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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第百九十六話

 政府・国防委員会の地下最深部に位置する、極秘の作戦司令室。

 普段は冷徹なまでの静けさと機械の稼働音だけが支配するその空間に、今、重苦しく息苦しい焦燥感が渦巻いていた。

 部屋の中央に置かれた重厚なデスクの背後で、御子柴は手元のクリスタルグラスをギリッと音を立てて握りしめていた。グラスの中に注がれた琥珀色の液体が、彼の怒りに呼応するように微かに波打っている。

 昨日、裏社会の二大組織——福音の鐘と星監を殲滅するために送り込んだ政府の切り札たる特殊部隊『隠密』。彼らは、協会を囮にした完璧なタイミングで増援として投入されたはずだった。

 だが、結果は完全なる敗北。

 それも、ただの敗北ではない。魔力無効化兵器ダインスレイブを持たせたにもかかわらず、部隊は完全に分断され、誰一人として帰還することなく『生け捕り』にされるという、屈辱的極まりない失態だった。


「……現在も、捕縛された隠密部隊の現在位置は特定できておりません。星監の空間隔離結界、あるいは福音の鐘の地下施設に隠匿されたものと推測されます。いかがいたしましょうか、御子柴先生。直ちに奪還部隊を——」


 郷田理事が、額に脂汗を浮かべながらタブレットを手に報告する。

 パリンッ!

 御子柴の握りしめていたクリスタルグラスが、ついに耐えきれずに砕け散った。

 破片と高級な酒がデスクの上に飛び散るが、御子柴は意に介する様子もなく、忌々しげに舌打ちをした。


「奪還だと? 莫迦なことを言うな。あの連中のために、これ以上無駄な戦力を割く余裕など我々にはない。奪還は諦める。放置しておけ」


「しかし……! 隠密部隊は、対魔法少女兵器であるダインスレイブの運用データを持つ貴重な生体ユニットです。もし裏社会の手に落ち、解析でもされれば……」


「あれは所詮、いくらでも量産できる『駒』に過ぎん」


 御子柴は、手についた酒をハンカチで乱暴に拭いながら、冷酷に吐き捨てた。


「才能がありながらも適性検査で弾かれた者、あるいは任務で重傷を負い、使い物にならなくなった元魔法少女たち。社会の底辺で野垂れ死ぬはずだったゴミどもを拾い上げ、再利用してやっただけだ。ダインスレイブの機密は生体ユニットの命と完全にリンクしている。無理に解析しようとすれば脳が自壊するようにプロテクトをかけてある。連中に奪われたところで、痛くも痒くもない」


 その言葉には、かつて国のために戦った少女たちへの敬意も、同情も、微塵も存在しなかった。

 御子柴にとって、魔法少女とは国家を守るための『兵器』であり、隠密部隊はその中でも最も安価で、使い勝手の良い消耗品に過ぎないのだ。


「それよりも問題は、本部に帰還した残りの個体の方だ。……例の『上書き』のスケジュールはどうなっている?」


 御子柴が視線を鋭くすると、郷田は慌ててタブレットの画面を切り替えた。


「は、はい。本拠地に待機していた残存部隊、および別動隊として活動していた数名につきましては、現在、順次メンテナンス施設にて『再誓約(上書き)』の処置を進行中です」


「急がせろ。特に、昨晩白百合の盾の『緩衝地帯』付近で活動していた個体には、念入りな処置が必要だ」


 隠密部隊の首元に刻まれた禍々しい呪符の刺青。

 それは、単に彼女たちの魔力を強制的に引き出し、ダインスレイブとリンクさせるための『契約の証』ではない。彼女たちの記憶と自我を封じ込め、完全な殺人人形として使役するための『洗脳の枷』であった。

 しかし、このシステムには致命的な欠陥があった。

 人間の脳と魔力波長という極めて繊細な領域に強制的な干渉を行っているため、定期的な『再誓約(上書き)』を行わなければ、洗脳の効力が徐々に緩み、封じ込められていた自我や記憶の断片が浮上してきてしまうのだ。

 上書きには、専用のメンテナンス施設において、本人の脳波と魔力波長へ直接的な電気的・魔力的刺激を与える必要がある。長期間拠点に戻れず任務を継続した個体や、戦闘中に予期せぬ強い精神的ショックを受けた個体ほど、この洗脳の綻び——『自我の回帰』が起こりやすいというリスクを抱えていた。


「……郷田。昨晩、緩衝地帯で白百合の盾の氷のトップエース・羽衣緋雪と接触した個体のデータを出せ」


 御子柴の命令に、巨大なモニターに一人の隠密の少女の顔写真と、複雑な波形データが映し出された。

 年齢は十七歳前後。右目の下に小さな泣きぼくろがある。かつて魔法少女の訓練校に在籍し、任務中の重傷によって表舞台から姿を消した少女——コードネーム『白鳥』。


「……これが、白鳥の直近の生体データです。羽衣緋雪と交戦した直後から、彼女の脳波と魔力波長に、極めて異常な数値が記録されています」


 郷田が、波形の一部を拡大して示す。


「通常、隠密の個体は戦闘中であっても感情の起伏を示すフラグは『ゼロ』に固定されています。しかし、白鳥のデータには、明確な『動揺』『恐怖』……そして『懐古』といった、人間特有の感情反応の異常値が検知されています」


「……やはりな」


 御子柴は、忌々しげに顔を歪めた。

 昨晩、白鳥は羽衣緋雪と対峙した際、彼女の展開した美しい氷の魔法と、その顔立ちを見て、一瞬だけ動きを止めた。封じ込められていた『かつての同級生』という記憶の断片が、洗脳の枷を内側から叩き割ろうとしたのだ。

 外部との接触、特に過去の記憶と強く結びつく人物との遭遇は、上書きシステムの最も恐れるべきイレギュラーであった。


「これは完全に『欠陥品』だ。洗脳の枷にヒビが入っている」


 御子柴は、モニターの中の少女を虫ケラでも見るかのような冷たい目で見下ろした。


「上書きが完全に効かなくなり、自我を取り戻して暴走される前に処分しろ。廃棄するか、あるいは脳の海馬を完全に焼き切り、廃人同様の生体パーツとして再利用する『完全消去(フォーマット)』を行え」


「お、お待ちください、御子柴先生!」 


 郷田が慌てて進言する。


「白鳥は、ダインスレイブとの適合率が極めて高い優秀な個体です。まだ十分に戦力として使えます! 出力設定を調整し、再上書きで強力な矯正をかければ——」


「甘いな、郷田」


 御子柴は、冷酷な声で郷田の言葉を遮った。


「中途半端な矯正は、いずれまた同じ綻びを生む。一度でも感情の異常値を示した個体は、戦場において致命的なエラーを引き起こす可能性がある。我々が求めているのは、命令に絶対服従する完璧な兵器であって、人間に戻りたがる不良品ではない」


 御子柴は、新たに葉巻を取り出し、ゆっくりと火をつけた。


「明朝のメンテナンスの枠で、白鳥に『完全消去』の処置を施せ。自我も、記憶も、何もかもを焼き尽くし、二度と使い物にならないただの肉人形に造り変えろ。……これが、国家に弓引く裏社会を狩るための、必要な痛みなのだ」

              

 同じ頃。

 地下施設のさらに奥深く、無菌室のような真っ白なメンテナンスルーム。

 壁一面に並んだ円筒形のカプセルの中に、特殊な培養液に浸された隠密の少女たちが、まるでホルマリン漬けの標本のように眠らされていた。

 そのカプセルの一つ。

 コードネーム『白鳥』と呼ばれた少女は、無数のチューブに繋がれ、閉じた瞼の奥で、微かな、しかし確かな悪夢を見ていた。


 ——それは、ずっと昔の記憶。


 まだ自分が、希望に満ちた魔法少女の候補生だった頃。

 訓練校のグラウンドで、いつも一人で黙々と氷の魔法の特訓をしていた、美しくも孤高の少女。


『羽衣さん、また一人で練習? たまには一緒に休もうよ!』


『……私は、誰よりも強くならなきゃいけないの。構わないで』


 冷たく突き放されながらも、どこか放っておけなくて、何度も声をかけた。

 いつか、彼女と一緒に最前線で戦える立派な魔法少女になりたいと、心から願っていた。

 だが、その夢は、残酷な魔獣の爪によって無惨に引き裂かれ、組織から見捨てられたことで完全に潰えた。絶望の底で、政府の冷たい手に拾われ、心を殺された。

 それでも。

 昨晩、暗闇の中で再会した彼女の放つ氷の魔法は、あの頃と同じように——いや、あの頃よりも遥かに美しく、力強かった。


(……あ、あ……)


 カプセルの中で、白鳥の虚ろな瞳が、ほんの僅かに開かれた。

 首元の呪符の刺青が、異常を検知して激しく赤く明滅し、彼女の脳に強烈な痛みを送り込む。洗脳のシステムが、浮上しようとする自我を力ずくで押さえつけようとしているのだ。

 激痛に顔を歪めながらも、白鳥の唇が、酸素マスクの中で微かに震えた。

 それは、完全に消去される前に、最後に残された彼女の魂の叫びだった。


「……はごろも、……ひゆ、き……」


 かつての友の名前。

 その消え入るような呟きは、分厚いガラスに阻まれ、誰の耳にも届くことなく冷たい培養液の中に溶けていった。

 ——明朝。彼女の自我が『完全消去』され、ただの肉人形へと成り下がるまでのカウントダウンは、すでに静かに、そして無情に始まっていたのである。


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