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未登録の魔法少女  作者: 浅川


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第百二十七話

 魔法少女協会日本支部本部、情報班オフィス。

 新実由鶴は、自身のデスクで、先日提出したばかりの研究報告書を、満足げに眺めていた。


「……『アンチジャマー実用化、正式承認』、か」


 書類の表紙に押された承認印を、由鶴は指先でそっとなぞった。

 三神零の特異体質——ジャマーを無効化する『ジャマーキラー』の理論を、長い時間をかけて解析し、ついに実用化まで漕ぎ着けた、渾身の成果だった。


「……まさか、こんなに早く実用化できるとは思っていませんでしたけどね」


 由鶴は、小さく笑みを漏らした。

 これまで、幾度となく壁にぶつかりながら進めてきた研究が、ようやく形になった達成感が、彼女の胸を満たしていた。


「由鶴、おめでとうございます。……これで、正式に協会全体への配備も進められますね」


 部下の一人が、労いの言葉をかける。


「ええ。……これで、ジャマーによる被害は、大幅に抑えられるようになるはずです」


 由鶴は、静かに頷きながら、デスクの隅に積み上げられたままの、別の資料へと視線を移した。

 それは、『三神零・行動パターン観察計画』と題された、まだ手つかずのファイルだった。


(……そういえば、これ)


 由鶴は、そのファイルを手に取り、静かに開いた。

 スタンピードの夜以来、零への忠告電話とゴーストの動きの符合に着目し、「零とゴーストの間に何らかの繋がりがあるのでは」という仮説のもと、密かに立てていた観察計画。

 あの夜以降、由鶴の中で燻り続けていたその興味は、しかし今、目の前にある『アンチジャマー実用化』という、より大きな成果を前にして、静かに色褪せ始めていた。


(——正直なところ、あの仮説を追う動機は、もうほとんど残っていないわね)


 由鶴は、自身の心境の変化に、少し驚きながらも、冷静にその理由を分析した。

 これまで、由鶴が三神零に強い興味を抱いていた最大の理由は、彼の持つ『ジャマーキラー』としての特異体質——それを解明すれば、ジャマー対策の技術革新に繋がるという、純粋な研究者としての探求心だった。

 しかし、その目的は、すでにアンチジャマーの実用化という形で、十分すぎるほどに達成されている。もはや、零自身の生体データを追い求める、切実な必要性は、由鶴の中にほとんど残っていなかった。


「……ゴーストとの関係性、か」


 由鶴は、ファイルの内容を、改めて読み返した。

 あの夜の様々な符合。京都での一件。水族館での不自然な落ち着きよう。……確かに、興味深い符合ではある。しかし、それを執拗に追い求める情熱は、由鶴の中で、明らかに薄れてしまっていた。


(——まあ、深追いする必要も、もうないでしょうね)


 由鶴は、少し考えた末に、そのファイルを、そっと閉じた。


「……この観察計画は、正式に凍結、ということにしましょうか」


 由鶴は、独り言のようにそう呟き、ファイルを、他の未処理案件のフォルダの奥深くへと移動させた。

 もちろん、完全に興味が失われたわけではない。三神零という少年と、ゴーストという存在の間に、何かしらの繋がりがあるかもしれない、という仮説自体は、まだ由鶴の頭の片隅に残っている。

 しかし、それを積極的に暴こうとする動機は、もはや存在しなかった。


(それに……)


 由鶴の脳裏に、あの夜、零に忠告の電話をかけた時のことが、ふと蘇る。

 あの少年は、素直に自分の忠告を聞き入れ、家族の安全を第一に考えて行動していた。もし、彼が本当にゴーストと何らかの関わりを持っているのだとしても、それは彼自身の意思で、市民や協会に敵対するようなものではないだろう——そんな、漠然とした信頼のようなものが、由鶴の中に、いつの間にか芽生えていたのだった。


「……まあ、彼が、危険な存在でないことだけは、確かでしょうし」


 由鶴は、そう結論づけると、パソコンの画面を、次の業務へと切り替えた。

 アンチジャマー技術の全国配備計画、そして、今後の研究班の新たな課題——由鶴の興味と情熱は、すでに、次なる目標へと、自然に向き始めていた。


「——由鶴、少しいい?」


 オフィスの扉が開き、羽衣緋雪が顔を出した。


「あら、緋雪。どうしたの」


「アンチジャマーの配備計画について、エース部隊への説明会の日程、確認したくて」


「ええ、来週の水曜日を予定しているわ。……詳細な資料、後で送っておくわね」


「ありがとう。……それと」


 緋雪は、少し言いにくそうに、視線を泳がせた。


「この前、三神くんのこと聞いてきたでしょう。……あれ、結局なんだったの?」


 由鶴は、一瞬、僅かに目を細めたが、すぐに穏やかな微笑みを浮かべた。


「ああ、あれ。……もう気にしなくて大丈夫よ。アンチジャマーが完成した以上もう観察したり細胞を採取したりする必要はないですしね。」


「……そう? ならいいけど」


 緋雪は、少し安堵した様子で、小さく息を吐いた。

 由鶴の胸中にあった疑念の種が、こうしてひとまず、静かに幕を下ろしたことを、緋雪自身は、まだ知る由もなかった。


「そういえば、緋雪。……あなた、最近三神くんとは会えてるんです?」


「え、あ……いえ、最近は色々忙しくて、あまり」


 緋雪は、少し寂しそうな表情を浮かべた。


「そう。……まあ、落ち着いたら、また会いに行けばいいじゃない」


「そう、よね。……今度、ちゃんと時間作ってみるわ」


 二人は、そんな他愛のない会話を交わしながら、資料の最終確認へと戻っていった。


 その夜、三神家。

 零は、夕飯の後片付けを終え、自室のベッドに横たわりながら、スマートフォンの画面を眺めていた。


「……そういえば、最近、由鶴さんから連絡ないな」


 零は、ふとそんなことを呟いた。

 あの夜以来、由鶴からの連絡は、すっかり途絶えたままだった。てっきり、何か自分に関する疑念を抱かれているのではないかと、密かに警戒していたのだが……。


(——まあ、考えすぎだったのかもな。……忙しいだけだろ、きっと)


 零は、そう自分に言い聞かせながら、小さくあくびをした。

 由鶴の中で、自分への興味の矛先が、静かに移り変わっていたことなど、当の本人は知る由もない。

 こうして、いくつかの小さな緊張の糸が、誰にも気づかれぬまま、静かに緩んでいった。

 三神零の日常には、また一つ、平穏な一日が積み重なっていく。

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