第百六十四話
カオス極まるバーベキュー大会から数日後の、とある休日。
三神家の長男・零は、朝から溜まっていた洗濯物を干し、一週間分の常備菜を作り置きするという主夫のルーティンを完璧にこなし終えていた。
両親は夫婦水入らずで買い物へ出かけ、姉の澪と妹の玲奈も『白百合の盾』の非番を利用して映画館へと遊びに行っている。
誰もいない静かな家。
久々に訪れた完全なる「自分一人の時間」を満喫すべく、零は自室のベッドに寝転がり、テレビモニターに向かってゲームのコントローラーを握っていた。
「よし、ここでボスの大技を……あっ、避け損ねた!」
画面の中で、零が操作する重装騎士のキャラクターが、ボスの強力な一撃をまともに食らって大きく吹き飛ばされた。
HPゲージが一気に赤色まで減少し、キャラクターの身体を光のバリアが包み込む。同時に画面端に『緊急防衛モード:HPが一定値まで回復するまでフォーム固定・操作制限』というアイコンが表示された。
「……なるほど。大ダメージを受けると、システムが勝手に治癒力の一番高い『防衛モード』に強制移行して、回復が終わるまで他の行動ができなくなるのか。厄介な仕様だな」
零はコントローラーを置き、ふう、と息を吐いた。
画面の中でピコンピコンと点滅しながら自動回復を待っているキャラクターを眺めているうち、零の脳裏に「ある最近の深刻な悩み」がよぎった。
(……これ、最近の俺の身体で起きてる現象と、全く同じ状況じゃないか?)
零はベッドの上で胡座をかき、腕を組んだ。
彼が直面している深刻な悩み。それは「朝起きると勝手にゴースト(絶世の美少女)の姿に変身している」あるいは「一度変身するとなぜか半日近く解除できなくなる」という、アイデンティティ崩壊の危機を伴う謎の現象であった。
変質者(ストーカー女)として姉に尋問されたり、スーパー銭湯の女湯に強制連行されたり、ヤオヨシのタイムセールに清楚なワンピース姿で参戦する羽目になったりと、この現象のせいで零の平穏な日常は何度も致命的なダメージを受けている。
「……よし。時間はたっぷりあるし、一度真面目に原因を整理して、対策を考えよう」
零は、ゲーム機の電源を落とし、机から大学ノートとペンを取り出した。
魔法についての専門知識はないが、彼は宇宙一の主夫であり、筋金入りのゲーマーでもある。これまでの経験から、独自の視点で「ゴースト強制変身・解除不能バグ」の法則性を導き出そうと考えたのだ。
ノートのページに、箇条書きで直近の事象を書き出していく。
条件1:大きな事件が発生し、ゴーストの姿で激戦を繰り広げ『大怪我』を負う。(あるいは相当なダメージを蓄積する)
条件2:戦闘後は魔力で痛みを誤魔化しつつ、変身を解除して元の姿(男子高校生)に戻る。
条件3:その後、ダメージが完治していない状態で『眠る(意識を手放す)』か、あるいは『再度ゴーストに変身する』。
条件4:すると、睡眠中なら勝手にゴーストの姿になり、再変身中ならそのまま固定されてしまう。
条件5:一度この状態になると、身体の修復が終わるまでシステムロックがかかり、数時間〜半日ほど元の姿に戻れない。
「……なるほど。こうして書き出してみると、見事なまでに法則性があるな」
零は、ペン回しをしながらノートをじっと見つめた。
この現象が起きるのは、決まって「ゴーストの状態で激戦を繰り広げ、大きなダメージを負った後」である。無傷で戦闘を終えた日や、先日魔獣の群れと戦った時のように被弾しなかった日には、この現象は起きていない。
(ゲームのシステムで例えるなら、さっきの重装騎士の『緊急防衛モード』と同じだ)
零の頭の中で、パズルのピースが組み合わさっていく。
(ゴーストの肉体は、尋常じゃない魔力で構成された、極めて頑丈で回復力の高い器だ。対して、元の俺の肉体は、ただのひ弱な男子高校生。……つまり、ゴーストの状態で負った大怪我を、元の肉体の自然治癒力だけで治そうとするのは、システム的に『非効率』すぎるんだ)
零はノートに『自動修復モードへの強制移行』と書き込んだ。
(起きている間は、俺の意志の力で変身を無理やり解除して元の姿を維持できる。でも、眠っている間、俺の意識のタガが外れる。すると、傷ついた身体が『最も治癒能力が高く、最適に回復できるフォルム』を無意識下で勝手に選択し、オートで変身してしまうんだ)
怪我を治すための、身体の防衛本能。
そして零は、先日スーパー銭湯帰りに変身が解けなくなった出来事も、これで完全に説明がつくことに気づいた。
(あの日は、前夜の戦闘のダメージが抜けきっていないのに、姉ちゃんたちにバレないようにと、無理してゴーストの姿に変身しちまったんだ。……そのせいで、身体が『おっ、治癒モード
(ゴースト)に入ったな。よし、今のうちに本格的な修復を始めよう!』と勘違いして、修復が終わるまで元の姿へのロックをかけてしまったってわけだ)
零は、ペンを置いて深く頷いた。
解除したくてもできなかったのは、バグでも魔力の暴走でもなかった。身体が「まだ怪我が治りきってないからダメ!」と、安全装置を働かせていたのだ。
我ながら、完璧な考察である。魔法少女協会の研究員が聞けば卒倒しそうなゲーマー兼主夫的理論だが、現象のすべての辻褄が完全に見合っていた。
「風邪を引いて熱を出している時に、解熱剤を飲んで無理やり動こうとしても、身体がダルくて布団から出られないのと同じ原理だな。身体が『治るまで休んでろ』って言ってるわけだ」
原因が分かれば、対策は打てる。
零は、ノートの次のページに『今後の対策』と力強く書き込んだ。
「要するに、『絶対にダメージを受けない(ノーダメージで勝つ)』。これに尽きる」
これまでの零は、特S級の圧倒的な魔力と頑丈な肉体に任せて、「多少の被弾は覚悟で、肉を切らせて骨を断つ」というような、大雑把な戦い方をすることもあった。ダメージを受けても魔力でなんとかなると思っていたからだ。
(これからは違う。たとえ大きな事件が起きても、被弾は絶対に避ける。敵の攻撃を見切り、完璧に回避し、無傷で殲滅する。ゲームで言うところの『ノーダメージ縛り』を心がけるんだ)
主夫にとって、「怪我」は最大の敵である。
指先を少し切っただけでも、包丁を握る時や洗い物をする時に染みて、家事の効率が著しく落ちる。
ましてや、大怪我の回復のために半日も女の子の姿で固定されてしまっては、日々の買い物や夕飯の支度に致命的な遅れが生じてしまうのだ。
(敵の攻撃は絶対に避ける。防御やバリアの魔法も惜しまずに使う。……よし、これで完璧だ)
零は、ノートをパタンと閉じた。
得体の知れない現象に悩まされていたが、自分なりの答えと解決策を導き出したことで、心の中のモヤモヤがスッキリと晴れていた。
「よし、これで明日からまた、完璧な平和と尊厳が守られるぞ」
零は満足げに伸びをすると、壁掛け時計を見上げた。
時刻は午後四時。そろそろ、夕飯の仕込みを始める時間だ。
「今日は姉ちゃんたちも映画で楽しんでるだろうし、少し奮発して、昨日ヴィクトリアさんが差し入れしてくれたハーブと、特売の鶏肉で『香草焼き』でも作るか。羽衣さんやルディアさんたちにもらったお菓子も、食後のデザートに出そう」
絶対に被弾しない、回避特化のスマートな魔法少女への進化を誓いながら、三神零はエプロンを締め直し、休日のキッチンへと鼻歌交じりに向かうのであった。




