第二百八話
白百合の盾・作戦指令室の奥、情報班専用モニタールーム。
深夜二時を回っても、新実由鶴は端末の前を離れなかった。
姫嶋会長から下された、正式な調査命令。
——政府が「テロリストに連れ去られた」と主張している、身元不明の女性。その正体と、政府の嘘を暴くための決定的な裏付けを取ること。
(政府の暗号通信網から傍受した『コードネーム・白鳥』の完全消去スケジュール。そして、羽衣大佐による第7メンテナンス施設からの強奪。……政府は自ら処分しようとした生体ユニットを、『保護対象』と偽って世論を煽っている)
由鶴は、すでに全容の輪郭を掴んでいる。だが、姫嶋が求めているのは「推測」ではなく「政府を反証できる確たるデータ」だ。
由鶴は、以前から政府の国防委員会サーバーに仕掛けておいた独自のバックドアを起動し、防諜網のさらに奥深く、最高機密のアーカイブへと痕跡を残さぬよう潜っていった。
それから、二時間。
膨大な暗号化データの断片をつなぎ合わせ、削除されたログの残骸を復元し、由鶴はついに一つのプロジェクト・ファイルの深部へと辿り着いた。
『——対魔法少女用特殊兵装・ダインスレイブ運用計画』
その文字列の下に紐づいていたデータを開いた瞬間、由鶴の指がピタリと止まった。
「生体……ユニット、調達ログ……」
モニターの文字列を凝視したまま、由鶴はしばらく呼吸を忘れた。
断片的に復元された記録は、由鶴の想像を遥かに超える、あまりにも凄惨な事実を語っていた。
適性検査で弾かれた少女たち。任務で重傷を負い、魔法少女協会から見捨てられた元魔法少女たち。
社会の底辺に沈んだ彼女たちを政府の暗部が「回収」し、首元に呪符を刻み込み、記憶と自我を封じ込める。そして、対魔法少女兵器『ダインスレイブ』を稼働させるための使い捨ての生体部品(隠密)として使役していたという事実。
洗脳の効力を維持するために定期的に施される『再誓約(上書き)』の処置。
そして、その上書きが効かなくなり、感情のエラーを起こした「白鳥」のような個体は——『欠陥品』として、脳を焼き切られ、廃棄される。
「……これが」
由鶴の喉から、掠れた声が漏れた。
「これが、我々が『協力』を強いられていた、国家の正体ですか……!」
彼女は、両手で顔を覆った。
白百合の盾は、政府と防衛協定を結んでいる。政府からの要請に応じ、対裏社会作戦への協力義務を負っている。
その相手が、かつて魔獣と戦うために集められた少女たちを拾い上げては心を奪い、道具として使い潰し、不要になれば脳を焼いていた。
そして今、政府はその被害者を「テロリストに拉致された保護対象」と偽り、真実を暴かれる前に世論を味方につけようとしている。
「……最低です」
由鶴の声は、静かな怒りに震えていた。
しかし。
興奮が冷めるにつれ、由鶴の思考は急速に冷え込んでいった。
彼女は、自身が握ってしまった情報の重さを、正確に理解していた。
(……この真実を公表すれば、政府の非道は白日の下に晒されます。世論は完全に反転し、御子柴たちの企みは瓦解するでしょう。ですが——)
由鶴は、目を閉じた。
(白鳥を政府の施設から救出したのは、ゴーストではありません。羽衣緋雪です。そしてその情報を彼女に流したのは、この私)
この事実を証拠とともに公表するということは、同時にこう明かすことでもある。
白百合の盾のトップエースが、政府の極秘施設に単独潜入し、その被験者を強奪した。そしてその手引きをしたのは、白百合の情報班である自分自身だと。
(緋雪は、間違いなく政府から『テロリスト(ゴースト)の協力者』として指名手配されます。白百合の盾そのものも、政府との協定違反を問われて解体されかねない)
真実を暴けば、仲間が潰される。
仲間を守れば、真実は闇に葬られる。
「……なんという、悪辣な仕掛けでしょうか」
由鶴は、爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。
御子柴という男は、おそらくこの構図まで計算に入れている。だからこそ、堂々と嘘の物語を国民に配って回れるのだ。真実を知る者ほど、仲間を庇うためにそれを口にできなくなるように仕組んで。
由鶴は、椅子の背もたれに深く身を沈め、天井を見上げた。
脳裏に浮かぶのは、あの夜の廊下ですれ違った緋雪の顔だった。
『……ええ。ずっと自室にいたわ』
あの時、緋雪は明確に嘘をついた。
あれは組織を裏切るための嘘ではなかった。友人を救い出したという事実を、白百合の盾に一切の累が及ばぬよう、自分ひとりの胸に収めるための嘘だったのだ。
(あなたは、この構図をすべて理解した上で、一人で背負う道を選んだのですね)
由鶴の胸が、鈍く痛んだ。
情報班のトップとして、彼女はこれまで「真実を明らかにすること」を職務の第一義としてきた。データは嘘をつかない。事実は事実として報告する。それが自分の存在意義だと信じてきた。
だが今、目の前にある真実は、明らかにすれば仲間を殺す刃になる。
「……では、どうすればいいのですか」
誰もいない部屋で、由鶴は掠れた声で呟いた。
しばらくの沈黙の後。
彼女は、静かに顔を上げた。
「……いいえ。答えは、もう出ています」
由鶴の目に、情報班としての冷徹な光が戻った。
(この真実は、今はまだ出せません。ですが——『出せる形』に整えることはできます)
彼女の思考が、猛烈な速度で回転を始める。
(政府が『白鳥は保護対象だった』と主張している以上、彼女が政府によって兵器化されていたという証拠さえ揃えば、政府の嘘は自壊します。そしてその証拠は、緋雪の潜入とは無関係な経路から提示しなければならない)
由鶴は、新しいファイルを開き、猛然とキーボードを叩き始めた。
(政府自身が残した記録。他の隠密個体の存在。ダインスレイブの運用実態。それらを、緋雪の名前が一切登場しない形で組み上げる。……そして、決定打となるのは)
由鶴の指が、一瞬止まった。
(被害者本人の、証言)
彼女は、静かに息を吐いた。
(白鳥という少女が、今どこにいるのかは分かりません。ですが、もし彼女が生きていて、自らの言葉で語れる日が来るのなら。……その時こそが、この国の暗部を終わらせる瞬間です)
夜が明ける少し前。
由鶴は、まとめ上げた第一次報告書を暗号化し、姫嶋会長宛てに送信した。
報告書のタイトルは、こうだった。
『政府「隠密部隊」に関する調査報告——国家による元魔法少女の兵器転用について』
そこには、政府の非道の全容が克明に記されていた。
だが、羽衣緋雪という名前は、ただの一度も登場しない。
白鳥の救出者は「所属不明の第三者」とだけ記され、由鶴自身の情報リークについても、一切触れられていなかった。
情報班のトップが、生まれて初めて意図的に作り上げた、不完全な報告書。
「……これが、私にできる精一杯です」
由鶴は、送信完了の表示を確認すると、深く息を吐いて椅子に沈み込んだ。
窓の外では、東の空が僅かに白み始めている。
(緋雪。あなたが背負っているものの重さが、少しだけ分かった気がします)
彼女は、疲れきった目を閉じた。
(あなたは私に何も話してくれない。それでいい。……ですが、あなたが一人で潰れそうになった時。その時は、私が真実の全部を抱えて、隣に立ちます)
誰にも告げられることのない、静かな誓い。
白百合の盾の情報班は、この夜、確かに国家の暗部の核心へと辿り着いた。
そしてその真実は、まだ誰にも語られぬまま、一人の少女の胸の内に、静かに封じられたのだった。




