第百七十四話
ヤオヨシの裏路地で表社会のエースたちに凄まじい勘違いを植え付けた数日後——プールの約束を翌日に控えた、金曜日の放課後のことである。
「なあ零、聞いてくれよ! 中古カードショップで『マホクロ』の絶版パックを見つけてさ、ついに『氷の女王』のシークレットレアを引き当てたんだぜ!!」
「へえ、すげぇな!」
「白百合のメンバーが協会を抜けてから、彼女たちのカードはもう生産されてない絶版の超レア物なんだぞ! 前の学園祭で生で見た時もマジで美しかったけど、このイラストも最高だろ! あーあ、また本物の羽衣緋雪に会えねえかなぁ……」
学校からの帰り道。
カードゲーム『マホクロ(魔法少女クロニクル)』のオタクである親友の狭間稔が、ホログラム仕様のキラキラ光るカードを自慢げに見せびらかしてくる。
零は適当な相槌を打ちながら、引きつった笑みを浮かべた。
(お前が愛してやまないそのカードのご本人と、俺は明日、二人きりでプールに行くんだよ……)
そんな事実を親友に口が裂けても言えるはずがなく、零は心の中で深くため息をついた。
表社会のトップエースであり、絶世の美少女。そんな彼女と水着で並んで歩けば、周囲からの視線を集めまくるのは確実である。ただでさえ平穏な日常を愛する一般人(を自称する)零にとって、それは魔獣との戦闘以上に胃が痛くなるミッションだった。
「おっ、ちょっとコンビニ寄ってこうぜ。新発売のポテチ買いたいんだ」
「あ、ああ。俺も明日持っていく用のお菓子、買っておくか」
稔に誘われるままコンビニに入り、零はカゴにグミやチョコレートなどを放り込んだ。
買い物を終えて稔と別れ、自宅の自室に戻った零は、ベッドの上に明日のプールの準備を広げていた。
「バスタオルに、日焼け止め、小銭入れ……あとは水着、と」
クローゼットから引っ張り出してきた、何の変哲もない黒と紺のスポーティな海パン。
それをボストンバッグに詰め込みながら、零は天井を仰ぎ見た。
(……羽衣さん、どんな水着を着てくるんだろうな)
一瞬、脳裏に『氷の女王』の美しいスタイルがよぎり、零は慌てて首を横に振った。
(いかんいかん! 俺はただの平穏を愛する家事好き男子高校生。相手は日本の平和を守るトップエースだぞ。煩悩を捨てるんだ、三神零……! 明日はひたすら、プールの波の周期の計算でもしてやり過ごそう……)
最強の死神は、明日の決戦に向けて、一般人としての理性を総動員するべく早くも精神統一を始めるのであった。
少し時を遡る。
白百合の盾の女子寮、羽衣緋雪の自室。
「……うーん。やっぱり、こっちのほうがいいのかな……でも、こっちは少し派手すぎるかも……」
部屋のベッドの上には、色とりどりの女性用水着が山のように広げられていた。
その前で、顔を真っ赤にしながら鏡と睨めっこをしているのは、普段の凛とした『氷の女王』の姿からは想像もつかないほど乙女の顔をした緋雪だった。
「ちょっと緋雪! 明日のプールデートの水着、まだ決まってないの!?」
バンッ、と部屋のドアが開けられ、風のエース・弓飛鳥が呆れた顔で入ってきた。その後ろからは、土のエース・只野真奈と、炎のエース・新堂鈴乃も顔を覗かせる。
「あ、飛鳥……! そ、デートだなんて、そんなんじゃないわ。ただ、プールのペアチケットをもらったから、零くんを誘っただけで……!」
緋雪が慌てて両手を振って否定するが、顔は林檎のように赤い。
「それを世間ではデートって言うんだよ!」
真奈が無邪気に笑いながら、ベッドの上の水着を物色し始めた。
「わあ、可愛い水着がいっぱいあるね! 緋雪、この白くてフリフリがいっぱいついてるやつ、すっごく似合いそうだね!」
「そ、そうかな……? でも、少し子供っぽくないかしら……」
「フッ、甘いな、真奈。男ってのはな、もっとこう……『視覚的な刺激』を求めている生き物なんだよ!」
腕組みをしてドヤ顔で語り出したのは、鈴乃だった。
彼女は熱血漢の炎のエースであると同時に、裏ではゴーストの18禁同人誌を執筆する同人作家としての顔を持っている。その事実は仲間内にも絶対に秘密にしているのだが、時折こうしてクリエイターとしての業(性癖)がポロリと顔を出してしまうのだ。
「いいか緋雪! ここは一発、布地が限界まで少ない黒のマイクロビキニで攻めるべきだ! なんなら、少し紐が解けやすいギミックを仕込んでおいてだな——」
「バシッ!!」
飛鳥の容赦のない手刀が、鈴乃の脳天にクリーンヒットした。
「痛ぁっ!? なにするんだ飛鳥!」
「あんたの変な趣味を緋雪に押し付けるんじゃないわよ! 相手はあの誠実な三神くんなのよ? そんな過激な水着で行ったら、あの子、目のやり場に困ってプールの底に沈んじゃうわよ!」
「うぅ……零くんに『可愛い』って思ってもらいたいけど、引かれたらどうしようって思って……」
緋雪は、自分のスタイルの良さを自覚していないわけではないが、好きな男子を前にしてすっかり自信を喪失していた。
「……もう、しょうがないわね」
飛鳥はため息をつくと、ベッドの上の水着を素早く見定めた。そして、一つの水着を手に取って緋雪に差し出す。
「これにしなさい。緋雪の透き通るような肌の白さと、清楚な雰囲気に一番合ってるわ」
飛鳥が選んだのは、淡い水色と白を基調とした、上品なフリルがあしらわれたビキニタイプの水着だった。露出は多すぎず、それでいて緋雪の美しいボディラインをしっかりと引き立てる絶妙なデザインである。
「これ……」
「うんうん! すごく可愛いね! れーお兄ちゃんも、絶対ドキドキしちゃうと思うよ!」
「ちっ、健全すぎるが……まあ、緋雪の素材の良さを生かすなら正解だな」
真奈と鈴乃も、太鼓判を押す。
「飛鳥、真奈、鈴乃……ありがとう」
緋雪は水色の水着を胸に抱きしめ、ふわりと、氷が溶けるような極上の笑顔を咲かせた。
(待っていてね、零くん。明日は……少しだけ、大胆になっちゃうかもしれないから)
白百合の盾のトップエースが抱く、純粋で熱烈な恋心。
それが、翌日のプールで最強の死神にどれほどのダメージを与えることになるのか。
嵐の前の静けさの中、それぞれの決戦前夜は更けていくのであった。




