第百九十五話
協会による福音の鐘の拠点制圧作戦が行われている、まさにその裏側。
都内の地下深く、政府・国防委員会の作戦司令室では、御子柴が葉巻を燻らせながら巨大なモニターを見上げていた。
「……素晴らしい。新生協会のエース部隊が、予想以上に福音の鐘を追い詰めているようだな」
モニターには、協会側から送られてくる戦況データがリアルタイムで表示されている。福音の鐘の幹部たちが防戦一方となり、次々と防衛線を突破されている様子が、数値として克明に表れていた。
「御子柴先生。協会の連中だけでも、このまま福音の拠点を完全に制圧できそうですが」
郷田理事が報告するが、御子柴は獰猛な笑みを浮かべて首を横に振った。
「いや、これは絶好の好機だ。裏社会の連中は、協会を相手にして疲弊しきっている。ここで我々の切り札である『隠密』部隊を増援として送り込み、福音の残党どもを一気にトドメを刺す。協会という肉の盾が機能している今こそが、一網打尽のチャンスだ」
御子柴は、手元の端末を操作し、待機していた隠密部隊に出撃の命令を下した。
「ルートは第三指定経路……首都高速の高架下を抜ける裏道を使え。協会の連中が退路を塞いでいる間に、背後から急襲するのだ」
——しかし。
御子柴のその決断と進軍ルートは、数日前にゴーストが事前に予測し、ルディアとヴィクトリアに伝達していた『増援ルート』と、一寸の狂いもなくピタリと一致していた。
深夜の首都高速、高架下の暗がり。
政府の偽装車両に乗せられ、音もなく作戦地域へと向かっていた隠密部隊の十数名は、突如として車両が急ブレーキをかけたことで前方へとつんのめった。
『——障害物を確認。進行不能』
運転席の隠密が機械的な声で報告する。
車両の前方、コンクリートの壁のように見えていた空間が、突如として波打つように歪み、全く別の景色——巨大な紫色の半球状の結界へと姿を変えたのだ。
「あら。いらっしゃい、政府の可愛いお人形さんたち」
結界の奥から、ヒールを鳴らして優雅に歩み出てきたのは、星監のトップであるヴィクトリア・ローゼンベルグだった。
彼女の背後には、重武装を施した星監の精鋭エージェントたちと、先ほど修道院から隠し通路を通って先回りしていた福音の鐘の幹部たちがズラリと並んでいる。
「……空間隔離結界。星監の技術班が総力を挙げて構築した、外からは絶対に干渉できない閉鎖空間よ。協会のエースたちがいる主戦場からは、完全に切り離させてもらったわ」
ヴィクトリアは、剣を肩に担いだ。
「あーあ、さっきはわざと負けるの、すっごいストレスだったんだから! ここで発散させてもらうよ!」
ゴーストの影移動で輸送されたルカ達福音の鐘ねメンバーが、それぞれ武器を構えて凶悪な笑みを浮かべる。
「ルカ、ゴースト様の命令忘れないでよね。政府の連中は叩き潰していいけど、あくまで『生け捕り』なんだから、急所は外しなよ」
リリアが隣で呆れたように釘を刺す。二人の間に、先ほどまでの怯えた様子は微塵もない。
『——敵対勢力の待ち伏せを確認。これより、排除プロセスへ移行する』
隠密部隊の少女たちは、一切の感情を見せることなく車両から飛び出し、両手に魔力無効化兵器『ダインスレイブ』を構えて一斉に襲いかかってきた。
「撃てッ!」
ヴィクトリアの号令とともに、星監のエージェントたちが一斉に銃火器の引き金を引く。
ダインスレイブは確かに魔力を切断し、無効化する恐るべき兵器だ。しかし、それはあくまで「魔法少女の魔力」に対する特効薬であり、物理的な鉛の弾丸や榴弾の爆発力までを完全に無効化できるわけではない。
「ダインスレイブの弱点は、ゴースト様がすでに見抜いておられるわ!」
福音の鐘の戦闘員たちが、狂気じみた歓声を上げながら物理的なワイヤーやネットを投擲し、隠密たちの機動力を削いでいく。
さらに、ヴィクトリアが剣から放つ広範囲の『紫電の雷霆』が、隠密たちの足元を容赦なく焦がす。ダインスレイブで魔力を切断しようとしても、四方八方から押し寄せる物理と魔法の飽和攻撃の前に、隠密たちは次第に防戦一方へと追い込まれていった。
「そらそらそらッ! 手足の関節だけ、綺麗に外してあげる!」
ルカが神速で隠密たちの死角に潜り込み、ダインスレイブを持つ腕の関節を的確に外していく。
「全く、手間のかかるお人形さんたちね」
リリアもため息をつきながら、急所を避けた打撃で隠密の意識を刈り取っていく。
『……ッ、連続稼働による生体ユニットの負荷上昇……ダインスレイブの出力が低下……』
隠密の一人が、虚ろな瞳のまま膝を突く。
洗脳され、強制的に魔力を引き出されている彼女たちの身体は、長時間の高負荷戦闘に耐えられるようにはできていない。局所的な魔力切断という長所を、物量と広範囲攻撃で完全に封殺する——それこそが、ゴーストが裏社会の二大組織に授けた『必勝の戦術』であった。
「……哀れなものね。心まで壊されて、使い捨ての道具にされるなんて」
ヴィクトリアは、膝を突いた隠密の少女を見下ろし、冷たく、けれどどこか同情を含んだ瞳で呟いた。
「——総員、手筈通りに。ゴーストの作戦に泥を塗るな!」
福音の鐘の宮子が叫ぶ。
「「「ははっ! 全てはゴースト様の御心のままに!」」」
裏社会の荒くれ者たちは、かつてなら容赦なく敵の息の根を止めていたであろう場面で、誰一人として致命傷を与えようとはしなかった。
星監のエージェントたちはスタンガンと拘束具を用いて隠密を無力化し、福音の戦闘員たちは手足の関節を的確に外して捕縛していく。
「神様の御言葉通り、一人残らず生け捕りだ! 我らが神の慈悲深さを、政府の犬どもに教えてやれ!」
狂信と恐怖によって統率された、完璧なまでの作戦遂行能力。
最強の死神への絶対的な信仰が、裏社会の残虐な殺し屋たちを、皮肉にも『不殺の軍団』へと変えていた。
分断された戦場の中で、政府の切り札である隠密部隊は、文字通り誰一人欠けることなく、完全に各個撃破されていったのである。
「……全滅、だと?」
政府・国防委員会の作戦司令室に、御子柴の低く震える声が響き渡った。
彼の手から、火のついた葉巻がポロリと滑り落ち、高価な絨毯を焦がしていくが、それに気づく者はいなかった。
「ぜ、全滅ではありません、御子柴先生。隠密部隊の生体反応は全て維持されています。ただ……通信が完全に途絶し、現在位置が特定できません。おそらく、敵勢力によって部隊ごと……生け捕りにされたものと推測されます」
郷田理事が、顔面を蒼白にしながら報告書を読み上げる。
「馬鹿な……! ダインスレイブを装備した隠密部隊が、後れを取ったというのか! それに、なぜ生け捕りになど……!」
御子柴は血走った目でモニターを睨みつけた。
モニターには、福音の拠点を制圧し、勝ち鬨を上げている協会エースたちの映像が映し出されている。
「……まさか。協会が予想以上に苦戦していたのは、全て演技だったというのか……? いや、違う。福音の鐘の連中が、協会相手に苦戦しているフリをして、我々の増援を誘い込んだのだ……!」
御子柴の脳裏に、最悪の推論が浮かび上がる。
自分は、盤上を支配しているつもりでいた。しかし実際には、裏社会の何者かが描いた巨大なシナリオの上で、滑稽に踊らされていただけだったのだ。
「おのれ……ゴーストめッ! どこまでも国家をコケにしおって!」
御子柴の怒号が、地下の司令室に虚しく響き渡った。
切り札を失い、さらに『隠密』という非人道的な部隊の存在そのものを裏社会に握られてしまった政府は、かつてない致命的な窮地へと追い込まれていた。
一方、その頃。
新生・魔法少女協会の本部では、福音の鐘の拠点を制圧して帰還したエース部隊の凱旋報告が行われていた。
「——以上が、本日の拠点制圧作戦の全容です。敵幹部は逃走しましたが、拠点の破壊と多数の物資接収に成功しました」
周防凛花が、上層部に向けて淡々と報告書を読み上げる。
「ご苦労だった、周防。君の活躍は、まさに新生協会の誇りだ」
幹部たちが拍手を送る中、凛花は愛想笑いを浮かべて一礼し、早々に会議室を後にした。
一人になった廊下で、凛花は深い溜め息を吐いた。
(……やっぱり、釈然としないわ)
拠点を制圧した。被害も少なかった。結果だけ見れば、大成功の作戦だ。
しかし、現場の最前線で刃を交えた凛花には、どうしても拭い切れない違和感が残っていた。
(あの双子……私が剣を振り下ろした時、私を殺せたタイミングが少なくとも三度はあった。それなのに、なぜか直前で刃を逸らした。まるで、誰かの命令で『私を殺してはならない』と制限されていたみたいに)
凛花は、廊下の窓に映る自分の顔をぼんやりと見つめながら、記憶を辿り直す。
(そういえば……。あの銀髪の子、一瞬だけ視線を上に向けていた。まるで、誰かに指示を仰ぐみたいに。……いいえ、違う。あれは指示を待つ目じゃない。何かを——誰かを、信じ切っている目だった)
狂信的な殺人集団のはずの彼女たちが、まるで絶対の主君に忠誠を誓う騎士のような、迷いのない服従の色を瞳に宿していたことを、凛花の戦闘勘は鮮明に記憶していた。
(裏社会の人間が、あそこまで統率された自制心を見せるなんて普通じゃない。……誰か、彼女たちの上に立つ存在が、明確に『協会を殺すな』と命じたとしか思えない)
そこまで考えて、凛花はふと足を止めた。
(政府は、福音の鐘や星監を「無秩序な殺人集団」だと説明していた。でも、今日見た戦い方は違う。誰かの意志の下で、驚くほど精密にコントロールされていた……)
その"誰か"の輪郭が、凛花の中でおぼろげながら形を持ち始める。
協会内部でまことしやかに囁かれている、裏社会の頂点に君臨するという存在の名前。
(……まさか、ゴースト?)
一度浮かんでしまえば、もう無視できない。
凛花は自身の腕を静かに抱き、廊下の窓の外——夕暮れに染まる街並みを見つめた。
(もしそうだとしたら。あの子は、一体何のために、こんな回りくどい真似を……)
数日前、街のベンチで交わした、あの不思議な少年との会話が不意に脳裏をよぎる。
『自分の命を、誰かの期待や大義のために、安売りしないでください』
あの言葉の切実さと、今日の戦場で感じた"何者かの意志"が、なぜか凛花の中で奇妙に重なり合っていく。二つはまるで関係のない出来事のはずなのに、輪郭の底に流れる何かが、ひどく似通っている気がしてならなかった。
(気のせい、よね。……でも)
姉の背中を追い続けてきた彼女の直感は、この歪な"仕組まれた勝利"の裏側にある巨大な何かの存在を、確実に捉え始めていた。
そして、この一連の不可解な戦局を、最も俯瞰的な視点から観測し、最も恐ろしい真実の輪郭へと辿り着こうとしている者がいた。
白百合の盾・作戦指令室の新実由鶴である。
「……やはり、私の悪い予感は的中してしまいましたか」
由鶴は、無数のモニターに囲まれた薄暗い部屋で、一つの膨大なデータファイルと睨み合っていた。
独自の情報網と、上空のドローンから回収した魔力波長ログ。それらが示すのは、協会と福音の鐘の戦闘の裏側で、政府の隠密部隊が『見えざる手』によって完全に分断され、壊滅させられたという事実だった。
「政府の増援を誘い込むための、完璧な撤退戦。そして、増援ルートを事前に予測した上での、空間隔離結界による各個撃破。……さらに恐るべきは、裏社会の残虐な連中が、誰一人として隠密部隊を殺さず『生け捕り』にしているという統率の高さです」
由鶴の胃が、キリキリと音を立てて痛む。
この洗練された、あまりにも美しすぎる盤面コントロール。それは、先日、白百合の盾の会議室で羽衣緋雪が提案した『緩衝地帯』による被害拡大抑止の戦術と、思想の根底が酷似していた。
無駄な血を流さず、敵対勢力の動きを完全に予測し、自陣営の損害をゼロに抑えたまま目的だけを達成する。
「緋雪。……あなたがゴーストの精神支配を受けているという私の仮説は、甘すぎました。あるいは、根本から間違っていたのかもしれません」
由鶴は、カタカタと震える手でキーボードを叩いた。
「これはもう、白百合内部だけの問題じゃない。国家規模の陰謀が、ゴーストという特異点を中心に動いている。そして緋雪、あなたは……その恐るべき死神と『対等の共犯者』として、この巨大なシナリオを共に描き、盤上を支配しているのですね……!」
由鶴の瞳に、情報班としての狂気にも似た執念の炎が宿る。
「……絶対に、暴いてみせます。あなたたちが何を企み、この国をどこへ導こうとしているのかを」
最強の死神の知略が、国家の陰謀を打ち砕いた夜。
しかしそれは、凛花の抱いた違和感と、由鶴の焦りという新たな火種を生み出し、次なる激動の章へと世界を容赦なく引き摺り込んでいくのだった。




