中途半端な数値が」
由鶴は、詳細な波形データを画面上に展開した。
そして——彼女の眉間に、深い皺が刻まれた。
「……闇属性の波形が、検出されていません」
ゴーストの魔力の根幹をなす、闇属性。重力を操り、影を渡る、あの規格外の力。
それが、この波形にはまったく含まれていない。
代わりに検出されているのは。
「炎と、氷。……二属性のみ」
由鶴は、しばらく画面を凝視していた。
「……別人?」
彼女は、震える指でキーボードを叩き、現場の情報を呼び出した。
「静岡県警への照会。……現場の被害状況、および目撃証言の収集を最優先で」
三十分後。
由鶴の前のモニターに、現場の映像が表示された。
半壊した商業ビル。散乱する瓦礫。逃げ惑う人々の姿。
そして、防犯カメラが捉えた、一瞬の映像。
炎に照らされた薄暗い通りに、一人の少女が立っていた。
漆黒の、ゴシックドレス。
夜の闇よりも深い、黒い髪に赤い瞳
由鶴の背筋を、氷のような悪寒が走り抜けた。
「……ゴースト?」
だが、映像はあまりに不鮮明で、顔まではっきりとは判別できない。
しかし。
その少女は、確かに——両手に、炎と氷を纏っていた。
「……ありえません」
由鶴の声が、震えた。
「ゴーストは、これまで一度たりとも……街を、壊したことなどない」
画面の中で、少女がゆっくりと振り返る。
その動きに、由鶴は思わず息を呑んだ。
まるで、何かを探しているような。
何かを求めて、彷徨っているような——
そして、映像はそこで途切れた。
誰もいないモニタールームで。
新実由鶴は、しばらく身動きが取れなかった。
やがて、彼女は掠れた声で呟いた。
「……何が、起きているのですか」
窓の外では、冬の冷たい雨が、静かに降り始めていた。
第2部になります。
引き続きよろしくお願いします。
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※ただし、私に画力はないので、AIの力を借りた画像です。それでも良ければ、ぜひ見に来てください。(*´ω`*)




