第二百十五話
東京、新宿。
夜の繁華街は、地獄と化していた。
悲鳴を上げて逃げ惑う人々。倒壊したビルの残骸。ひび割れたアスファルトから立ち昇る粉塵。
そして、その只中を蹂躙する、十数体の巨大な異形。
「——第三小隊、東口の避難誘導を継続! 第四小隊は私に続いて!」
白百合の盾、氷のトップエース・羽衣緋雪の号令が、混乱の街に響き渡った。
彼女の右手に生成された氷の太刀が、突進してきた四足の魔獣の脚部を正確に薙ぎ払う。
「飛鳥! 左から二体来るわ!」
「見えてる!」
風のエース・弓飛鳥が、白銀の長槍を回転させながら跳躍した。
真空の刃が魔獣の首を跳ね飛ばし、着地と同時に次の敵へと踏み込んでいく。
「真奈、地盤を!」
「はいっ! せーのっ……!」
土のエース・只野真奈が巨大なハンマーを振り下ろすと、アスファルトが大きく波打ち、突進してきた魔獣の群れが軒並み転倒した。
「鈴乃!」
「まとめて焼くよ——!」
炎のエース・新堂鈴乃が放った紅蓮の熱波が、転倒した魔獣たちを一瞬にして灰へと変える。
白百合の盾のエース陣は、疲弊しながらも、決して市民の前から退かなかった。
『——各員、聞こえますか』
通信機から、新実由鶴の声が響く。
『現在、都内で確認されている魔獣は四十七体。うち十九体を撃破しました。ですが、南部方面の被害が拡大しています。協会の部隊も限界に近いようです』
「……協会が」
緋雪が、息を切らしながら呟いた。
東京南部、品川周辺。
「——下がって! まだ避難できていない人がいます!」
新生・魔法少女協会のトップエース・周防凛花は、光の長剣を構えたまま、後退する部下たちを庇うように前に出た。
彼女の前には、体高十メートルを超える巨大な魔獣が立ちはだかっている。
保管施設で研究用に育てられていた、通常種を遥かに凌ぐ強化個体。
「凛花さん、無理です! あれは特級です!」
「私たちの火力じゃ、傷一つつけられません!」
「それでも、下がるわけにはいかないでしょう!」
凛花は、光の剣に全魔力を注ぎ込んだ。
(あの建物には、まだ何十人も残ってる。……私が抜かれたら、あの人たちが死ぬ)
姉の背中が、脳裏をよぎった。
誰かを守るために、最後まで前に立ち続けた人。
「——うああああっ!」
凛花の斬撃が、魔獣の前脚を捉える。
だが、分厚い甲殻に阻まれ、致命傷には程遠かった。
『ギャアアアッ!』
巨大な尾が、鞭のようにしなって凛花を打ち据えた。
「かはっ……!」
凛花の身体が吹き飛び、瓦礫の山へと叩きつけられる。
「凛花さん!」
(……ごめん、お姉ちゃん。私、ここまで、みたい)
霞む視界の中、魔獣の巨大な前脚が振り上げられる。
その時だった。
——ズドォォォォォンッ!!
凄まじい重圧が、上空から降り注いだ。
『ギャ……ッ!?』
振り上げられた前脚が、まるで見えない巨人の手で押さえつけられたかのように停止する。
次の瞬間、体高十メートルの魔獣が、アスファルトへと轟音と共に叩き伏せられた。
「え……?」
凛花が、呆然と空を見上げる。
崩れかけたビルの縁に、漆黒のゴシックドレスを纏った少女が、月を背に佇んでいた。
「……ゴースト」
最強の死神は、地面に押し潰された魔獣を一瞥した後、静かに凛花へと視線を向けた。
「……立てるかしら」
「……っ、はい」
凛花は、震える脚に力を込めて立ち上がった。
「あの建物に、まだ市民が残っているのね」
「……はい。少なくとも五十人以上が」
ゴーストは、ビルの縁から音もなく舞い降りた。
「ならば、あなたは避難誘導に回りなさい。ここは私が引き受けるわ」
「……なぜ」
凛花の問いに、ゴーストの足が止まった。
「なぜ、あなたが私たちを助けるんですか」
凛花は、真っ直ぐにその背中を見つめた。
「私たちは、協会は……あなたを、討つべき敵として追ってきました。政府の言うことを信じて、あなたのことを何も知ろうとしないまま」
ゴーストは、しばらく黙っていた。
そして、肩越しに振り返り、静かに答えた。
「……あなたが誰であろうと、関係ないわ」
「え……?」
「今、そこに助けを求めている人がいる。それだけよ」
その言葉に、凛花は息を呑んだ。
(……ああ、そうだ)
彼女の脳裏に、亡き姉の言葉が蘇る。
『魔法少女はね、誰を助けるか選んじゃいけないの。目の前で困ってる人がいたら、それが誰でも助ける。それだけよ、凛花』
「……お姉ちゃんと、同じことを言うんですね」
凛花の頬を、一筋の涙が伝った。
「……行きなさい。時間がないわ」
「はい!」
凛花は、涙を拭って走り出した。
同時刻、大阪。
「——聖光の断罪ッ!!」
ルディア・ロンディニウムが放った黄金の光柱が、商業ビルに群がっていた魔獣の群れを一掃した。
「真里! 宮子! ビルの中の人々を!」
「承知いたしました!」
「はい」
福音の鐘の構成員たちが、悲鳴を上げる市民たちを次々と避難させていく。
「あの……あなたたちは、一体」
助け出された初老の女性が、怯えたように尋ねた。
「わたくしどもは、ただの通りすがりの信徒でございますわ」
ルディアは、優雅に微笑んだ。
「さあ、東の広場へお逃げなさいませ。あちらに救護所を設けてありますわ」
「ルディア様ー! こっちの魔獣、片付いたよー!」
ルカが大鎌の血糊を払いながら駆けてくる。
「……ん。残敵、なし」
リリアが双剣の血振りをし、静かに頷く。
「よろしい。次は西区へ向かいますわよ」
「「はーい!」」
かつて『最悪のカルト教団』と呼ばれた集団が、今、街の人々を救うために走り回っていた。
福岡。
「——面倒くさいわね、本当に」
シルヴィア・バークスが、アッシュグレーの髪を風になびかせながら宙を舞う。
彼女の生み出した真空の刃が、逃げ惑う市民に迫っていた魔獣三体を、正確に切り裂いた。
「シルヴィアさん、こちらの方、脚を骨折しています!」
「はいはい、任せた」
レイラ・メリクスが、瓦礫の下から救い出した青年に水の癒しを施していく。
「あなた、よくやるわね」
シルヴィアが、着地しながら呆れたように言った。
「もう三時間ぶっ通しよ。魔力、残ってるの」
「大丈夫です」
レイラは、汗だくの顔で微笑んだ。
「まだ、助けを待っている人がいますから」
「……ほんと、あんたって人は」
シルヴィアは、ため息をついた後、ふっと笑った。
「東洋の死神も、大概おかしな奴だったけど。あんたも大概よ」
名古屋。
「——紫電の雷霆」
ヴィクトリア・ローゼンベルグの放った雷が、高架道路を這い進んでいた魔獣の群れを焼き払った。
「エージェント各員、市民の誘導を優先なさい。魔獣の撃破は二の次よ」
「しかし、ローゼンベルグ様。我々は本来、こういった仕事をする組織では……」
部下の困惑した声に、ヴィクトリアはパラソル型のステッキを肩に担いで振り返った。
「あら。ゴースト様が、そうしろと仰っているのよ?」
彼女は、妖艶に微笑んだ。
「それに、悪くないでしょう。……たまには、感謝される側に立つというのも」
白百合の盾・作戦指令室。
「……信じられません」
由鶴が、モニターを見つめたまま呟いた。
全国八箇所の被災地。そのすべてで、魔獣の撃破数と市民の救出数が、加速度的に増加していく。
「大阪、福岡、名古屋。……いずれも、我々や協会の部隊が到着する前に、正体不明の勢力が魔獣を排除し、市民を避難させています」
「正体不明、ですか」
姫嶋が、静かに問う。
「……いえ」
由鶴は、目を伏せた。
「福音の鐘と、星監です。……そして、おそらくその指揮を執っているのは」
彼女は、それ以上言葉を続けなかった。
姫嶋は、モニターに映る一つの映像を見つめていた。
崩れかけたビルから市民を救い出す、漆黒のドレスを纏った少女の姿。
「……由鶴さん。私はね、長い間、魔法少女という制度の中で生きてきました」
姫嶋は、静かに言った。
「その中で、たくさんの『正義』を見てきました。組織の正義、政治の正義、大人たちの都合で作られた正義」
彼女は、目を細めた。
「ですが、本当の正義というのは……きっと、こういうものなのでしょうね」
夜が更けていく。
東京、新宿。
最後の一体を氷の太刀で貫いた緋雪は、荒い息を吐きながら膝をついた。
「……緋雪ちゃん、大丈夫!?」
真奈が駆け寄る。
「……ええ。なんとか、ね」
彼女は、赤く染まった夜空を見上げた。
(零くん。……あなたは今、どこにいるの)
その時、通信機に一報が入った。
『——緋雪さん! 朗報です!』
由鶴の声が、興奮に震えていた。
『全国八箇所、すべての地域で魔獣の掃討が完了しました! 現在も救助活動は継続中ですが、市民への大規模な二次被害は……食い止められました!』
「……そう」
緋雪は、静かに息を吐いた。
『それと、もう一つ』
由鶴の声が、僅かに硬くなる。
『空港と主要港湾に非常線が敷かれています。……国外逃亡を図った御子柴議員の追跡が、始まりました』
その頃。
都心から遠く離れた、闇に沈む地方空港。
滑走路の端に、一機のプライベートジェットが待機していた。
タラップを駆け上がろうとしていた男が、ふと足を止める。
夜風が、彼のコートの裾を揺らした。
「……なんだ」
御子柴は、振り返った。
そこには、誰もいないはずの滑走路。
だが——彼の足元の影が、ゆっくりと、沼のように広がり始めていた。
「まさか」
男の顔から、血の気が引いていく。
闇の中から、音もなく。
漆黒のゴシックドレスを纏った、絶世の美少女がせり上がってきた。
「……こんばんは、御子柴さん」
紫水晶の瞳が、冷たく光る。
「随分と、急いでいらっしゃるようね」




