第百二十八話
東京湾岸、破壊されたコンテナヤード周辺。
昨夜の激しい戦闘の爪痕は、翌朝になっても生々しく残されていた。倒壊したクレーン、瓦礫と化した倉庫群、そして道路脇まで飛び散った建材の残骸。
「——こちら、B班。指定エリアの瓦礫撤去、および周辺住民の安全確認、開始します」
現場に到着したばかりの三神澪は、緊張した面持ちで、無線に応答した。
魔法少女二等兵として現場に配属されてから、まだ日の浅い澪にとって、これほどの大規模な破壊現場に立ち会うのは、初めての経験だった。
(——これが、Sランク同士の戦いの、爪痕……)
澪は、目の前に広がる惨状を、言葉を失ったまま見つめていた。
鋼鉄製の巨大なクレーンが、まるで紙細工のように真っ二つに折れ曲がっている。倉庫の壁は、厚さ数十センチはあろうかというコンクリートごと、抉り取られたように破壊されていた。
(訓練校で習った理論とは、まるで次元が違う……)
澪は、これまで学んできた戦闘技術や、対魔獣戦のシミュレーションが、いかに限定的なものであったかを、肌で思い知らされていた。
「澪、こっちの瓦礫、燃やして軽くしてくれる? その方が運び出しやすいから」
同じ班の先輩魔法少女に声をかけられ、澪は「はい、すぐに」と応じた。
澪が操るのは、炎属性の魔力。両手にオレンジ色の火を灯し、崩れた木材の残骸へとかざすと、ボッと音を立てて、瓦礫が瞬く間に灰へと変わっていく。
「——よし、この調子で」
澪は、火力を最小限に抑えながら、周囲に被害が及ばないよう慎重に瓦礫を処理していった。
倒壊した建材の下敷きになった、逃げ遅れた野良猫を救助し、破損したガス管の応急処置を手伝う。
地道で、決して華やかとは言えない作業の連続。しかし、その一つ一つが、確かに誰かの安全を守っている実感が、澪の胸に、静かに積み重なっていった。
「——ねえ、聞いた? 昨夜、ここでぶつかり合ってたのって、あの噂の国際組織と、カルト教団のトップだったらしいわよ」
作業の合間、別の班の魔法少女たちが、そんな噂話をしているのが、澪の耳にも届いた。
「え、マジで? 協会って、そんな大きな組織のこと、把握してたの?」
「さあ……。上層部は知ってたのかもしれないけど、私たちみたいな下っ端には、全然情報降りてこないもの」
その会話に、澪は、思わず手を止めた。
(——協会が、把握していた……? なのに、こんな大規模な破壊が起きるまで、何も対策が取られなかったの……?)
澪の胸に、言いようのない疑問と、微かな不安が広がっていく。
二等兵として現場に立つようになったばかりの澪にとって、それは、これまで漠然と信頼を寄せてきた協会という組織の、初めて目にする「限界」だった。
(——世界には、私たちがまだ知らない、もっと大きな脅威がある。……それを、協会でさえ、完全にはコントロールできていない)
澪は、燃やし終えた瓦礫の灰を風で飛ばされないよう手早く片付けながら、静かにそんな現実を噛み締めていた。
同じ頃、コンテナヤードから少し離れた区画。
妹の玲奈もまた、同じく魔法少女二等兵として、B班とは別の応援部隊に配属されていた。
「——こちら玲奈、瓦礫の粉塵、風で吹き払います!」
玲奈が操るのは、風属性の魔力。両手を広げると、周囲に薄緑色の風の渦が巻き起こり、崩落現場に立ち込めていた粉塵とガス臭を、一気に周辺の安全な高さまで押し流していく。
「玲奈ちゃん、ナイス! おかげで視界がクリアになったわ!」
先輩魔法少女に褒められ、玲奈は「えへへ」と照れくさそうに笑った。
しかし、その笑顔の裏で、玲奈の胸には、静かな緊張と戸惑いが渦巻いていた。
(——こんな大規模な破壊現場、初めて見た……)
訓練校を出て、二等兵として現場に配属されるようになってから、まだ数ヶ月。
これまで担当してきたのは、比較的小規模な魔獣討伐の後方支援ばかりだった。目の前に広がる、まるで戦場のような光景は、玲奈がこれまで想像していた「魔法少女の仕事」とは、明らかに一線を画すものだった。
「玲奈、大丈夫? なんか、難しい顔してるけど」
少し離れた場所で作業していた澪が、玲奈の様子に気づいて声をかけてきた。
「あ、お姉ちゃん……。うん、大丈夫。ちょっと、思ってたよりすごい現場だなって」
「そうね。……正直、私も面食らってるわ」
澪は、瓦礫の山を見渡しながら、静かに息を吐いた。
「これが、Sランク同士の本気の戦いの結果なのよ。……協会が把握してても、防ぎきれない規模の脅威が、この世界には確かに存在する。……私たちも、それを肝に銘じておかないと」
「……うん」
姉妹は、しばらくの間、無言のまま、破壊された街の様子を見つめていた。
同じ二等兵として、同じ現場に立つようになったからこそ、共有できる緊張感と実感が、二人の間に、静かに流れていた。
(——私も、いつかは、もっとちゃんと役に立てるようになりたいな)
玲奈の胸に、そんな決意にも似た小さな想いが、確かに芽生えていた。
一方、都心のスタジオでは、星宮きらりが、新曲のプロモーション撮影のために、テレビ局を訪れていた。
「——きらりちゃん、次のシーン、お願いしまーす」
「はーい!」
元気よく返事をしながらも、きらりは、控え室のモニターに映し出された、湾岸エリアのニュース速報に、ふと目を留めていた。
『東京湾岸で謎の大規模破壊。原因不明も、目撃者は「黒いドレスの少女が仲裁に入った」と証言』
(——これ、絶対、ただの魔獣の暴走とかじゃないよね……)
きらりは、新人魔法少女としての直感で、その事件の異質さを、敏感に感じ取っていた。
これまで、協会からの指示で対処してきた魔獣の脅威とは、明らかに異なる「気配」が、そのニュースの向こう側に、漂っているように感じられたのだ。
「……ねえ、マネージャーさん。この事件のこと、何か聞いてます?」
きらりは、撮影の合間、マネージャーにそっと尋ねた。
「んー、詳しいことは、私も分からないなぁ。……協会からは、特に指示も来てないし、私たちの担当エリア外の話みたいだよ」
「そう、なんですね……」
きらりは、少し釈然としない思いを抱えながら、モニターの映像を見つめ続けた。
(——世界って、私たちが思ってるより、ずっと広くて、ずっと危険なものが、たくさん隠れてるのかもしれない)
これまで、アイドル活動と魔法少女としての活動を、どこか両立できる「特別な自分」として楽しんできたきらりにとって、その気づきは、少しだけ、これまでの世界の見え方を変えるものだった。
「よーし、きらりちゃん、そろそろ本番いくよー!」
「あ、はい! 頑張ります!」
きらりは、気持ちを切り替え、明るい笑顔でカメラの前に立った。
しかし、心の奥底には、先ほど感じた小さな違和感と、漠然とした緊張感が、静かに残り続けていた。
その夜、それぞれの一日を終えた三人——澪、玲奈、きらりは、それぞれの場所で、同じような感慨を、静かに噛み締めていた。
協会という巨大な組織にも、まだ及ばない領域がある。世界には、まだ見えていない、大きな脅威が確かに存在している。
そして、その事実を前にして、自分たちがどう向き合っていくべきなのか——三者三様の立場から、それぞれの答えを探し始めていた。
三神澪は、帰宅後の自室で、今日の任務日誌を静かに書き綴っていた。
「……協会は、万能じゃない。……だからこそ、私たち一人一人が、もっとしっかりしないと」
彼女のペン先には、これまで以上の、確かな決意が込められていた。
隣の部屋では、玲奈もまた、今日の出来事を思い返しながら、静かに誓いを新たにしていた。




