第百四十九話
放課後。駅前の大型カードショップ『トレカ・ガーデン』。
店内は、平日にも関わらず異常な熱気に包まれていた。学生からスーツ姿のサラリーマンまで、多くのプレイヤーたちがショーケースに群がり、血眼になってカードの価格をチェックしている。
「おい見ろよ零! 『羽衣大佐』のシークレットレア、昨日よりさらに値上がりして八万円になってるぞ! 絶版の威力、恐るべしだ……!」
クラスメイトの稔が、ショーケースに張り付いてガラス越しに絶叫した。
その隣で、三神零は「豚ひき肉・半額」と書かれたスーパーのチラシを片手に持ちながら、呑気な声で相槌を打つ。
「すごいインフレだなあ。俺の使ってる『弓大尉』のレアカードも、三千円から一万円に跳ね上がってるし、ゴーストの初期レアカードは軽く20万円超えてるし」
「バカ野郎! 決闘者が自分の魂のカードを生活費のために売るなんて言語道断だぞ! それに、今はそれどころじゃない!」
稔は振り返り、ショップのレジ前に伸びる長蛇の列を指差した。
「今日発売の最新拡張パック『深淵の覚醒』! 噂じゃ、この弾のシークレット枠に、あの未登録魔法少女『ゴースト』の新規カードが緊急封入されてるらしいんだ!」
「……へえ、そうなのか」
零は、引きつりそうになる顔の筋肉を必死に抑え込んだ。
昨日の今日で、カードゲームの運営が機転を利かせたのか、あるいは元々仕込んでいたのかは分からない。しかし、自分が「深淵の覚醒」などという中二病全開のパックの目玉にされていると思うと、羞恥心でいたたまれなくなる。
「俺は絶対にゴーストのカードを引き当てる! あの無詠唱・三属性同時展開の化け物カードを手に入れれば、大会で無双できるんだ! 零、お前も五パック制限ギリギリまで買え! 運試しだ!」
「はいはい。まあ、ひき肉の特売タイムまでまだ時間あるし、付き合うよ」
零は、財布から千円札を取り出しながら、レジの列へと並んだ。
クラスメイトと一緒に放課後にカードパックを買う。それは、彼が望む「ただの男子高校生」としての、極めて平和で尊い日常の風景であった。
——だが、その平穏な日常の裏側で、世界の混沌は新たなフェーズへと移行しつつあった。
同時刻。『白百合の盾』地下オペレーションルーム。
情報班トップの新実由鶴は、大型モニターに映し出された無数の赤い光点——魔獣の発生ログを睨みつけ、険しい表情を浮かべていた。
「由鶴。どうかしたの?」
代表の姫嶋結衣が、コーヒーを片手に近づいてくる。
「……姫嶋さん。最近のA級人型魔獣の発生パターンですが、どうも妙です」
由鶴はキーボードを叩き、昨日の商店街に現れた十体の魔獣の動線データを画面に展開した。
「魔獣自体は、間違いなく自然発生のものです。人工的な培養の痕跡はありません。しかし……その『動き』が、以前とは決定的に違います」
「動きが?」
「ええ。これまでは知能を持たない獣のように、ただ手当たり次第に暴れ回るだけでした。しかし、この十体の動きを見てください」
由鶴が示したデータには、魔獣たちが「民間人の逃げ道を塞ぐように」扇形に展開し、互いの死角を補い合うように動いていた痕跡が克明に記録されていた。
「これは……『陣形』?」
姫嶋が息を呑む。
「その通りです。知能のない魔獣が、偶然こんな軍隊のような動きをするはずがありません。考えられる可能性は一つ。……自然発生した魔獣の群れの中に、突然変異で『高い知能を獲得した上位個体(指揮官)』が誕生し、裏で群れを統率している」
「指揮官個体……」
姫嶋はコーヒーカップをデスクに置き、顔を青ざめさせた。
「ただでさえA級相当の力を持つ魔獣が、軍隊のような統制を得たというの? もしそれが本当なら、今までの防衛ラインなんて簡単に突破されるわよ」
「ええ。次に大規模な発生があった時、相手は『ただの獣』ではなく、『戦術を持った軍隊』として我々に牙を剥くでしょう。……ゴーストというジョーカーに頼らず、我々だけでどこまで持ち堪えられるか」
由鶴の眼鏡の奥の瞳が、かつてない危機感に鋭く光った。
一方、星監の最高指導者であるヴィクトリア・ローゼンベルグが暮らす、三神家の隣の豪邸。
その豪華なダイニングキッチンでは、S級の超越者であるヴィクトリアが、フリルのついたエプロン姿で必死にレシピ本を睨みつけていた。
「くっ……! エージェント・三神零に渡す次なる手土産は、『特製ビーフストロガノフ』にするわ! これでお隣さんとしての好感度を最大まで引き上げ、星監の安全を確保するのよ……!」
世界トップクラスの雷属性魔法使いが、玉ねぎを刻みながら涙を流している。
だが、その涙ぐましい努力の裏で、星監の組織内部には取り返しのつかない亀裂が走っていた。
都内某所の廃工場。
薄暗い空間に、星監の極東支部を束ねる三人の高級幹部が集結していた。彼らの顔には、焦りと、そして自らの指導者に対する深い「失望」が刻まれていた。
「……総帥は、狂ってしまわれた」
幹部の一人、顔に傷のある男が、吐き捨てるように言った。
「我らが星監は、裏社会を支配する誇り高き組織のはず。それがどうだ。総帥は最近、日本の冴えない男子高校生の隣に引っ越し、毎日毎日パンや菓子を焼き、エプロン姿でご機嫌取りをしているのだぞ! 正気の沙汰ではない!」
「同感だ。ゴーストのエージェントだかなんだか知らないが、たかが一人の少年に怯え、戦いもせずに組織の誇りを捨てるなど……我慢の限界だ」
別の幹部が同意する。
「あのような弱腰のトップに、これ以上ついていく気はない。我々は星監を離反し、我々自身のやり方で極東の支配権を握る。……そのためには、まずあの目障りな『ゴースト』を排除しなければならない」
「どうする気だ? 我々の戦力だけで、あの化物を殺せるとでも?」
「殺すのは我々ではない。都合のいい『手駒』がいるだろう?」
傷のある幹部が、闇の奥に向かって声をかけた。
「……話は聞かせてもらった通りだ、魔法少女協会・日本支部支部長殿」
コツ、コツ、と。
足音を響かせて闇の中から現れたのは、魔法少女協会の新支部長・宮田理恵子であった。彼女の背後には、林道沙也加をはじめとする四人の新エース部隊が、感情のない人形のように控えている。
「ええ、歓迎しますよ。星監からの離反者の皆様」
宮田は、扇子で口元を隠しながら狡猾な笑みを浮かべた。
「まさか、世界的な秘密組織の幹部の方々から、我々協会に同盟の持ちかけがあるとは思いませんでした。……それで? 我々に提供してくださるという『取引の品』とは?」
幹部の男は、懐から厳重にロックされた銀色のジェラルミンケースを取り出し、宮田の足元に滑らせた。
「星監の研究機関が開発した、特秘の魔力強化薬……『ステラ・アンプル』の製法レシピと、その現物だ」
宮田の目が、欲望にギラリと光った。
「強化薬……。どのような効果が?」
「人間の肉体と魔力回路を強制的に暴走させ、理性を代償にして、魔力総量を一時的に『S級の領域』にまで引き上げる。ただし、一度でも規定量を超えて投与すれば、人間としての感情は破壊され、二度と元には戻らない。……いわば、人間を『対魔獣用の兵器』に変える禁忌の劇薬だ」
幹部の冷酷な説明を聞いても、宮田の笑みは崩れなかった。
むしろ、彼女にとっては「願ってもない兵器」であった。
「素晴らしい」
宮田は扇子を閉じ、背後に控える新エース部隊を振り返った。
「あなたたちも聞きましたね? ゴーストに手も足も出なかったあなたたちに、上層部からの最後のチャンスを与えましょう。この薬を打ち、何が何でもゴーストを捕獲しなさい。人間としての感情など、協会の剣には最初から不要です」
「「「「……了解」」」」
林道たち四人の少女は、自らの運命が完全に狂い始めるというのに、一切の躊躇いなく、ただ虚ろな瞳で従命した。
星監の過激派と、協会の狂気。
ゴーストを排除せんとする二つの組織が水面下で手を結び、少女たちを後戻りできない地獄へと突き落とした。
「よっしゃあああああッ!!!」
カードショップ『トレカ・ガーデン』の前で、稔の絶叫が響き渡った。
彼の手には、虹色に輝くレアカードが握りしめられている。
「出た! ついに出たぞ零! 新規シークレットレア『絶望の死神・ゴースト』!! 見てみろこのテキスト、無詠唱・魔法無効化・三属性同時攻撃……マジで環境ぶっ壊れの最強カードだ!!」
「お、おお……おめでとう、稔」
零は、ゴーストの姿が描かれた(しかも「絶望の死神」などという恥ずかしすぎる二つ名がついた)カードをまじまじと見つめながら、ひきつった笑いで拍手を送った。
ちなみに零自身が引いた五パックは、珍しくノーマルカードのハズレであった。
「よかったな稔、でもまあ、ひき肉の特売タイムには間に合いそうだし、今日はこれで帰るよ」
自分の背後に、知能を得た魔獣の群れと、禁忌の強化薬によって化け物と化そうとしている新エース部隊の脅威が迫っていることなど、ただの男子高校生が知る由もない。
三神零は、スーパーのエコバッグを指先で回しながら、今夜の夕食の献立に思いを馳せ、平和な夕日の沈む街を歩いていくのであった。




