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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第百三十二話

 澪の鋭い言葉に、零の心臓は文字通り「ドクン!」と跳ね上がり、そのまま一瞬止まりかけた。

 しかし、特S級の亡霊として幾多の死地を潜り抜けてきた彼の精神力は、ここでも究極のポーカーフェイスを維持することに成功した。トングでハラミを一枚つまみ上げ、表情を一切崩さずに、絶妙なタイミングで網に乗せる。


「……は? なんだよ急に。ゴーストって、あのニュースでよくやってる未登録の魔法少女だろ?」


 零は、ジュワァァァという肉の焼ける心地よい音をBGMにしながら、あくまで『何も知らない一般人の弟』としてのトーンを完璧に作り上げた。

 しかし、澪の眼差しは、先ほどまでの和やかな焼肉の空気とは打って変わり、獲物を狙う鷹のように鋭く細められていた。


「そうよ。……なんかね、さっきそのゴーストが現れて、私たちを助けてくれたの。信じられない魔法で、特B級クラスの魔獣を一撃で粉砕してね」


「へえ、すごいな。さすが噂のトリプルスペル。……で、それが俺と何の関係があるんだ?」


「そのゴーストが、去り際に言ったのよ。『怪我がなくてよかったわね』って」


「……」


「それ、あんたが前に、私たち姉妹が初陣から帰ってきた時に言った言葉と、全く同じだったのよね。声のトーンというか、放つ雰囲気が、すごく似てた」


 澪は、箸を置いて身を乗り出した。


「それに……あんたが『トイレに行く』って言って店からいなくなったタイミングと、ゴーストが現れたタイミング。そして、ゴーストが去ってあんたが戻ってきたタイミング。……いくらなんでも、完全に一致しすぎじゃない?」


(——ヤバいヤバい!!)


 零は内心で盛大に頭を抱え、冷や汗が背中を伝うのを感じた。

 確かに、変身する前後のわずかな時間差しかなかった。さらに、妹たちを心配するあまり、無意識のうちに『兄としての口調』がゴーストの姿のまま漏れ出てしまったのだ。完全に痛恨のミスである。

 しかし、ここで動揺を見せれば全てが終わる。零は脳内コンピュータをフル回転させ、反証の論理を組み立てた。


「……姉ちゃん、疲れてるんじゃないか?」


「は?」


「第一、男の俺が魔法少女になれるわけないだろ。それとも何か? 俺が女装して戦ってるとでも言いたいのか?」


「そ、それは……さすがにないとは思うけど。でも、例えば、ゴーストの正体を知ってて、裏で協力してるとか。情報を横流ししてるとか」


「ないない。俺はただの男子高校生だぞ。裏社会のコネなんてあるわけないだろ。……さっきだって、この店の個室が空いてなくて、別の階のトイレまで走ったから息が切れてただけだし」


 零はハラミを裏返し、一切の淀みなく言葉を続ける。


「もし俺がゴーストと関係あって、姉ちゃんたちを助けられるなら、なんでわざわざ姉ちゃんたちが危険な目に遭う『前』に魔獣を倒さないんだ? 姉ちゃんや玲奈が怪我でもしたら、明日の弁当は誰が食べるんだよ」


「……」


 零の反論に、澪は少し言葉に詰まった。

 そこに、特上カルビを堪能し終えた玲奈が、呑気に割り込んでくる。


「お姉ちゃん、考えすぎだよー。お兄ちゃんが未登録の魔法少女の知り合いなんて、絶対無理無理!そんな裏社会の人と繋がってるわけないじゃん」


 母の奈々美も、お茶を啜りながら笑って同意した。


「そうよ澪。零は家のことで忙しいんだから。ゴーストさんには感謝しないといけないけれど、零が関係してるなんて、映画の見すぎよ」


 家族からの「零=ただの高校生」という、ある意味で情けないほどの絶対的な信頼が、図らずも最高のカモフラージュとして機能した。

 澪も、周囲の反応と零の呆れ顔を見て、渋々といった様子で引き下がった。


「……まあ、そうよね。あんたがそんな危ないことに関わってるわけないか。……ごめん、ちょっと気が立ってたみたい」


「分かればいいんだよ。ほら、ハラミが最高の状態に仕上がったぞ。焦げる前に食え」


 零はトングでハラミを澪の皿に乗せ、疑惑の目を強引に肉へと逸らさせた。


 (あっっぶねぇ……! これからは、ゴーストの姿の時は絶対に家族に話しかけないようにしよう……!)


 零は内心で深々と息を吐き出しながら、平穏な焼肉の時間を死守したのだった。

              

 焼肉店から少し離れた大通りの現場。

 黄色い規制線が張られ、協会の事後処理部隊が慌ただしく動いている中、新実由鶴と湯野麗香は、アスファルトに穿たれた巨大なクレーターを無言で見下ろしていた。

「……凄まじい威力ね。魔法を載せた大剣による圧殺なんて、聞いたこともないわ」


 麗香が、銀縁眼鏡を押し上げながら険しい表情で呟く。


「ええ。それに、江本くんが魔獣化した肉体の残骸……見事に一刀両断されています」


 由鶴が、しゃがみ込んで焼け焦げたスマートフォンのような端末をピンセットで回収した。


「理論上、星監の紫の防壁は、物理と魔法の双方の威力を極限まで減衰させるはずですが……まるで薄紙でも切るように両断したようですね。結界ごと断ち切る、純粋な魔力と暴力の極致です」


 そこに、上空から羽衣緋雪たちエース部隊が降り立った。


「麗香副会長、由鶴! 魔獣は!?」


「もう終わりましたよ、緋雪。……ご覧の通り、またしてもゴーストの仕業です」


 緋雪は、無残に破壊された地面と、一刀両断された魔獣の痕跡を見て、息を呑んだ。


「ゴーストが……。しかも、この短時間で。江本くんは?」


「口封じで魔獣化させられました。星監は、用済みとなった駒を一切の躊躇なく切り捨てる、極めて冷酷な組織のようですね」


 麗香の声は重い。内部の人間が情報を漏洩し、裏切っていた事実。そしてそれを魔獣化させて逃亡させた星監の非道さ。事態は確実に、協会にとって最悪の方向へと転がり始めている。


「……ゴーストは、私たちを助けたのかしら? それとも、ただの気まぐれ?」


 緋雪が、ぽつりと呟いた。


「分かりません。しかし、現場に居合わせた三神姉妹の報告によれば、彼女たちを庇うように現れ、一撃で魔獣を屠った後、去っていったとのこと。少なくとも、市民や魔法少女を敵視しているわけではないようです」


 由鶴は、端末をジップロックに収めながら、ふと視線を、大通りの先にある焼肉店『牛将』の入ったビルへと向けた。


(三神姉妹……。またしても、彼女たちの危機にゴーストが現れた。そして、このすぐ近くには……)


 由鶴の脳裏に、かつて凍結したはずの『三神零・行動パターン観察計画』の記憶が、鮮明に蘇る。


(三神くんは、確かに今日、家族でこの近くの焼肉店に来ていたはず。偶然にしては、またしても重なりすぎている……)


 由鶴の眼鏡の奥で、知的な瞳が怪しく光った。


(やはり、彼とゴーストの間には、何か切っても切れない強い『縁』があるようね。彼自身がゴーストだとは思いませんが……ゴーストは、三神くんの家族を特別に守護している。協力者か、あるいは……彼に並々ならぬ執着を持つストーカーか)


 由鶴の新たな仮説が、またしても斜め上の方向へと進化していく。

 三神零の平穏な日常は、彼自身の圧倒的な力によって、再び由鶴の「観察対象」へと引き戻されてしまったのだった。

              

 東京湾岸の破壊されたコンテナヤードから遠く離れた、星監の新たな仮設拠点。

 薄暗い部屋で、ヴィクトリア・ローゼンベルグは、冷たい光を放つモニターを見つめながら報告を受けていた。


「……江本の魔獣化個体が、ゴーストによって瞬殺された、と」


 ヴィクトリアは、手元のワイングラスをゆっくりと揺らしながら、氷のように冷たい声で確認した。


「はい。江本が展開していた星監特製の防壁結界も、全く意味を成さなかったようです。相手は重力魔法で個体を拘束した後、大剣による物理と闇魔法の複合斬撃で、結界ごと両断しました」


「……規格外、ね。想定以上の出力だわ」


 ヴィクトリアはグラスをテーブルに置き、目を細めた。


「アンチジャマーの技術データを引き出せたのは収穫だったけれど、肝心のゴーストの戦力が、まだ底を見せない。……あの少女、一体何者なの」


 米国支部からの報告でも、ゴーストの異常性は伝えられていた。だが、実際に自陣営の最高クラスの結界を紙屑のように引き裂かれると、その脅威度がさらに増す。


「ルディア・ロンディニウムの狂信者どもといい、日本の協会といい、そしてあのゴーストといい……極東の島国には、厄介な連中が集まりすぎているわね」


 ヴィクトリアは、小さく、しかし苛立たしげにため息をついた。


「だが、私たち星監の目的は揺るがない。世界の均衡を保つため、飛び抜けたイレギュラーは管理下に置かなければならない。……ゴーストの捕獲計画は、次のフェーズに移行するわ。日本の協会が持っているデータ以上の、彼女の『弱点』を見つけ出しなさい」


「はっ!」


 部下が恭しく頭を下げる。

 星監の冷酷な包囲網は、江本という駒を失ってもなお、ゴースト——三神零へと向けて、静かに、そして確実に狭まっていた。

              

 数日後。

 三神零は、近所のスーパー『ヤオヨシ』で、特売の豚ひき肉とキャベツを大量に買い込んでいた。


「よし、今夜はロールキャベツだ。コンソメベースでじっくり煮込めば、疲れた胃にも優しいからな」


 江本の一件以来、姉の澪の自分を見る目が少しだけ鋭くなっているような気がして、零は家の中でも気が抜けない日々を送っていた。ボロを出さないよう、主夫としての行動により一層の磨きをかけている。


「早く家に帰って仕込みをしないと……」


 重いエコバッグを両手に提げ、夕暮れ時の道を歩いていると、近所の公園のベンチで項垂れている、見覚えのある人影を見つけた。


「……羽衣さん?」


 白と青を基調とした爽やかな私服姿の羽衣緋雪が、深くため息をつきながら、缶コーヒーを両手で握りしめていた。


「あ、三神くん……」


 緋雪は零に気づくと、ハッと顔を上げ、少し恥ずかしそうに頬を掻いた。


「奇遇ですね。こんなところでどうしたんですか? 顔色、あんまり良くないみたいですけど」


 零が心配そうに声をかけると、緋雪は力なく微笑んだ。


「ちょっとね……最近、協会の内部で色々あって。バタバタしてて、徹夜続きだったの。さっきようやく仕事が一段落して、家に帰る途中だったんだけど……なんだか疲れちゃって、ここで休憩してたの」


 江本の裏切りと魔獣化、星監の暗躍、そしてゴーストの行動分析。エース部隊である緋雪も、連日の会議とパトロールに駆り出され、身も心も限界に近かったのだ。


「それは……大変ですね」


 零は、その「色々」の半分くらいは自分のせいでもあると自覚しているため、激しい罪悪感に苛まれた。


「でも、三神くんの顔見たら、ちょっと元気出たかも」


 緋雪がふふっと笑う。その笑顔は疲労で少し翳っていたが、零への純粋な好意が滲み出ていた。


「……ちょっと待っててください」


 零はエコバッグをベンチの端に置くと、その中から小さなタッパーを取り出した。


「これ、さっきスーパーの帰りに寄った和菓子屋のわらび餅なんですけど……黒蜜と少しのきな粉を特製でブレンドしたやつをかけてあるんです。甘いもの、食べますか?」


「えっ、 食べる! 絶対食べたい!」


 緋雪の瞳が一瞬で輝きを取り戻した。氷の女王の威厳はどこへやら、完全に甘いものに飢えた等身大の乙女の顔だ。

 零はタッパーの蓋を開け、添えてあった小さな黒文字(楊枝)と一緒に緋雪に渡した。


「どうぞ。糖分取って、少しでも休んでください」


 緋雪は嬉しそうにわらび餅を一つ刺し、口に運ぶ。


「——んんっ! 美味しい……! すごく柔らかくて、黒蜜のコクが絶妙……。疲れた体に、スゥッと溶けていくみたい……」


 幸せそうに頬を緩め、目を閉じる緋雪を見て、零も小さく息を吐いた。


(……少しは、罪滅ぼしになったかな)


 自分がゴーストとして活動する限り、彼女たち協会の人間を振り回してしまうことは避けられない。だが、せめて三神零という一般人の姿の時くらいは、彼女を癒やしてあげたい。それが、主夫としての彼なりの気遣いだった。


「三神くん、いつもありがとう。……三神くんのご飯やスイーツを食べてる時が、私、一番安心できるの」


 緋雪が、上目遣いで零を見つめる。夕日に照らされたその表情は、ドキッとするほど綺麗だった。


「……どういたしまして。羽衣さんも、無理はしないでくださいね」


「うんっ! 私、また明日から頑張れるわ!」


 夕暮れの公園。ベンチに並んで座る二人。

 世界の裏側で様々な組織が暗躍し、次々と厄介な事件が起きているが、この瞬間だけは、甘いきな粉の香りと共に、穏やかな時間が流れていた。


(……とりあえず、今はこれでいいか。俺は俺の、守れる範囲の日常を守るだけだ)


 零は、空になったタッパーを受け取りながら、心の中で固く誓うのだった。


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