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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第二百二十五話

十二月。

街路樹の葉はすっかり落ち、朝の空気には吐く息が白く滲むようになった。

三神家の台所では、いつもと変わらぬ朝が始まっている。


「——お兄ちゃん、卵焼きもう一個ある?」


「あるよ。はい」


零は、フライパンから焼き上がったばかりの卵焼きを、玲奈の皿へと移した。


「零、私の分は」


「姉ちゃんのはもう入れてある。弁当箱の方に」


「さすが」


澪が、満足げに頷いてトーストをかじる。


「あらあら、今日も賑やかねぇ」


母の奈々美が、のんびりとコーヒーを注いだ。

どこにでもある、平凡な朝の風景。

国家を揺るがす陰謀も、裏社会の抗争も、この食卓には存在しない。

ただ、家族が同じテーブルを囲み、同じ味噌汁を飲んでいる。


(……これでいい)


零は、味噌汁のお椀を手に取りながら、静かに思った。


(俺が守りたかったのは、たぶん、こういうものだ)


通学路。


「よう零、おはよう」


いつものように、稔が追いついてきた。


「おはよう。……なあ稔、その袋なに?」


「ああ、これか?」


稔は、得意げに紙袋を掲げてみせた。


「新しいカードのパックだよ。『マホクロ』の最新弾が昨日出てさ」


「へえ」


「今回さ、すごいんだよ。新規収録の中に、あの『白鳥』さんがいるんだ」


零の足が、止まった。


「……白鳥さん?」


「そう。ほら、隠密事件の被害者の代表として、記者会見に出てただろ? 顔は伏せてたけどさ」


稔は、少し照れくさそうに続けた。


「あの人、今度『翼の家』っていう支援施設を立ち上げるらしくてさ。戦えなくなった魔法少女とか、適性検査で落ちた子とかが、集まれる場所なんだって」


「……そうなんだ」


「で、協会の公式が『特別支援カード』ってのを出してくれたんだよ。売上の一部が、その施設に寄付されるやつ」


稔は、紙袋をぎゅっと握りしめた。


「俺さ、正直今まで魔法少女のこと、ただ『かっこいい』としか思ってなかった。強くて、綺麗で、みんなを守るヒーローだって」


彼は、白い息を吐いた。


「でも、あの事件で知ったんだ。戦えなくなった子が、どうなってたのか。誰も見てなかったのかって」


「……」


「だからさ。せめて、こういう形でも協力できるならって思って。……三箱買った」


零は、しばらく友人の横顔を見つめていた。

そして、静かに笑った。


「……稔って、いいやつだよな」


「なっ、なんだよ急に! 気持ち悪いこと言うなよ!」


昼休み。

零は、校舎の裏手にある人気のないベンチで、弁当を広げていた。

その隣には、なぜか羽衣緋雪が座っている。


「……あの、緋雪さん」


「なにかしら」


「なんで、うちの学校にいるんですか」


「あら。白百合の盾の広報として、地域の学校を訪問しているのよ」


緋雪は、涼しい顔で答えた。


「先日の秋桜祭の御礼と、今後の連携について、校長先生とお話をしていたの。……その帰りよ」


「それ、絶対嘘ですよね」


「失礼ね。半分は本当よ」


「半分」


緋雪は、悪びれもせずに微笑むと、自分の弁当箱を開いた。


「はい。今日は、私が作ってきたの」


「……え」


零が覗き込むと、そこには少し不格好ながらも丁寧に作られたおかずが並んでいた。

卵焼きは端が少し焦げていて、ハンバーグの形はいびつだ。

だが、その一つ一つに、確かな手間が込められているのが分かる。


「……食べても、いい?」


「もちろん。……あの、その、あまり期待しないでね。零くんみたいには作れないから」


零は、卵焼きを一つ口に運んだ。

少し塩気が強い。焼き加減も均一ではない。

だが。


「……美味しい」


零は、心からそう呟いた。


「本当に? お世辞じゃなくて?」


「うん。……すごく、美味しいよ」


緋雪の頬が、ぱっと赤くなった。


「……よかった」


彼女は、心底嬉しそうに笑った。


その日の夜。

零は、久しぶりに一人で夜の街を歩いていた。

特に目的があるわけではない。

ただ、なんとなく歩きたい気分だったのだ。


商店街のシャッターは半分ほど降り、コンビニの明かりだけが煌々と灯っている。

仕事帰りのサラリーマンが、疲れた顔で駅へと向かっていく。

どこにでもある、平凡な夜の風景。


(……この街も、少し変わったな)


零は、ふと足を止めた。

通りに面したビルの大型ビジョンに、ニュース番組が映し出されている。


『——本日、政府は魔法少女の待遇改善に関する新法案の骨子を発表しました』

『適性検査で不合格となった者、また負傷等により現役を退いた者に対する支援制度の創設が柱で——』


零は、しばらくその画面を見上げていた。


四十七人の少女たちの声が、国を動かした。

誰も殺さず、誰も見捨てず、ただ真実を届けただけで。


(……間に合ったんだ)


彼は、静かに息を吐いた。


人気のない路地に入り、零は周囲を確認した。

そして、紫の魔力を全身に纏う。


次の瞬間、そこに立っていたのは、漆黒のゴシックドレスを纏った絶世の美少女だった。

ゴーストは、静かにビルの屋上へと跳躍した。


街を見下ろす、高層ビルの縁。

冬の夜風が、漆黒のドレスの裾を揺らしていく。


眼下には、無数の光が広がっていた。

家々の窓明かり。走る車のヘッドライト。コンビニの看板。信号の色。

その一つ一つに、誰かの生活がある。


零は、静かに街を見つめた。

まだ幼かったあの日、魔獣に襲われた自分を庇って死んだ、一人の魔法少女。

周防凛音。


彼女がくれた命で、自分は今日まで生きてきた。

なぜ自分に力が宿ったのかは、今も分からない。

なぜ変身すると少女の姿になるのかも、分からないままだ。


協会にも、白百合にも、どこにも所属していない。

名前も、階級も、記録も存在しない。

文字通りの——『未登録の魔法少女』。


(……最初は、ただ怖かったな)


零は、自嘲気味に微笑んだ。

誰かに知られたら、普通の生活が終わってしまう。

家族が危険に晒される。友人が離れていく。

だから隠した。ひたすらに、必死に。


だが。

この三年で、あまりにも多くのことが変わった。


狂信的な教団が、彼を神と崇めた。

冷徹な犯罪組織の女王が、彼に取引を持ちかけた。

国家の暗部が、彼を最大の脅威と断じた。


そして。

一人の少女が、彼のすべてを知った上で、隣に立つことを選んでくれた。


(……皮肉なもんだ)


零は、静かに笑った。

誰にも知られたくなかったはずなのに。

気がつけば、あまりにも多くの人が、自分の周りにいる。


名前を知らないまま感謝してくれる人。

正体を知らないまま慕ってくれる人。

正体を知った上で、守ってくれる人。

そして——正体を突き止めようと、今も静かに追いかけている人。


(由鶴さんは、まだ諦めてないんだろうな)


零は、遠くに見える白百合の盾の本部ビルを見つめた。


(……あの人には絶対にばれたくないなぁ)


ふと、街の一角で小さな魔力反応が生じた。

ゴーストは、静かにそちらへと目を向ける。


(……はぐれ魔獣か。小型だな)


場所は、駅裏の公園。

まだ人通りがある時間帯だ。放置すれば、誰かが怪我をするかもしれない。

ゴーストは、足元の影を広げた。


だが、その直前。


(……ああ、そうだ)


彼は、ふと思い出したように、ドレスの内側に忍ばせておいたスマートフォンを取り出した。

画面を操作し、短いメッセージを打ち込む。


『——駅裏の公園に、小型の反応。これから行ってくる』


送信。

数秒後、返信が来た。


『了解。私も向かうわ。……ちゃんと報告してくれて、ありがとう』


ゴーストは、その文面を見つめて、静かに微笑んだ。


「……約束、だからね」


影の中へと沈み込む直前。

彼は、もう一度だけ、眼下の街を見渡した。


無数の光。無数の生活。無数の、誰かの明日。

そのすべてを守るために、彼は今日も戦う。


名乗ることもなく。

感謝されることも求めず。

記録にも、歴史にも、決して残らないまま。


それでいい、と零は思う。

自分は、英雄になりたいわけではないのだ。


ただ——目の前で誰かが困っていたら、手を伸ばす。

ただ——大切な人が笑っていられる場所を、守り続ける。

そのために、この力があるのなら。


(……俺は、これでいい)


最強の死神は、静かに闇の中へと沈み込んだ。


どこにも登録されず。

誰にも認められず。

それでも、確かにこの街に存在する、たった一人の——

『未登録の魔法少女』として。


——そして、その頃。

白百合の盾・情報班専用モニタールーム。


新実由鶴は、いつものように一人でモニターに向かっていた。

画面に表示されているのは、彼女が個人的に蓄積し続けている、ゴースト関連の分析データ。


「……本日も、変化なし、と」


由鶴は、疲れた目をこすった。

ゴーストの生活圏はある程度絞り込めた。だが、そこから先が進まない。

数万世帯という母集団を、これ以上どう絞ればいいのか。


その時。

画面の隅で、通知が点滅した。


『——魔力反応検知。都内、駅裏公園付近。小型個体一体』


「……はぐれ魔獣ですか。近隣の部隊に通報を」


由鶴は、機械的に処理を進めようとして——ふと、手を止めた。


「……あら?」


彼女は、モニターに表示された数値を見つめた。

通報から二分後。

魔獣の魔力反応が、忽然と消滅していた。


「……早すぎます」


由鶴は、眉をひそめた。


「近隣部隊の到着予定時刻は、通報から八分後。……つまり、部隊が到着する前に、誰かが処理したということですね」


彼女は、素早くキーボードを叩いた。


「該当時刻の周辺魔力波形を、ログから抽出」


画面に、複雑な波形が展開される。

そして。

由鶴の指が、止まった。


「…………」


彼女は、画面に食い入るように顔を近づけた。


「これは……」


波形の一部に、極めて微弱な、しかし明確な『別の魔力』の痕跡が混ざっていた。

ゴーストのものではない。

もっと小さく、もっと日常的で——


「……氷、属性?」


由鶴の目が、大きく見開かれた。


「なぜ、ここに緋雪の魔力波形が」


彼女は、震える指でキーボードを叩き、その日の白百合の勤務記録を呼び出した。


『羽衣緋雪——本日、非番』


「……非番の日に、単独で魔獣処理に向かった?」


由鶴は、しばらく画面を見つめていた。

そして、ゆっくりと、椅子の背もたれに身を沈めた。


「……いえ。違いますね」


彼女の声は、静かだった。


「もし、緋雪が単独で処理したのなら、彼女の魔力波形がもっと明確に残るはずです。……ですが、この痕跡は、あまりにも微弱すぎる」


由鶴は、目を細めた。


「これは、緋雪が『到着した時には、すでに終わっていた』という痕跡です」


彼女は、静かに顎に手を当てた。


「非番の日に。誰にも報告せず。……ゴーストが処理する現場へ、駆けつけている」


由鶴は、しばらく無言で天井を見上げていた。

そして、ぽつりと呟いた。


「……緋雪。あなたは、あの死神と」


彼女の脳裏に、一つの可能性が浮かび上がる。

これまで、由鶴はゴーストを「緋雪が守っている何者か」だと考えていた。

だが、もしそうではなく——


「……あなたたちは、いつも一緒に戦っているのですか?」


誰もいないモニタールームに、その呟きだけが静かに響いた。

由鶴は、画面に表示された波形データを、ゆっくりと保存した。


「……いいでしょう」


彼女の目に、静かな、しかし確かな光が灯る。


「一歩、近づきました」


情報班のトップは、静かに、しかし確かな執念を込めて微笑んだ。


「次は、必ず捉えてみせます。……あなたが誰なのかを」


冬の夜空の下。

街は、今日も静かに眠りにつこうとしている。


誰も知らない。

この街を守り続けている少女の、本当の名前を。


誰も知らない。

その少女が、明日の朝も家族のために味噌汁を作るであろうことを。


だが、それでいい。

名前も、記録も、栄誉も。

彼が求めたものは、最初から一つもなかったのだから。


——第一部・完

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― 新着の感想 ―
一部225話・・・・・・絶対途中で分けれたでしょ()
第1部!? 一気に読ませてもらいました。とても読みやすく、最高の物語をありがとうございます。
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