第二百十四話
九州の作戦から、五日後。
その日の午後三時、白百合の盾は緊急記者会見を開いた。
都内のホテルに設けられた会見場には、百社を超える報道機関が詰めかけている。
「白百合の盾が、緊急会見だって?」
「例の九州の一件だろう。政府から批判されてる立場なのに、何を言うつもりだ」
ざわめく報道陣の前に、姫嶋会長が姿を現した。
その隣には、情報班の新実由鶴が、分厚い資料を抱えて立っている。
「——本日は、お集まりいただきありがとうございます」
姫嶋は、深く一礼した後、真っ直ぐに正面のカメラを見据えた。
「本日、白百合の盾は、我が国で行われてきたある事業について、独自に調査した結果を公表いたします」
彼女は、静かに、しかし明瞭に告げた。
「政府の暗部が極秘に運用してきた特殊部隊『隠密』——その実態は、任務で負傷し見捨てられた元魔法少女たちを非人道的に回収し、洗脳処置を施して、対魔法少女兵器の生体部品として使役するものでした」
会見場が、一瞬静まり返り——次の瞬間、爆発的なざわめきに包まれた。
三神家のリビング。
テレビの前で、零は姉と妹と共に、その中継を見つめていた。
「……嘘でしょ」
澪が、口元を押さえて呟く。
『続いて、証拠資料の一部をご覧いただきます』
画面が切り替わり、由鶴が提示する資料が映し出される。
政府の内部記録。生体ユニットの管理番号。再誓約(上書き)処置のスケジュール。
『そして、最も重要な証拠を提示いたします』
由鶴の声が、僅かに震えていた。
『——被害者本人たちの、生きた証言です』
画面に、一人の少女が映し出された。
顔にはモザイクがかけられ、声も加工されている。だが、その言葉は、驚くほど鮮明だった。
『……わたしは、二年前に適性検査で落ちました』
『実家にも居場所がなくて、バイトも続かなくて。……そんな時に、政府の人が来たんです』
『「あなたの力を、もう一度国のために使いませんか」って』
少女の声が、震える。
『嬉しかった。本当に、嬉しかったんです。誰かに必要とされたのが』
映像が切り替わり、別の少女が映る。
『首に、変な呪符を刻まれました。それからは、少しずつ自分が消えていって』
『母の顔を忘れて、友達の名前を忘れて。……何が消えたのかも、思い出せなくなって』
また別の少女。
『番号で呼ばれてました。わたしは、二十九番でした』
『「生体ユニット二十九番、稼働開始」って。……人間だと思われてなかったんです』
さらに別の少女。
『助けを求めても、誰も来ませんでした』
『みんな、わたしたちのことなんて、とっくに忘れてたから』
証言は、途切れることなく続いた。
十人。二十人。三十人。
顔も声も隠されているが、それぞれが確かに違う人格を持ち、違う人生を語っていた。
適性検査で落ちた者。任務で魔力回路を損傷した者。組織から見捨てられた者。
そのすべてが、同じ場所へと辿り着いていた。
『——以上、四十七名の証言をお聞きいただきました』
由鶴が、静かに告げた。
『彼女たちは全員、かつて国民を守るために戦った、あるいは戦おうとした少女たちです。そして全員が、国家によって心を奪われ、道具として使い潰されました』
由鶴は、深く息を吸い込んだ。
『先日、政府は「テロリストによって連れ去られた保護対象の女性がいる」と発表しました。その女性の政府内部での記録が、こちらです』
画面に、赤い文字が浮かび上がる。
『生体ユニット・コードネーム白鳥。感情反応の異常値を検知。洗脳の不適合と判断し、完全消去処置を実行予定』
『政府が「保護していた」と主張したその日、彼女は脳を焼き切られ、廃人にされる予定でした』
会見場が、水を打ったように静まり返っていた。
三神家のリビングで、玲奈が小さな声で呟いた。
「……ひどいよ、こんなの」
澪は、拳を握りしめてテレビを睨みつけていた。
「……あの子は」
彼女の声が、震えている。
「ゴーストは、これを止めようとしてたってこと?」
零は、静かに答えた。
「……そうなんじゃないかな」
(姉さん。……ありがとう)
彼は、テレビ画面の中で毅然と立つ由鶴の姿を見つめながら、心の中で深く頭を下げていた。
(由鶴さん。あなたは、緋雪さんの名前も、一度も出さなかった)
会見の反響は、爆発的だった。
その日の夕方には、SNSのトレンドが完全に塗り替わった。
『#隠密部隊』
『#四十七人の証言』
『#政府は説明しろ』
昨日まで「ゴーストはテロリスト」と叫んでいたアカウントが、次々と沈黙していく。
代わりに拡散されたのは、九州で助け出された住民たちの証言と、四十七人の少女たちの言葉だった。
『政府に人質にされた市民を助けたのが、政府がテロリストと呼んでる連中って、どういうことなんだ』
『元魔法少女って、こんな使われ方されてたのかよ』
『適性検査で落ちた子が行方不明になる話、前から噂あったよな……』
そして、零の教室でも。
「……なあ、零」
クラスメイトの稔が、スマホを見つめたまま静かに言った。
「俺、言っただろ。おかしいって」
「……ああ」
「でも、まさかここまでとは思わなかった」
稔は、いつものオタク特有の饒舌さを完全に失っていた。
「俺、魔法少女が好きなんだよ。カードも集めてるし、グッズも買ってる。……でも、その裏でこんなことされてたなんて」
彼は、悔しそうに唇を噛んだ。
「ゴーストにさ、謝りたいよ。ずっとテレビで悪者にされてて、それでも人を助けてて。……なのに俺、あいつのこと『テロリストなのか』って迷ってた」
零は、友人の横顔を見つめた。
「……きっと、迷ってくれただけで十分だと思うよ」
「え?」
「みんなが同じ方向を向いてる時に、『ちょっと待て』って言える人がいるから。……こういう時に、真実が届くんじゃないかな」
稔は、しばらく零の顔を見つめた後、照れくさそうに笑った。
「なんだよ、お前。たまにめちゃくちゃいいこと言うよな」
同じ日の夜。
政府・国防委員会の地下司令室は、地獄と化していた。
「御子柴先生! 与党内から、先生の責任を問う声が上がっております!」
「マスコミが施設周辺に殺到しています! もう抑えきれません!」
「首相官邸から緊急の呼び出しが——!」
鳴り止まない電話。飛び交う怒号。青ざめた顔で走り回る職員たち。
その混乱の中心で、御子柴は一人、椅子に深く腰掛けたまま動かなかった。
「……終わった、か」
彼は、静かに呟いた。
完璧だったはずの物語が、たった一つの会見で崩れ落ちた。
四十七人の少女たちの生きた声。それは、どんな政治的技巧をもってしても覆せない、圧倒的な質量を持っていた。
「御子柴先生」
郷田理事が、震える声で近づいてきた。
「……これから、どうなさるおつもりですか」
御子柴は、ゆっくりと顔を上げた。
その目には、追い詰められた獣のような、危険な光が宿っていた。
「郷田。お前は、優秀な部下だったよ」
「……は?」
「隠密事業の実務責任者として、お前の署名は全ての書類に残っている。予算の承認も、施設の運用も、処置の指示も」
郷田の顔から、血の気が引いた。
「ま、待ってください御子柴先生! あれは全て、先生のご指示で——!」
「証拠は?」
御子柴は、冷たく笑った。
「私は、口頭でしか指示を出していない。書類上、この事業を推進したのはお前だ」
「そ、そんな……!」
御子柴は立ち上がり、司令室の奥にある個人用の端末へと歩み寄った。
そして、複数の認証コードを次々と入力していく。
「何を、なさっているのですか」
郷田が、怯えたように問う。
「時間稼ぎだよ」
御子柴は、端末を操作しながら答えた。
「私はこれから国外へ出る。すでに手配は済んでいる。……だが、このまま静かに消えては、追手がすぐに嗅ぎつけてくるだろう」
彼の指が、最後の認証キーを叩いた。
「だから、この国には、私を追う余裕がなくなるほどの混乱に陥ってもらう」
『——地下兵器庫、および人工地脈破断システム。全ゲート解放シークエンス開始』
無機質な音声が、司令室に響き渡った。
「なっ……!?」
郷田が、モニターを見上げて絶叫した。
「せ、先生! そのシステムは、強制的に魔獣を発生させるための——!」
「そうだ。しかも、隠密の実験用に確保していた『キメラ魔獣』の培養カプセルも同時解放する。その数、二百体余りな」
御子柴は、事もなげに答えた。
「全国八箇所の地下施設に分散されている。そのすべてを、今、起動した」
「馬鹿な! 都市部に隣接している施設もあるんですよ!? 何万人が犠牲になるか——!」
「知ったことか」
御子柴は、コートを羽織りながら振り返った。
その顔には、もはや政治家としての仮面すら残っていなかった。
「私を破滅させたのは、この国と、この国民だ。……ならば、相応の代価を払ってもらおうじゃないか」
彼は、司令室の扉へと歩き出した。
「せ、先生! お待ちください!」
「……ああ、そうだ。郷田」
御子柴は、扉の前で足を止め、肩越しに冷たい笑みを向けた。
「せいぜい、私の分まで説明責任とやらを果たしてくれたまえ」
扉が閉まる。
残された郷田は、崩れ落ちるようにその場に膝をついた。
——その、十分後。
全国八箇所の地下施設から、二百体を超える魔獣とキメラたちが、一斉に解き放たれた。
東京、大阪、名古屋、福岡。
人口密集地に隣接する施設から溢れ出した異形の群れは、夜の街へと雪崩れ込んでいく。
悲鳴。破壊音。鳴り響く警報。
白百合の盾の作戦指令室では、けたたましいアラートが一斉に鳴り響いていた。
「魔力反応、多数検知! 東京都内だけで四十体以上!」
「これは……全国同時多発です! 規模が、Xデーを遥かに超えています!」
「——姫嶋さん!」
由鶴が、蒼白な顔で叫んだ。
「これは、御子柴の仕業です! 証拠隠滅と、逃亡のための時間稼ぎ……!」
姫嶋は、モニターに次々と表示される被害報告を見つめながら、静かに拳を握りしめた。
「……全隊員に非常招集をかけなさい」
彼女の声は、震えていなかった。
「白百合の盾は、市民を守るために存在します。……それだけは、何があっても変わらない」
同時刻、三神家。
窓の外で、遠くの空が赤く染まっていくのを、零は静かに見つめていた。
「お兄ちゃん、外すごい音が……!」
「大丈夫だ、玲奈。姉さんと家にいて」
零は、上着を掴んで玄関へと向かった。
「零! どこ行くのよ、危ないでしょ!」
澪が叫ぶ。
「……近所の人が逃げ遅れてないか、見てくる。すぐ戻るよ」
嘘だった。
だが、彼にはもう、迷っている時間はなかった。
路地裏に飛び込み、周囲に人がいないことを確認する。
紫の魔力が全身を包み込み——次の瞬間、そこには漆黒のゴシックドレスを纏った最強の死神が立っていた。
ゴーストは、燃え始めた夜空を見上げた。
(御子柴。……あなたは最後の最後まで、他人の命を道具としか思わなかったのね。……私の平穏を、どこまで踏みにじれば気が済むのよ)
通信用の魔力波長を展開し、特定の相手へと念話を飛ばす。
「——ルディア。ヴィクトリア。聞こえる?」
『はい、ゴースト様! こちらも状況は把握しておりますわ!』
『全国八箇所ね。星監のエージェントを、すでに各地に展開させているところよ』
「福音と星監の全戦力を、被害の大きい地域へ。人命救助を最優先にしなさい」
『御意!』
ゴーストは、次の回線を開いた。
「……羽衣緋雪」
『ゴースト……! こっちも今から全隊で出撃するところよ!』
「無茶はしないで。……いえ、するなとは言えないわね。お互い、生きて帰りましょう」
『ええ。必ず』
通信を切り、ゴーストは足元の影を広げた。
表社会も、裏社会も。協会も、白百合も。
もはや誰が敵で誰が味方かなど、どうでもよかった。
今、この街には、助けを求めている人々がいる。
ただ、それだけだ。
「……行くわよ」
最強の死神が、闇の中へと沈み込んだ。




