第百五十九話
リオンモールのフードコート。
三神姉妹に強引に着せ替え人形にされた末、清楚な白いブラウスにデニムのロングスカートという一般人スタイルに落ち着いた『ゴースト』は、奢られたバニラアイスを無心で平らげていた。
遠くで白百合の盾のエース・只野真奈がトリプルアイスを落として石化しているのを見て見ぬ振りをしながら、ゴーストは内心で深く安堵の息を吐き出した。
(よし、アイスも食べ終わった。これで姉ちゃんたちの『プロデュース』とやらは終了だ!)
「……ごちそうさま。じゃあ、私はこれで帰らせてもらうわ」
ゴーストは、紙ナプキンで優雅に口元を拭うと、席を立ち上がった。
「あ、待ちなさいよ」
澪が、残っていたアイスコーヒーを一気に飲み干してゴーストの腕をガシッと掴む。
「帰るってどこに? どうせまた、うちの零の部屋の近くの電柱の陰にでも潜むつもりでしょ」
「……違うわ。スーパーの特売……じゃなくて、急ぎの用事があるのよ」
ゴーストが冷たく振り払おうとするが、澪の握力は異常に強かった。
「ダメよ。昨日はあんな大規模なテロがあって、私たちも徹夜明けみたいなものなの。せっかくリオンモールに来たんだし、このまま隣接してる『スーパー銭湯』で汗を流して帰るわよ!」
「そうだよ! 大きいお風呂に入って、昨日の疲れを癒やそうよ!」
玲奈も、目を輝かせて賛同する。
「……は?」
ゴーストの動きが、ピタリと止まった。
「スーパー銭湯? ……あなたたちと、私が?」
「そうよ。アンタのことはまだ全然信用してないけど、昨日の戦闘の恩返しってことで、入浴料くらいは私が出してあげる。……ほら、裸の付き合いって言うし、アンタが本当に零に手を出さないか、お風呂でじっくり尋問してあげるわ」
澪が、ニヤリと悪魔のような笑みを浮かべる。
(お風呂ォォォォォォォッ!?)
零の脳内で、本日何度目か分からない絶望のサイレンが鳴り響いた。
(待て待て待て待て! 俺は中身が健全な男子高校生だぞ!? いくら姿が女の子になってるとはいえ、年頃の自分の姉ちゃんと妹と一緒にお風呂に入るなんて、道徳的にも倫理的にも一線を越えすぎている!!)
今ここで逃げ出さなければ、三神零としてのアイデンティティと尊厳が完全に崩壊してしまう。
「……ふざけないで。私がなぜ、あなたたちのような小鳥と肌を合わせなければならないの。私は帰るわ」
ゴーストは、これまでで一番冷酷な声を出し、足元に影を展開しようとした。
「逃がすかッ!!」
しかし、澪と玲奈が左右からゴーストの腕をガッチリとホールドする。
「ちょっと! 離しなさい!」
「離さないわよ! アンタを野放しにしたら、また零に近づくかもしれないでしょ! ほら、行くわよ玲奈!」
「うんっ! ゴーストちゃん、お風呂気持ちいいから大人しくして!」
「やめっ……! 私は、お風呂には……ッ!!」
世界を恐怖で支配する特S級の未登録魔法少女は、物理法則(姉と妹の腕力)に完全に敗北し、ズルズルとスーパー銭湯『天然温泉・リオンの湯』へと連行されていくのであった。
スーパー銭湯、女湯・脱衣所。
(見ない……俺は絶対に何も見ない……!! 目を開けたら終わりだ……!!)
ロッカーの前で、ゴーストはギュッと固く目を閉じ、微動だにせずに直立不動の姿勢を保っていた。
周囲からは、布が擦れる音や、女性たちの話し声、そして何よりすぐ隣から姉と妹の着替える気配がヒシヒシと伝わってくる。
零の精神力は、すでに限界を迎えていた。
「ちょっと、ゴースト。いつまで突っ立ってるのよ。早く脱ぎなさいよ」
澪が、バスタオルを巻きながら怪訝そうに声をかける。
「……私は、ここで待っているわ。あなたたちだけで入ってきなさい」
目を閉じたまま、震える声でゴーストが答える。
「はぁ? 何言ってんの。ここまで来て入らないとかあり得ないから。……もしかして、アンタ恥ずかしがってるの?」
澪が、意外そうな声を上げた。
「えー! あんなに強くてカッコいいのに、意外と乙女なんだね!」
玲奈がクスクスと笑う。
(乙女じゃない! 俺は男だ! 実の姉と妹の着替えを直視しないための、人としての最後の防衛線なんだよ!!)
「ほら、手伝ってあげるから!」
「や、やめなさい! 自分で、自分で脱ぐから!!」
姉妹に無理やり服を剥ぎ取られそうになり、ゴーストはパニックになりながら、背を向けたまま超高速でブラウスとスカートを脱ぎ捨て、バスタオルを全身にぐるぐると巻きつけた。
「……準備、完了したわ」
壁を向いたまま、ゴーストが宣言する。
「なによそれ、ミイラみたいじゃない。まあいいわ、行くわよ」
澪に背中を押され、ゴーストは目を半開きにしたまま、絶対に下を向いた状態で大浴場へと足を踏み入れた。
湯気が立ち込める大浴場。
休日の昼下がりということもあり、広い浴槽にはそこそこの客がいた。
「はぁ〜……生き返るわ〜……」
「お姉ちゃん、昨日はホントに大変だったもんね」
澪と玲奈が、露天風呂の広々とした岩風呂に肩まで浸かり、至福の吐息を漏らす。
その対角線上、お湯の端っこの方で。
ゴーストは、首までガッツリとお湯に浸かり、紫の瞳でひたすら『露天風呂の屋根の木目』を数えるという謎の苦行を行っていた。
(いち、に、さん……よし、俺は木材だ。自然の一部だ。何も見ていないし、何も感じない……)
自己暗示をかける零だったが、その並外れた美貌は、湯気の中でも隠しきれていなかった。
お湯に濡れた艶やかな黒髪が白磁のような肌に張り付き、ほんのりと上気した頬が、普段の冷徹な死神からは想像もつかないほどの色香を放っている。
「……ねえ。アンタ、肌すっごい綺麗ね」
澪が、じっとゴーストを見つめながら呟いた。
「え?」
「玲奈も思ってた! ゴーストちゃん、お人形さんみたいに真っ白でツルツル!」
ザバァッ、と玲奈がお湯をかき分けて近づいてきて、ゴーストの二の腕をプニッと指で突いた。
「ひゃっ!?」
ゴーストが、思わず変な声を出してビクッと肩を揺らす。
(さ、触るな玲奈! 俺の心臓が止まる!)
「それに……」
澪も近づいてきて、ゴーストの首から下、お湯の中に透けて見えるプロポーションをジト目で観察し始めた。
「……チッ。あんなドレス着てたから分からなかったけど、出るとこ出てるじゃない。なんか腹立つわ」
澪が、自身の胸元とゴーストの胸元を交互に見比べ、舌打ちをした。
ゴーストの変身体は、なぜか非の打ち所がない完璧なプロポーションを誇っており、スタイル抜群の澪から見ても嫉妬を覚えるほどの造形美であったのだ。
「……ジロジロ見ないで。不愉快よ」
ゴーストは、必死に平静を装いながら、腕で胸元を隠してお湯の奥へと後ずさった。
顔が真っ赤になっているのは、温泉の熱のせいだけではない。
「ふん。まあいいわ。裸の付き合いなんだし、本題に入りましょ」
澪が、岩に背中を預け、真剣な表情でゴーストを見た。
「アンタ、どうしてうちの零をストーキングしてるの? あの子は魔法も使えない、ただの家事が得意な普通の高校生よ。特S級のあなたが、どうしてあの子に執着するわけ?」
直球の尋問。
零は、湯気の中で冷や汗を流した。
(どう答えるのが正解だ!? 適当に誤魔化したら怪しまれるし、変なことを言ったら姉ちゃんの殺意が再燃する!)
ゴーストは、紫の瞳を僅かに伏せ、遠くを見るような、儚げな表情を作った。
「……彼には、私にはない『温かさ』があるのよ」
「温かさ?」
「ええ。どんな時でも家族を思いやり、美味しいご飯を作り、平穏な日常を誰よりも愛している。……血みどろの戦いに身を置く私にとって、彼の存在は……眩しすぎるのよ」
我ながら完璧な言い訳(自画自賛)だった。
自分自身を褒めちぎるという羞恥心に耐えながら、ゴーストは言葉を紡ぐ。
「だから、私は彼を遠くから見守っているだけ。……決して、彼の日常を壊すような真似はしないわ」
その言葉を聞いた瞬間。
澪と玲奈の表情が、パッと明るくなった。
「なんだ、アンタ……零の『家事力と家族思いなところ』に惚れたのね!」
澪が、嬉しそうに膝を叩く。
「うんうん、分かるよ! お兄ちゃんのご飯、世界一美味しいもんね! 昨日の秋刀魚の塩焼きだって最高だったし!」
玲奈も、ウンウンと力強く頷く。
(……え? なんかめっちゃ意気投合してない?)
零が戸惑う中、姉妹はすっかり警戒を解き、自慢の弟の話題で盛り上がり始めた。
「でもね、いくらアンタが特S級の魔法少女でも、うちの零は簡単には渡さないわよ。あの子のお嫁さんになるには、私より料理が上手くて、玲奈より掃除ができないと認めないんだから!」
「そうそう! お兄ちゃんは私たちの大切な家族なんだから、ストーカーじゃなくて、ちゃんと玄関から挨拶に来なさいよね!」
澪と玲奈が、お湯の中でキャッキャと笑う。
そこには、昨日の激戦の疲労も、恐怖の死神に対する怯えもなかった。あるのはただ、愛する弟を自慢し合う、普通の姉と妹の姿だけだった。
(……はぁ。全く、うちの姉ちゃんたちは、本当に俺のことが好きなんだな)
零は、精神的な疲労でフラフラになりながらも、二人の無邪気な笑顔を見て、内心で小さく微笑んだ。
自分の正体がバレるという最悪の事態は避けられた。むしろ、「ちょっと痛いけど弟にガチ恋してる不器用な魔法少女」というポジションに収まったことで、今後のゴーストとしての活動(主に家の近所での戦闘)がしやすくなるかもしれない。
「……のぼせたわ。私は先に出るわよ」
ゴーストは、これ以上ボロを出さないうちに、お湯から立ち上がった。
「あ、ちょっと待ってよ! お風呂上がりはコーヒー牛乳でしょ! アンタにも奢ってあげるから!」
澪が慌てて後を追う。
三十分後。
スーパー銭湯の休憩スペースで、澪と玲奈、そしてゴーストの三人は、瓶のフルーツ牛乳を腰に手を当てて飲み干していた。
「ぷはーっ! やっぱりお風呂上がりはこれね!」
澪が満足げに息を吐く。
「……甘ったるいわね」
ゴーストは、フルーツ牛乳の瓶を置きながら、冷たく言い放つ。
(本当はブラックコーヒーが飲みたかったけど、女子高生三人でブラックコーヒーは違和感があるからな。フルーツ牛乳、久々に飲んだけど美味い)
内面の主夫は、しっかりと糖分を補給して回復していた。
「じゃあ、私たちはこれで帰るわ。……ゴースト。次からは、ちゃんと玄関から来なさいよ。それと、零の部屋には絶対に入らないこと。分かったわね?」
澪が、最後に念を押すように指を差す。
「……ええ。覚えておくわ」
ゴーストは、静かに頷くと、休憩所の隅に伸びる影の中へと沈み込み、今度こそ完全に姿を消した。
「……行っちゃったね。ゴーストちゃん…
…あ、名前聞くの忘れてた!!」
玲奈が、空になった瓶を持ちながら呟く。
「ええ。……変な女だけど、根は悪いヤツじゃないのかもね。さて、私たちも帰って、零のお昼ご飯の手伝いでもしましょうか!」
休日のリオンモール。
三神姉妹は、死神との奇妙な女子会を終え、足取り軽く家路へと向かう。
一方、影移動でようやく自宅へと逃げ帰り、何故か変身を未だに解除できず三神零は。
「……終わった……俺の尊厳が、すべて終わった……」
フルーツ牛乳の甘さも消し飛ぶほどの精神的疲労により、その場に真っ白な灰となって崩れ落ちるのであった。




