第百五十話
都内の地下深くに広がる、すでに使われなくなった巨大な旧下水道施設。
太陽の光が一切届かないその暗所で、おぞましい光景が広がっていた。
並んでいるのだ。
本来ならば知能を持たず、ただ本能のままに見境なく暴れ回り、同族同士で争うことすらあるはずのA級相当の「人型魔獣」たちが。
数十体にも及ぶその群れは、まるで訓練された軍隊のように等間隔で整列し、不気味なほどの静寂を保っていた。
その群れの最前列。ひときわ巨大で、より人間の姿に近い輪郭を持った「一体」が、静かに赤い瞳を開いた。
他の魔獣たちとは明らかに放つ魔力波形が異なる。それは、度重なる魔法少女たちとの戦闘データと、殺戮の記憶を蓄積した結果、群れの中から突然変異的に誕生した『上位個体(指揮官)』であった。
『……情報の、統合を、完了』
上位個体の口から、人間の言語を模倣した、機械的で歪な音声が漏れ出した。
それは空気を震わせる音ではなく、魔力波に乗せた念話に近い形で、整列する配下の魔獣たちの意識へと直接共有される。
『これまでの同胞たちの死。そのプロセスを解析。……我々は、本能のままに破壊を行うだけでは、人間の個体兵器(魔法少女)に駆逐される。生存と種の拡大のためには、人間の「思考」を模倣し、利用する必要がある』
上位個体は、自身の脳裏に蓄積された映像データを配下たちに展開した。
そこに映し出されているのは、先日、白百合の盾のエースたち(羽衣緋雪、弓飛鳥ら)が魔獣を迎え撃った際の戦闘記録である。
『分析対象・アルファ(白百合の盾)。彼女たちは高い連携能力を持つが、致命的な脆弱性を抱えている。それは「弱き同族(民間人)を庇う」という非合理的な習性だ。……戦術的結論。我々は今後、直接彼女たちと交戦するのではなく、逃げ遅れた同族を集中して狙うことで、彼女たちの行動を制限し、魔力を消耗させる「包囲と遅滞の戦術」を採用する』
整列する魔獣たちが、理解を示すようにギチギチと喉を鳴らす。
知能を得た魔獣たちは、人間の「兵法」を急速に学習していた。力任せの突撃を捨て、相手の弱点を突き、有利な状況を作り出すという、人間にとって最も恐ろしい敵へと進化しつつある。
『分析対象・ベータ(魔法少女協会・新エース部隊)。個々の魔力出力は高いが、連携が皆無。さらに、現状の彼女たちの魔力波形には、人間本来の安定性が欠落しつつある。自滅の兆候あり。……戦術的結論。彼女たちには「陽動」をかけ、単独に分断して各個撃破する。あるいは、同士討ちを誘発させる』
上位個体は、暗闇の中で醜く歪んだ唇を、ニィ、と三日月型に吊り上げた。
人間の「戦略」と「戦術」を試す。それは彼らにとって、生存のための学習であり、同時に人間という種を狩るための極上の遊戯でもあった。
『そして……分析対象・特異点』
その名——いや、その黒いドレスと紫の瞳を持つ少女の映像が共有された瞬間。
感情を持たないはずの魔獣の群れ全体が、本能的な恐怖によって一斉にブルッと震え上がった。
『……規格外。予測不能。圧倒的致死性。我々のいかなる戦術も、あの個体の前では無意味に還元される。あの特異点は、人間が使役するシステムから逸脱したバグである。……戦術的結論。現状、特異点との直接交戦は絶対に避けること』
上位個体は、慎重に、そして狡猾に次のプランを練り上げる。
ゴーストが一度に相手にできる範囲には物理的な限界があるはずだ。ならば、どうするか。
『実験を開始する。次の新月、我々はこれまでにない規模で部隊を分散し、都内の五つの主要拠点を「同時に」襲撃する。人間の防衛網(白百合と協会)を物理的に引き裂き、彼らの戦力上限を測定する。……そして、あの特異点がどこまで同時に介入できるか、その驚異(限界)を測る』
これまでの散発的な発生は、ただの「前触れ」にすぎなかった。
知能と統制を得た魔獣の群れは、人間の戦略を吸収し、最も効果的に社会を破壊するための「多方面同時テロ」を計画していたのだ。
『人間よ。我々はもはや、狩られるだけの獣ではない。知恵と絶望をもって、貴様らの世界を塗り替える』
地下水道に、上位個体の不気味な笑い声が反響する。
赤い瞳の群れは、迫り来る「その時」に向けて、静かに、そして確実に牙を研ぎ澄ましていた。
同じ日の夜。
世界の命運を左右する致命的な脅威が地下で育っていることなど、微塵も知らない地上。
三神家のダイニングキッチンでは、特S級の未登録魔法少女にして、今しがた魔獣たちから「絶対に関わってはいけないバグ」として認定されたばかりの男子高校生が、エプロン姿でフライパンを振るっていた。
「よーし、もやしと豆腐の豚ひき肉あんかけ、完成だ! 安い食材でも、片栗粉でとろみをつければ立派なメインディッシュになるからな。俺って天才かもしれない」
零は、ホカホカと湯気を立てる大皿をテーブルに運びながら、満足げに鼻歌を歌う。
「お兄ちゃん、すっごくいい匂い! 今日もご飯大盛りでお願い!」
「私も。最近、治癒魔法の反動でお腹が空いて仕方ないのよね」
食卓で待つ妹の玲奈と姉の澪が、目を輝かせながら箸を持って待ち構えている。
「はいはい、いっぱい食べてしっかり体力つけろよ。……それにしても、最近ちょっと物価が上がってる気がするんだよなぁ。またスーパーのチラシ、しっかりチェックしとかなきゃ」
水面下で煮え滾る混沌とした世界の思惑と、ただ平穏を愛するだけの最強の男子高校生。
やがて訪れる「五カ所同時襲撃」という最大の試練に向けて、運命の歯車は静かに、しかし確実に狂い始めていた




