第百三十七話
魔法少女協会・日本支部。
情報班トップである新実由鶴は、大型モニターに数枚の不気味な写真を投影した。それは、監視カメラが捉えた「人間の姿をした何か」の不鮮明な映像だった。
「——先日、羽衣大佐が報告してくれた裏社会の異常事態。それに呼応するように、我々にとって極めて厄介な『新たな脅威』が確認され始めている」
会議室に集まった結衣や麗香、そして緋雪たちエース陣が、険しい表情でモニターを見つめる。
「新たな脅威、ですか?」
「ああ。……『自然発生型』の人型魔獣だよ」
由鶴の言葉に、会議室の空気が一段と冷え込んだ。
魔獣とは本来、動物や虫、あるいは架空の怪物のような姿をしているのが常である。人間の姿をした魔獣など、そうおいそれと現れるものではない。
「人型魔獣といえば……以前、ゴーストの交戦記録に残っていた星監の工作員、『レナード』という男がいましたね」
副会長の麗香が、手元の資料をめくりながら言った。
「ルディア・ロンディニウムに両断された彼の残骸を我が情報班で極秘に回収・解析した結果、彼は人間ではなく、星監の魔力技術によって『人工的に合成された人型魔獣』であることが判明しました」
「その通り」と由鶴が頷く。
「星監の非道な人体実験、あるいは高度な錬金術の産物。我々はそう結論づけていた。……だが、最近都内で報告されている人型魔獣は違う。人間の負の感情が密集する都市部において、『自然発生的に』人間の姿を模倣して生まれているんだ」
「自然発生の人型魔獣……。つまり、人間に擬態して街に潜伏しているということですか?」
緋雪が青ざめた顔で問う。
「そうだ。知能が高く、簡単な言葉すら発する個体もいる。群衆に紛れ込まれれば、我々の魔力探知でも判別が極めて難しい。……奴らが密集地帯で本性を現せば、大惨事になる」
結衣が重々しい声で締めくくった。
「各員、パトロールの警戒レベルを最大に引き上げなさい。人型魔獣の擬態を見破るには、不自然な行動や、僅かに漏れる魔獣特有の『魔力反応』を察知するしかないわ」
緋雪は強く頷きながら、内心で激しい焦燥感に駆られていた。
(人間に擬態する魔獣……! もし、そんなものが三神くんの通う学校やスーパーに現れたら……! 急いでパトロールを強化しなきゃ!)
その頃。
協会の懸念通り、街の日常のど真ん中に『脅威』は潜伏していた。
「……ヒヒッ。人間ドモ……美味ソウナ、人間ドモ……」
スーパー『ヤオヨシ』の店内。
目深に帽子を被り、マスクをした大柄な男——人間に擬態した『人型魔獣』は、夕方のタイムセールでごった返す店内を舐め回すように見ていた。
これだけ人間が密集していれば、一気に喰い散らかすことができる。魔獣の赤い瞳が、獲物を定めて怪しく光った。
ターゲットは、特売の『卵1パック98円(お一人様一点限り)』のワゴンに並んでいる、エプロン姿のひ弱そうな男子高校生。
魔獣は男の姿のまま、ゆっくりと少年の背後に近づき、その鋭い爪を隠した腕を振り上げようとした——その瞬間。
「——ちょっと、そこのお兄さん。列は最後尾に並んでくださいね」
「……ギ?」
振り返った男子高校生——三神零が、極めて冷ややかな『主夫の目』で魔獣を睨みつけていた。
「いや、分かりますよ。特売の卵は戦場です。でもね、みんなルールを守って並んでるんです。横入りはマナー違反ですよ。ほら、最後尾はあっち」
「グルル……ナメ、ルナ……!」
人型魔獣は、擬態を解いて本性を現し、この生意気な人間を真っ二つに引き裂いてやろうと殺気を放った。
しかし。
『……チッ』
「ヒッ!?」
魔獣の背後から、信じられないほどの極悪な殺気が突き刺さった。
振り返ると、鮮魚コーナーで特大のブリを捌いているパートの女性(教団の高級幹部・須藤真里)が、血まみれの出刃包丁を握りしめながら、般若のような形相で魔獣を睨みつけていたのだ。
(コイツ……神ノ気配ヲ持ツ少年ニ、割リ込モウトシタ……!? 切リ刻ンデ、ミンチニシテヤロウカ……!)
魔獣の本能が「あの女には勝てない」と警鐘を鳴らす。
慌てて後ずさり、レジの方へ逃げようとした魔獣だったが、今度はレジ打ちをしていた黄金の髪の女性と目が合った。
「お客様? 店内を走ると危険ですよ。……もし、彼の卵にヒビでも入れたら、この空間ごと『幽閉』して差し上げますわよ?」
ニコリと微笑むルディアの背後に、魔獣にはハッキリと『絶対的な死の幻影(Sランクの魔圧)』が見えた。
ヤバい。このスーパーはヤバすぎる。人間の皮を被った化物の巣窟だ。
「ガ、アァァァッ……!」
パニックに陥った人型魔獣は、もはや獲物を喰らうことなど完全に諦め、出口に向かって全力で逃走を図った。
「あ、万引き犯だー!」
「……ん。確保する」
しかし、出口付近でカートを整理していたゴスロリ衣装の双子(ルカ&リリア)が、楽しそうに魔獣の進路に立ち塞がる。
「お兄さんの平和なお買い物を邪魔する奴は——」
「——死刑」
ドゴォォォン!!
双子の放った容赦のない暗殺術(見えないほどの速さの蹴りと手刀)が、人型魔獣の急所を的確に粉砕した。
魔獣は悲鳴を上げる間もなく、店外のバックヤードの影へと吹き飛ばされ、そのままチリとなって消滅した。
「いやー、最近はマナーの悪い客が多いな。万引きまで出るとか、店員さんも大変だ」
無事に98円の卵をゲットした零は、エコバッグを手にしながら呑気に呟いた。
「でも、ここの店員さんはみんな仕事が早くて助かるよ。万引き犯も一瞬で取り押さえてたし」
「ふふっ、ありがとうございます三神くん。私たちは、お客様の『平穏』を守るのが仕事ですから」
レジで微笑むルディアに卵の会計をしてもらいながら、零は満足げにスーパーを後にした。
彼が去った後のヤオヨシでは、真里が「チッ、店内で血を流すわけにはいかないから我慢したが……」と包丁を洗い、双子たちが「よーし、お掃除完了!」とハイタッチを交わしていた。
その数時間後。
協会本部の情報班では、由鶴が信じられないものを見るような目でモニターを見つめていた。
「……なんですって? 都内に潜伏していた人型魔獣の魔力反応が、発生からわずか数分で『完全に消失』した?」
「はい! 戦闘の痕跡すらなく、文字通り一瞬で消え去りました!」
オペレーターの報告に、由鶴は震える手で眼鏡を押し上げた。
「……間違いない。ゴーストですね、人型魔獣の擬態すら完璧に見破り、被害が出る前に一瞬で葬り去ったんです……!」
魔法少女協会が警戒レベルを最大に引き上げて恐れる『新たな脅威』。
それは、「特売への執念」と、カルト教団の「過剰な接客」の前では、ただの『マナーの悪い迷惑客』として処理される程度の存在でしかなかったのである。




