第二百七話
その朝、日本中のテレビが、同じ映像を流していた。
『——政府は本日未明、これまで極秘裏に進められていた調査の結果を公表しました。全国各地で発生している政府関連施設への連続テロ事件について、犯罪組織「福音の鐘」および「星監」、さらにその背後で指揮を執るとされる正体不明の魔法少女「ゴースト」による、国家転覆を狙った組織的な犯行であると断定したとのことです』
三神家のリビング。
朝食の準備を終えた零は、テレビ画面を見つめたまま、味噌汁のお椀を持つ手を止めていた。
『政府関係者によりますと、先日発生した都内の地下施設への大規模なテロ攻撃では、多数の施設職員が負傷。さらに、施設内で保護されていた身元不明の女性一名が、ゴースト率いる武装勢力によって連れ去られたとのことです』
(……保護されていた女性が、連れ去られた?)
零の背中に、じっとりとした嫌な汗が滲む。
それは、白鳥のことだ。
政府によって自我を消され、兵器として使い潰され、そして「欠陥品」として脳を焼かれる寸前だった少女。緋雪が命がけで救い出した、彼女の元同級生。
それが今、テレビの中では「テロリストに拉致された、政府の保護下にあった被害者」に成り変わっていた。
『専門家は、ゴーストが率いる裏社会勢力が、社会の混乱を狙って意図的に魔獣を操っている可能性も指摘しています。政府は近く、対テロ特別措置法の適用を検討する方針で——』
「……お兄ちゃん、どうしたの? 顔怖いよ」
妹の玲奈が、不思議そうに零の顔を覗き込んだ。
「……いや、なんでもない」
零は、慌てて表情を取り繕った。
「ゴーストって、あの黒い服の子でしょ。テレビで言ってること、なんか嘘くさいのよね」
姉の澪が、パンをかじりながら怪訝そうに呟いた。
「あの子、確かにちょっと……いや、かなり変な子だけど。国家転覆とか企むタイプには、全然見えなかったし」
「お姉ちゃん、なんでそんな詳しいの?」
「……ま、まあ、いろいろあってね」
玲奈に真顔で突っ込まれ、澪は気まずそうに視線を逸らしてコーヒーを啜った。
彼女の脳内では、以前この家に押しかけてきた挙句、トーストを食べさせられ、姉妹に引きずり回されてショッピングまでさせられた、あの残念な美少女の顔がありありと浮かんでいる。
(……姉さん)
零は、静かに味噌汁のお椀を置いた。
自分の正体を知らないまま、それでも姉が「あの子はそんな子じゃない」と庇ってくれている。その事実が、胸の奥をじわりと熱くさせた。
自分が誰も殺さず、むしろ救ってきたという事実。
それが今、国家の力によって、まるごと塗り替えられようとしている。
学校に着くと、教室はすでにその話題で持ちきりだった。
「零! 見たかよ、今朝のニュース!」
クラスメイトの稔が、スマホ片手に血相を変えて駆け寄ってくる。魔法少女オタクである彼にとって、この件は他人事ではないらしい。
「ああ、見たよ」
「ゴーストがテロリストだって、政府が正式に発表したんだぞ! しかもさ、対テロ特措法が適用されたら、あいつ完全に『討伐対象』になるってことじゃん!」
稔は、興奮しているのか動揺しているのか判別しがたい早口でまくし立てた。
「……稔は、どう思う?」
零は、努めて何気ない調子で尋ねた。
「ゴーストが、本当にテロリストだって」
「うーん……」
稔は、腕を組んで唸った。
「正直、俺はちょっと納得いってないんだよな」
「え?」
「だってさ、ネットにはゴーストに助けられたって証言、山ほど転がってんだぜ? 瓦礫から助け出されたとか、魔獣から庇ってもらったとか。ファンサイトにも、そういう目撃談を集めたスレッドがあるんだよ」
稔は、スマホを操作しながら真剣な顔で続けた。
「それに、あいつが本気で国を潰す気なら、とっくにできてるだろ。前の事件の時だって、あんな化け物みたいな力で街を暴れ回った形跡なんてない。……なんか、話がおかしいんだよ」
零は、思わず友人の顔を見つめた。
(……稔)
この平凡な、少しオタク気質なクラスメイトが、政府の大々的な発表に対して、自分の頭で「おかしい」と感じている。
その事実が、今の零には何よりも救いだった。
「でもさ」
稔の表情が、曇る。
「政府が公式に発表しちまったら、世間は基本そっちを信じるだろ。ネットでも、もうゴースト叩きが始まってるし。……俺みたいな『ちょっと待てよ』って言う奴は、すぐに陰謀論扱いされて終わりだよ」
稔の言葉は、残酷なまでに正確だった。
その日を境に、世論は急速に一つの方向へと流れ始めた。
連日、ワイドショーには「テロ対策の専門家」を名乗る人物が登場し、ゴーストと裏社会組織の脅威を煽り立てた。SNSでは政府発表を鵜呑みにした怒りの投稿が拡散され、逆にゴーストを擁護する声は「テロリストの擁護者」として袋叩きにされた。
街頭インタビューでは、不安げな市民の声が繰り返し放送された。
『怖いですよね。いつ自分の住んでる街が襲われるか分からないなんて』
『協会も白百合も、早くなんとかしてほしいです』
そして、その矛先は、当然のように防衛組織へと向けられていった。
『白百合の盾は、なぜゴーストを野放しにしているのか』
『協会は本当に市民を守る気があるのか』
巧妙に設計された世論の圧力が、白百合の盾と魔法少女協会を、じわじわと締め上げ始めていた。
白百合の盾・作戦指令室。
「……ひどいものですね」
新実由鶴が、複数のモニターに流れるニュースとSNSの解析結果を見つめながら、苦々しく呟いた。
「発信元を追跡しましたが、初期の拡散を担ったアカウント群の相当数が、政府の広報関連企業と資本関係のある業者に紐づいています。……完全に、仕組まれた世論操作です」
「証拠は掴めますか」
姫嶋会長が、静かに問う。
「状況証拠は集まりますが、決定的な物証となると困難です。仮に公表しても、『テロリストを擁護する組織の言い訳』として一蹴されるでしょう」
由鶴の分析に、湯野副会長が忌々しげに舌打ちをした。
「……武力で我々を動かせないと悟るや、今度は世論を使って首を絞めてくるとは。あの狸親父、本当に趣味の悪いことを」
「効果的ではありますわね」
姫嶋は、冷静に状況を分析した。
「白百合の盾は、クラウドファンディングと市民の支持によって成り立っている民間組織です。世論が我々に背を向ければ、資金も、活動の正当性も、すべてを失うことになる」
それは、政府が握った最も残酷な急所だった。
武力では屈しなかった白百合の盾を、政府は「市民の支持」という組織の命綱そのもので絞め上げようとしている。
「……会長。この状況で、我々はどう動くべきでしょうか」
由鶴が、緊張した面持ちで問う。
姫嶋は、しばらく目を閉じて考え込んだ後、静かに口を開いた。
「世論に逆らって『ゴーストは無害だ』と主張することは、現時点では自殺行為です。ですが、政府の描いたシナリオに乗って、無闇にゴースト討伐に飛び出すこともできません」
「では……」
「時間を稼ぎます。表向きは『警戒態勢を強化し、慎重に調査を進めている』という姿勢を維持する。……その裏で、新実さん。政府が『連れ去られた』と主張している、あの身元不明の女性のことですが」
姫嶋の目に、鋭い光が宿った。
「政府は彼女を『保護していた』と説明していますが、なぜ極秘の地下施設に身元不明の女性が保護されていたのか、その説明は一切ありません。この歪みの中心には、必ずその女性がいます」
「……会長。実はその件について、すでに情報班として掴んでいる事実があります」
由鶴は、眼鏡を押し上げながら静かに答えた。
「以前、政府の暗号通信網から『コードネーム・白鳥』と呼ばれる生体ユニットの完全消去スケジュールを傍受しました。……その直後に、羽衣大佐が単独で動き、ゴーストの施設強襲と同時にその隠密を救出しています」
「……やはり。新実さん、あなたならすでにそこまで辿り着いていると思っていました」
姫嶋は、小さく頷いた。
「彼女が何者で、なぜ政府がそこまで彼女の存在を隠そうとするのか。……引き続き、羽衣さんへの不用意な干渉は避けつつ、その『白鳥』に関する真実の裏付けを急いでください」
「承知いたしました」
その夜。
星監の極秘ラボ。
白鳥のカプセルの前で、緋雪は拳を握りしめて震えていた。
「……ふざけないで」
彼女の声は、静かな怒りに満ちていた。
「政府が保護していた? 連れ去られた? ……この子の記憶を奪って兵器にし、挙句に頭を焼き切ろうとしていたのは、あなたたちじゃない」
テレビの中で語られる嘘。
その嘘によって、この少女に加えられた本当の暴力が、なかったことにされていく。
「緋雪」
背後の影が広がり、漆黒のドレスを纏ったゴーストが姿を現した。
「……見たわ。今朝のニュース」
ゴーストは、静かにカプセルの中の白鳥を見つめた。
「政府の連中、私をテロリストに仕立て上げることで、本当に隠したいこと……『隠密』の存在から世間の目を逸らそうとしているわね」
「悔しくないの……?」
緋雪が、絞り出すように問う。
「あなたは、誰も殺さずに戦ってきた。ずっと、みんなを助けてきたのに。……なのに、こんな」
「……私の評価なんてどうでもいいわ。でも、家族や関係ない人間まで脅かすようなやり方は、虫唾が走る」
ゴーストは、静かに答えた。
その声には、死神としての冷徹な響きの下に、平穏な日常を不当に荒らされたことへの確かな怒りが滲んでいた。
「私たちは急がなければならないわ。世論という薄っぺらい物語を、真実で殴り返すために」
「真実で……?」
緋雪が、顔を上げる。
「ええ。この子が、自分の言葉で語れるようになるまでよ」
ゴーストの瞳に、冷酷な決意が宿った。
「政府が裏で何をしてきたのか。何人の少女から、心を奪ってきたのか。……それを証明できるのは、この世界でこの子たちしかいない」
国家が振るう、世論という名の巨大な刃。
それに対抗しうる唯一の武器は、囚われた少女たちの、小さな声だった。
最強の死神と氷のエースは、静かに眠り続ける少女を見つめながら、来るべき決戦の日に向けて、静かに拳を握りしめた。




