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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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202/393

第二百二話

 その日の朝、三神零は登校前のいつもの習慣として、羽衣緋雪と弁当を交換していた。

 互いの家事事情や気分に合わせて、時折こうして手作りの弁当を交換し合うのが、二人にとってのささやかな日課になっている。今日も「はい、零くんの分」と満面の笑顔で弁当箱を差し出してきた緋雪に、零は特に何も疑わず「ありがとう、いつも美味しいよ」と受け取っていた。


(……いつもより、心なしか重かった気がするけど。気のせいかな)


 そして迎えた昼休み、三神零は学校の屋上で、自身の前に置かれた弁当箱を前にして深い絶望の淵に立たされていた。

 蓋を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、二段重ねになった特大サイズの弁当箱に、これでもかとみっちり詰め込まれた白米と唐揚げ、卵焼き、彩り野菜の圧倒的な物量だった。普段の緋雪の弁当の、優に三倍はある。オムレツの上には、ケチャップでデカデカと『バカ』という二文字が刻まれていた。

 好き嫌いが全くない零にとって、味自体はなんの問題もなく美味しく食べられるだろう。しかし、この量を一人で、しかも昼休みの限られた時間内に食べきるのは、控えめに言って苦行だった。


(……緋雪さん、笑顔で「残さず食べてね?」って渡してくれたけど……目が全く笑ってなかった……)


 昨日、ヴィクトリアとルディアに両腕をホールドされ、彼女たちの豊満な暴力に挟まれて身動きが取れなくなっていたあの地獄の修羅場。まさかあの光景を緋雪に見られていたとは知る由もない零は、心当たりのない理不尽な仕打ちに涙目になりながら、周囲に人がいないことを何度も確認して、大盛りの白米を必死に頬張り始めた。

 しかし、零の受難はこれだけで終わるわけではなかった。

 放課後。胃袋を二段重ねの弁当で限界まで満たされた彼を待ち受けていたのは、もう一つの『報酬の支払い』である。

              

 日の落ちた都内某所。

 福音の鐘が所有する、広大な敷地を持つ私有地。その奥深くにひっそりと佇む、豪奢で荘厳な大聖堂。

 ステンドグラスから月明かりが差し込む静寂の空間に、突如として底なしの影の沼が広がり、そこから一人の絶世の美少女が音もなくせり上がってきた。

 漆黒のドレスを纏い、深淵の重圧を放つ最強の死神、ゴーストである。


「——お待ちしておりましたわ! ああ、我が至高なる神よ!」


 祭壇の前でひれ伏していたのは、福音の鐘の指導者、ルディア・ロンディニウムだった。

 彼女が顔を上げると、ゴーストの紫水晶の瞳が微かに見開かれた。

 今日のルディアは、いつものフリルドレスではない。彼女の豊満なプロポーションを際立たせる、まるでウェディングドレスのように純白で豪奢な礼装に身を包み、頭には薄絹のヴェールまで被っていた。彼女の背後には、福音の鐘の幹部である双子のルカとリリア、そして宮子や真里たちまでが、一糸乱れぬ動きで平伏している。


(……いや、デートって聞いてたんだけど。なんで結婚式みたいな空気になってるの……!?)


 ゴーストの内側にいる零は、冷や汗を滝のように流しながら激しく動揺していた。しかし、外見上は一切の表情を崩さず、冷徹で傲慢な死神の威厳を完璧に保ち続けている。


「……随分と仰々しい出迎えね、ルディア。ヴィクトリアのように、俗物的な街を練り歩くつもりはないのかしら?」


 ゴーストが、床に響く足音すら立てずにルディアの元へ歩み寄る。


「街歩きなど! あのような泥棒猫と同じ真似などいたしませんわ!」


 ルディアは、恍惚とした表情で立ち上がり、ゴーストの足元に恭しく口付けをした。


「わたくしにとっての最高の喜びは、ゴースト様と同じ空間で呼吸をし、あなたの御言葉を賜ること。本日は、この大聖堂をわたくしとゴースト様だけのものといたしました。さあ、みなさん、下がりなさい!」


「「「ははっ!」」」


 ルディアの号令一つで、幹部たちは音もなく聖堂から姿を消した。広大な大聖堂に、ゴーストとルディアの二人きりが残される。


「さあ、ゴースト様。こちらへ。わたくしが直々に、この聖なる地をご案内いたしますわ」


 ルディアは、ゴーストの左腕にそっと自分の腕を絡め、幸せそうに頬を擦り寄せてきた。昨日のカフェでの乱闘騒ぎの時と同様、彼女の豊かな胸元がゴーストの腕にむにゅりと押し付けられる。


(ち、近い……! そして、柔らかい……っ!)


 もし今の姿が三神零であれば、完全に顔を真っ赤にしてパニックになっていただろう。今の彼は『ゴースト』としての姿を保っているとはいえ、中身は健全な男子高校生である。極限まで張り詰めた緊張感と死神としての自己暗示をかけてはいるものの、密着する肌の熱や、甘い香水の匂い、そして容赦なく押し当てられる豊満な感触に、内心では心臓が早鐘のように鳴り響き、ドギマギと激しく動揺していた。


(落ち着け、俺。俺はゴーストだ。絶対的な支配者だ。動揺したらダメだ、威厳を保つんだ……!)


 必死に己に言い聞かせ、顔に血が上るのを魔力で無理やり抑え込みながら、ゴーストはルディアのエスコート(という名の腕組み)に従い、大聖堂の奥へと足を踏み入れた。

 ルディアにとっての『デート』は、ヴィクトリアのショッピングとは根本的に異なっていた。

 それは、文字通りの『巡礼』であった。


「こちらが、ゴースト様に捧げるための祈りの祭壇ですわ。毎日欠かさず、ゴースト様の敵対者が血を吐いて滅びるよう、教団員総出で呪詛……いえ、祈りを捧げておりますの」


「……そう。熱心なことね」


「そしてこちらが、新たに集めた神具の数々! 政府の武器庫から強奪してきたダインスレイブを、ゴースト様への供物として溶かして作り上げた巨大なオブジェですわ!」


「……ええ、とても……芸術的だわ」


 血生臭い報告と、狂信的な愛の告白を交互に繰り返しながら、ルディアはゴーストを連れて回る。

 彼女の黄金の瞳は、常にゴーストの横顔を熱を帯びた眼差しで見つめていた。その視線には、一切の打算も、ヴィクトリアのような駆け引きもない。ただ純粋で、それゆえに恐ろしいほどの『狂信』だけが存在していた。


「ゴースト様……」


 聖堂の最奥、最も美しいステンドグラスの下に設えられた玉座にゴーストが腰を下ろすと、ルディアはその足元に跪き、ゴーストの膝に自身の顔を埋めた。


「白鳥という名の生体ユニットの浄化……お役に立てて、本当に光栄でしたわ」


 ルディアの声音が、先ほどまでの熱狂から一転して、乙女のような甘く切実なものに変わる。


「わたくしは、ゴースト様のためなら何でもいたします。政府の犬どもを噛み殺せと仰るなら、喜んでこの身を血に染めましょう。ですが……どうか、わたくしをヴィクトリア・ローゼンベルグよりも重用してくださいませ。あの女よりも、わたくしの方がずっと、ずっとゴースト様を愛しておりますの」


 ルディアがゴーストの膝に頬を擦り付けるたび、彼女の純白のドレスの胸元が危うく揺れる。

 零は、再び襲い来るドギマギとした動揺と胃の痛みに耐えながら、ゆっくりと手を伸ばし、ルディアの柔らかな金糸の髪を撫でた。


「……ルディア。私は、貴女達に優劣をつける趣味はないわ」


 ゴーストの冷たく、けれど威厳に満ちた声が聖堂に響く。


「星監の技術も、福音の浄化も、私にとっては盤上を支配するための手駒に過ぎない。けれど……あなたが私への忠誠を示すというのなら、一つ、新たな『神託』を与えましょう」


「新たな、神託……!」


 ルディアが、パァッと顔を輝かせて見上げる。


「政府の地下には、白鳥のように自我を封じられ、兵器として使役されている『隠密』たちがまだ大勢いるわ」


 ゴーストは、紫水晶の瞳を細め、冷酷な光を宿した。


「彼女たちは、かつて魔獣から人々を守るために戦った魔法少女たち。それを使い捨てる政府のやり方は、私の美学に反する。……ルディア。私のために、あの哀れな子羊たちを一人残らず救い出しなさい。殺すのではないわ。捕らえ、浄化し、彼女たちの自我を取り戻させるのよ」


 それは、零が考え抜いた『福音の鐘の暴走を抑えるための首輪』だった。

 単に「政府を潰せ」と命じれば、ルディアたちは喜んでテロリズムを引き起こし、無関係な犠牲者を大量に出すだろう。だが、「隠密たちを救済し、浄化しろ」という『神命』を与えれば、彼女たちの狂信は『救済』という形にベクトルを変え、不殺を貫きながら政府の戦力を削いでくれるはずだ。


「ああ……っ!」


 ルディアの目から、感動の涙が零れ落ちた。


「なんて慈悲深く、なんて美しき御心……! ゴースト様は、政府に使い捨てられたガラクタにすら、救済の手を差し伸べられるのですね……!」


 彼女は、両手を胸の前で組み、神の奇跡を目の当たりにした信徒のように震えた。


「承知いたしましたわ! このルディア・ロンディニウム、福音の全知全能を尽くし、必ずや政府の地下から全ての子羊を救い出し、ゴースト様の御前に献上してみせます!」


 狂信者の聖なる巡礼は、かくして最悪のテロ組織を『救済の軍団』へと変貌させる、決定的な儀式として幕を閉じた。

              

 数時間後。

 大聖堂から遠く離れた、都内の裏路地。

 影の空間からポンッと吐き出された零は、ゴーストの姿から元の地味なパーカー姿へと戻るなり、その場に膝から崩れ落ちた。


「……死ぬかと思った……。色んな意味で……」


 全身からどっと噴き出した冷や汗を拭いながら、零は荒い息を吐いた。

 ヴィクトリアのショッピング地獄と、ルディアの狂信的(かつ物理的に密着度の高い)巡礼。裏社会の二大トップへの報酬の支払いは、最強の死神の精神力を文字通り限界まで削り取っていた。


「……帰って、少し寝よう……。明日もまた、緋雪さんのあの特大サイズのお弁当が待ってるかもしれないし……」


 なぜ緋雪が怒っているのか、未だに全く気づいていない鈍感な少年は、胃をさすりながら、とぼとぼと深夜の街を歩き出した。

 しかし、その足取りは重いが、決して絶望しているわけではなかった。

 星監の技術。福音の浄化。そして、自我を取り戻しつつある白鳥。

 最強の死神と氷のエースが描く反逆のシナリオは、すべてのピースを揃え、いよいよ政府の急所を抉るための最終フェーズへと突入しようとしていた。

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