第十九話
週末の昼下がり。抜けるような青空の下、都内の巨大なイベント広場は、熱狂的な歓声と熱気に包まれていた。
広場に設置された特設ステージの上には『魔法少女協会・公式実戦演習&ファン感謝祭』と書かれた巨大な横断幕が掲げられている。
「うおおおおっ! 最前列とれたぞ三神! 今日はマジで神イベントだ!!」
零のクラスメイトであり、筋金入りの魔法少女オタクである友人が、興奮のあまり鼻息を荒くして隣で叫んでいた。
その横で、三神零は死んだ魚のような目をしながら、首から下げられた『握手会参加パス』をぼんやりと見つめていた。
(……なんで俺は、休日のたびにこんな目に遭わなきゃいけないんだ)
本来であれば、今日こそは自室に引きこもり、前回のテストで叩き出した『28点』という絶望的な赤点を挽回すべく、数学の復習に文字通り命を懸ける予定だったのだ。
しかし、「握手券付きの公式グッズを買いすぎたから一枚やる! 絶対に来い!」と友人に泣きつかれ、半ば強引にこの会場まで引きずり出されてしまったのである。
ステージ上では現在、協会に所属する中堅・若手の魔法少女たち(主に3曹から曹長クラスの隊員たち)による、公開実戦演習が行われていた。
対魔獣用に開発された硬質なホログラム標的を相手に、魔法少女たちが次々と連携魔法を叩き込んでいく。3曹の少女が炎の矢で牽制し、1曹の隊員が水の鞭で標的の体勢を崩し、曹長が風の刃でトドメを刺す。安全な結界越しとはいえ、本物の魔法戦闘を間近で見られるとあって、集まった数千人の観客たちは大興奮だった。
(なるほど。部隊としての連携は取れてるけど、個々の魔力出力にはまだムラがあるな。あの3曹の子は足の踏み込みが甘いから、いざって時に回避が遅れる。曹長は魔力の溜めが長すぎるぞ……)
零は腕を組み、無意識のうちに『ゴースト』としての視点で彼女たちの戦闘機動を分析してしまっていた。
夜な夜な特級クラスの魔獣や、レガリアの元エースたちと命がけの死闘を繰り広げている零から見れば、下士官クラスである彼女たちの動きにはまだ多くの隙があった。しかし、一般市民を守るための防波堤として、彼女たちが日々厳しい訓練を積んでいることは十分に伝わってくる。
『——さあ、各小隊の素晴らしい演習の後は、皆様お待ちかね! 本日のスペシャルゲストの登場です!』
司会者のマイクパフォーマンスに、会場のボルテージが一気に最高潮へと跳ね上がった。
『過日の大規模攻勢作戦、および首都圏テロ防衛において、見事な活躍を見せた日本支部が誇るエース部隊! 本日は広報活動の一環として、エースの皆様には全国の各会場へ散っていただいております。羽衣大佐や新堂中佐は関西・中部会場へ向かわれましたが……ここ関東会場には、この方が駆けつけてくれました!』
ドカンッ! と。
ステージの中央に、上空から隕石のような勢いで何かが降ってきた。
砂煙が晴れた後、そこに立っていたのは、自分の背丈ほどもある巨大なハンマーを肩に担いだ、金髪ツインテールの小柄な少女。
『土属性の豪腕娘! 只野真奈大尉です!!』
「みんなー! 今日は集まってくれてありがとーっ!!」
ピンク色の瞳をキラキラと輝かせ、元気いっぱいに手を振る只野真奈。
その瞬間、会場中から鼓膜が破れんばかりの「真奈ちゃーん!!」「大尉ー!!」という怒号のような大歓声が巻き起こった。隣にいる友人も「うおおおお本物だあああ!!」と発狂寸前である。
しかし、歓喜に沸く群衆の中でただ一人、零だけはサァァッと顔から血の気を引かせていた。
(た、只野真奈……!)
零の脳裏に、雨の降る廃工場での記憶がフラッシュバックする。
『ごめんね、ゴースト! 手加減はしないよ!』とハンマーを振り下ろしてきた彼女の背後に瞬間移動し、大剣の柄で、そのうなじをトンッと突いて気絶させた、あの記憶。
(や、やばい。気まずすぎる……!)
手加減したとはいえ、確実に脳震盪を起こさせてしまった相手だ。
しかも彼女は、その怪我が完治しないまま山間部の大規模攻勢に参加し、巨大魔獣の酸の息から仲間を庇ってボロボロになっていた。
そんな満身創痍だったはずの彼女が、今、目の前で満面の笑みを浮かべて観客に手を振っているのだ。零の心臓は、罪悪感と気まずさでキュゥゥッと締め付けられていた。
『それでは真奈大尉、実戦さながらのデモンストレーションをお願いします!』
「任せて! いっくよーっ!!」
真奈がハンマーを高く掲げると、土属性の魔力が会場全体をビリビリと震わせた。
彼女の目の前に、特級魔獣を模した規格外サイズのホログラム標的が出現する。真奈はそれに向かって一直線に駆け出し、ハンマーを地面に叩きつけた。
「グランド・スマッシュ!!」
ドゴォォォォンッ!!
地面が波打つように隆起し、巨大な岩の槍となってホログラム標的を下から串刺しにする。さらに跳躍した真奈が、空中でハンマーを旋回させ、標的の頭部を文字通り粉砕した。
圧倒的な質量と破壊力。先ほどまでの曹長クラスの演習とは次元が違う。大尉であり、日本支部最高戦力であるエースの肩書きは伊達ではない。
「すげえええええ!!」
「真奈ちゃん最高!!」
観客たちの熱狂は頂点に達した。
零もまた、その威力に驚愕していた。
(……すごいな。俺と戦った時よりも、魔力の練度もスピードも格段に上がってる。あの大規模攻勢の死闘を経験して、さらに強くなったのか)
敵対した時には恐怖すら感じたその力だが、こうして市民を守る力として見せられると、頼もしさすら感じる。
しかし、感心している場合ではなかった。
『さあ、素晴らしいデモンストレーションの後は、いよいよお待ちかね! 真奈大尉との握手会に移ります! 参加券をお持ちの方は、列にお並びくださーい!』
「よし三神! 行くぞ! 俺たちの戦いはこれからだ!」
友人が、零の腕をガシッと掴んで引っ張った。
「えっ、ちょ、待て! 俺は別にいいよ、お前一人で行ってこいって!」
「バカ野郎! この券を手に入れるために俺がクロニクルのパックを何箱剥いたと思ってんだ! 無駄にはさせねえ、お前も真奈大尉の手の温もりを直に感じてこい!」
「そういう問題じゃねえんだよ!」
抵抗も虚しく、零はオタクたちの熱気に押し流されるようにして、特設テントへと続く握手会の待機列に並ばされてしまった。
列は少しずつ、確実に前へと進んでいく。
特設テントの隙間から、テーブル越しにファン一人一人と笑顔で言葉を交わし、両手でしっかりと握手をしている真奈の姿が見えた。
(どうしよう……俺がゴーストだってバレるわけはない。でも、もし声とかで怪しまれたら……)
いや、冷静になれと零は自分に言い聞かせた。
ゴーストの時の自分は女性の身体であり、声も女性特有の透き通ったものに変化している。髪も長く、瞳の色も深い紫色だ。
対する現在の自分は、どこからどう見ても、少し眠たそうな目をした平凡な男子高校生に過ぎない。バレる要素など、微塵もないはずだ。
「次の方、どうぞー!」
スタッフの案内に従い、興奮で震える友人がテントに入っていった。
数秒後、魂を抜かれたような真っ赤な顔をして出てきた友人と入れ替わるように、ついに零の順番が回ってきてしまった。
「こんにちはー! 来てくれてありがとう!」
至近距離で見る只野真奈は、テレビや遠くから見るよりもずっと小柄で、年相応のあどけなさが残る可愛らしい少女だった。
しかし、その瞳の奥には、幾度も死線を潜り抜けてきた将校特有の、ブレない強さが宿っている。
「あ、えっと……こんにちは。いつも、街を守ってくれてありがとうございます」
零は緊張で声を上擦らせながら、無難極まりない台詞を口にした。
真奈はパァッと顔を輝かせ、零の両手を自分の両手でギュッと包み込んだ。
「えへへ、ありがとう! それが私たちのお仕事だからね!」
その瞬間、零はハッとした。
彼女の手は、見た目の可愛らしさからは想像もつかないほど、硬く、ザラザラとしていたのだ。
自分の背丈ほどもある巨大なハンマーを毎日振り回し、血の滲むような訓練を重ねてできた、無数のマメとタコ。それは、間違いなく最前線で命を懸けて戦う『戦士の手』だった。
(……こんな小さな手で、あの絶望的な魔獣の群れに立ち向かってたのか)
零の胸に、かつてないほどの深い敬意と、そしてやはり、彼女を傷つけてしまったことへの強烈な罪悪感がこみ上げてきた。
「……お兄さん、高校生?」
不意に、真奈が零の顔をじっと覗き込んできた。
その顔の近さに、零はビクッと肩を跳ねさせた。
「あ、はい……」
「ふーん……」
真奈のピンク色の瞳が、零の少しだけ紫がかった黒い瞳を、じっと見つめる。
何かを探るような、あるいは何かを思い出そうとするような、鋭い視線。
零の背筋に、冷たい汗がツーッと流れ落ちた。
(ま、まさか……気づかれた……!?)
心臓が早鐘のように鳴り響く。もしここで「ゴースト」だと見破られれば、周囲に控えている曹長クラスの護衛たちに取り押さえられ、即座に協会の地下特別監獄行きだ。
「……ねえ、お兄さん」
「は、はいっ!」
「なんか、どこかで会ったことある?」
致命的な質問だった。
零は顔を引きつらせながら、必死に首を横に振った。
「い、いや! ないです! 今日が初めてです! 俺みたいな地味な高校生、真奈大尉がお会いしたことあるはずないじゃないですか!」
「うーん、そうだよねぇ……」
真奈は首を傾げながら、なおも零の手を握ったまま、彼の目をじっと見つめ続けた。
「声も違うし、身長も全然違うんだけど……。なんか、お兄さんの目、私の『内緒の友達』にすっごく似てる気がして」
「内緒の……友達?」
「うん! すっごく強くて、綺麗で、ちょっと不器用だけど、本当はすっごく優しい人!」
真奈は満面の笑みでそう言った。
それは間違いなく、『ゴースト』のことを指していた。
彼女は、自分がへし折られ、気絶させられたにもかかわらず。
ゴーストのことを恨むどころか、「強くて優しい友達」だと、この平凡な男子高校生に向けて屈託なく笑って見せたのだ。
「……っ」
零は、目頭が熱くなるのを感じた。
魔法少女協会のエースである彼女たちが、未登録で違法な存在である自分を、そこまで信じ、肯定してくれている。
その事実が、孤独に戦い続けてきた零の心を、どれほど救ってくれたか分からない。
「……その友達は、きっと。大尉みたいな人がいるから、戦えるんだと思いますよ」
零は、ポロッと、本音をこぼしてしまった。
「え?」
「あ、いや! ただの想像ですけど! 大尉みたいに真っ直ぐな人が信じてくれるなら、その友達も、きっと嬉しいだろうなって!」
慌てて誤魔化す零に、真奈は一瞬きょとんとした後、再び太陽のように明るい笑顔を咲かせた。
「そっか! うん、そうだね! いつかちゃんと、お礼を言いたいな!」
「お時間でーす!」
スタッフの無情な声が掛かり、零の背中が軽く押された。
真奈の手が離れる。
「来てくれてありがとう、お兄さん! 勉強も頑張ってねー!」
最後まで大きく手を振ってくれる真奈に、零は深く頭を下げてテントを後にした。
「はぁ……はぁ……」
広場の隅のベンチに座り込み、零は深々と息を吐き出した。
魔獣と戦うよりも、レガリアと戦うよりも、はるかに精神力を消耗する数分間だった。寿命が三年は縮んだ気がする。
「おい三神! お前、真奈大尉と結構長く喋ってたじゃないか! 何話したんだよ!」
缶ジュースを二本買って戻ってきた友人が、興奮冷めやらぬ様子で零の肩をバンバンと叩く。
「……いや、別に。ただの世間話だよ」
「なんだよそれー! でも最高だったよな! あの小さな手で、俺たちの街を守ってくれてるんだもんなぁ」
友人が感慨深げにジュースのプルタブを開けるのを見ながら、零も自分の缶を受け取った。
(……ああ、本当に。あいつらは、すごいよ)
手のひらに残る、硬くタコだらけだった小さな手の感触。
それは、彼女たちが背負っている責任の重さと、決して折れない覚悟の証だった。
自分は、未登録の魔法少女だ。
彼女たちのように、表舞台で歓声を受け、人々に笑顔と勇気を与えることはできない。
それでも構わない。
あんな風に笑う彼女たちが、少しでも傷つくことなく、前を向いて戦い続けられるように。
(俺は、影として。……あいつらの死角を、守り続けるさ)
秋の高く澄んだ空を見上げながら、零は静かに決意を新たにした。
とりあえず、今日家に帰ったら、数学の復習だけは絶対に終わらせよう。そう心に誓いながら、零は甘い缶ジュースを喉の奥へと流し込んだ。




