第二十一話
二泊三日の野外研修を終え、三神零が自宅の玄関のドアを開けたのは、日曜日の夕方だった。
「ただいまー……」
重いボストンバッグを土間に下ろし、疲労困憊の声で靴を脱ぐ。
初日のカレー作り中に百体以上の魔獣をこっそり殲滅するという特大のイレギュラーはあったものの、その後は無事に平和なキャンプを満喫することができた。同級生たちと夜通しトランプをして、少しだけ数学の赤点ショックを忘れることもできた。
しかし、非日常の戦いとキャンプの肉体疲労が重なり、今の零の体力量は限りなくゼロに近い。とにかくシャワーを浴びて、泥のように眠りたかった。
しかし、リビングの方から漏れ聞こえてくるただならぬ空気が、零の歩みを止めさせた。
「……だから、これは名誉なことなのよ! 倍率何百倍の試験を突破したんだから!」
「お姉ちゃんの言う通りだよ! それに、お給料だってすっごく良いんだし!」
「それは分かってるんだがな……。お前たち、あんなニュースを見たばかりで……」
「そうよ……。何かあったらと思うと、お母さんたち……」
姉の澪と、妹の玲奈。そして、父の五郎と母の奈々美。
家族全員がリビングのテーブルを囲み、何やら深刻そうな、しかし姉と妹だけは興奮を隠しきれないような、ひどくアンバランスな空気を醸し出していた。
「……どうしたんだよ。お通夜みたいな顔して」
零がリビングに顔を出すと、家族四人の視線が一斉に彼に向けられた。
「あ、お兄ちゃん! おかえり!」
「おかえりなさい、零。……実はね、とんでもないことになっちゃって」
中学生の妹・玲奈がパァッと顔を輝かせ、大学生の姉・澪が腕を組んで得意げに鼻を鳴らす。対照的に、両親の五郎と奈々美は、深い溜め息をつきながら頭を抱えていた。
テーブルの中央には、魔法少女協会のエンブレムが燦然と輝く、分厚い純白の封筒が二通置かれている。
それを見た瞬間、零の心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
「おい……その封筒、まさか」
「ふふん、驚きなさい零! 私と玲奈、魔法少女の適性試験に……合格したわ!」
「私たち、魔法少女になるの!!」
バンッ! とテーブルを叩いて立ち上がる姉妹。
その言葉に、零は目を丸くして言葉を失った。
魔法少女の適性試験。それは、魔力因子を持つ少女が協会に正規所属するために受ける、超難関の試験である。身体能力、魔力波形、筆記試験など様々な項目があり、その倍率は数百倍とも言われている。
まさか、自分の身内である姉と妹が、二人揃ってその試験を突破してしまうとは。
「マジで……? すげえじゃん、二人とも……」
零が純粋な驚きと感嘆の声を漏らすと、姉妹は嬉しそうにハイタッチを交わした。
しかし、両親の顔は依然として暗いままだった。
「……父さんたちとしては、手放しで喜べないんだよ」
父の五郎が、腕組みをしたまま苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「そりゃあ、魔法少女は国を守る名誉な仕事だし、待遇も公務員よりずっといい。だけどな……先日もあんな大規模な魔獣の襲撃や、テロリストの事件があったばかりじゃないか。エース部隊の子たちだって大怪我をして入院していると聞く。……自分の娘二人が、あんな死地に赴くことになるなんて、親としては気が気じゃない」
「そうよ……。澪も玲奈も、普通の女の子として生きてくれれば、それで十分なのに……」
母の奈々美も、不安そうに眉を下げて姉妹を見つめる。
両親の気持ちは、零にも痛いほどよく分かった。
魔法少女は、キラキラしたアイドルではない。魔獣という理不尽な暴力から市民を守るための、文字通りの『盾』であり『兵器』だ。常に死と隣り合わせの戦場。自分が夜な夜な戦っているからこそ、その過酷さと恐ろしさは身に染みて理解している。
両親がなんとも言えない気分になるのは、親として当然の愛情の裏返しだった。
「もう、お父さんもお母さんも心配しすぎ! いきなり最前線に行かされるわけじゃないわよ。まずは訓練校で基礎をみっちり学ぶんだし」
「そうだよ! それに、私たちだってこの街を守りたいの! あんな事件があって、ただ隠れて怯えてるだけなんて嫌だもん!」
澪と玲奈の真っ直ぐな言葉。
その瞳には、恐怖よりも、自分たちの力で誰かを守りたいという強い意志が宿っていた。
その姿は、先日握手会で触れた、あの只野真奈の『戦士の手』を思い起こさせた。魔法少女になる者たちは皆、根本にこの気高い精神を持っているのだ。
(……二人が決めた道なら、俺が反対する権利はない。むしろ、兄として、弟として応援してやらなきゃな)
零は、重苦しい空気を払拭するように、努めて明るい声を出した。
「父さん、母さん。二人がそこまで覚悟決めてるんだから、応援してやろうぜ。協会だって馬鹿じゃないんだから、死ぬような無茶はさせないって」
そして、零はニヤリと笑って姉妹の方を向いた。
「お前ら、訓練キツいからって途中で泣いて逃げ出すなよ? 無事に正規隊員になって、あの『魔法少女クロニクル』でカード化されたら……俺が記念に箱買いしてやるからな」
零の言葉に、姉妹の顔がパッと輝いた。
普段は趣味のアニメグッズやカードにお金をかけている零が、「箱買い(BOX買い)」を約束するなど、彼なりの最大級の祝福であると分かったからだ。
「言ったわね零! 絶対よ! 私がURになったら、神棚に飾らせてやるんだから!」
「お兄ちゃん、絶対約束だよ! 私のカード、いっぱい当ててよね!」
「おう、任せとけ。ノーマルカードだったらすり潰してやるけどな」
「ちょっと、酷い!」
姉妹がギャーギャーと文句を言いながら笑い、その様子を見た両親も、ついに毒気を抜かれたように小さく息を吐いて笑みをこぼした。
「……仕方ないな。お前たちがそこまで言うなら、お父さんたちも腹を括るよ。その代わり、絶対に無茶はしないこと。怪我をして帰ってきたら、即座に辞めさせるからな」
「お母さんも、美味しいご飯を作って応援するわね」
「やったー! ありがとう、お父さん、お母さん!」
家族の間に、ようやく温かな団欒の空気が戻ってきた。
零もホッと安堵の息を吐き、「じゃあ俺、シャワー浴びてくる」と、リビングを後にして自室へと向かった。
自室のドアを閉めた瞬間。
零の顔から、先ほどまでの穏やかな兄(弟)としての笑みが、スゥッと消え失せた。
「…………待てよ」
ボストンバッグを床に落とし、零はベッドにバサリと倒れ込んだ。
天井を見つめながら、彼の脳内コンピュータが、現在の状況を猛スピードで演算していく。
姉と妹が、魔法少女になる。
協会に所属し、訓練を受け、やがてパトロールや魔獣討伐の任務に就く。
それはつまり——。
(俺が夜中に『ゴースト』として出撃した時、現場で姉ちゃんや玲奈とエンカウントする確率が、ゼロじゃなくなったってことじゃないか……!?)
ゾッ、と。
零の背筋を、今日一番の冷や汗が駆け抜けた。
ゴーストは現在、協会から「特S級」というトンデモない警戒度を指定されている。表向きは敵対禁止となっているが、それでも協会がゴーストの正体を探ろうとしていることに変わりはない。
もし戦場で、姉や妹と鉢合わせたらどうなる?
顔は変わり、声は女性になり、髪も伸びているとはいえ、仕草やふとした癖、あるいは匂いなどで「あれ? なんかゴーストって、うちの弟(兄)に似てない……?」と疑念を持たれたら終わりである。
いや、それだけではない。
姉妹が協会の内部に入るということは、協会内での「ゴーストに関する極秘情報」や「噂話」が、ダイレクトにこの三神家に持ち込まれるということだ。
『ねえ零聞いてよ! 今日、先輩たちがゴーストの正体について会議してたんだけどね……』
『ゴーストって絶対中二病だよねー。あの黒炎とか痛くないのかな?』
夕食の食卓で、そんな会話が日常的に繰り広げられる未来。
中身が自分であるとバレないように、冷や汗を流しながら「へ、へえ〜、そうなんだ」と相槌を打たなければならない地獄のプレッシャー。
「……胃に穴が開く」
零はベッドの上で、頭を抱えてゴロゴロと転げ回った。
さらにもう一つ、決定的な絶望が彼を襲う。
先ほど自分が軽口で叩いた『カード化されたら箱買いしてやる』という約束だ。
姉妹のカード化はまだ先の話だとしても、すでに公式アカウントから発表されている通り、次弾の『魔法少女クロニクル』で、未登録魔法少女ゴースト——つまり自分自身のカード化が決定しているのである。
魔法少女の姉妹を持つとなれば、我が家での『魔法少女クロニクル』の注目度は当然跳ね上がるだろう。
『お兄ちゃん! 新しいパック買ってきたよ! 一緒に剥こう!』
『あ、ゴーストのUR出たわ! 零、この子すごく美人じゃない? あんたもこういうミステリアスな年上のお姉さんが好みでしょ?』
『やだお姉ちゃん、お兄ちゃん顔真っ赤にしてる! 図星だ!』
(——死ぬッ! そんな羞恥プレイ、絶対に耐えられないッ!!)
自分が女性化した姿のキラキラカードを身内に絶賛され、あまつさえ「お前の好みのタイプだろ」といじられる未来予想図。
零は枕に顔を押し当て、声にならない絶叫を上げた。
魔獣の脅威から世界を守るため、恩人の遺志を継ぐために始めた孤独な戦い。
しかし運命は、彼をただのダークヒーローとしてカッコよく終わらせてはくれなかった。
身内が正規の魔法少女になるという、最大級の『正体バレフラグ』。そして公式カード化という逃れられない『公開処刑』。
「……誰か、俺の日常を返してくれぇ……」
特S級指定の最強の魔法少女ゴースト。
その中身であるしがない男子高校生は、迫り来る家族とのすれ違いコントと羞恥の嵐に怯えながら、一人ベッドの上で静かに涙を流すのであった。




