第百六十七話
魔法少女協会・日本支部。
都心の地下百メートルに極秘裏に建造された、広大な面積を誇る特殊訓練場。
無機質なコンクリートと分厚い耐爆強化ガラスに囲まれたその広大な空間で、今まさに凄まじい魔力の嵐が吹き荒れていた。
「——散りなさい! 『迅雷の瞬き(スパーク・アクセル)』!」
黄色い閃光が、空間をジグザグに駆け抜けた。
雷属性を操る魔法少女、佐伯美羽である。彼女の機動力は常軌を逸しており、仮想魔獣として放たれた数十体の巨大なゴーレムたちの間を音速で縫うように走り抜け、その分厚い装甲を次々と紫電の刃で切り裂いていく。空気の焼ける焦げ臭い匂いが、密閉された空間に充満する。
「美羽、突出しないで。陣形を崩すわよ。——『水刃の檻』」
美羽の死角から迫るゴーレムの群れを、高圧の水流が鞭のようにしなりながら切り刻んだ。
水属性の湊春華である。彼女は冷静沈着に戦況を見渡し、ウォーターカッターを精密な射撃のごとく放って敵を分断、拘束していく。その流麗かつ計算し尽くされた戦術眼は、部隊の参謀として完璧な役割を果たしていた。
「甘いわよ、二人とも。残敵は私が一掃する——『凍てつく断頭台』ッ!」
その空間の温度が、一瞬にして絶対零度まで急降下した。
氷属性の船戸真紀奈が腕を振り下ろすと、水流に拘束されていたゴーレムたちの頭上に、巨大で鋭利な氷の刃が無数に具現化し、一斉に降り注いだ。
白百合の盾のトップエース・羽衣緋雪が「美しく静かな氷」だとするならば、この真紀奈の氷は「残酷で鋭利な氷」である。対象を凍らせるだけでなく、一切の容赦なく物理的に粉砕するための、絶対的な暴力としての氷。
「……三人とも、そこまでです。私の前を空けなさい」
そして、最後の一人が静かに前に出た。
彼女の全身から溢れ出すのは、暗い地下訓練場を真昼の太陽のように眩く照らし出す、圧倒的で純粋な「光」の魔力。
新規エース筆頭、光属性の周防凛花である。
彼女は、かつて魔法少女協会で名を馳せ、誰よりも気高く戦い抜いた偉大な魔法少女を実の姉に持つ、いわば魔法少女界のサラブレッドであった。
「——神聖なる光よ、全てを浄化せよ。『極光の聖槍』」
凛花が天に手を掲げると、空中に巨大な光の槍が顕現した。
それは、並の特級魔獣であれば一撃で蒸発させるほどの熱量と質量を持っていた。姉譲りの気高き意志を宿した瞳で、凛花が静かに手を振り下ろすと、光の槍は轟音と共に訓練場の中心に突き刺さり、残存していた数十体の仮想魔獣を一瞬にして光の粒子へと還元させた。
戦闘時間、わずか三分。
数十体もの敵を相手に、彼女たちは一切の傷を負うことなく、息を乱すことすらなく殲滅を完了させたのだ。
パチパチパチ、と。
強化ガラスの向こう側にある司令室から、乾いた拍手の音が響いた。
マイクを通じて、新司令官・黒部雫の冷徹な声が訓練場に降り注ぐ。
『見事ね。ステラ・ドロップのような粗悪な薬物に頼らずとも、徹底した才能の選別と最適化された訓練プログラムがあれば、ここまで完璧な戦力を生み出せる。あなたたちこそが、生まれ変わった魔法少女協会の最高傑作よ』
黒部の言葉に、凛花をはじめとする四人は、その場に片膝をついて深く頭を下げた。
『白百合の盾……理想ばかりを先行させた民間組織が、世間の持て囃すままに増長しているけれど。所詮は国家のインフラを持たない素人の集まりよ。あなたたちの圧倒的な「本物の力」を見せつけて、世間の目を再び協会へと向けさせるのよ』
「はっ。黒部司令の御心のままに。偉大なる姉の名に恥じぬよう、必ずや我々が協会の威信を取り戻してみせます」
エース筆頭の凛花が、毅然とした声で答える。
その隣で、氷属性の真紀奈が、氷のように冷たく鋭い瞳を細めていた。
(白百合の盾……羽衣緋雪。私と同じ氷属性のトップエースとしてもてはやされているあの女が、どれほどのものか。私がこの手で、どちらの氷が本物か証明してあげるわ)
協会の逆襲を担う、新たなる四つの剣。
光の周防凛花、水の湊春華、雷の佐伯美羽、氷の船戸真紀奈。
彼女たちが表舞台へと解き放たれる日は、目前に迫っていた。
数日後。
三神家の平和な朝のキッチンには、バターが焦げる甘く香ばしい匂いが漂っていた。
「よし、卵は半熟のトロトロ。チキンライスはパラパラの仕上がりだ」
家事スキルを極限まで高めた三神零は、フライパンの柄を魔法少女も驚くほどの完璧なスナップで弾き、空中に浮かせた薄焼き卵を、皿の上のチキンライスに被せるように見事に着地させた。
真ん中にナイフでスッと切れ目を入れれば、中からトロトロの半熟卵が花開くように広がる、完璧な『オムライス』の完成である。
魔法を使わずに特S級の動体視力と体幹を料理に全振りした、彼にしかできない神業だった。
「お兄ちゃん、おはよー! わあ、今日はオムライスだ!」
パジャマ姿の玲奈が、洗面所から駆け込んできて目を輝かせる。
「ふぁあ……相変わらず朝から手が込んでるわね。美味しそう」
姉の澪も、あくびをしながらダイニングチェアに腰を下ろした。
「しっかり食べて、今日も白百合の仕事頑張ってこいよ。……おっと、テレビつけるか」
零がリモコンで壁掛けテレビのスイッチを入れると、朝のニュース番組が映し出された。
そこには、多数の報道陣のフラッシュを浴びる、黒部雫と四人の見知らぬ魔法少女の姿があった。
『——魔法少女協会・日本支部は本日、新体制への移行を告げる記者会見を開き、新たに就任した「特務エース部隊」の四名を発表しました』
テレビの画面越しにも伝わってくる、四人の圧倒的なオーラ。
澪と玲奈が、スプーンを口に運ぶ手を止めて画面に釘付けになる。
『代表して、新規エース筆頭の周防凛花さんからのご挨拶です』
マイクの前に立った凛花は、一切の緊張を感じさせない堂々とした態度で口を開いた。
『私たち魔法少女協会は、市民の皆様の安全を守るための絶対的な防波堤です。昨今、民間の組織が脚光を浴びていますが……国家の危機を、インフラも権限も持たない素人集団に任せておくわけにはいきません。私たち「真のエース」が、本物の力をお見せすることをお約束します』
それは、暗に白百合の盾に対する強烈な牽制であり、宣戦布告であった。
しかし、その映像を見た澪と玲奈の反応は、組織への敵対心よりも「驚愕」が勝っていた。
「ちょっと待って、今『周防』って言った!? あの周防凛花って、まさか……!」
「うん。顔立ちも、あの気高い雰囲気もそっくりだね……。絶対、あの周防凛音先輩の妹だよ!」
玲奈も、目を丸くして身を乗り出していた。
その言葉を聞いた瞬間。
フライパンを片付けていた零の動きが、ピタリと止まった。
(……周防、凛花……凛音さんの、妹……?)
零の脳裏に、深く、熱く刻み込まれたある記憶が鮮烈にフラッシュバックする。
白銀のロングヘアをなびかせ、赤と青の神秘的なオッドアイを持っていた、一人の美しい女性の姿。
当時二十二歳。異名『氷炎の剣姫』。
炎と氷、相反する二つの魔力を同時に操り、身の丈ほどもある巨大な大剣を軽々と振るって戦場を駆けた、日本支部最強の英雄——周防凛音。
彼女こそが、三神零の「恩人」であり、彼が未登録魔法少女として活動するに至った「原点」であった。
かつて、強大な魔獣の襲撃によって孤立無援となった幼い零を守るため、彼女は己の命を賭して孤軍奮闘した。味方の増援が絶望的な状況下で、燃え盛る炎と凍てつく氷を使い分け、最後まで零をかばい続けた彼女の背中。
力尽きる間際、血まみれになった手で零の頬に触れられた感覚は今でも思い出せる。
(凛音さんに妹がいたなんて、知らなかった……。そうか、彼女が協会の新しいエースになったのか)
零は、テレビ画面に映る凛花の姿を、瞬きもせずに見つめた。
姉ほどのカリスマ性はまだないかもしれないが、その真っ直ぐな瞳には、間違いなく凛音と同じ「気高さ」と「強さ」が宿っている。
さらにテレビ画面では、記者からの質問に応える形で、氷属性の真紀奈が冷たい笑みを浮かべてマイクを握っていた。
『白百合の盾のトップエース、羽衣緋雪さんをどう思うか、ですか? ……そうですね。彼女の氷は美しく、世間へのアピールには適しているかもしれませんが、実戦においては脆すぎる。氷のエースは、この日本に二人も必要ありません。どちらが本物か、いずれ戦場が証明してくれるでしょう』
「……うわぁ。緋雪ちゃん、完全に名指しで喧嘩売られてるじゃん」
玲奈が、少し心配そうに呟く。
「凛音先輩の妹に、好戦的な氷の魔法少女か……。協会も本気で私たちを潰しに来てるわね」
澪が、残りのオムライスを険しい顔で口に運んだ。
白百合の盾のメンバーである姉妹にとっては、これは組織の存亡に関わる重大なニュースである。
しかし、零の心の中に渦巻いていたのは、そんな勢力争いのことではなかった。
(凛音さんの妹が、最前線に立つ……。協会は、かつて凛音さんを孤立させて死に追いやった組織だ。そんな場所に、彼女の妹が利用されるなんて)
零は、拳を静かに握りしめた。
日々の家事を切り盛りする主夫として、平穏な日常と夕飯の献立を何よりも大切にしている彼だが、心の奥底には、周防凛音から受け継いだ「誰かを守り抜く」という熱い意志が、間違いなく燃え続けている。
(……もしも凛花ちゃんが、あるいは協会の子たちが、かつての凛音さんのように見捨てられたり、命の危機に陥るようなことがあったら。その時は——俺が、絶対に助け出す。凛音さんにもらったこの力で、今度こそ)
零は、ケチャップのチューブを置き、小さく息を吐いた。
その誓いを果たすためにも、彼は「絶対に被弾しないノーダメージ縛り」を完璧にこなし、万全の体調(とバグのない身体)を維持し続けなければならない。
「姉ちゃんたちも、あの子たちと張り合って無理して怪我とかするなよ? 何かヤバいことがあったら、絶対に逃げるんだぞ」
「……零、あんたって本当に心配性よね。分かってるわよ。それに、うちのトップエースが黙って引き下がる性格じゃないのは、あんたも知ってるでしょ?」
澪が呆れたようにため息をついた。
同刻、『白百合の盾』の本部オフィス。
巨大なホログラムモニターに映し出された協会の記者会見の映像を前に、情報班のトップ・新実由鶴が眼鏡を光らせていた。
「——解析完了。協会の新規エース四名のデータです。光属性の周防凛花、水属性の湊春華、雷属性の佐伯美羽、そして氷属性の船戸真紀奈。いずれも、特級魔獣を単独で討伐可能なレベルの異常な魔力数値を記録しています。特に筆頭の周防凛花は、あの周防凛音の妹。潜在的な出力は未知数です」
「協会め、あんな隠し玉を用意していたなんてね。完全に私たちを潰しに来てるじゃない」
弓飛鳥が、不機嫌そうに腕を組む。
「真紀奈ちゃんって子、完全に緋雪ちゃんを意識してましたね。大丈夫ですか、緋雪ちゃん?」
只野真奈が、心配そうに隣の少女を見上げた。
「……ええ。全く問題ないわ」
羽衣緋雪は、コーヒーカップを片手に、モニターの中の船戸真紀奈を涼しい顔で見つめ返していた。
「喧嘩を売られたからって、私たちのやることは変わらない。市民の平和を守る、ただそれだけよ。氷のエースがどちらかだなんて、そんな安いプライドのために魔力を使うつもりはないわ」
トップエースとして、完璧な大人の対応を見せる緋雪。
飛鳥と真奈は「さすが緋雪!」と感嘆の声を漏らした。
しかし、緋雪の内心は、全く別のベクトルで激しく燃え上がっていたのである。
(氷のエースは二人もいらない? 上等じゃない! あんな生意気な小娘に後れを取って、零くんからの評価を下げるわけにはいかないわ! 私がアイツより圧倒的に活躍して、零くんに『やっぱり羽衣さんが一番カッコいいよ』って言わせてみせるんだから!!)
先日、ルディア(福音の鐘)やヴィクトリア(星監)という「規格外のヤバい大人たち」の魔力を目の当たりにしている緋雪にとって、同年代のライバルの出現など、むしろ「零へのアピールチャンス」でしかなかった。
深夜の料理特訓の成果である「三ツ星レベルのお弁当」を完成させる日も近い。協会の思惑など知ったことではない。緋雪の戦う理由は、純粋な正義感と、それを上回る『女子力&エース力のアピール』に他ならなかったのだ。
その日の夕方。
零は、夕飯の食材を買い求めるために、いつものスーパー『ヤオヨシ』へと向かっていた。
(協会が新エースを発表した影響か、今日は心なしか街の空気も落ち着いてる気がするな。よしよし、このまま平和な日常が続いてくれれば、俺のバグ変身の心配もなくなる)
買い物カゴに特売のキャベツと豚肉を入れながら、零は満足げに頷いた。
しかし、彼は気づいていなかった。
彼の背後の精肉コーナーでは、ヤオヨシのエプロンを完璧に着こなした絶世の美女、ルディア・ロンディニウムが、豚肉のパックを並べるフリをしながら黄金の瞳を光らせていることに。
そして、鮮魚コーナーの影では、日傘をステッキのように持ったヴィクトリア・ローゼンベルグが、優雅にサンマの鮮度を確認するフリをしながら紫の瞳を光らせていることに。
「……協会の新エース? 偉大な魔法少女の妹だか何だか知りませんが、我らが信仰する神の平穏を乱さない限りは、我々が手出しをする必要はありませんわね」
「ええ。もしもあの小娘たちが三神くんの休息を邪魔するようなことがあれば……その時は、星監の雷霆で塵一つ残さず焼き払うだけよ」
三神家防衛協定。
それは、先日密かに結ばれたばかりの、表社会の勢力争いなど鼻で笑い飛ばすほどの、圧倒的で過保護な裏社会の防衛網であった。お互いの存在を視界の端で牽制し合いながらも、彼女たちのベクトルは完全に一点へと向いている。
魔法少女協会と白百合の盾の対立が深まり、新たな四つの剣が表舞台で火花を散らす。




