第百六十三話
河川敷の貸切バーベキュー場は、夕焼けに染まり始めていた。
三人の美女(緋雪、ルディア、ヴィクトリア)による壮絶なトング争奪戦と「あーん」合戦を乗り越え、どうにかすべての肉と海鮮を平らげた三神家とゲストたちは、ようやく平和な片付けの時間に入っていた。
「いやあ、食った食った! 最高のバーベキューだったな!」
五郎が、ポンッと膨れたお腹を叩いて豪快に笑う。
「ええ。緋雪ちゃんの持ってきてくれたマドレーヌも、とっても美味しかったわよ」
奈々美が、ゴミ袋をまとめながら優しく微笑む。
「あ、ありがとうございますっ! お口に合って良かったです!」
緋雪が、顔を真っ赤にしてパタパタと手を振る。(よし! ご両親からの好感度は完全にカンストしたはず!)と内心でガッツポーズを作っていた。
「さーて、コンロの炭を片付けるか。零、トングを貸してくれ」
「分かった。ルカちゃんとリリアちゃんも、危ないから火のそばから離れてね」
零が、双子を安全な場所へ誘導しながらゴミを分別していく。
そんな、絵に描いたような休日の終わりの風景。
それが、突如として破られた。
ボボボボボボッ……!!
河川敷を流れる穏やかな川の水面が、突如として不気味に泡立ち始めた。
水がドス黒く濁り、強烈な魔力の波動が周囲の空気を歪ませる。
「……ん? なんだ、川の様子がおかしいぞ」
五郎が不思議そうに川辺を覗き込んだ、その瞬間。
『シャァァァァァァッッ!!』
『ギャガガガガッ!!』
川の水面を幾つも爆発させて飛び出してきたのは、体長数メートルを超える水棲のキメラ魔獣の『群れ』であった。
ワニのような強靭な顎に、複数の触手を生やした異形の化け物たち。十体近いその群れは、バーベキューの肉の匂い、あるいはその場に集まっていた規格外の魔力に引き寄せられたのか、一直線に三神家のテントへと突進してきた。
標的は、最前列にいた五郎と奈々美、そして零である。
「ま、魔獣!? なんでこんな所に群れが!?」
魔法少女の存在と魔獣の脅威を知る五郎が、驚愕の声を上げる。
「父さん、母さん、下がって!」
零が、咄嗟に両親を背後にかばうように両手を広げた。
しかし、今の零は変身していないただの男子高校生だ。こんな人目の多いところでは、変身もできないので、魔力は一切使えず、魔法障壁を展開することもできない。
(くっ……! よりによってこんな時に!)
巨大な顎と触手が、零たちを丸呑みにしようと四方八方から迫る。
絶体絶命のピンチ。
だが、三神家の男が傷つくことを、この場にいる「強烈な女たち」が許すはずがなかった。
「させないッ!! ——『氷結の防壁』ッ!!」
鋭い声と共に、零たちの目の前に分厚い氷の壁が瞬時に展開された。
ガンッ!!という激しい衝突音と共に、先頭の魔獣たちの顎が氷の壁に阻まれる。
手を前に突き出していたのは、私服姿の緋雪である。
「零くん、おじさま、おばさま、下がってください! ここは私が!」
緋雪が、氷の太刀を具現化させて前に躍り出る。
しかし、動いたのは彼女だけではなかった。
「……三神くんの御前に、そしてご両親の御前に、泥水と生臭い息を吐き散らすとは。万死に値しますわ」
ルディア・ロンディニウムが、ヤオヨシのエプロンをヒラリと翻し、虚空から眩い光を放つ長剣を引き抜いた。
その黄金の瞳には、一切の慈悲もない冷酷な処刑人の光が宿っている。
「お兄さんのバーベキューを邪魔する悪いヤツ!」
「切り刻んじゃえ!」
双子のルカとリリアも、可愛らしいゴスロリ衣装の下から身の丈ほどある巨大な鎌と双剣を取り出し、無邪気な笑い声を上げながら魔獣の側面へと回り込む。
「ええ。三神くんの休日に水を差すなんて、万死に値するわ。私が、チリ一つ残さず消し炭にしてあげる」
ヴィクトリア・ローゼンベルグが、日傘をステッキのように構えると、その周囲でバチバチと紫色の稲妻が激しくスパークし始めた。
白百合のトップエース、福音の鐘の最高指導者と処刑人、そして星監の最高指導者。
表と裏の世界を二分する勢力のトップたちが、三神零と彼のご両親を守るため、図らずも「同じ戦線」に並び立ったのである。
「ちょっと、あなたたち……! その魔力、やっぱりただのパートやお隣さんじゃないわね!」
緋雪が、驚愕の声を上げる。いくらなんでも魔力の出力が異常すぎる。
「ふふっ。今はそんなことを言っている場合ではありませんわよ、白百合の騎士」
ルディアが、優雅に微笑む。
「三神くんの平穏な日常をお守りする。……今は、その一点においてのみ、私たちは味方同士ですわ」
「ええ、同感ね。こんな雑魚の群れ、さっさと片付けて帰りましょう」
ヴィクトリアも、好戦的な笑みを浮かべた。
「……上等よ! 私が足を止めるから、合わせて!」
緋雪が、即席の連携に同意し、氷の太刀を天高く掲げた。
「——『絶対零度の呪縛』ッ!!」
緋雪が放った極低温の冷気が、見えない鎖となって河川敷を凍らせ、群がり来る十数体のキメラ魔獣の動きを完全にフリーズさせる。
『ギ、ギチィッ……!?』
「ルカ! リリア! 行きなさい!」
「はーい!」
「やぁっ!」
凍りついた魔獣の群れに対し、双子が音速を超えるステップで突進。巨大な鎌と双剣が、魔獣の分厚い鱗と装甲を紙切れのように切り裂き、次々と致命傷を与えていく。
「仕上げよ、ルディア・ロンディニウム!」
「ええ、ヴィクトリア・ローゼンベルグ!」
裏社会のトップ二人が、同時に極大魔法の詠唱を完了させた。
「——星の裁きを下せ!『紫電の裁き(ケラウノス・ジャッジメント)』!!」
「——神の威光を知れ!『聖光の断罪』!!」
上空から降り注ぐ、巨大な紫電の雷霆。
そして地上から放たれる、すべてを浄化する極太の聖なる光の奔流。
雷と光、相反する二つの極大魔力が、凍りついた魔獣の群れの中で交差し、凄まじいエネルギーの爆発を引き起こした。
カッ……!!
夕暮れの河川敷が、真昼のように白く染まる。
爆音すらも置き去りにする圧倒的な熱量と光量によって、水棲のキメラ魔獣の群れは、断末魔の悲鳴を上げる隙すら与えられず、一瞬にして細胞レベルで消し炭となり、空間から完全に消滅した。
「……ふう」
風が吹き抜け、光が収まる。
河川敷には、魔獣の群れがいた痕跡すら残っていなかった。
「……な、なんて連携……」
本来であれば戦闘に参加するはずだった澪と玲奈は、戦闘服に着替える暇すらなく、武器を半出しにした状態でポカンと口を開けていた。
「あ、私たち、完全に出番なかったね……」
「うん……なんか、凄いことになってる……」
三神姉妹は、自分たちの職場の先輩と、謎のパートとお隣さんによる「オーバーキルすぎる共闘」を前に、ただ呆然と見守るしかなかった。
一方、守られた側の両親は。
「おおおお! すげえな! 緋雪ちゃんはともかく、ローゼンベルグさんやパートのお姉さんたちも魔法少女だったのか!」
五郎が、目を輝かせて拍手喝采を送っていた。
「驚いたな。見たことはないけど、皆さんは魔法少女協会の方? それとも澪たちのいる白百合の盾の所属かい?」
「本当に。皆さんすごく強くていらっしゃるのね。零も、こんな頼もしいお友達に恵まれてお母さん安心したわ」
奈々美も、裏社会のトップたちを「息子の頼もしいご友人」としてニコニコと笑って拍手している。
(いや、協会でも白百合でもなくて、世界を裏で牛耳るカルト教団と秘密組織のトップなんだけど……。まあ、父さんたちが変にパニックにならなくて良かった)
零は、内心で深い安堵の息を吐き出した。
魔法が使えない今の自分では、両親を守り切れたか分からない。
恋心、狂信、そして忠誠心。それぞれ動機は全く(そして的外れに)異なるものの、彼女たちが「三神零の日常を守る」という想いで一つになり、圧倒的な力で守ってくれたのは事実だ。
(……色々バレそうになったり、カオスなバーベキューだったりしたけど。この人たちに守られてるっていうのも、悪くないな)
零は、フッと柔らかい笑みを浮かべた。
「羽衣さん、ルディアさん、ルカちゃんにリリアちゃん。それにヴィクトリアさん」
零が声をかけると、戦闘を終えた五人が一斉に振り返った。
「今日は、父さんたちを守ってくれて本当にありがとう。助かったよ」
零からの、心からの感謝の言葉と、優しい笑顔。
「っ……! い、いいのよ! 零くんの平和を守るのが、私の役目なんだから!」
緋雪が顔を真っ赤にしてツンデレな態度を取る。
「三神くんのためならば、この命に代えても」
ルディアが、所属を聞かれたことは華麗にスルーしながら、頬を染めて恭しく一礼する。
「お兄さん、私達かっこよかったでしょー!」
「三神くんのお役に立てて光栄だわ」
双子とヴィクトリアも、それぞれ嬉しそうに微笑んだ。
「さあさあ、魔獣もいなくなったことだし、片付けの続きをしようか! みんな、手伝ってくれるか?」
五郎の豪快な声で、河川敷の空気が再び日常のそれへと戻っていく。
「はいっ!」
三大勢力のトップたちは、先ほどまでの圧倒的な魔力を完全に引っ込め、今度は「誰が一番早くゴミを分別するか」という、極めて平和的かつ家庭的なバトルを再開させるのであった。
特売の和牛から始まり、カオスなBBQ、そして奇跡の共闘へと発展した休日は、こうして騒がしくも温かい空気の中で幕を閉じた。




