第百十九話
都心の巨大商業施設——その屋上駐車場に、ゴーストが降り立った。
眼下に広がる街並みには、すでに幾体もの魔獣が這い出し、逃げ惑う人々の悲鳴と、それを食い止めようとするエース部隊の戦闘の閃光が交錯している。
「——予想以上に、酷いわね……」
ゴーストは、痛む脇腹を押さえながら、戦況を見渡した。
協会のエース部隊が、必死に市民の避難誘導と魔獣の殲滅を並行させている。緋雪や真奈、飛鳥、鈴乃の姿も、遠目に確認できた。
(——加勢しないと。だけど、その前に)
ゴーストの視線が、屋上の一角に据えられた、異様な祭壇のような構造物へと向けられた。
黒い石で組まれたそれは、明らかに人工的に設置されたものだ。中心には、禍々しい紫の光を放つ結晶体が浮遊し、周囲の魔力を吸い込むように渦を巻いている。
「この怪しいものを破壊しないとね」
「——その判断は正解だよ、お嬢さん」
聞き覚えのある、あの艶やかで不気味な声が、背後から響いた。
ゴーストが振り返ると、そこには、あの工業地帯で撃退したはずの執事姿の男が、涼しい顔で立っていた。
「——ッ、お前……! あの時、確かに倒したはずじゃ……!」
「ああ、確かに『器』は破壊されたね。でも、僕自身はこうして、ちゃんとここにいる。……まあ、詳しい仕組みを説明する義理はないんだけどな」
男は、優雅に一礼するような仕草を見せながら、口角を吊り上げた。
「改めて、自己紹介させてもらおうか。僕は、星監所属の高位人形使い、レナードだ。……君を捕獲するための、実験体その一号、といったところかな」
「……星監?」
聞き覚えのない単語に、ゴーストは僅かに眉をひそめた。
「知らなくて当然さ。表舞台には、決して出てこない組織だからね。……ああ、それと」
レナードが、指を軽く鳴らすと、屋上の物陰から、もう一つの人影が、ゆっくりと歩み出てきた。
長い銀髪を編み込んだ、白い軍服のような衣装を纏う、異国風の美しい女性だった。
その瞳は、氷のように冷たく、感情の色がほとんど感じられない。
「——たしか、シンディーとか言ったかしら?」
ゴーストの声に、明確な警戒の色が滲んだ。
「久しぶりだね、ゴースト。……いや、正確には初めましてかな。君が今の私を認識するのは、これが初めてのはずだから」
シンディーは、抑揚のない声でそう告げた。
「アメリカから追われて、から日本の西の大国、そして北の軍事同盟。……その双方から独立した密約組織『星監』。私たちは、君という規格外の戦力を、国家間の均衡を保つために『管理下』に置くことを目的として、長らく動いてきた」
「……つまり、今回のスタンピードは」
「ええ。私たちの計画の一部よ」
シンディーは、あっさりとそれを肯定した。
「福音の鐘のカルト教祖が、独自に地脈の乱れを察知し、暴走を企てていることは、以前から把握していたわ。……その動きに便乗する形で、地脈操作用の触媒をこちらでも追加設置し、規模を意図的に増幅させた」
「——なんだと……!?」
「目的は単純よ。……大規模かつ長期にわたる戦闘で、君の体力と魔力を限界まで消耗させること。そして、その隙に、確実に君を捕らえること」
シンディーの言葉に、ゴーストの背筋が凍りついた。
(——じゃあ、あの人型の魔獣も……いや、あの執事も、最初から俺を消耗させるために送り込まれた『駒』だったのか……!)
「今夜、都内各所で君が転戦し、消耗していく様子は、全て監視下にあったわ。……そして今、こうして君は、満身創痍のままここに立っている」
シンディーが、静かに一歩前へ踏み出す。
その気配だけで、ゴーストは全身の毛が逆立つのを感じた。これまで対峙してきたどの敵とも、明らかに格の違う、底知れぬ実力者の気配だった。
「悪いけど……あなたには、大人しく私たちに保護してもらうわ。……もちろん、抵抗するというなら、相応の対応をさせてもらうけれど」
「——ッ」
ゴーストは、大剣を握り直した。
脇腹の傷は、まだ完全には塞がっていない。魔力も、決して十分とは言えない。
しかし、ここで引くわけにはいかなかった。
(——ここで捕まったら、正体がバレるどころじゃ済まない。母さんも、姉さんも、妹も……緋雪さんたちも、みんな巻き込まれる……!)
「……悪いけど」
ゴーストは、震える足に力を込め、真っ直ぐにシンディーとレナードを見据えた。
「大人しく捕まってやるほど、私、お人好しじゃないのよ」
その言葉に、レナードが愉快そうに笑い、シンディーは僅かに目を細めた。
「……いいでしょう。アメリカにいた頃とは違い魔獣を取り込んだ私の力を思い知りなさい」
シンディーが、静かに右手を掲げる。
その指先に、これまで見たこともない、透明度の高い氷結の魔力が収束し始めた。
「レナード。彼女の相手は、私が引き受けるわ。あなたは、供物の座の暴走させなさい」
「了解。……せっかくの祭壇が壊れるのは惜しいけど、仕方ないね」
レナードが、優雅な足取りで祭壇の方へと歩き去っていく。
残されたのは、ゴーストと、龍克機関の実力者、シンディー・クラネルの一対一。
「——さあ、始めましょうか。君の全てを、私たちの管理下に置くために」
シンディーの氷の魔力が、鋭い刃となって夜空に閃く。
満身創痍のゴーストにとって、これはこれまでで最も過酷な、そして正体の全てが懸かった、最大の戦いの幕開けだった。
同じ頃、地上では、緋雪たちエース部隊が、次々と押し寄せる魔獣の群れと死闘を繰り広げていた。
「——ッ、キリがないわ……!」
緋雪が、氷結の太刀で魔獣を薙ぎ払いながら、屋上の方角へと視線を向ける。
そこには、先ほどから見たこともない禍々しい紫の光が渦を巻いており、明らかに只事ではない気配が漂っていた。
「……あそこに、ゴーストがいる気がする」
根拠のない、しかし確信に近い直感が、緋雪の胸を締め付けた。
「——絶対に、一人で無理させたりしないんだから」
緋雪は、地を蹴り、屋上を目指して駆け出した。
全ての糸が絡み合う商業施設の頂上で、これまでで最大の激戦が、今まさに始まろうとしていた。




