第百八十五話
政府・国防委員会の地下最深部。
無機質なコンクリートの壁に囲まれた広大な訓練施設に、絶叫と破壊音が響き渡っていた。
「——次! 休むな! お前たちは国家の剣であり、盾だ!」
白衣を着た研究員がマイクで怒号を飛ばす中、十数人の少女たちが、模擬魔獣を相手に血を吐くような戦闘訓練を行っていた。
しかし、彼女たちの姿は、白百合の盾や協会の魔法少女とは決定的に異なっていた。
その瞳はガラス玉のように虚ろで、一切の感情や光が宿っていない。身体には無数のチューブの跡や、魔力を強制的に引き出すための呪符のような刺青が刻まれている。
彼女たちこそ、御子柴が編成した対魔法少女特殊部隊——『隠密』。
「……素晴らしい仕上がりだ」
防弾ガラスの向こう側から、御子柴が満足げに葉巻を咥えた。
「才能がありながらも適性検査で弾かれ、絶望の淵にあった者。任務で重傷を負い、協会や裏社会から見捨てられた者。社会の底辺で野垂れ死ぬ運命だった彼女たちを拾い上げ、記憶と自我を消去し、『ダインスレイブ』の生体ユニットとして強制契約を結ばせた」
御子柴の言葉通り、隠密の少女たちの手には、魔力を無効化する対魔法少女用の兵器『ダインスレイブ』の完成型——漆黒の刃を持つ短剣や長刀が握られていた。
「キメラのような自我のない生体兵器では、ゴーストたち裏社会の化け物には通用しなかった。ならば、高度な戦術理解と魔法技術を持つ『元・魔法少女』を洗脳し、対魔法少女兵器を持たせるのが最も効率的だ」
御子柴は獰猛な笑みを浮かべ、作戦の開始を告げた。
「これより、隠密部隊の初陣とする。標的は、裏社会の二大組織——『福音の鐘』および『星監』の国内拠点。一匹残らず刈り取れ」
同日、深夜。
地方都市の郊外にひっそりと建つ、古い廃教会。そこは、極悪カルト教団『福音の鐘』の末端拠点の一つであった。
夜の祈りを捧げていた下級信徒(元魔法少女たち)の前に、音もなく漆黒の影が降り立った。
「なっ……何者ですか! ここは我らが偉大なる神の——」
信徒の一人が光の盾を展開し、警告を発しようとした、その瞬間。
——ズバァァァンッ!!
隠密の一人が振るった漆黒の刃が、絶対の強度を誇るはずの光の盾を、まるで濡れた紙のように容易く切り裂き、信徒の肩口を深く切り裂いた。
「ぎゃあああっ!?」
「盾が……魔法が、防がれた!? 馬鹿な!」
パニックに陥る信徒たちを、無表情の隠密たちが次々と蹂躙していく。
これまでの相手は、銃火器を持ったマフィアや、魔獣、あるいは普通の魔法少女だった。しかし、ダインスレイブを装備した隠密の刃は、魔力を纏った必殺技のように敵の防御を完全に貫通し、魔力そのものを霧散させていく。
圧倒的な『魔法少女対魔法少女』という新しい恐怖が、福音の鐘の拠点を血の海へと変えていく。
「——神の聖域を汚す下等生物どもッ!!」
そこへ、教団幹部である双子の処刑人・ルカとリリアが、血走った目で天井から強襲した。
二人の連携による神速のナイフ攻撃が、数人の隠密の急所を的確に捉える。しかし、隠密たちは一切の痛痒を感じていないかのように、無表情のまま血を流し、相打ち覚悟でダインスレイブを振り下ろしてきた。
「こいつら……痛覚がないの!?」
「ルカ、引いて! まともにやり合っちゃダメ!」
双子は辛くも隠密の首を跳ね飛ばし、撃退することに成功した。しかし、残りの隠密部隊は仲間が倒れたことにも一切動揺せず、音もなく闇の中へ撤退していった。
後に残されたのは、半壊した拠点と、生死不明で連れ去られた数名の下級信徒、そしてこれまでにない未知の脅威への戦慄だけだった。
同時刻、都内のビル群。
星監の国内フロント企業である高層ビルの屋上で、紫電の雷霆が夜空を焦がしていた。
「……チッ。どこから湧いて出たネズミかしら。星監のエージェントを相手に、随分と生意気な真似をしてくれるじゃない」
ヴィクトリア・ローゼンベルグは、倒れ伏す黒服の部下たちを背にかばいながら、パラソル型の武器を構えて優雅に、しかし冷酷な眼差しで目の前の『隠密』を睨みつけていた。
彼女の目の前には、ダインスレイブの長刀を持った無表情の少女が一人、立っている。
ヴィクトリアが放った雷撃は、少女の長刀によって全て無効化され、霧散させられていた。
「魔力を打ち消す武装。それに、感情を完全に排除した殺人機械。……政府の暗部が、ついに本格的な対魔法少女兵器を完成させたというわけね」
ヴィクトリアはヒールを鳴らし、一瞬で少女の懐へと踏み込んだ。
パラソルの先端から伸びた紫電の刃と、隠密の漆黒の刃が激突し、凄まじい火花が散る。
しかし、その鍔迫り合いの最中。
ヴィクトリアは、無機質な少女の瞳の奥と、その独特な剣の構え方に、強烈な既視感を覚えた。
「……あなた、その動き。まさか、以前星監の欧州支部から逃亡した——」
ヴィクトリアが言いかけた瞬間、少女の耳元の通信機が光り、彼女は一切の躊躇なく後方へと跳躍した。そのままビルの縁から身を投げ、闇の中へと姿を消してしまう。
「……逃げたか。かつて組織に見捨てられた敗残兵を拾い集めて、使い捨ての兵器に仕立て上げたというわけね。下劣な真似を」
ヴィクトリアは夜風にプラチナブロンドの髪をなびかせながら、忌々しげに舌打ちをした。
数時間後。
星監の拠点に戻ったヴィクトリアの元に、極秘の通信回線が開かれた。
モニターの向こうには、冷たい怒りを孕んだ黄金の瞳——ルディア・ロンディニウムの顔があった。
『……そちらにも、政府の野犬どもが現れましたのね、ヴィクトリア・ローゼンベルグ』
「ええ。単なる兵器じゃないわ。あれは、かつて魔法少女だった者たちの成れの果てよ。魔力を無効化する厄介な武装を持っていたわ」
これまで、三神零の動線を守るために「スーパーのパート」や「変装した清掃員」としていがみ合い、ギャグ寄りの勘違いで連携してきた二人。
しかし、今の二人の間には、一切の茶化すような空気はなかった。
『……わたくしの愛する信徒たちが、数名やられましたわ。神の聖域を汚した罪、万死に値します』
「奇遇ね。私のエージェントたちも傷を負ったわ。……政府の愚か者どもは、自分たちがどれほど恐ろしい箱を開けたのか、分かっていないようね」
ルディアが、モニター越しに静かに目を細める。
『……我らが神使たる三神くんの日常を脅かす前に、根絶やしにする必要がありますわね。……ええ。あなたと本気で手を組む日が来るなんて、思ってもみませんでしたけれど』
「同感よ、ルディア・ロンディニウム。一時的な休戦ではなく、これは『共闘』よ。ゴースト様の名の下に、あの下劣な政府の暗部を消し去りましょう」
裏社会の二大トップによる、初めての意図的で、本気の同盟。
国家の陰謀が、眠れる獅子たちを完全に目覚めさせてしまった瞬間だった。




