第百二十五話
東京湾岸、廃棄されたコンテナヤードの一角。
表向きは物流会社の倉庫として登記されているこの施設は、実際には、国際組織『星監』の東アジア支部の一つだった。
「——ルディア様、周辺に不審な魔力反応はありません。予定通り、突入いたしますか」
闇に紛れながら、須藤真里が静かに問いかけた。
「ええ。……レナードを謀り、私たちの信仰を利用しようとした報い、思い知らせてあげましょう」
ルディア・ロンディニウムの黄金の瞳が、暗闇の中で妖しく光る。
彼女の背後には、双子のルカとリリア、そして数十名の教団戦闘員が、静かに配置についていた。
「ルディア様、この支部の場所、よく特定できましたね!」
ルカが、興奮気味に小声で囁く。
「ふふん、私とリリアが二人で頑張って調べたんだよ! 星監の物流ルート、何日もかけて洗い出してさ」
「……偽装倉庫の出入り業者の動き、不自然だった。そこから、逆算した」
リリアが、いつもの淡々とした調子で付け加える。
双子は、レナードの一件以来、星監への報復のために、独自に情報収集を進めていたのだった。地道な尾行と偽装業者への聞き込みを重ね、ついにこの東アジア支部の所在地——それも、指導者クラスが直々に視察に訪れているという情報まで、突き止めていたのである。
「あなたたちの働きのおかげよ。……よくやったわ、ルカ、リリア」
「えへへ、褒められた!」
ルディアに労われ、ルカが嬉しそうに笑う。
「ルカ、リリア。裏口からの侵入、任せたわ」
「はーい!」
「……了解」
双子が、音もなく闇の中へと溶け込んでいく。
ルディアは、静かに前へと進み出た。
「——始めなさい」
その号令と共に、教団の戦闘員たちが、一斉にコンテナヤードへと突入した。
「——警報! 東京湾岸の星監施設で、大規模な戦闘発生!」
魔法少女協会日本支部本部、情報班オフィスに、緊迫した声が響き渡った。
「なんですって……!?」
新実由鶴が、すぐさまモニターへと駆け寄る。
あの夜の激戦から数週間、彼女の体はすでに完治しており、松葉杖も、コルセットも、今はもう必要としていなかった。
「攻撃を仕掛けているのは、福音の鐘の戦闘部隊と見られます。星監側も応戦しており、周辺一帯が激しい戦闘状態に……!」
「福音の鐘が、星監を……」
由鶴は、眉根を寄せながら、状況を分析した。
「先日のスタンピードの一件で、福音の鐘の内部に何らかの動きがあったのは間違いないでしょう。……これは、明確な報復行動と見て良さそうですね」
「由鶴少佐、これはどう対応すべきでしょうか」
部下の問いに、由鶴は少し考えてから、答えた。
「協会としては、どちらの勢力にも直接肩入れするべきではありません。……ですが、この戦闘が一般市民を巻き込む規模に発展する可能性は、十分に考えられます。念のため、周辺エリアの警戒レベルを引き上げ、エース部隊にも待機を指示しましょう」
「かしこまりました」
由鶴は、すぐさま会長室への報告を上げた。
「——福音の鐘が、星監に対して先制攻撃を仕掛けた、と」
会長室で、姫嶋結衣が、腕を組みながら険しい表情を浮かべた。
「ええ。……正直なところ、私たちにとっては、複雑な状況ですね」
湯野麗香が、静かに補足する。
「星監については、以前から存在自体は把握していました。……ですが、これまで表立った大規模事件を起こしてこなかったこともあり、協会としては最小限の警戒に留め、深追いはしてこなかった経緯があります」
「ええ。藪をつついて、余計な国際問題に発展させるよりは、静かに見張っておく方が得策だと判断していたのだけれど……」
結衣が、深いため息をついた。
「まさか、福音の鐘が先に動くとはね。……こうなった以上、これまでのような『存在は知っているが、深入りしない』という態度も、見直す必要があるかもしれないわ」
「福音の鐘も星監も、どちらも協会にとっては要注意の勢力です。……両者が互いに消耗し合うのであれば、ある意味、都合が良いとも言えますが」
「そう単純な話でもないでしょうけれど」
結衣が、再び険しい表情に戻った。
「星監という組織の実態は、これまでほとんど表沙汰にしてきませんでした。……今回の衝突で、その全容が少しでも明らかになるなら、それは私たちにとっても、有益な情報になるはずです」
「では、当面は静観、ということでよろしいですか」
「ええ。……ただし、市民への被害拡大の兆候が見られた場合は、直ちにエース部隊を投入します。緋雪たちには、いつでも動けるよう、準備させておいて」
「かしこまりました」
協会は、慎重な静観の構えを崩さないまま、事態の推移を見守る方針を固めた。
東京湾岸、コンテナヤード。
激しい戦闘の轟音が、夜の闇を切り裂いていた。
「——ちっ、思ったよりも手強いわね……!」
教団の戦闘員の一人が、忌々しげに舌打ちする。
星監の防衛部隊は、これまで対峙してきたどの勢力とも異なる、極めて統制の取れた動きを見せていた。
「怯むな! 私たちには、神の御業に連なる使命があるのよ!」
須藤真里が、鋭く檄を飛ばす。
教団の戦闘員たちは、狂信的な士気を保ちながら、次々と星監の防衛ラインへと突撃していった。
コンテナヤードの最深部、指揮所として使われている一室。
巨大なモニターに映し出される戦況を、一人の女性が、冷徹な眼差しで見つめていた。
銀に近いプラチナブロンドの髪を、隙なく結い上げ、鋭く冷たい紫の瞳を持つその女性は——星監の最高指導者、ヴィクトリア・ローゼンベルグだった。
「……侵入を許すとは、この支部の防衛体制、随分と甘く見られたものね」
ヴィクトリアの声には、感情の色がほとんど感じられなかった。
彼女は、静かに立ち上がり、傍らに立てかけていた、細身のレイピアを手に取った。
「私自ら出向くほどの相手でもないと思っていたけれど……レナードの一件もある。ここで、宗教屋どもに、きちんと『格』というものを教えてやる必要があるようね」
ヴィクトリアが、指揮所の扉を静かに開ける。
その姿を見た部下たちが、一斉に緊張した面持ちで敬礼した。
「指導者殿……! まさか、御自ら……」
「構わないわ。……この程度の騒ぎ、私が出れば、十分もかからずに終わるでしょうから」
ヴィクトリアは、平然とそう言い放つと、静かに戦場の中心へと足を進めた。
「——なっ……!」
教団の戦闘員の一人が、一瞬の間に、目にも留まらぬ速さで斬り伏せられた。
「くっ……何者……!」
須藤真里が、鋭く警戒の視線を向ける。
戦場の中央に、静かに現れたのは、氷のように冷たい紫の瞳を持つ、プラチナブロンドの女性だった。
「あなたたちが、福音の鐘の戦闘部隊かしら。……随分と、私たちの拠点を騒がせてくれたわね」
「あなたが……星監の、指導者……!?」
真里の声に、明確な警戒と緊張の色が滲む。
「ええ、ヴィクトリア・ローゼンベルグよ。……悪いけれど、この程度の侵入、私にとっては児戯にも等しいの」
ヴィクトリアが、レイピアを一閃させる。
その一撃だけで、周囲の教団戦闘員数名が、まとめて弾き飛ばされた。
「——なんて、力……!」
真里が、思わず息を呑む。
これまで対峙してきたどの相手とも、明らかに次元の異なる実力。星監の頂点に立つ者の底知れぬ力量を、真里は肌で思い知らされていた。
「ルディア様に、報告を……! この場は、一旦退くべきかと……!」
「——待ちなさい」
教団戦闘員の一人がそう叫んだ、その時。
闇の奥から、静かにルディアが姿を現した。
「——ヴィクトリア・ローゼンベルグ」
ルディアは、忌々しげにその名を口にした。
「まさか、あなたが直々に出てくるとはね。……相変わらず、陰でこそこそと汚い手ばかり使う、鼻持ちならない女」
「あら、これは。……ルディア・ロンディニウム」
ヴィクトリアもまた、僅かに口角を歪めながら、フルネームでそう返した。
「あなたも変わらないようね。相も変わらず、根暗な妄想を『神の啓示』か何かと勘違いして、大の大人が本気で振りかざしている。……いい歳をして、随分と滑稽な生き方だこと」
二人の間には、単なる初対面の緊張感とは異なる、長年蓄積された、粘着質な嫌悪感が漂っていた。
ルディアとヴィクトリアは、互いに旧知の間柄——それも、決して友好的とは言えない、犬猿の仲だった。国際的な非合法組織の情報網の中で、幾度となく利害が衝突し、互いへの侮蔑を募らせてきた過去がある。名前を呼び捨てにすることすら、二人にとっては不本意極まりないことだった。だからこそ、二人は互いを、常にフルネームでしか呼ばない。それが、せめてもの、相手への皮肉であり、距離の置き方でもあった。
「私の同胞を謀り、利用した罪。きっちりと、償ってもらうわよ、ヴィクトリア・ローゼンベルグ」
ルディアの黄金の瞳が、憎悪と共に燃え上がる。
「レナードは、あくまで組織の駒の一つよ。……その程度のことで、こんな大掛かりな襲撃を仕掛けるなんて、随分と感情的な組織なのね、ルディア・ロンディニウム」
ヴィクトリアは、冷ややかにそう言い放った。
「信仰を、道具として弄ばれた怒りが、あなたに理解できるとは思わないわ」
「理解する必要もないもの。……私たちにとって、あなたたちのような組織は、単なる駒か、あるいは障害でしかないから」
ヴィクトリアの言葉に、ルディアの表情が、これまでにないほど険しくなった。
「——万死に値するのは、あなたの方のようね、ヴィクトリア・ローゼンベルグ」
「面白いこと言うじゃない、ルディア・ロンディニウム。……いいでしょう、その慢心、この場で叩き潰してあげる」
二人の間に、これまでにない、凄まじい緊張感が張り詰めた。
福音の鐘と星監、二つの闇の組織の頂点同士——そして、長年の因縁を持つ二人の女による激突が、今、まさに始まろうとしていた。
協会本部、待機室。
由鶴からの続報を受け、緋雪たちも、緊張した面持ちで状況を見守っていた。
「……ルディアと、星監の指導者が、直接ぶつかってる、ってこと……?」
「厄介なことになりましたね」
飛鳥が、険しい表情で呟く。
「私たちが下手に介入すれば、両方から敵視されかねません。……ですが、この規模の激突を放置していいものか……」
「……ゴーストは、この件、知ってるのかしら」
緋雪が、ふと呟いた。
その脳裏には、あの夜、満身創痍になりながらも戦い続けた、闇の少女の姿が浮かんでいた。
(——もし、この戦いがさらに拡大すれば、また彼女は、無理をしてでも動こうとするんじゃ……)
緋雪の胸に、言いようのない不安が、静かに広がっていった。
福音の鐘と星監、二大勢力の全面衝突という、新たな嵐の兆しが、東京の夜に、確かに、そして不気味に立ち込め始めていた。




