第百四十話
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む朝日で、零はゆっくりと目を覚ました。
(ん……よく寝た……。昨日はいろいろあって疲れたな……)
家族が負傷するという最悪の事態から一転、犯人の魔獣を完全消滅させ、無事に一日を終えた安堵感。
零は大きく伸びをしようとして——自分の体に『異様な重み』があることに気がついた。
(……なんだ? パジャマ、こんなに重かったか? それに、なんかフリフリしてるような……)
嫌な予感がして、零はガバッと身を起こした。
視線を下ろすと、そこには見慣れたスウェットのパジャマではなく、漆黒のフリルとリボンがふんだんにあしらわれた、豪奢なゴシックドレスがあった。
さらに、肩から背中にかけて、異常に長い髪がサラリと流れ落ちてくる。
「……は?」
零は慌てて部屋の姿見の前に立った。
鏡の中にいたのは、寝起きの男子高校生ではない。
昨夜、廃工場で魔獣を消し炭にしたあの姿——特S級の未登録魔法少女『ゴースト』の、息を呑むほど美しい素顔を持った少女の姿だった。
「嘘だろ……ッ!? なんで、朝起きたら変身してるんだよ!?」
零はパニックに陥った。
魔法少女への変身は、本来自分の意思で魔力を解放した時にのみ行われるはずだ。それがなぜ、寝ている間に勝手に発動しているのか。
昨夜、怒りに任せて三属性の魔法を同時に極大出力で放ったせいで、魔力回路が一時的なバグを起こしているのかもしれない。
零は必死に「解除、解除!」と念じて魔力を引っ込めようとしたが、ドレスは全く消える気配がなかった。
(ヤバいヤバいヤバい! 母さんが起きてきて、俺の部屋にこんなゴスロリ姿の女がいるのを見られたら、完全に終わる!!)
ただの高校生としての日常が、物理的に崩壊する危機。
零は机の上のメモ帳を破り取ると、震える手でペンを走らせた。
『朝早くから急用ができた。朝飯は冷蔵庫に入ってる。 零』
そのメモをリビングのテーブルに置き、零は窓から音もなく外へと飛び出した。
早朝の、人気のない公園。
ジョギングをしている人すらまだいない静寂の中、ブランコにポツンと座る漆黒のドレスの少女。控えめに言って、極めて不審極まりない光景である。
「……はぁ。どうすんだ、これ」
零はブランコに揺られながら、頭を抱えていた。
魔力が暴走気味になっていることは自覚できる。このままでは、ただでさえ規格外の『ゴーストの魔力反応』が周囲に垂れ流しになってしまう。もし協会や星監のレーダーに引っかかれば、こんな住宅街のど真ん中が戦場になりかねない。
(とにかく、魔力を極限まで絞って、気配を消さないと……!)
零は目を閉じ、体内から溢れ出ようとする膨大な魔力を、必死に内側へと押し込めた。
ギュゥゥゥッ、と。
風船を無理やり手のひらサイズに圧縮するように、特S級の魔力を限界まで小さく、濃密に丸めて抑え込む。
(よし……これなら、外からはただの微弱な反応にしか見えないはずだ……)
零がホッと息をついた、まさにその時だった。
「——羽衣大佐、弓大尉! 急行して!!」
魔法少女協会・情報班のオペレーションルームでは、新実由鶴が血相を変えてマイクに向かって叫んでいた。
「第3セクターの公園に、突如として正体不明の『極めて異常な魔力反応』が出現した! 魔獣の固有波形に近いけれど、尋常じゃないわ! 莫大な魔力が、一点に極限まで圧縮されている……! まるで、爆発寸前の超高密度な『爆弾』よ! 被害が出る前に、直ちに討伐しなさい!」
『了解! 対象の公園上空に到着しました!』
通信機越しに、氷のトップエース・羽衣緋雪の張り詰めた声が響く。
昨夜、後輩たちが魔獣に襲われたことで、エースたちの警戒感は最高潮に達していた。
『飛鳥、行くわよ! 市民に被害が出る前に、私たちが一瞬で仕留める!』
『ええ、任せて!』
上空から、二つの流星のような光が公園へと降下していく。
ドサァァァッ!!
強烈な風圧と共に、公園の砂埃が舞い上がった。
着地と同時に、緋雪は『絶零の太刀』を抜き放ち、飛鳥は『風の槍』を構えて、レーダーが示す『異常な魔獣の反応』の中心点へと殺気を放った。
「そこね、魔獣……!!」
緋雪が鋭い声で叫び、砂埃の向こう側を睨みつける。
しかし。
風が吹き抜け、視界が晴れたそこに『魔獣』の姿はなかった。
「……え?」
代わりにそこにいたのは、ブランコにちょこんと座り、目を丸くしてこちらを見つめている——漆黒のドレスを纏った、素顔の『ゴースト』だった。
(ヤバいヤバいヤバいヤバい!! なんでエース部隊が来るんだよ!? 俺、完璧に魔力消してたよな!?)
零の内心は、大パニックの大絶叫である。
しかし、彼が魔力を『極限まで圧縮して隠した』という行為そのものが、協会のレーダーには「超高密度の異常な魔力」として誤感知されてしまったのだ。
「ゴースト……!?」
緋雪の顔色が変わる。
情報班が「魔獣」と誤認するほどの、異質で高密度な魔力圧縮。
それを涼しい顔で、ただブランコに座りながら行っているという事実。
(……信じられない。自分の莫大な魔力を、一点の狂いもなく極限まで圧縮し続けているというの……? 少しでも気を抜けば自爆しかねない芸当を、息をするように……!)
緋雪と飛鳥は、ゴーストの底知れぬ魔法制御技術に、背筋が凍るような戦慄を覚えた。
そして緋雪の脳裏には、もう一つの『最悪の仮説』がよぎった。
(こんな公園で、こんな早朝から……。まさかこいつ、三神くんの家を監視するために、あえて魔力を絞って潜伏していたの!?)
緋雪の瞳に、ゴーストへの明確な敵意が宿る。
「……何をしているの、ゴースト。あなたがこんな所で、魔力を圧縮して身を潜めている理由……聞かせてもらうわよ!」
氷の冷気が、公園の空気をピキピキと凍てつかせていく。
特S級の未登録魔法少女と、日本のトップエースによる、一触即発の事態。
(聞かせてもらうわよって言われても……『寝起きのバグで変身が解けなくて、家族に見つからないように逃げてきました』なんて、絶対に言えるわけねぇだろ……!!)
ただの高校生としての尊厳を守るため、零は激しく動揺する内心を必死に殺し、冷たく妖艶な『ゴースト』の顔を作った。
「……あら」
ブランコからゆっくりと立ち上がり、ゴーストは緋雪たちを見据えて、艶やかな声でふわりと微笑んだ。
「朝のお散歩の邪魔をしないでくれるかしら?……無粋な犬は、嫌いよ」
極度の緊張と勘違いが交差する早朝の公園で、ただの高校生による決死の『強キャラ演技』が、再び裏社会の常識を激しく狂わせようとしていた。




